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【Chapter:01 Page029】

今回の物語には、性描写や流血を含む若干の残酷表現があります。

苦手な方はご注意ください。

 ――人が死を恐れるのは、死が経験不可能な現象だからでも、科学で理解できないからでもない。

 成し遂げたいことが不完全のまま、修正できなくなるからである。


 レフ=トルストイ【人生論】より。







▼△▼△▼






 時は未来。


 太陽系に人々が移り住むようになった時代。


 疫病や厄災を科学で駆除しても、悪人が消える気配はない。

 

 世界中のうみを閉じこめるのは――いつだって牢獄ろうごくだ。




 物語の舞台は刑務所。


 金星の平原の地下深くに作られた金属の監獄アサイラム




 そこにいるのはサーヤ=ネストーム。


 彼女に押し倒されているアクチェ=ティンクレア。



 


 そして――そこに割りこんできた醜悪な大男。

 頭に袋をかぶって斧を振るう――正気を失った人間がやってきた。



 その男が暴力を突きつける。


 男女の営みプレイの真っ最中に怪物が現れる。まるでホラー映画のような、カビの生えたシチュエーション。



 けど。

 だけど……。







 彼女の細腕が、重い斧の一撃を受け止める。

 刃が上腕にいこんでいるにもかかわらず、痛覚が無いのか彼女がうめく様子がない。

 それどころか顔を上げた彼女の眼は――狂気をはらんでよどんでいる。





「……やめてって言ったでしょ?」





 なんということだろう。怪物が殺そうとしたのは――怪物だったのだ。







 これはいいぞ。ずべて台無しだ。



 さぁ来たれ。



 最ッ高の悪意をさらけ出せ。







▼△▼△▼







「…………」


 なに、これ?


 アクチェ=ティンクレアはぼんやりと、事の状況を眺めていた。

 仰向けのまま壁に背をつけて、いまだ再生しきっていない腹部を押さえる。

 いくつか失った内臓が修復されつつある。……いまさらながらすごい再生能力だ。アクチェにこの力がなければ、もう何十回も死んでいる。



 さっきまで、彼は黒服の少女におかされていた。

 押し倒されて、肌を舌と指でめられて、彼女の思う存分に食べられていた。

 よく考えたら、ぼくケガ人だ――とアクチェは心中でぼやく。いや何を今さら?


 だけど今、彼女は違う獲物に目を向けている。

 好意ではなく、純粋な悪意によって。



 せまい通路の中で、きりきりと張り詰めていく殺意。

 膨張していく覇気はきのせいか、のどがつかえて息苦しい。

 逆立っていく黒髪は、まるで動物のよう。


 好色的な欲情は鳴りを潜め、真っ黒な殺意をさらけ出しているではないか。




 ゆらるゆらりとかげ揺らぐ。

 闇が踊って星浮かぶ。

 紅い紅い双子星。星が見るのは敵か餌か。 

 口が刻むのは白い三日月。狂気とともにせ参じ。



 孤独の金星をおかす黒いみ。


 煮えたぎる悪意によって世界よ凍れっ。





「……これも幻覚?」


 アクチェは思わずそうつぶやいてしまう。


 パフューム――脳内麻薬を過剰分泌かじょうぶんぴつするために作られたナノマシン。

 ウイルス並みに小さな機械の群れに脳をいじられ、これまでにもアクチェは数々(たくさん)の幻覚を見てきたのだ。

 青い蝶のはね、悪魔……。


 今のサーヤの姿は、人間というカテゴリからいちじるしく外れている。つまりこれも――

 


「幻覚じゃないわよ」


 突然ふってきた声。刑務所にいないはずの、サーヤ以外の女の人の声。



「……?」


「あなたの中のパフュームはほとんど駆除されてる。今見てるのは現実よ」


 振り向けば、古めかしい衣装ビジディングドレスを着た女性がアクチェの隣にいるではないか。まるで待ち合わせでもしていたかのように、ごく自然に。

 あの袋男にさらわれる直前、アクチェと話していた女だ。



「…………」

 アクチェ=ティンクレアは無言のまま、突然の異邦人エイリアンを見つめる。

 思わぬ再会に驚いているのかもしれない。


「……どうしたの? 声も出ない?」



「……誰だっけ?」


「ちょっとぉぉぉぉっ!?」



 気まずかっただけのようです。



「え、何? 私のこと忘れたの? 忘れられてるの? 私! リクシス! L・I・X・I・S、リクシス!」


「……。へー」


「そんな呆けた顔しないでよ! 本気で「覚えてないよ。困ったな」みたいな目で見ないで! 得意げな顔してバカみたいじゃない私! ――ああもう出てきて申し訳ない空気になってきたほんっとごめん!」


「学校でパシられるタイプだね」


「うるっさい!」


「しかも自販機で紙コップの熱々コーヒー五人分買って全力疾走させられたこととかありそう……」


「あ、それリアルにあった……」


 心の傷トラウマをピンポイントで狙い撃たれたためか、涙目で落ち込むリクシス。何か思い出してしまったのか、「何で一個だけカルピスなのよ……」と妙に生々しい古傷を語り始めている。……何? 作者の実体験?



「……で、何か用あるんじゃないの?」



 アクチェの一言で、リクシスは「あ、そうだった」と思い出してこちらを振り向く。

 自分の腕を抱いて得意げなポーズをとるが、すっかり充血した瞳ではいまいち迫力に欠ける。……涙ぐんでるし。




「見てみるといいわ」



 視線の先は――対峙するふたりの剣闘士グラディエーター


 一方は、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした大男。


 一方は、黒いコートに身を包む華奢な少女。

 それは悪徳の華を咲かせる闇――サーヤ=ネストームの姿。


 宇宙人エイリアン




「世界の敵をね」











【Page029】

―――――――――――――――――――

        Eat Me, Drink Me,Laugh at Me










 始まるよ。殺し合い。


 人を殺して自分が生きる。生き残る。


 それはなんとも美しい偽善ぎぜんの夢。





「あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!!!」

 袋男が振り落とす赤錆あかさびの刃。訓練も武芸も感じられない、力任せの稚拙ちせつな一撃。

 空気を引き裂き暴力を示せ!


 くチャ、と響くいやな音。不快な肉の悲鳴。

 サーヤの右肩が深くえぐれる声だ。


 だけどサーヤは「だから?」と言わんばかりに眼を見開く。痛覚が……ない?


 理屈はいったい何?




 説明をしてくれたのは、リクシスだった。


「現代科学において、固体を熱せば液体に、液体を熱せば気体になる。冷やせばその逆。この現象を相転移そうてんいって言うの。……ここまでは分かるかしら?」


「……まぁ、それなりに?」


「なら気体を熱せばどうなるか? たとえば――三万度以上。すると互いの粒子が電荷をおびて、放電を起こし始める。これが物質の第四形態――プラズマよ」


「……それで?」


「サーヤ=ネストームの肉体は、プラズマを固体に相転移そうてんいすることで作り出した擬似ぎじタンパク質で構成されているの。細胞の同位体アイソトープ細胞さいぼう組成そせいも全部出鱈目でたらめ。――偽りの器よ」


「……ぼくが科学について無学な人間だと仮定して上で説明してくれない?」


「……えーと、人間を模倣マネして作ったニセモノ、ってこと……かしら、ね?」

 意外と真剣に考えた末、リクシスは説明してみせた。


「生体機能を擬態ぎたいしてるんだね?」


「……あれ? ちゃんと分かってるみたいなんだけど?」


「ごめん。からかってみた」


「ひどいっ!」





 丸太のような筋肉に血管を浮かべて斧を握りなおす袋男。

 今度は横降りに斧をふるってサーヤの青白い首を狙う。



 だけど彼女はけようとしない。



  け る 必 要 が な い か ら 。



 サーヤの赤い瞳が大きく見開く。

 深い赤。薔薇色ばらいろの絶望。あぁなんて愉快な色!


 突如、サーヤと袋男の間に現れた――激しく輝くあおい壁。

 それは物質的なものにあらず。まるで雷を一箇所にかき集めたような――光の壁だった。


 融点ゆうてんが高いはずの鋼鉄が、まるで飴細工あめざいくのように紅く崩れていく。

 熱が持ち手にまで伝わったのだろう。袋男は溶けた斧――だったもの――と投げ捨てる。

 床を転がるそれは、なおも原子レベルで溶けながら床の凹凸と混ざり合って結合していく。


 何だ? あの壁は――!?




「高密度のプラズマフィールドバリア。火星軍の衛星爆弾はあれを貫通することが出来なかった。直径1キロメートルの超質量物質が全て消えたのよ?」


 しばらくアクチェはサーヤの作り出した壁を見つめ――そしてつぶやいた。


「……サンマ焼けるかな?」


「灰も残らないんだけど!?」


「リクシスなら何がいい?」


「…………。さばのしょうが焼き」


 リクシス・マイ好物・さばのしょうが焼き。





「……っ、おあああああっ!!」

 武器を失った袋男は、ひどい水ぶくれを起こしている手の平を固めて、サーヤに殴りかかる。


 そもそも、体格差からして違うのだ。

 サーヤが167センチの長身とはいえ、華奢きゃしゃな女性に過ぎない。格闘で勝てるわけがない。



 ――もっとも、彼女が格闘で勝負するならという話だけれど。



「……うるさい」

 それは闇の底よりもくらい声。

 サーヤはハエを払うような目つきで人差し指をさす。


 ――天のごくに沈んでしまえ。



 瞬間、サーヤの指から光がはしる。


 まるで定規で引いたような、一直線の光。

 それはブルーサファイアを思わせるきらめき。世界でもっとも美しい光――チェレンコフ放射光ほうしゃこうだ。

  



位相差コヒーレントをそろえたレーザービーム」


 リクシスがつぶやいた次の瞬間、袋男の肩がずるりとすべる。まるで、今さら自身が斬られたことに気づいたように――あるいは、まだ気づいていないかのように。

 白い骨や桃色の肉などの断面をさらけ出したまま――血が出ない。

 あまりに高速で切ったゆえに、切られたことを肉体が認識していないのか――それともレーザーの高熱で血管がふさがれたのか。


「体内のプラズマエネルギーを一条いちじょうの光に束ねて撃ちだす。――光の速度でやってくる矢を、誰によけられるかしらね?」




「あぎゃあああっ!!」

 ケモノじみた悲鳴を上げながら、巨体が沈む。どうやら立っていることすらままならないらしい。


 なんて光景。まさしく預言書のようではないか。

 たいていの預言書が語る末路――それは必ず【滅亡】だ。

 予言に取り付かれた袋男自身が、預言書と同じ道を歩もうとしているなんて。


 なんて痛烈な皮肉。なんて愉快なの。神様も悪魔もそれを信じる愚か者も、みんなみんな等しくくさって滅んでしまえ。





 袋男の体が壁にぶつかって、ばきんと歪む。今にも中から断熱材やら何やらがこぼれてしまいそう。

 ――安い壁材へきざいなのかもしれないと、アクチェはぼんやり壁材へきざいの値段を考えてみた。電卓が欲しい。





 ゆらりゆらりと浮浪人プラネテスのように幽霊アンデッドのように黒が歩く。


 闇を侵食するかのように影が、袋男をおおつぶしていく。



「……ねえ、痛い?」



 のた打ち回るブタ見下みおろし見下みくだし、黒きむくろわらう。

 闇を吸ったような黒髪。夜と同じ色のコート。 

 影に覆われているせいで顔が見えない。


 ただ、紅い双子星と白い三日月だけが、何もかもを圧倒していた……。








 闇がつぶやく。



「いい気味」





 次の瞬間。


 男のわき腹がえぐれ取られる。

 だけど、サーヤは何もしていない。触れてもいない――そう見えるだけなの?



「あぎゃあぁぁぁぁああっ!!!」


 次に足。次に腕。急所を避けて、肉片をこそぎ取るかのようにえぐれていく。

 まるで一瞬でみ千切られているかのよう。


 次に肘が丸ごと消し飛ぶ。 

 舞う舞う舞う舞う腕の破片が宙をが飛んで心が躍る!


 なんとも絢爛豪華けんらんごうか惨劇さんげきよ。



 それはかつて、ネズミもどきの腕をり取ったのと同じ――







「――空間転移くうかんてんい。特定の空間を切り取って別空間に飛ばせるの。物理的特性なんて関係ない。チタンだろうとダイヤだろうときれいに切り取ることが出来てしまう」


 リクシスは静かにつぶやく。いつになく真剣な表情で。


「見えないしいつ来るかもわからない。……そんなものをどうやってけろって言うのかしらね……」



 リクシスの目はまさしく……怪物を見ている目だった。

 ……彼女を怖がってる。……そして、そんな自分を嫌ってる?


「攻撃も防御もケタ外れ。彼女は意志を持った嵐。統率された無秩序よ。たとえ軍隊であろうと彼女には勝てないわ。……アクチェ。――あなたならどうする?」


「どうするって……金○先生でも呼ぶ?」


 実際問題、何ができると言うのだろう。

 アクチェは指から光線を出したり、バリアを出せるような超人じゃない。

 ただ体の治りが早いだけ。

 ましてや、今は腹をもみくちゃにされているケガ人だ。戦うどころか立つことすら出来やしない。


 そんな彼に何ができる?





 リクシスは静かに指をさす。


「それは?」


 それ――手元に転がっている拳銃。

 アクチェが手にすることが出来る、唯一の凶器。


「そこにあるのは水鉄砲?」


「…………」

 軽く握って、アクチェはぼんやりと拳銃を見つめる。

 確かな感触。腕に感じる重み。指が受けるトリガーの質感。

 人類が与えたもうた――暴力を与える道具だ。





「殺せばいいわ」


 今、リクシスはなんと言った? ――殺せ?


「彼女は世界の敵よ。言うことを聞かない怪物なら――駆逐くちくするべきだわ」

 リクシスの言葉はひどく冷徹れいてつで、容赦ようしゃが無い。自分にそう言い聞かせているようにも感じられる。


「……言うこと聞かないなら、みんな悪者なの?」


「彼女は世界の敵よ」


「……だから?」

 とても低い声でアクチェがつぶやく。

 ひどく、不機嫌そうだ。



「悪い人を殺せば、誰でも正義の味方になれるわ。――あなただって」


「そんなこと言われたってねぇ……」


 乗り気になれない――なりたくもないとアクチェはつぶやく。



 だが――





「外に出る方法を教えるって言ったら?」



 リクシスのその言葉に、アクチェは目を見開く。


 目は、何よりも感情を語る。

 瞳が揺らいでる――心がぐらついたってこと……?



「……本当に教えてくれる?」



「約束するわ。……だから殺して」



「…………。……そう」

 アクチェは静かに銃を構える。なおも続いている陵辱りょうじょくめがけて。

 その動きにためらいはない。これっぽっちも。


 ……本気で撃つ気なの?



「あのさ……」

 とても神妙しんみょうな面持ちでアクチェはつぶやき、




「蜂蜜ソフトクリームって知ってる?」

 すごくどうでもいいことを言った。



「……え?」

 当然そういう返事になるだろう。リクシスはあいづちも打てずにきょとんとした顔になる。


「日本のどこかにそういうお菓子があるらしくってさ。地球に行ったら絶対食べようと思って」


「そうなの?」


「そうなの」


「ふうん……」


「…………」


「…………」


「…………」



「……美味しいの?」

 リクシスが食いついた! この子甘党だよ! 絶対クレープとか大好きだ!



「もうすごいんだって。甘みが舌を転がすってウワサ」


「……どこのお店?」

 興味津々(きょうみしんしん)だよ! 行く気か! 有給とって行く気か!


「わかんない。まぁ噂だしね」


「そう……」

 本気で落ち込むな。


「美味しいって話なんだけどなぁ……」


 うーんとうなってアクチェは――撃った。






 撃った。


 撃っちゃった。


 撃っちゃったよ?


 まるで手を叩くみたいに。何かのついでみたいに。

 そんな気軽な感じで撃っちゃった。




 放たれた銃弾は空気を裂きながら突き進んで目標へと――深々と埋まった。


 壁に。

 袋男の体が当たって、崩れかけていた壁に。



 最後の衝撃が決め手になったのか決壊を起こしていく。断熱材や錆びた骨子のパーツやらが一気に雪崩なだれこんだのだ!


「――っ!?」

 即座にサーヤはその場から退しりぞく。もっとも、そのまま静止してもほこりがつく程度でしかない位置だったが。


 だが、袋男は直撃だ。ましてや体中を空間転移によって食われてしまって、満足に動けもしない。

 瓦礫がれきに埋まっていく袋男。もし運がよければ、ひょっとしたら助かるかもしれない。あくまで――可能性でしかないが。



「……ふう」

 アクチェは一仕事終えたとでも言いたげに銃を上げる。


「…………」

 リクシスは、ぽかんとした顔で状況を眺めていた。 どうやら予想外の展開だったらしい。



「どうして……」


「やられたらやり返す主義なの」

 アクチェは状況を楽しむように、瞳を細くして笑ってみせた。


 ……が、リクシスの表情に気づいて、少し目を見開いてみる。


「…………。……あのさ」

 アクチェは彼女の表情を見て、眼を細める。それは気遣きづかう風にも見えた。



 ……なんて顔をしているのだろう。彼女は。

 アクチェは言った。






「何で泣いてるの?」






「……え? あの……ごめんなさい。……ちょっと安心したから、つい……」


 何とも敵らしからぬ発言。

 けれどたしかに、リクシスは安堵あんどしているようだった。目からこぼれそうな涙をそっと指でぬぐう。


「殺しちゃうと思ってた……」


「殺さないよ」


 一人つぶやき、アクチェはむき出しになっている自分の腹を見てみる。

 ――ひどく痛む。たぶん空っぽを埋めようと、グズグズの内臓が形作られていることだろう。見たら酔っ払いよろしく戻してしまうかもしれないが、残念ながらまだ胃が無い。


 ――まだ、足掻あがきたいよね……。

 抵抗を続ける己の肉体に、アクチェは心の中で笑いたくなってしまう。心のほうこっちも頑張らなくては。


「よく言うでしょ? 【悪い大人に付き合うな】」

 銃を構えなおして、アクチェはつぶやく。

 銃口を突きつけた先は――ビジディングドレスの女。



「……私を撃つの?」



 青ざめた顔で、信じられないものを見たような目で、リクシスがつぶやいた。


 アクチェの返事は金属音。――銃を下ろす音だった。


「撃たないよ。だって【撃っても当たらない】でしょ?」


 何か知ってるような物言い。アクチェはリクシスの【何か】に気づいている?



 それを聞いていたリクシスの反応は驚きと――微笑ほほえみだった。

 警戒心をほどく笑顔。



「……ねぇ。ここから出る方法、知りたくない?」


「……ホントに知ってるの?」


「…………」


 リクシスは目を伏せる。それは「教えられない」というより「教えたいけど方法を知らない」という印象だった。




 彼女の気持ちをさっしてか、アクチェは静かにつぶやいた。


「……見つけたら教えるよ」


「……? 何を?」


「蜂蜜ソフトクリーム売ってるお店」


「…………。探す気なの?」


 もちろんと答えて、アクチェは薄く笑った。





「欲しいものは自分で探さないと」





 でしょ? とアクチェはリクシスに問いかける。 


 彼女は想う。

 嗚呼ああ、本当に彼は――



「……私やサーヤ=ネストームじゃ、あなたには勝てないみたいね」


 どこか嬉しそうに、いつくしむように、リクシスは笑った。心の底から。


「……だといいけど」

 アクチェは彼女から目をそらして――もう一度振り返る。


 彼女の姿はそこになかった。


 まるで魔法のように、あるいは嘘のように、彼女は姿を消していたのだ。




 しかし感情きもちは本物だ。

 

 リクシスが何者なのか、良く分からないところが多い。

 だけど彼女は、たくさんのことを教えてくれた。


 今はそれでよしとしよう。






 



 反対側に振り向いて――気づく。


 サーヤがアクチェのほうを見ていること。

 


 今にも心が千々(ちぢ)に乱れてしまいそうな顔をしていて……。






▼△▼△▼






 しばしの時間経過のあとのこと……。


 場所は、いつもの小部屋。


 

 どうにかこうにか、そこまで戻ったあとのお話である。





 サーヤ=ネストームは悩んでいた。


 アクチェの体に異常は無い。

 腹から見えていた内臓は着実にふさがっているようである。



 けど、見せてしまった。

 彼女自身の深い闇。見せたくない自分の黒い人格。


 あんな姿を見て、彼は何を思うのだろう。

 




 ――学校でパシられるタイプだね。

 ――サンマ焼けるかな?

 ――蜂蜜ソフトクリームって知ってる?





 わりと、どうでもいいことばかりアクチェは言っていたのだが、それをサーヤが知るよしはない。


 ずっとずっと思い悩んでいて、サーヤは満足に彼と話すことが出来ずにいた。






 それに――









 ア ク チ ェ を 汚 し て し ま っ た 。 








 まるで強姦魔ごうかんまみたいに色情狂しきじょうきょうみたいに。

 感情のおもむくままに服をはぎとって、無理やり唇を奪ってしまった。

 まるでケモノだ。ギリシャ神話の神を気取った、ただの愚物ぐぶつだ。

 最っ低……。 




 絶対嫌われた。




 金星こんなところまで来て、何しに来たんだろう……。




「あいた々々(たた)……」


 突然の声に、サーヤは顔を上げる。いつもの低位置――部屋の隅っこに座ったまま。


 視線の先では、アクチェが上着をぱりぱりとはがしていた。どうやら血糊ちのりで肌と布が張り付いてしまっているらしい。


 もうすっかり、腹部の傷はえているようだった。


 チェーンソーの傷もない、まるで赤ん坊の肌みたいにつややかな白い肌。

 女の子みたいな顔立ち。

 だけど、たしかに男である証の、ほんのちょっとだけ盛り上がっているのどぼとけ。


 上着の隙間から見える――いやらしい鎖骨……。華奢な体のつくりと陰影のせいか、とてもくっきりと浮かんでいて、ひどく性的で――生唾なまつばを飲みこんでしまう。





 そんな自分に嫌気がさす。

 どうして?

 こんなときに欲情してしまう自分がどうしようもなくみにくく見える。  


 彼を壊すために来たんじゃない。


 わたしは、

 わたしは……。




 そんなことを思いながら、サーヤは自虐的じぎゃくてきな感傷にひたる。


 彼女は気づいているだろうか?



 その気持ちこそ【痛み】なのだということに……。


 痛みを感じない生き物など、いるわけがないのだ。だって生きているのだから。





 だけど、彼女にその結論にいたる思考の時間は与えられなかった。

 アクチェと目が合ってしまったから。


「――っ!?」

 気まずさか、あるいは罪悪感か、サーヤは目をそむけてしまう。


 そのせいで、サーヤは壁を見たまま、アクチェに背を向けて体育すわりしている体勢になってしまう。



 なんともづらい間。時間の流れが、ひどく遅々(ちち)に感じられる。



 足音。アクチェの足音。

 アクチェが――近づいてくる。



 どうしよう。どうしよう。


 彼女は考える。






 それはなんとも奇妙な光景。


 夢の中とはいえ艦隊かんたいを撃ち滅ぼして、圧倒的な力で二人も殺していると言うのに。


 ましてや、近づいてくるのはちっぽけな銃くらいしか持ってない――しかもさっきまでケガ人だった、ただの男の子なのに。



 どうしてそんなに怖がっているのだろう?


 ……【   】だから?




 どんなに遅々(ちち)と言えど、時は流れる。


 とうとうアクチェが、サーヤのすぐ後ろまでやってきた。


 サーヤはどうしたらいいのかさっぱり分からなくて、その場で凍り付いている。



 気持ち悪いと言うだろうか?

 もしかして銃を頭に突きつけるだろうか?

 大嫌いだと言われたら……。



 悩み悩んでいるうちに――彼の手が伸びてくる。



 それはゆっくりと降りてサーヤのわきの下をくぐって――





 ふとっ。






 触ってきた。


 胸を。









「え。」



 思わず口から出たのは、そんな間抜けな声。


 それもそうだろう。いくらなんでも予想外だ。



 こんなことするのはアクチェの性格キャラではない。ましてや趣味でもないはずだ。



 だけど現実に、アクチェは後ろからサーヤを抱きしめていて、胸の丸みに触れている。――それってどういうこと?



 サーヤの胸は、割と豊満なほうだ。アクチェの指に力が入って、指と指の間の肉がふにゃりと歪む。


「ふ、ぁっ……」


 サーヤの唇からあえぎ声が漏れる。その声に、さっきまで袋男を蹂躙じゅうりんしていた猟奇的りょうきてきな響きはない。



「あ、の、なんっ、で……っ?」


 どうしたらいいのかわからなくって、サーヤは意味をもたない問いをしてしまう。


 そうこうしている間に、もう片方のアクチェの手が伸びてきて襟元のボタンを外される。あっという間に、サーヤの鎖骨がむき出しになって白い肌がこぼれた。


「〜っ!?」

 羞恥心しゅうちしんのあまり、サーヤの白い頬が一気に桜色に染まる。


 えりの隙間から見えるサーヤの首筋に、アクチェが吸血鬼ドラキュラよろしく――みついてきた。

 

「ひぁっ、やめ、っ……っん、っぁ……」


 歯を食いこませてるわけじゃない。むしろ唇で甘く吸われていて、血ではなく理性を吸われているかのようだった。



 彼女がその気になれば、アクチェの命を壊すことは、さして難しいことではないだろう。それだけの力があるし、必要とあらば、どこまでも狂ってしまえるはずだった。 



 だけど今は――



「――っ! っむ……」


 サーヤの声がよほど大きかったのか、口の中に指二本を差しこまれる。猿轡さるぐつわの代わりなのだろう。

 アクチェの指――意外と筋張すじばっている。男の子の手。

 

 逆らいたいと思うなら――指をみ切ってしまえばいい。

 くわえているその指に歯を立てされすれば、それで全て終わる。


「……むっ……っぅ……」

 声を出せないサーヤは、上と下の唇を細い指に押し当て、思い悩むかのようにもだえ、意を決して――

 


 受け入れた。

 指を口腔こうくうに閉じこめて、舌で甘くしゃぶる。



 だけど今は――彼女のほうが壊れてしまいそうなのだ。




 指をくわえたままの状態でサーヤはうつむくと、すでに腰元までボタンを外されていて、胸元がさらされていることに気づく。


 五指の思うがままにみしだかれている白い乳房ちぶさは、今にもブラのカップからこぼれてしまいそうで、ひどくいやらしい。

 そのみだらな手つきに彼の野生が見えてくる。心がとろけてしまいそう……。


 そう意識した途端に、サーヤは火がつきそうな勢いで赤面してしまい、耳たぶまで熱くなってきた。


「……んぐぅ……あむっ……ふぁうっ……」


 すっかりサーヤ自身のよだれれそぼったアクチェの指を、ことさら強くくわえて、どうにかびくびくと乱れるカラダおさえている。

 もう、どうにかなってしまいそう。

 今の彼女自身はどんなみだらな顔をしているのやら。それを知ったら、彼女はもっと身悶みもだえしてしまうことだろう。



 

 次第に瞳の焦点しょうてんが合わなくなる。意識の全ては視界の真後ろと性的刺激にかたむけられている。

 骨も肉も神経も脳味噌のうみそも、何もかもがとろけていく。

 すっかりアクチェの胸に背を預けていて、彼のなすがままにされていた。




 ――そのときだった。





  


 唇から指がひき抜かれる。



 離れていく。







 アクチェが。















「……ふえ?」




 すっかり体が【出来上がっていた】サーヤは、思わぬ展開に口を開けたままほうけてしまう。


 ……あれ? どうなってるの?




 


 ▼△▼△▼






 ここからは、アクチェ=ティンクレアの心境に移る。


 ちなみにすっかり発奮はっぷんしているサーヤと違って、彼は終始冷静のままだった。



「どうかしたの?」


 つやのかかったサーヤと違って、まるで色気のない口調でアクチェがつぶやく。

 ――犯していた張本人とは思えぬセリフである。


 サーヤの焦点しょうてんの合ってない瞳を見て、彼女が戸惑ってることを理解したのか、アクチェは説明してくれた。



「やられたらやり返す主義なの」



 説明になってない。


 そのせいか、サーヤはなんともいえない顔になってしまう。

 あれでは不完全燃焼もいいところだ――とサーヤが思っていることに、アクチェは気づかない。



「お返しだよ。【あの時】の」



 あの時――それはサーヤがアクチェを押し倒したときのことだろう。



「途中で止まっちゃったから、ここでお終い。――おあいこでしょ?」

 イタズラっぽい笑みを、アクチェは浮かべる。

 

「……どうして、したの? ……こんなこと……」

 すっかりはだけた胸元を直しながら、サーヤは、ようやくそれだけを問う。

 まだ余韻よいんが残っているのか、言葉の端々に乱れた吐息が混じっていた。


「サーヤは何であんなことしたの?」 

 質問を質問で返された。

 けれどサーヤは真面目に思い悩んで――そして言った。


「…………わかんない」


「たぶん、ぼくも同じ気持ちなんだよ」


「…………」

 まだ納得しきっていないのか、サーヤは不満そうだ。



 それで、アクチェは再び問うてみる。

「……サーヤは【されて】みて、どう思った?」


「……え?」


 どう答えたものか、とサーヤは言葉を思いあぐねる。気のせいか、顔が熱くなっているように見える。


 その表情に、アクチェは言葉を投げかけた。







「たぶん、ぼくも同じ気持ちなんだよ」







「…………」

 その言葉に、サーヤを耳まで真っ赤にして顔をうつむかせてしまう。

 感情が爆発して、もうしゃべれないといった感じだ。

 


 一方のアクチェは心の内で。

(まぁ、床が固いせいで背中痛いから場所変えて欲しいとか、ちょっと歯を立てすぎとか、がっつきすぎとか、言いたいこといっぱいあるんだけど……まぁビックリしてたからそれどころじゃなかったし。きっとサーヤもたぶん同じ気持ちだろうなぁ……いちいち説明するのメンドくさいから、はしょったけど)


 正直言って実際のサーヤの考えは、アクチェの予想から遠い銀河の彼方まですれ違っているのだが、それはたぶん知っても知らなくてもどうでもいいことだろう。




「……あの、アクチェ?」

 表情を改めて、サーヤが問う。


「ん、何?」


「どうして殺さなかったの?」


「……サーヤを? 正当防衛で? ――何? あれだけぼくのこともてあそんでおいて、今さら罪悪感?」


 違うってば! と顔を真っ赤にして否定するサーヤ。

 この数分で、彼女の血色はすごく良くなっているようだ。


「そうか、もてあそばれちゃったのか。サーヤにとっては遊びだったんだね。……うん、今後の付き合い方考え直す」


「あ、あの、待って!? 待ってってば!」


 最近、このテのタイプの人間を扱いやすくなってきたアクチェであった。


「あいつ! あいつだってば」


 身振り手振りで【あいつ】と指すサーヤ。たぶん袋男のことを指しているのだろう。




 ――どうして殺さなかったの?


 サーヤの問いかけが、アクチェの頭の中で反芻はんすうする。 

 アクチェは壁を撃った。そして袋男に瓦礫がれきを落として生き埋めにした。

 それは生き残る可能性を残すためだ。

 だけどそんなものは自己満足に過ぎないし、気休めにしかならない。それにここで生き続けていても何の救いにもならないではないか。

 直接撃って殺してしまったほうが、本当は幸せだったのかもしれない。


 だけど――それを分かっている上でアクチェは撃たなかったのだ。……撃てなかった?



「目の前で死なれたら、次の日のご飯が不味まずくなるでしょ?」

 ごまかすように、アクチェはそんな言葉を選んだ。


「……正義の味方きどり?」

 少し怒ったように、サーヤは顔をしかめる。

 態度からして、過去に偽善者ぎぜんしゃとひと悶着もんちゃくあったのかもしれない。


「…………」

 サーヤの言葉に、アクチェはふっと思いいたる。

 そうなのかもしれない、と。




「……うん。きどってみてる」

 さとったように、当然のようにアクチェはつぶやいた。




 そして、言った。













「サーヤの味方」












 

「…………」

 サーヤの顔がカチコチに固まる。


 そのままほほの温度が、くっと上がってうつむいてしまう。今にも湯気が出そうな勢いで。

 サーヤは隅っこでひざを抱えたまま、ぴくりとも動かなくなってしまった。――まさにカラに閉じこもった状態。


 のちの話によれば「……照れくさかったから」とのことである。




(……意外と純だね)



 そんなことを思いながら、アクチェは自分の指を見てみる。

 てらてらとぬめっている指。別にゼリーに触ったわけではない。サーヤのよだれだ。


(…………。そんなに欲しかったのかな……?)


 こんな摂氏せっし四百度以上の蒸し暑い星に来てまで、欲しいものがあったというのだろうか? 誰の手も借りず、自分の力だけで探し当ててまで……。


 そういう意味では【アクチェ=ティンクレア】という存在は、サーヤによって定義されたのではないだろうか?

 彼女に出会わなければ、アクチェという名前で自分を認めることなんて無かったのだから……。




 ――何かをすれば、必ず形として残る。どんなことだろうと、必ず……。



「…………」 

 もう一度、粘っこい指を見やる。


 やったことはずいぶんとしょうもない気もするが、それでも確かな結果がある。

 アクチェは、まんざらでもない表情を、苦笑とともに浮かべてみた。

 


 あとは、どうやって脱走するか考えてみる。


 もしかしたら、まだ可能性があるかもしれない。出口を見つけられる可能性が無いわけじゃない。


 とにかく足掻あがき続けよう。



 何もしなかったら、未来なんて変わりはしないのだから……。





  -BLACKBOX-

―ブラックボックス―




Eat Me, Drink Me,Laugh at Me――私を食べて、私を飲んで、私を笑って







裏サブタイトル【アクチェ、かうんたーあたっく大作戦! 彼の生き様に、全私が泣いた】



アクチェ(以下・ア):「えっち描写、増えてきたねぇ」


サーヤ(以下・サ):「すっごい恥ずかしかった……」


ア:「えっち描写って、どういうふうに演出したらいいのかとか、元の演出と折り合いつけるのとか大変らしいよ? 『これ、人が読んでホントに面白いのかな?』とか」


サ:「そんなに真面目に考え込むことないのに……」


ア:「性格じゃない? ちなみに作者情報で、ぼくの身長は156センチなんだって」


サ:「わたしより11センチ低いの?」


ア:「元のキャラ設定コンセプトが『BL受け系美少年』だからね」


サ:「前から素質あったんじゃないの? 作者……」


ア:「あと、サーヤのバストは90のGだから」


サ:「……それってすごいの?」


ア:「すごいんじゃない?」


サ:「何でそんな設定に?」


ア:「絵にしたときに八の字体型だとメリハリが出るでしょ? そしたら描き易いから」


サ:「……なんでイラスト優先で設定してるの?」


ア:「性格じゃない?」


サ:「…………」

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