【Chapter:01 Page022】
檻が見えた。
自分を取り囲む檻。
まるで砲弾のような形。
ぐるりと囲む鉄格子は、まるで錆のように骨のように朽ち果てている。
まるで鳥かごのよう。
ここはどこ?
格子の隙間から見える世界が分からない。
どこにいるの?
どこにぶら下がっているの?
彼は悩む。思い悩む。
世界の隅っこ?
宇宙の底辺?
どこかのごみ捨て場?
ここは檻。
檻の中。
ここから出られない。
そうだ。
自分は檻なんだ。
自分は澱なんだ。
だから出られないんだ。
それが、彼の結論。
澱。
それは澱み。
それは汚れ。
それは汚れ。
それは歪み。
それは歪み。
吊り下げられた大きな鳥かご。
その形は、ビンに見えなくもない。
絶望という泥水で満たされたビン。
閉じこめられたのは彼。
ビンの底に沈んでいく澱。
かすかに揺れるだけで、けっして昇れることなどない。
それが自分。
ここは檻。
ぼくは澱。
檻。
澱。
降り。
折り。
彼の心が擦れていく。磨り減っていく。
檻の中。
澱のように堕ちていく。
ただただ降りていく。
けして昇れない。
きっと何かが折れているのだ。
彼の中の、大事なものが。
檻。
澱。
降り。
折り。
檻の【中】。
澱として【底】に。
決して【上】には……。
いや。
いや。
いやだ。
いやだよ。
深い深い闇の底で、彼は叫ぶ。
折れてなんかない。
降りたくなんかない。
ぼくは上りたい。
ぼくは昇りたい。
外に出たい!
ぼくは澱なんていやだ。
ぼくは檻になんていたくない!
それが、彼の心だった。
彼は、自分の手を一生懸命に伸ばす。
届かない太陽をつかみたくて、がむしゃらにもがいた。
彼は思う。
ぼくはただ……。
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Zygote
「――!!」
何かに驚かされたように、少年は目を覚ました。
動悸が激しい。何かに締め付けられるような――不安定な感じ。
上体を起こした少年は、きょろきょろと辺りを見回す。
――ここはどこなの?
狭い箱。小汚い毛布。わけの分からない数式がびっしり書かれた壁。
いつもの――少年の部屋。
もう、すっかり見飽きた小部屋だった。
ここは金星。
ここは刑務所。
いつもの……変わらぬ毎日。
「そうだった……」
一瞬でも、鳥かごを連想したのが馬鹿みたいだ。
少年は、顔を伏せて苦笑する。
ここは夢なんかじゃないのだから。
少年は、まだ【もや】が残っている頭を振って、眠気を追い払う。
息を落ち着かせた少年は手を伸ばし、床につけて体を支えた。
ぶに
「……?」
なんか、手に変な感触が。
少年はゆっくりと顔を横に向けてみると、そこには――
「くー……」
なんかいる。
なんか女の人が寝ている。
少年と同じ毛布でいっしょに寝ている。
「……ドッキリカメラ?」
あまり驚いていない口調で、少年はつぶやく。
もう少し驚けよこのラブコメ的展開を。お前どれだけ枯れてるんだ。
(何? これ朝の情事?)
(情事っていうか非常時だよねコレ)
……とりあえず、手を顔に押しつけるのはやめなさい。
少年は、少女の顔に押しつけていた手のひらを離してあげた。よしよし。
「…………」
それから少年は、自分の隣で寝ている少女を調べてみる。
調べるといっても、見るだけなのだけれど。
床に扇みたく広げている黒髪は、腰までとどくほど長い。
顔立ちは端正で大人っぽいが、無防備な寝顔はどこか子供っぽい。
目の下の隈は、まるで肌の奥底までしみこんだように濃い。
寝ているというのに、なぜかコートを着たままだった。
とりあえず、少年は第一印象をつぶやくことにした。
「……誰だっけ……」
――ぅおおい!
「こんな知り合いいたっけ?」
思い出してよ昨日のことなんだから。
「作者の都合で、二、三ヶ月くらい時間が空いてる気がする」
言うなァァァァァ!!
そうこうしているうちに、少女がころんと寝返りをうつ。
少年の毛布が根こそぎ奪われる。
「あ、ドロボー」
少年が棒読みにつぶやく。
けれど……。
少女のつぶやきが、すべてを変えた。
「アクチェ……」
瞬間、少年の中で電流が走ったかのようだった。
――アクチェ……それがぼくの名前?――
――そう、アクチェ。Akche=Twinkleah――
それは過去の出来事。過去の言霊。
たったひとつの単語が、過去の記憶を連想する。
――俺のために……命くらいは捨ててくれっ!――
――……反抗期なんだよね――
その連想がまた新しい過去を連想し、やがてひとつにつながっていく。
――これは質問。わたし、どう見える?――
――何より―― 君 は 自 分 す ら 怖 が っ て る ――
まるで記憶をつなぐ鎖のように。
――あなたを殺すの――
思い出した。
少年は、少女を――サーヤ=ネストームを見下ろす。
あー、思い出さなかったらよかったかなー、くらいの投げやりな表情で。
記憶喪失の少年の下に現れた、正体不明の少女。
サーヤ=ネストーム。
「そうだった……」
少し疲れたように、だけどまあいいかと受け入れているような口調で、少年は――アクチェは頬杖をつく。
これが、少年の一日の始まりだった。
-BLACKBOX-
―ブラックボックス―
《Zygote》ザイゴート
医学用語で接合子、あるいは受精卵を指す。