One day -6-
最近は、ゾンビに出会うことはかなり稀になってきている。
ゾンビの数が大幅に減っているからではない。
ゾンビの動きには波があると説明したようにその波さえこちらが乱さなければ、会うことがないからである。
波から外れるゾンビはいるが、大体が一匹か二匹でそれも頻度は決して高くなく、何かしらのゾンビとしての欠陥によるものなので比較的簡単に倒せてしまう。
今回のゾンビも、おそらく鈍った判断力と歩行スピードにより波から外れたのだろう。
このようにゾンビの波の裏を移動し、外れたゾンビだけを静かに片づけていけば、必然的に普段の移動ルートからゾンビはいなくなっていく。
移動するルートを限定しているからなおさらだ。
彼らはゾンビという種に転生した後も、日々のルーチンワークを与えられている。
獲物がいなければ、彼らは決められたルートを歩き続けることしかできない。
そして恐らく彼らの狙うべき相手は、この街には俺しか残っていない。
ということは、俺を見つけない限りこの延々と同じ場所を歩く無限地獄から抜け出せない。
バタリアンは、体中の激痛を緩和するために人間の脳を探し求めたが、彼らは退屈という苦痛を緩和するために俺を探すしかないのだ。
裏道の終わりに差し掛かると、俺は無駄な思考を頭から追い出した。
この先は国道を50mほど進まなければ、次の裏道に入れない。
国道は、2車線で、よく整備されていたため割れたアスファルトが目立たず、多くの道のように足元が草で覆われているということはない。
ただ、乗り捨てられた自動車が5メートルおきに存在し、自動車の下から足を掴まれることや陰からいきなり襲われることには大いに注意すべきだ。
俺は、裏道からゾンビの有無を確認し、国道にでた。
5日前に通った時と同じ光景が目に映る。
信号機からは光が消え、ハンドル操作を誤って電柱にめり込んだワゴン車や車の炎上に巻き込まれて炭になった人間、ゾンビに食い散らかされた人間の跡があちらこちらに見受けられる。
パニックが起こった直後、大勢の人間は街を離れることを考えた。
そのためには、通常高速道路を利用するのが早道ではあるが、常識的に考えて、混雑を避ける意味で緊急時は一番に避けるべきルートの筈だ。
だが、そんな常識は通用せず、国道は高速道路に向かう車で渋滞、そこに感染者が現れ、瞬時に大パニックとなった。
あくまで推測だが、歩道を走り人を轢きながら逃げる自動車、食べられながらもなお助かろうとして逃げる人にすがりつく老人、家族を置いて逃げる父親でこの道は惨劇となっただろう。
だが、極限状態での死に対する恐怖とはそういうものだ。
集団の中での極限状態では死について理性的に考える余裕はなく、ただただ集団の恐怖に呑まれ、逃げ惑うことしかできない。
俺は、そういう極限の恐怖を自ら体験して知っている。
だからここでの惨劇を直接見たわけでもなくとも鮮明にイメージすることができる。
否、してしまうのだ。
俺の想像力は日々俺の心を蝕んでいる。
ふと足元を見ると、薬指に指輪をはめた男の左腕が落ちていた。
感染した人間の身体は腐らない。
生前のままかと問われれば、もちろんそうではなく、色素の黒濁や脱毛その他諸々、目に見える変化はあるが腐敗によるものではなく、症状としての変化だ。
それも個人差があり、ほとんど生前の状態と遜色ないものもある。
人間の死体は本来、地上に放置されていれば、死後3週間もあれば白骨化するが、感染者の身体は、脳が活動を停止しても腐ることはない。
恐らく、ゾンビの体に寄生する変形菌という菌の仕業なのだろうが、詳しいことは文系の俺にはわからない。
動き回るゾンビも夏場に腐って弱ることもない。
焼いて処分しない限り、いつまでもリアルなままで存在し続ける。
100m歩いたところで見かけた死体は、およそ10人分はあった。
どの部位も血は乾燥していたが、腐らずにほとんど5日前と同じ新鮮さを保っている。
そのなかで俺が最も見ることを嫌悪するのは、ある男の子の死体だ。
名前は知らないし、会話したこともないが、およそ7歳くらいであることはわかる。
この男の子は、以前俺が処分した。
もちろん感染した後だが、下半身はほとんど喰われ、右手しかないほとんど無抵抗のゾンビだった。
俺は、処分しないという選択肢も取れたが、万が一のリスクを恐れて男の子の頭をかち割った。
そして、その夜は眠れなかった。
罪悪感からではない。
怖かったのだ。
それまで俺は、子どものゾンビを見かけることはあったが、対峙したことはなかった。
処分してきたのは、最低でも高校生以上のゾンビばかりだった。
何が言いたいかというと、ゲーム感覚だったのだ。
ゾンビだらけの世界で最初は戸惑い、パニックになったが、ある程度危険回避に慣れた頃には、大好きなサバイバル系の映画やゲームの主人公と自分を重ね合わせていた。
だが、子どもの、それも無抵抗のゾンビを処分した瞬間、現実の無慈悲さがとめどなく溢れ、どうしようもなく怖くなった。
映画やゲームでは子どものゾンビはまず出てこない。
しかし、ここではだれしも等しく無残に引き裂かれる機会が与えられ、どんな最悪なことも起こりうる。
俺は、怖かった。
自分が明日には、数時間後には、こうなっているかもしれないことをまざまざと見せつけられて。