小説の名は「柴崎駿物語」③
そうなのだ。
あの飲み会の日、森田君が先に帰ったのは、将棋連盟から呼び出されたからだったらしい。
その内容は、奄美とソフトの対局で、解説として参加して欲しいとの要望があったみたいで、聞く所によると森田はそれを承諾したみたいなのだ。
三冠の森田が解説をすること自体珍しく、しかも次のタイトル戦の対戦相手の解説となるとこれまた異例の出来事らしい。
そういった訳で森田の取材の機会がまった減ってしまった。
「奄美さんと同時とかは、やっぱり難しいですかね?」
と泰斗の顔を覗き込む雨竜。
先日、フィリピンから帰って来た奄美。
と言っても泰斗は、まだ会ってはいないが、会わなければいけないと思っている。
今までの関係がもしかして変わるかも‥‥‥壊れてしまうかもしれない。
恵に十四年ぶりに会って帰って来た奄美とは。
恵と話したという事は、あの話をしてきたのだろう。
奄美と泰斗の中では避けては通れないあの事件の事を。
泰斗自身が悔やんでも悔やみきれないあの事件‥‥‥。
「聞いてます?」とまだ顔を覗き込んでいる雨竜。
「はい、聞いておきます」タイトル戦を戦う二人を、対局の前に同席させ取材なんていいのか少し疑問なのだが、奄美に聞いてみようと思った。
「二人に何、聞きたいんですか?」すでに雨竜の中では小説の物語は完結してると思い聞いた。
「一番は、師匠についてですかね」
「なるほど、この物語の肝ですもんね」
「森田さんの師匠って‥‥‥」
少し考え「そういや知らないですね」
「奄美さんの師匠は、高村さんですもんね」
雨竜と一緒に将棋会館に行ったときに、高村には会っている。
そして泰斗の起こした事件の事を知っている数少ない人物の一人だ。
本当の事までは語っていないが‥‥‥。
「泰斗君?」
呼ばれているのに気づかなかった泰斗。
探るような表情で「何かありました?」
「だ、大丈夫です、スケジュールを考えてました」と誤魔化した泰斗。
考え事をしているのを、見抜かれているとは思うが、気を遣って謝ってくれた。
面白い物を作るためには労力を惜しみませんと伝え、次の取材日を調整して、作業部屋を後にした。
出会って数カ月だが、他人の心の領域に踏み込んでこない雨竜雷に、だんだん好意を持つようになっている。
会社に戻る道中、奄美に連絡しようかと思ったがスマホには手が伸びずにいた。




