【Chapter:01 Page013】
「…………ん」
少年は起き上がり、場所を確かめる。
ぺたぺたと床を触る。――うん、浮かんでない。
きょろきょろと見回してみる。――うん、狭い。
すんすんと匂いを嗅いでみる。――うん、埃っぽい。
それは宇宙でも何でもない自分の小部屋。少年の寝床だ。
「夢かぁ……」
ずいぶんとリアルで破天荒な夢だった気がする。なぜか頭が重い。眠りすぎたときのようなあの感覚。そんなに深く眠っていたのだろうか?
「…………」
重いまぶたを、軽く握った拳でこしこしこする。そのしぐさはとても幼く、かわいらしく見えなくもない。――とぼけた物言いさえなければだけれど……。
寝ぼけた頭で、少年は夢の少女を思い出す。
生身で戦艦艦隊と相手をしていた、あの無敵の少女を……。
「なんだかなぁ……」
少年は苦笑して、体を起こす。
寝覚めは最高とまではいかないが、なかなかに刺激的なものだった。いつもの変わらぬつまらない仕事も、少しは楽しくできそうな気がする。
少しばかりの元気を動力源にして、扉代わりの布きれをまくり上げて、少年は世界に一歩踏み出した。
すると……。
「……あれ?」
少年は、きょとんとした顔でつぶやいた。
世界が……変わっていた。
床が一色に染まっている。
真っ白に。
まるで雪が降ったように真っ白だ。―― と い う か 雪 が 降 っ て い る 。
念のためにいっておくがここは地下都市だ。コロニーと違って天候操作の機能はない。ましてや囚人だけの街になど。
だけど実際に降っているのだ。白い雪がちらほらと。
「何……これ?」
呆然と、少年はつぶやく。
何がなんだか分からない。まだ夢の中にいるというのだろうか?
肩に止まった白い塊が、不思議と重かった……。
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―――――――――――
白い雪、赤い糸
タネをあかせば、なんてことのないものだった。
上の階層が重みで潰れて、大量の塵が流れ込んできたのだそうだ。
それが天井の隙間からあふれてきて、今にいたる。
つまりあれは雪ではなく塵だったのである。
とんだ笑い話ではないか。
――ところが、あまり笑い話にはならなかった。
大量に積もってきた塵のせいで空調調整用の換気扇が止まり、酸素が送りこまれないという事態におちいったのである。
ほかにも電子機器の基盤に塵がもぐりこんできて燃え上がったり、排水溝に詰まって水回りが悪くなったりと、とんでもない災害を引き起こしているのだ。
この施設ももう寿命なのかもしれない。すでに金属は劣化しているし、しっくいは湿気まみれでボロボロだ。そろそろ近づいているのかもしれない。終わりが……。
そんなわけで、いったんお作業を全て中断して――おそらくこの施設が作られて始めての――大掃除がおこなわれることになったのだ。
少年はモップによる床清掃の担当にされて、ひたすら床をみがいていた。みがいてもみがいても、上から降ってくる塵のせいで終わらない。あえて少年にこの役が回されたと思いたくなるようないやがらせ。
「…………」
荒い息を吐きながら少年は、すっかり塵まみれのモップを杖代わりにして体を休めた。
モップで磨いた箇所と、まだ塵が積もっている場所を見てみると、かなりの高低差がある。指先から第二関節くらいあるのではないだろうか。
塵はたしか、人の皮膚から生み出されるのだといわれていなかっただろうか? だとしたらどれだけの人間の……。
考えると気持ち悪くなってきたので、少年はモップを汚泥同然の水に浸けて掃除を再開した。こうなりゃ意地だ。何が何でもみがき切ってやる。
塵雪の平原は、すっかり足跡がついていてもみくちゃにされている。何度も何度も通っているからだろう。足跡に足跡が重なって統一性のないものになっていた。最初に見たときはわりときれいだったのに。
「……あれ?」
少年は気づく。
すこし先に見える平原。ある場所だけ、足跡がついていない無垢のままだった。
――違う。
一列の足跡が刻まれていたのだ。一列だけ。たった一人の足跡だけ。しかも靴跡が薄い。よほど体重が軽いのだろうか?
細い横道に入っていったらしい。その向こうにも、きっと足跡はあるのだろう。
その先には何が――?
「…………」
不思議と、少年はその足跡に興味をひかれていた。別に特別な何かがあるわけでもない。まだ仕事が残っているんだ。
仕事を投げ出したら、モップを置いたらどうなるかなんてわかっているではないか。ノストラダムスでなくたって読める未来。
だから少年は――
モップを床に寝かせていた。
何かに駆られたかのように、突き動かされるような衝動を受け入れ、自分じゃない自分に身をゆだねて、少年は足跡を追いかける。
横幅が異様に細くて狭い道を、少年は駆ける。
自然と、息が荒くなる。だけど苦しくはなかった。そもそもこんな必死になるなんてひさしぶりだった。
まるで、放課後帰りに秘密基地へ走っていく子供のような冒険心。
――そうだ。
たとえ夢も希望もない収容所であろうと、たとえ純朴が枯れていようと、しょせん少年も た だ の 子 供 で し か な い 。
だから、行く。
走る。
(仕事をさぼったら怒られるかな。……またイヤミいってくるんだろうなぁ。てゆうか、それくらいじゃすまないか)
走る。
自覚はあった。だけど身体は止まらなかった。正直言ってしまえばどうでもよかった。
走る。走る。走る。
自分すら見失っている奇妙な感覚と、大事な何かを失いたくないという不思議な感情が、少年の中でない混ぜになっていく。
走り続ける。
走り続けて――
見つけた。
「…………」
足跡の伸びた先――横道に目をむける。
細い道のその先に見えるのは――ゴミ。
鉄クズも木クズも綿クズも紙クズも――燃えるものから燃えないものまで、ありとあらゆる要らないものが集まってできた、ゴミのピラミッド。
それはなぜか不思議と雄々しく、そしてむなしくそびえ立っていた。
それは、昨日見たゴミ捨て場。ゴミのピラミッド。
色彩豊かだったそれは、塵が積もっていて白一色に染まっている。
足跡は、くるりとピラミッドにそっていて、反対側に消えていた。
「…………」
既視観めいたものを感じながら、少年は昨日のことを思い出す。
――冷めた目で見つめながら、いつも少年は思うのだ。そして笑う。そう、嗤う。
(いつかぼくも、あそこに埋もれて死ぬのかな……)
――それは先のない、ひどく冥い夢……。
思い出す。『その続き』を。
( ぜ っ た い 嫌 だ )
少年の息は荒れている。ここが冬なら、口から白い霧が出てきそうだ。
ざくざくと塵の平原を歩く。それこそ無我夢中に。
足跡を追って、何かを求めるかのように、期待さえしながら少年は進む。
悪夢から這い出ようとする姿が、そこにあった。
そして反対側に回ると――足跡が消えていた。
だから少年は顔を上げる。
つかれきった体で、一種の清々しささえともなった声で、つぶやいた。
「……何してるの?」
少女が、眠っていた。
白い丘に身をゆだねて、少女は眠りについている。それは寝転がっているようにも座っているようにも見えた。
あどけない寝顔を見せているその少女を、少年は知っている。
さ っ き 出 会 っ た ば か り な の だ か ら 。
「…………」
少年はひざに手を置いて腰をかがめると、少女に目線を合わせた。
すやすやと寝息を立てる彼女は、どんな夢を見ているのだろう。
そう考えると楽しくてしかたがない。
だから少年は、少女に話しかける。
「おはよう。どこかのだれかさん。……あなたはだあれ?」
少年は可笑しくなって、たのしくなって、ひとりでに笑みがこぼれていた。
久しぶりに明るい気持ちで、無邪気な笑顔を浮かべる。
これが、ふたりの出会いだった。
-BLACKBOX-
―ブラックボックス―




