何のために②
でも実際、盤を挟んで座っても嫌な気分になることはなかった。
竹本に頼んで、電動アームを撫でてたり、抱きしめたり、一緒に写真を撮ったりさせてもらった。
それにしても、将棋をこんな形でする時代になったんだなと感慨深いものがあった。
開発者の竹本と少し話す時間があった。
将棋が好きすぎて、将棋ソフトの開発をすることになったそうだ。
そして、棋士の事もとてもリスペクトしてくれているのが、会話の中から随所に感じとれた。
例えば、棋士の所作や生き様にとても見習う所があるそうで、棋士好きが講じて、棋士直筆の扇子も何個も持っているとか。
竹本の妻とも少し話す機会があった。
安室ムロという、小説家だと判明した時は驚いた。
安室ムロは何年か前に書いた小説が、直木賞を獲ったと記憶している。
角早出版からも小説を出版している。
検分の後、地元の将棋連盟関係者や地元の有志、将棋ファンとの交流という事で、前夜祭が催しされた。
将棋のタイトル戦の場合、前日こういう形で地元の人と触れ合う時間が作られる。
そこで、安室ムロと話す機会があった。
小説を読んだイメージよりも、おっとりした印象で、そして常識あり、夫をしっかり支えている姿があった。
雨竜雷の事、角早出版に友達がいてる事を伝えた。
その後、取材で来ている雨竜と泰斗と安室が三人で楽しそうに話していたのを遠目から見た。
泰斗とは前日には話せなかったが、事前に取材に来ることを聞いていたので、驚く事はなかった。
泰斗が俺の将棋を見るのは、これが初めてだなと思った。
雨竜雷、さまさまだなとも思った。
親友が初めて見る将棋を、延暦寺で出来るとは感慨深いものだと、昼間見た延暦寺を思い出しやる気が出てきた。
それにしても延暦寺の、厳かな雰囲気に圧倒された。
延暦寺、天台宗の総本山。
栃木・日光山輪王子、東京・東叡山寛永寺とともに天台宗門三大本山の一つ。
延暦七年(七百八十八年)、最澄が比叡山を造立し、自ら刻んだ薬師如来像を安置したのが始まり、延暦十三年、平安京に遷都した桓武天皇が行幸して、寺を都の鬼門(北東)鎮護の霊場に定めた。
京都市内から見た比叡山は、一際高かった。
なだらかな東山の山並みの果てるとろこに、それは実際よりもはるか高くそびえ立つようにすら見えた。
あそこで将棋を指すのか‥‥‥それに値する人間なのか‥‥‥。
昔の人々にとってその山容は、今よりもさらに気高く神秘的に映っていた事だろう。
比叡山に延暦寺を創建して以降、この山が日本の仏教の聖地となり、誰もが認める仏法の中心となっていたのだから。
その比叡山に着いた。
ここで今から二日間かけて将棋を指す。
時刻は朝の九時少し前。
よく晴れていて、気温もとても心地よく、旅行なら良い思い出になるそんな一日だろう。
気を引き締め直したところで、控室に入室する。
ここからは二日間、己の精神状況をどれだけ安定させ、勝負に徹することが出来るかが重要だ。
用意された控室に入り、和服の入ったカバンを近くに置き座った。
検分の時に、先手後手が決まり、こっちが先手になった。
通常は、対局前に先手後手を決めるのだが、
ソフトのプログラミングの関係で、事前に決めた。
先手になったら、四間飛車にしようと事前に決めていた。
将棋を始めた頃から、気に入って指している戦型である。
この大一番は、やはり慣れ親しんだ四間飛車を指そうと決めた。
和服に着替えるのに、意外に時間がかかるのでなるべく早く着付けに入った。
着付けも終り、対局に向かう準備が全て整えた。
巾着袋に時計と扇子を入れ、控室のソファーに腰を掛け、目を閉じる。
精神を集中し、対局場に向かう。
向かう道中から、カメラが追ってくる。
タイトル戦ではないが、注目度が高いからである。
今日と明日は、インターネット中継もある。
現地近くのホテルでは、明日大盤解説会もある。
対局場に入ると、正座をして準備をしている竹本さんと目が合った。
軽く挨拶をし、正座で座る。
目を閉じ、深呼吸をする。
記録係の奨励会会員の子が、緊張した面持ちでタブレットを見つめている。
開始時間までおよそ一〇分弱である。
巾着袋から、時計を出し確認し、用意されたペットボトルを開け時間を待つ。




