桐山のゾンビサバイバルガイド -12-
日記を求めて昨晩の記憶を探ったが、睡眠を挟んだことで帰宅後の記憶も曖昧となっていた。
そこで玄関の棚にキッチンの机、ソファーの下。俺が日常で無意識に物を置くであろう場所を探してみたが、これも無駄だった。
「やっぱりあそこか....」
真っ先にあのミニバンが頭に浮かぶ。
とはいえ、昨日乗り捨ててきたミニバンの位置を正確に把握していないどころか、その他の記憶も断片的なのだ。
もしむやみに出歩いて先日のように大量のゾンビ達と出くわしてしまえば、今後こそ逃げ切れる自信はない。
そもそも不確定要素が多い場所に現状のような負傷した状態で赴くのは自殺行為といえる。
俺はソファーに倒れ込んで、頭を抱えた。
あの日記は俺がこの長期間にわたるサバイバルで地道に記録し続けてきた俺の歴史であり宝だ。
社会インフラが消え、死人で溢れたこの世界では土地も宝石も金も相対的には価値をもたない。自分の価値基準だけが全てだ。
国境、ダイヤモンド、美術品、人間が決めた価値基準は暴落し、今やポテチ一袋分の価値もない。
あの日記に記録されているのはゾンビ世界でのサバイバル術だけではない。俺が日々学び、感じたことを克明に記録してある。
ゾンビだらけの世界に一人取り残されて、半年で俺は昔は抱いた恋愛や感動を始めとする複雑な感情を少しずつ失いつつあった。
当然だ。毎日を生きるので精一杯なうえ、新しい情報も娯楽も何も入って来ない。毎日感じられているのは生存のための物欲とゾンビに対する恐怖心だけだ。
だが、そんな淡白な世界でも少しばかりの感動を得ることはある。それは小説を読んだ後や思索にふけっている時にふいにやってくる。
それら感情の断片を足跡をつけるように日記に綴る。理性的な人間であるために....。
誰もいない境界もないだだっ広い牢獄に閉じ込められている。
何を成そうと、何を感じようと誰も共感しない。俺の発する声は、言葉は、全てを透過して地平線の彼方へと消えていく。
自分が何であるかを見失いそうだ。
俺は外を歩く数万の死体と何ら変わらないのではないか。彼らと違うのは人肉以外を食べ、少し複雑に思考することだけだ。
その思考もこのまま行くといつかは止まり、俺は生きながらにして彼らの仲間入りをする運命にあるのではないだろうか。
ゾンビ日記は過去と現在の俺を繋ぎとめる命綱であると共に俺が今世界のどこにいるかを示してくれるコンパスなのだ。
あの日記を失えば、俺はこの牢獄に永遠に置いてけぼりになってしまう気がする。
ひどい喪失感にさいなまれながらも俺は新拠点で膝が癒えるのをじっと待った。
-----------------
平成29年2月21日。午前8時12分。
俺は1週間の不摂生と引き換えにようやく右膝の自由を手にした。
季節はこの1週間で冬から春へと激しい移り変わりを見せ、ようやく毛布を3重にして眠る生活からも解放された。
新しい睡眠場所として定着した二階のダブルベッドの周辺に散乱した菓子やペットボトルのゴミを足で除けながら、俺は両足でしっかりと地に足をつけた。
ベッドの下から護身用の包丁を引っ張りだして、腰に提げているジーパンを引き裂いて作った手製のケースに収納する。
玄関側の道路に面した向かいの部屋へ行き、カーテン越しに外を確認すると微かに雀の鳴き声が聞こえてきた。
感染者がそこら中に転がるようになって、影響を受けたのは人間だけではない。
雀やカラス、犬や猫といった人間と共生していた動物達は餌に困り、遂には人間の死体を口にし、ことごとく死んでいった。
そしてある日突然、街から一斉に姿を消した。
彼らは毒物で汚染された街を嫌悪し、山に行ったというのが俺の考えだったが、今こうして戻ってきたのだ。
窓を開け、姿を確認する。
雀は3mほど離れた電柱に一羽だけでいた。
久しぶりに聞くその泣き声は天使のささやき声のようで心が癒やされる。
この感動を記録したい。
そう思い、日記を探そうとして、すぐに失くしたことを思い出す。
窓から入る新鮮な空気で深呼吸をし、俺は今日の予定を決定した。
薙刀の刃を新しい包丁に取り換え、替えの包丁を新聞紙に包んで新しいリュックサックに詰める。
次の中身は新しい工具類一式に救急セット。逃げる時に捨ててきた愛用の道具達よりは性能は落ちるが、仕方がない。
残り少ない菓子で朝ごはんを済ませ、残りをリュックに詰める。
最後に中古車店で見つけた作業着とラバー手袋を装着して俺は準備を完了した。
カーテンの隙間から家の前の安全を確認し、玄関へ。ドアを音を立てないようにゆっくりと開閉し、戸締りをする。
なんていい天気だろうか。
空は雲一つなく、肌を撫でる風は暖かい。
「ランチボックス持って近くの公園でピクニックでもするか」
口元をゆがませながら、軽口を叩く。
記憶はないが、通るとしたら同じ道だ。
なぜなら、朦朧とした意識の中で土地勘のない裏道を使って俺が新居にたどり着ける可能性は低いからだ。
俺はあの国道方向へと慎重に歩みを進めた。
すぐに国道との交差点に到着し、俺は緊張の瞬間を迎えた。
電柱の影に隠れ、腰を低くしながら、様子を伺う。
そうして15秒しっかりとクリアリングをして、見える範囲には誰もいないことを確信すると俺は国道へ侵入した。
脳内ではあの日の光景がコマ送りをするようにフラッシュバックし始めているが、こんなことで怖気づいてはいられない。しっかりと薙刀を握りしめる。
断片的な記憶からの推測に過ぎないが、ミニバンは中古車店から数百m離れたところにあるはずだ。一応方角に当たりはついている。
問題はゾンビだ。
俺がバイパスから引き連れてきた無数のゾンビ達の大部分は今もこの辺りをうろついている。
もしまた運悪くラウダ―ゾンビに出くわせば、そいつらを集めてしまう。一層気が抜けない。
乗り捨てられた車の影から電柱、建物の塀へと移りながら、俺は国道を記憶の示す方向へ100m進むと、前方で何かが車の間を横切るのが見えた。
それは目で追えないほどの速さで20m先の車と車の隙間を過ぎ去った。あまりの速さに俺は一瞬目の錯覚を疑ったが、その考えは10m先で同じ光景を目にすることですぐに消え去った。
正体のわからないそれは、普通のゾンビではありえない移動速度だ。
ならば何か?
俺は移動を停止し、薙刀を構えて前方を凝視するが、10秒待ってもそれは再び姿を見せない。
構えを少しだけ解いて、一歩踏み出すと、今度は後方で何かが走る音が聞こえた。振り向いて薙刀の刃先を音の方角へ向ける。
しかし、姿が見えない。後方に並んでいる車はどれも車体が低いので、ゾンビが立っているなら見えるはずだ。
何かがおかしい。
そう思った瞬間、突然3方向から音が聞こえてきた。




