桐山のゾンビサバイバルガイド -10-
後輪が縁石を乗り越えるとミニバンは大きく車体を揺らし、その反動で左に振れたハンドルを慌てて右に戻す。
時速30キロ前後で走る車の前輪ではゾンビを巻き込んだタイヤからポキポキと小枝を踏みしめるような音が鳴り響いている。
200m程車道を拠点方向に前進し、一旦停止する。
小さく深呼吸をしてハンドルの左のレバーを引く。2本のワイパーブレードはフロントガラスにこびりついた赤黒い血と細かい肉片をまとめて払いのけ視界を明瞭にした。
次にバックミラーの位置を正し、後方を確認。
中古車販売店の入口から車道に出るまでの道には赤いタイヤ痕が残り、その痕に沿うように引き損ねた数十体のゾンビが続々と車道に出てきているがかなりの差をつけることができた。
逃げ切った。
肩の力が抜け、ハンドルにもたれかかってこうべを垂れる。
目を瞑るとこれまでの光景がフラッシュバックして、びくりと身体が震えた。
ああ、いつまでもこうしている訳にもいかない。
ヒーターをつけ、ゆっくりと顔を上げると、"あいつ"がいた。
100m先。日が昇り、少し薄くなった霧に紛れながらもそいつの正体ははっきりと分かった。右手に見覚えのある形のマチェットが握られていたからだ。
そいつは車道の真ん中に直立し、俺の乗る車を確実にターゲットしている。
「ここでケリをつけなきゃな」
俺は最終決戦の瞬間が訪れたことを悟った。
おあつらえ向きに敏也と俺との間には車等の遮蔽物はなく、道路の状態も大きなひび割れもなく悪くない。
俺との決着をつけるために敏也がここを選んだのだろうか。それとも神のいたずらか。
最終決戦の瞬間を迎え、俺の心は落ち着いていた。
なにせこちらは車。向こうは徒歩だ。負ける理由がない。
ギアをパーキングからドライブに入れ、ブレーキペダルを放す。クリープ現象で車が動き出す。
1m。2m。ゆっくりと前進しながら車は敏也に向かう。まだアクセルは踏まない。完璧に轢き殺せる確信が得られる距離を計りながら、細かく車体の向きを調節する。
俺が動き始めたタイミングで向こうも踏み出し、徐々に速度を増し、やがて走り始める。
ここだ!
俺はアクセルペダルを強く踏み込んだ。
それを合図に相手と俺の距離はみるみる縮まる。
ぶつかる!その刹那、敏也が地面を蹴った。
耳鳴りと衝撃。
エアバックが作動。
視界が塞がり、慌ててブレーキをかける。
緊急停止の反動で胃が揺さぶられ、さらにエアバックに激突し、景色が明滅、意識が飛ぶ。
次に気付くと車は完全に停止していた。路駐されていた車がストッパとなったようだ。
朦朧とする意識の中、フロントガラスが蜘蛛の巣状に割れているのを確認する。助手席側に続く巣の中心に視線が向かう。
フロントガラスには巣のど真ん中に空いた直径20cmの穴を中心に赤い血と肉がべっとりとこびりついていた。
人間一人から限界まで引き出したような血の量に俺は敏也との勝負に勝ったという確信を得た。
手を横に広げ、身体の関節を伸ばそうとすると、ふいに何かに手が当たる。
気になって見るとマチェットを握った右腕が助手席のシートに深々と突き刺さっていた。




