桐山のゾンビサバイバルガイド -8-
裏口はゾンビの群がるショールームとはちょうど反対側に面しているため、開けてすぐにゾンビと鉢合わせはないと思っていた。
だが、その考えは甘かった。
運よくドアを開けてすぐ傍にこそいなかったが、ショールルームの軍団からあぶれた3、4体のゾンビがちょうど角を曲がりこちらに向かってきていた。その距離4m。
俺は反射的に開けたドアの影に隠れ、節合部の隙間から様子を伺った。
4体のゾンビは角から現れた時と同じスピードでこちらへ歩いてくる。一瞬の出来事だったため気付かれてはいないようだが、このままここに居れば視界に入ってしまう。
建物内に引き返すか戦うかの判断に迫られるが、こういう時こそ落ち着いてゾンビの特性を分析することが大事だ。
まず、ゾンビ達の傷の具合を見定める。
「右足つま先欠損、下腹部内臓露出。大腿部欠損、背部より骨露出。胸部に裂傷。左側頚部欠損」
俺は素早く4体のそれぞれの目立った損傷部位を確認し、結果を導き出す。
「全体の移動スピードがほぼ一律であること、損傷が激しいことから、ラウダ―ゾンビ及びランナーゾンビの可能性低し。これならいける」
俺は一旦事務所の中に引き返し、ゾンビ達がドアの前を通り過ぎるのを待った。
やはりゾンビ達は開いたドアの影に俺がいることに気付かず、そのままのっそりと通り過ぎていった。
ゾンビ達が背を向けたと同時に無音で背後に忍び寄る。
どいつから仕留めるかは決まっている。
俺は薙刀を胸部裂傷の個体のうなじに勢いよく突き刺した。頭蓋骨と頸椎の隙間を縫った刃は脳幹と小脳の辺りを貫き、ゾンビは平衡感覚を失い崩れ落ちる。
素早く刃を抜き去ると今度は次の獲物に狙いを定める。一体目を倒した時と同じ構えで頚部欠損の個体の頸椎を欠損部位から攻撃すると、次のゾンビも難なく倒れる。
残りのゾンビ達が異変に気付き、向き直るがもう遅い。彼らは意図的に残しておいた動きに難がある個体だ。
身体ごと向き直ると同時に一体の顎下の柔らかい肉に薙刀の刃を突き刺し脳を損傷させ、その動かなくなった死体を掴みかかろうとしてくるもう一体に薙刀ごと押し付ける。
60キロはあるであろう死体に寄りかかられた大腿部欠損の個体は体勢を崩して後ろ向きに倒れ、そのまま地面のコンクリートで頭を打ち、動きを止める。
俺はその隙に薙刀を回収し、再び動き出す前に止めを刺した。
「ハァ....ハァ....」
片足の支えが弱いだけで息を切らすほど体力を消耗してしまうとは予想外だった。今の立ち合いで分かったが正面からの戦闘は2体が限界だ。
息を整え、改めて両サイドを確認する。
ゾンビはいない。行くならこのタイミングを逃さない手はない。
俺は倒したゾンビ達が来た方向と反対側の角からショールームのガラスに未だ大挙するゾンビ軍団の様子を伺った。
その数は軽く100匹を超えており、建物の一角に満員のナイトクラブのように混雑する彼らの視線は一様に店内に向けられている。
ゾンビ達の視覚にはある障害が見られる。
"同時失認"だ。
同時失認とは同時に二つ以上の対象に意識を向けることができない障害だ。例えば空に赤い風船が飛んでいたとしてその風船に意識を向けるとその背景にある雲や空を認識出来なくなる。
患者はさらに目立つものに関心が移るまでずっと赤い風船にくぎ付けになってしまう。
この特性は頭頂葉に損傷がある者に見られ、発見者の名前を借りてバリント症候群と呼ばれているらしい。
程度こそあれ俺が今まで対峙した全てのゾンビ(寄生性変形菌症患者)にこの特性が見られたことから、"アリポカプス変形菌"は感染の際に頭頂葉に損傷を与えるようだ。
しかし、そのような特性を知りつつも俺は未だ踏み出せずにいた。
実際のところ標的を見失った彼らが今何にくぎ付けになっているか分からないからだ。出て行ってすぐに俺は彼らの脳にとって次の認識対象となり得るかもしれない。
そもそも100を超えるゾンビの横を気付かれずに素通りした男が今まで映画の中にいただろうか。
「これで俺はホラー映画でいうところの馬鹿な脇役か運よく死なない主人公のどちら側かがわかるな」
俺は覚悟を決めた。
ゆっくりと踏み出す。冷静に、焦らずだ。
今にも駆け出してしまいたくなる身体と心を理性で抑える。
目立ってはいけないのだ。
俺はゾンビの集団の横3mを一歩ずつゆっくりと時間をかけて歩いた。
今奴らの視界の端に俺は映っている。奴らが俺を意識していないだけで奴らの目は俺を見ている。
そう思うと手足が震える。呼吸が乱れる。
グリップ付きの手袋がなければ汗で薙刀を落としてしまっていたかもしれない。
後2m。それだけ進めば俺はゾンビ達の視界からようやく外れることができる。
「あ」
カラン。
俺は集団の最後尾のゾンビの一体と完全に目が合い、緊張で薙刀を落としてしまった。
 




