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音のない世界  作者: 横須賀かもめ
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何のために⑦

 盤面を見ながら、そんな事を思い出した。

 いつ以来だろう、あの時の事を思い出したのは‥‥‥。

 現状はかなりまずい。

 昔の事を思い出してる場合では、なさそうだ。




 今まで、対局中に恵の事を思い出した記憶はない。だからこそ、思いだしたことに意味があるのか?

 それでも今この現状を打破する手を考えなくては、見るも無残な負け方をしてしまうだろう。

 負ける? そもそも誰に負けるというのだ?

 ただの将棋ではないか‥‥‥ただのボードゲームに、負けるとはまた大層な言い草ではないか。

 しかも相手は、人間ではないのだ。

 人間ではない相手に負ける?




 ルール上、敗北という定義なだけだろう。

 負けたからと言って、背負う傷なんて大した事ではない。

 恵の背負った傷に比べれば‥‥‥。

 凛と構えたあの姿には、隠している傷が見え痛々しかった。

 荷物を引く手にも、未来への不安と強がりが見えた。

 その荷物を一緒に引くのは、僕じゃない‥‥‥。

 恵の傷を癒すのも僕じゃない‥‥‥。




 このオレの存在が、恵の無限の可能性を潰すのだ。

 握りつぶすのだ、選択を行動を、鳥かごに閉じ込められた鳥の様にしてしまうのだ。

 土砂降りの雨の音に誘われて、思考の枝葉をかき分け、どんどん奥に入っていく様に感じる。

 迷いながらもがき進む感覚に酔いしれる。

 雨が地面を叩きつける音が、段々頭の中から消えていく。

 音のない世界に、足を踏み入れていく‥‥‥。




 知ることのできない彼女の痛みを、教えて欲しいと言える訳もなく、後悔と懺悔の旅路を進む。

 彼女を助けられるのは、オレではなく泰斗なのだ。

 ここは今、目的地なのか? 何処に進もうというのだろう?

 タイトル戦でもない、ソフトとの対局でそうしてこんな事を思う?

 この対局はそれほど大事なのか?

 プロになって初めて、恵に会ってすぐの対局だからだろうか?

 心に刻まれた傷は確かにある。

 その傷が癒される、前ぶれなのか?

 確かにそんな予兆がある。




 祖父の死、結婚を決めた事も、人生が動き出したような気がする。

 だからこそ、恵と泰斗の事が余計に気になってしまうのか。

 オレの人生の責務である。

 将棋よりも大事な、責務である。

 いや将棋も大事だ。生活の糧なのだから。

 そうなのだと盤面の駒を動かした。

 生活の糧という考え方でいいのだろうか?





 もっと普段の日常ではなく、非日常の世界に考えを思考を引きづりこまなくては、勝負の世界で勝ち続けるのは不可能なのではないだろうか。

 陸続きの場所ではなく、何処か全く違う場所と言うのがあるのではないだろうか。

 空想の世界、子供の頃自分本位に思い描いていた世界。

 天国のようで、地獄のようなあの場所に足を踏み入れるべきではないだろうか?





 現実世界で勝ちを得ようなんて、虫が良い話なのではないだろうか。

 それこそ才能ある人間のする事ではないだろうか。

 森田君の様に‥‥‥森田君でも狂気の世界に足を踏み入れる瞬間があるような気がする。

 プロ棋士として十年以上のキャリアを積んで、今気づく事なのか‥‥‥。

 考える考える考える‥‥‥。

 ふと我に返ると、自分が対局室を出て、控室に戻り、昼食を食べていることに気付く。

 昨日と同じ、うどんである。

 意外に皿の中身の、うどんが減っている事に更に驚く。

 気づかず、食べていたようだ。

 食べるというのは、本能だ。

 この身体にも、本能があるという事だ。

 我に返って、うどんをすする。




 味がしないがそれでも、本能で口に入れていく。

 頭ではなく、身体が理解しているようだ。

 食べなくてはいけないと、ロボットの様に身体が動いている。

 自分の意志ではなく、本能がそうさせているのだろう。

 何のために?


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