桐山のゾンビサバイバルガイド -11-
新拠点へと帰ると、何も考えずにリビングのソファーに倒れ込むようにして寝ころんだ。
横になってしばらくすると、溜まっていた疲れが足先から徐々に昇ってくる。
それはまさに砂浜に打ち寄せる波のようで、ピリピリと心地よい感覚と共に俺の全身を駆け巡る。
疲れの波が肩まで昇ってくると、大きく息を吐く。それが脳に到達し、眠りへと俺を誘おうとするのが分かったからだ。
まだ眠るわけにはいかない。
俺はソファーの肘掛けを支えに慎重に立ち上がった。
右膝はまだズキズキと痛む。だが、この数時間で歩けるまでに回復したということは思ったよりは重傷ではないのかもしれない。
足を引きずりながら、ダイニングまで行き、無造作に積み上げられた物資の中から何か手軽に食べれるものはないか漁った。
眠気もそうだが、空腹も限界値まで来ていた。 ブラックホールでもできたかのような空虚感が先ほどから俺の胃を刺激しているのだ。
「カップ麺、カップ麺、ポテチ、サプリメント....。ああ、くそっ」
思ったような食料がないことで独り言に苛立ちが混じる。
積み上げられた物資を乱暴に掻きまわしながら、俺は最終的に味も確認せずにポテトチップスを3袋ほど拾い上げ、夕食にすることにした。
ソファーに戻ると横になりながらポテチを鷲掴みにし、口いっぱいに蓄えて咀嚼する。
空っぽになった胃にポテチの破片が刺さりチクチクと痛む。俺は痛みを和らげようと近くにあったスポーツドリンクを流し込んだ。
そうして午後8時頃に終わった夕食は結局ポテトチップス5袋と板チョコレート2枚にドリンク2本という豪勢なものとなった。
次の日、目覚めたのは午後1時だった。
普段のサイクルを大きく逸脱した遅すぎる起床に俺は思わず時計を三度見した。
それだけ疲れていたのだろう。
昨日の経験は俺の精神と肉体を激しく疲弊させた。何度も死を覚悟したのだ。
立ち上がろうとし、右膝の痛みに阻まれる。
「そういえば怪我してたな....」
再度慎重に試み、支えなしに立ち上がることに成功する。
「コーヒーでも淹れるか」
寝過ぎによる頭痛と思考不全にはカフェインの力を借りるのがいい。
キッチンへ向かい、カセットコンロで湯を沸かす。
カセットコンロの火が揺らめくのを見ていると再び強い眠気にさいなまれる。
この状況で二度寝をしてしまうと、自堕落が習慣付いてしまう気がしたので、手の甲をつねって意識を保った。
そうして準備も整い、キッチンの長椅子に座りながらコーヒーを飲んでいると、ぽっかりと抜け落ちていた昨日の詳細な記憶が徐々に蘇ってきた。
大量のゾンビとの邂逅、敏也との再会、脱出。
「ん?」何か足りない。
そうだ。
俺は敏也を轢き殺してからここに戻るまでの記憶がない。さらに帰ってきてから安全確認も戸締りもした記憶もない。
嫌な予感がして恐る恐るカーテンをめくる。
外の景色はいたって平和で物騒な歩行者もはいない。
俺は胸を撫でおろした。とりあえず危険は去ったようだ。
しばらくしてカフェインが本格的に効き始めると思考能力が戻ってくる。
依然として欠落した記憶は戻らないが、俺は今回の経験でかなり貴重な収穫を得たようだ。
それは"ランナーゾンビ"の特性だ。
今までランナーは肉体に欠損のない一部のゾンビが偶発的に飛躍的に身体能力を上昇させただけの個体だと思ったが実際に対峙してみてそれは間違いだと気付かされた。
やつらは根本的に他のゾンビとは違う。
まず、"同時失認"をしない。
敏也は俺のマチェットを腕で防いだ。通常のゾンビであれば同時失認の特性上、俺という存在を認識した時点で俺が握るマチェットまで意識を向けることはできない。
ゾンビに総じて現れる症状がないということはランナーは特殊な存在であるということの証明となる。
次に"論理的思考能力"を持ち合わせている。
これは大きな発見だった。通常のゾンビが標的と遭遇した際に取るプロセスは"追跡"→"捕食"だ。だが今回のことでランナーは"追跡"→"攻撃"→"捕食"だとわかった。
敏也は俺を投げ飛ばし、足を掴んで引きずり降ろそうとした。喰らいつくタイミングは幾度もあったのにだ。このような標的を弱らせる手段は通常のゾンビはとらない。
この行動が持つ意味は大きい。つまりランナーは目標を達成するために手段を考える知性が少なからずあるということだ。
最後に"学習能力"。
これも驚異的な発見だ。最後に敏也と対峙した際、彼はマチェットを握りしめていた。武器を使うという点にも驚きだが、問題はそこではない。
野生の動物で道具を使う事例は幾つもある。しかし、鋭利なものに武器という解釈をしてそれを使おうとする知性を持った動物は一体どれくらいいるだろうか。
彼は俺が武器を使う姿を見て、"マチェット"=攻撃の手段という理解を一瞬でしたに違いない。そしてそれを使うという学習行動まで見せた。
ランナーゾンビと正面から対峙したことは始めてだったので、これが敏也だけに現れた症状であることは否めない。
しかし、この前情報を持ち合わせているのといないのとでは今後の生存確率に大きく差が出る。
さっそく"ゾンビ日記"にこの収穫を記録しようとして俺は日記がないことに気付いた。




