【Chapter:01 Page025】
長らく連載を中断していて申し訳ありませんでした。
自分の作品としての演出方法に悩んでいまして、何度も模索しては破棄することの連続でした。
どうにか演出の手段を見出してきましたので、これからは安定したペースで連載していきたいと思います。
そうか長い目で見守ってくださいませ。
それでは。
「ネバーランドはあると思う?」
唐突に、リクシスと名乗った彼女はそんなことを言い出した。
「天使は世界のどこかにいると思う?
悪魔はこの浮世に存在すると思う?
怪物はこの世にいると思う?」
つばの広い帽子、淡い若葉と白んだ空を混ぜたような色のスーツだけど、下はスラックスではなくて足首まで隠したロングスカート。
いわゆるビジティングドレスと呼ばれる衣装だ。
とても、刑務所に似つかわしい服装とは思えない。
ましてや、刑務所に女だなんて。
「…………」
アクチェは、黙って彼女――自称、刑務所の管理者の話を聞いてみることにした。
ここは暗闇の通路。
後ろは急に降りた隔壁によって道をふさがれている。前には――おしゃべりな彼女。
緑がしみこんだ照明に照らされ、どういうわけかふたりきり。
どうやら話を聞くほかに、やれることはないらしい。
リクシスの話は続く。
「人はたくさんの御伽噺を紡ぎ上げた。――だけど、そんなの誰が信じてると思う? 大人になっても信じているのは妄想患者かヒマ人だけよ」
彼女は語る。お芝居の解説者のように。サイレント映画の活弁士のように。あるいは、狂乱した犯罪者の独白のように。
「人が学ぶのは、興味を抱くのは――天使の存在でも、悪魔の可能性でも、怪物の危険性でもない」
ここで一呼吸おいて――『ため』を入れてから彼女は、告白する。
目玉を根限りまで開いた、気味の悪い笑顔で。
「天使も悪魔も怪物も――人は殺すことができるということを」
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A murder theory
闇に溶ける、奇妙な噺。
狂気じみた声が耳に残る。
刑務所囚人ことアクチェ=ティンクレア。
少女みたいな顔立ちは、無表情のままぴくりともしない。それは過度の恐怖ゆえなのか。
まだ若き少年は、その薄い胸板の心中で――いったい何を思うのだろう。
少年はゆっくりと、口を開く。
「そろそろ帰っていいかな? 見たいドラマの再放送があるから」
――ドン引きしてました。
「えっ、あれっ? ちょ、ちょっとまって?」
予想外の反応だったのだろう。
そそくさと正面から帰ろうとする男の子を、リクシスは必死で呼び止める。
そこにさっきの狂気的な雰囲気はない。ただのおろおろした挙動不審者である。
念のために言っておきますが、この刑務所にドラマ放送はありません。
「あ、あのね。こういう時って、とっても怖くなって、もう少しお話し聞いたりしたくなるんじゃないかな……って、私思うんだけどな?」
「すいません。怖いんで触らないでください」
怖いと口で入っているわりには、その瞳は、中にペンギンが住んでいるのではと思うほどに冷ややかでであった。――なかなかクールな少年である。
「待って! お願いだから待って! お姉さんがナマイキ言ってごめんなさい! だから聞いて! お願いだから聞いて!」
「触らないでください。セクハラとパワハラで訴えますから」
たまらなくなって、リクシスが大声で叫ぶ。
「サーヤ=ネストームのこと知りたくないのっ!」
その呪文が――アクチェの背中に絡みついて動きを止める。
「……知ってるの?」
興味の視線に気づいて、リクシスは少し得意げな顔になる。
「知りたい?」
条件次第で教えてあげなくもない、といった感じの表情だ。
「……じゃあ、いい」
――あ、そっぽ向いた。
「ああああ! ごめんなさいごめんなさい! 教える! 教えますからぁ!」
土下座せんばかりの勢いで謝るリクシス。――なぜこうも、アクチェの周りに現れる女は外見と中身がかみ合っていないのだろうか?
「……彼女は、宇宙人なの」
「…………」
「待って! 『何言うかなこの電波系は』みたいな顔しないで! そんな痛い人を見る目しないで! ……いや待って帰らないで! 帰らないでってば! 私を空気みたいに扱わないでっ! お願いですごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさいぃぃ!」
「……真実なの?」
アクチェの問いに、リクシスはこくこくと首を縦に振りまくる。今にも唾広の帽子が飛びそうな勢いだ。
彼女は言った。
「PCって知ってる?」
「……Personal Computer?」
「ううん。Plasma Critterよ」
「……プラズマ知性体?」
「そう。質量のさほどないプラズマが知性を持ち、成層圏よりも上で生き、太陽の磁場を摂取して、自らの生体密度を変えてさまざまな形に変化する。放電現象を起こすその生態的特徴から、空で発光――UFOと間違われることが多かった」
「それ……UFO信者の中では有名なトンデモ説じゃなかった?」
いぶかしげな表情で、アクチェは疑問を投げかけた。
「まさにSFでしょ?」
「UFOはSFじゃない、オカルトだよ。黒魔術や悪魔と同じ。科学で照明されていることなんて、何一つないんだから」
「だけど存在した。サーヤ=ネストームがその証拠よ」
「なら、サーヤを捕まえる人がいるかもしれないね? 政府の陰謀。オカルトマニアは喜ぶんじゃない?」
「いたわ。外惑星連合軍」
「……?」
「火星国家を主国とした、木星衛星国家群と天王星国家の連合軍よ。彼らは地球連邦から独立したくて、彼女を生け捕りにしようと考えたの。宇宙人の構造を解析すれば、人類科学がさらに発展すると考えた」
「それを武器に転用する?」
「科学の行き着く先はいつもそうよ。キャタピラは真っ先に戦車に。資源解決のための原子力は核爆弾となって、たくさんの犠牲を出したもの」
「……どうなったの?」
リクシスの表情が、ひどく歪んだものになる。
苦悶を含んだ顔だ。
「木星衛星イオの衛星砲台が壊されて、火星衛星フォボスの防衛基地が潰されて、火星の都市国家メトロポリスが滅びたの」
「……何それ?」
「報いよ。……たぶん」
「報い?」
「そうよ。――たとえば病原体は人を媒介して増殖するけど、それってもともとの居場所である森を、環境破壊で失ったせいで人に寄生せざるを得なかったの。……自業自得だったのよ。この意味がわかる?」
リクシスの言葉はどこか自虐的で、寂寥感ただようものだった。
「サーヤ=ネストームにかかわったら、みんな死ぬの」
そして、リクシスはアクチェを見やる。
それから――言った。
「あなたもそう」
「ぼくも死ぬって言うの? ホラー映画じゃないんだか「覚えてないの?」
アクチェの冗談をさえぎる、リクシスの声。
それは何を意味するの?
答えは、彼女の口から紡がれた。
「あなたは――殺されたのよ?」
「……え?」
なんとも間抜けで、ありきたりな言葉。
だけど、今のアクチェにはそうとしか答えようがなかったのだ。
だって、どういう意味?
殺されてるというのなら――刑務所は何?
そして自分は何だ?
まだ浮世にいる素振りを見せる、狂った幽霊だとでも言うのか?
アクチェの足元がぐにゃりと揺らぐ。腹奥の内臓がかき回されているような不快な気持ち。
それは、自身の存在そのものの崩壊への序曲。
手にしていた拳銃が滑り落ちそうになる。いつの間にか、手のひらが汗でひどく濡れていたのだ。
「……覚えてないの?」
もう一度、どこか悲しげにリクシスはつぶやく。
「その拳銃はね、T&Nって会社が作ったの」
唐突に、関係ない事柄が飛びこんできた。
「…………」
それに言い返す気力もないまま、アクチェは重い瞳で目下の拳銃を見やる。
目鏡に焼きうつる、拳銃の刻印。
Twinkleah&Nestorm
「――っ?!!」
アクチェの丸い瞳が、最大限まで開かれる。
Akche=Twinkleah
Saya=Nestorm
ティンクレア&ネストーム
T&N。
会社。
名前、苗字。
この拳銃。
作ったのは?
アクチェ?
アクチェは?
殺された?
誰に?
――サーヤに?
「それどういう――」
アクチェが顔を上げたとき――そこにビジディングドレスの女はいなかった。
まるで手品か夢のように、最初から存在していなかったかのように。
1.0*10−7mol H+ OH- Dissolved Oxygen Biochemical Oxygen Demond Suspended Solid……
頭の中でフラッシュバックする、あの数式。
あれは何だ?
「ぼくは……」
【記憶】のない自分。
「ぼくは……」
アクチェ=ティンクレアという【記録】しか残されていない自分。
「ボクは……」
自分の作品が、己の過去を定義している。
「…………」
脳にこびりついた、さまざまな情報もまた――
たしかにアクチェには過去がある。その【記念】たる膨大な情報がその証拠。
だけど、その形が見えてこない。
アクチェは、静かにつぶやいた。
「俺は……」
ぱしゅっと、背中のむこうから物音がした。
圧縮ガスの音。それはシャッターが上がる音だ。
アクチェの体を舐める影。それは誰かがいる証。
「ゼスヌーア……?」
さっき別れたばかりの男の子の名をつぶやいて振り返る。
そして、気づいた。
ゼスヌーアじゃない……。
それと同時に、アクチェの右首筋から血しぶきが上がる。
「……っ!?」
えぐりこむ分厚い刃。
肋骨がお菓子のようにたやすく割れる。胃がすい臓がスポンジのように引き裂かれていく。白い肌から桃色の肉と赤い血が吹き出していく。
何があったのか理解する間もなく――
アクチェ=ティンクレアの視界も意識も、真っ赤に潰れていった……。
-BLACKBOX-
―ブラックボックス―
A murder theory――殺人理論
ビジディングドレス――明治時代の皇室や華族の間において、最も多く日常用いられた衣装である。
鎖国解禁して間もない時代、遠い国・イギリスの流行にのっとって着物からすげ変えられた西洋装束。
当時の新しい時代の象徴であり、鎖国から間もない日本からすれば、和からかけ離れたその装飾はまことに異質であり奇妙に思えたことだろう。
作者もまた、この点を面白く思って、リクシスの衣装をこのドレスに設定した。
リクシス:「もうちょっと着易い服のほうがいいんだけど。ユ●クロとか●印良品とか」
作者:「…………」