桐山のゾンビサバイバルガイド -7-
俺の考えた脱出方法は野外に展示してある中古車を使って逃げるという単純明快なものである。
だが、その手段は多くの問題を孕んでいる。まずどうやって車までたどり着くか。そして十数台はあるであろう展示車のキーを的確に用意し、奴らに捕まる前に素早く乗り込めるか。車にガソリンは入っているか、そのうえ半年以上メンテナンスされていない状態で動くのか。運よく車道に出れたとして、走行するスペースはあるのか....
他に細かい不安要素も挙げ続ければキリがないが、ゾンビ達がこつこつと叩き続けたショールームのガラスはところどころにひびが入り始め、俺に他の選択肢を考える余裕を与えてくれそうもない。
事務所から取ってきた18個のキーの中から15個あったリモコンキーを選別し、それらを手にガラス際まで向かう。ガラス際数センチのところまで行くとゾンビ達はガラス一枚隔てた先にいる俺に掴みかかろうと一斉に手を伸ばしたが、ガラスに阻まれそれは叶わない。
奴らがガラスの存在を認識していないことこそがここまでガラスの防壁が保った一番の要因だろう。もし奴らがガラスを破壊することに力を注いでいれば、ガラスは破砕し、雪崩れ込んでくるゾンビ達によって俺はとっくに骨まで残さず喰われている。
ガラスの外の様子は押し寄せるゾンビ達のせいで全く見えない。
だがここから一番近い展示車まで記憶が正しければおおよそ20m。車の駐車方向は大まかにだが把握している。俺は腕をめいいっぱい挙げ、片っ端から手にしたリモコンキーの"開"ボタンを押した。
車に反応があったかどうかは確認できなかったが、リモコンキーの電池さえ切れていなければ最大15台の車のカギがこれで開いた筈だ。
さて、後はどのようにして車までたどり着くか....だ....
俺の右足は先ほどの処置で足首の関節と膝の関節がうまく稼働せず、移動速度は頑張っても競歩程度。それはゾンビ達と同じくらいか少し遅いくらいだ。
奴らに視認されたまま車まで逃げ切るのはほぼ不可能と言って良い。
ならば取り得る選択肢は一つだけ。
そう、裏口から脱出し、隠密行動で車まで向かうことなのだが、裏口にも奴らがいないとは限らない。いや1、2体はむしろいると考えるのが妥当だろう。足さえ動けば、そのまま裏口のゾンビを蹴散らして逃げることもできただろうが、可能性の話をしても仕様がない。
このボロボロの身体と武器で戦えるだろうか....
バレずに無事にたどり着けるだろうか....
「いよいよ映画っぽくなってきたな」
俺はニヒルに笑った。
「これが最後の食事になるかもしれないな。いやゾンビになれば人肉食べ放題か....」
俺はリュックサックに入っていた最後の食料であるカロリーメイトを齧りながら思索を巡らす。
そうして迅速かつじっくりと練った脱出計画は外に対する不確定要素が多過ぎるがために半ば運試しのようなものになった。
まずは脱出に際しての準備だ。
リュックサックは捨てていく。救急キットもだ。少しでも身軽になりたい。
持っていくものは、15個のリモコンキー、懐中電灯、杖兼用薙刀、"ゾンビ日記"だ。
何故この局面で日記を捨てていかないかというとこれはこれまで俺が生きてきた証であり誇りだからだ。かさばるとわかっていてもどうしても手放せない宝だ。
俺はキーを作業着の両ポケットに、日記をビニールテープで腰に巻き付け、懐中電灯を腰に提げた。
そして、事務所にあった灯油を臭い消しの目的で身体に振りかけた。
俺のこれまでの経験からゾンビが生者を認識する指標の一つに"におい"があることが分かっている。奴らが今現在鼻をヒクつかせていることからも奴らの鼻が機能していることがわかる。その生者が発する特有のにおいを消すにはさらに強いものでかき消してしまうことが有効なのだが、ここで一つ疑問が残る。
ゾンビ達は何の香りを生者のにおいとして認識しているのか。
俺はそれに対して、ある仮説を立てている。それはゾンビ達は生前に嗅いだにおいの記憶を基にしているというものである。
人間の嗅覚に関する情報は視覚、触覚、聴覚等とは違い、脳の新皮質、とくに感情と記憶を処理する皮質領域に直に到達する。この事実が記憶とにおいの結びつきを強くしている。
例えば、ある線香のにおいが祖母の家を思い出させたり、アンモニアの香りが母校のトイレを思い出させるというものだ。
ゾンビの脳はそれらのにおいの経験の中から、生者が発するにおいを分類して我々を探し出す。少しわかりにくいかもしれないがようは今生きて動く人間を連想させるにおいに反応するということだ。この仮説を証明するために俺はかつてある実験を行った。公園でカレーのにおいをさせてゾンビが集まるのかという実験だ。
実験前に見付からないよう見晴らしの悪い昼の公園でカレールーをひたすら茹でた後俺はその様子を距離をとった位置で観察した。
結果は成功。周囲にいたゾンビ達はカレーのにおいに誘われ、公園へと集まった。もちろんカレーに食いつくことはなかったが。また香水の匂いで試した時はさらに面白い結果を得た。香水の匂いで集まったのは8割が女性のゾンビで、年配の男性ゾンビや高校生風のゾンビは近くにいるのも関わらず全く反応を示さなかった。
灯油のにおいはつまりは俺を人間のにおいとして連想させ辛くするという効能をもつのだが、それでも未だゾンビ達は視覚と聴覚という判断材料も有しており、俺を食物と認識すれば異臭がする程度で食べるのを諦めたりはしない。
何にせよ先ずは一手目。緊張の一瞬だ。
俺は店内の事務所にあった裏口のドアノブをゆっくりと捻り、外へと踏み出した。




