桐山のゾンビサバイバルガイド -5-
「としやさ...ん...?」
腰に提げたマチェットを抜きながら、目の前の金髪ヤンキーに問いかけると彼は顔をあげた。
その髪色、その顔はどう見ても敏也だ。
だが、目の前の彼は灰色の肌に真っ赤に充血した目。擦り切れたボロボロの服と、以前にも増して明らかに様子がおかしい。
俺はマチェットの剣先を彼の喉元に照準しながら彼の身体の欠損箇所を探した。露出した腕や破けた服の隙間から擦り傷は無数に確認できるが、失血するような目立った傷はない。
「まずいな...」
俺はゾンビの軍団が迫る後方を気にしながら、少し後ずさった。まず彼は言うまでもなく感染している。しかし、問題はそこではない。最悪の予想にマチェットの柄を握る手に力がこもる。
考えている時間はない。とりあえず断頭して動きを止めないゾンビはいない。俺は傷ついた片膝を庇いつつも勢いよく間を詰め、そのまま移動の反動を利用して彼の首を斬りつけた。
しかしすぐに断頭の感触が無いことに気付き、視線を戻す。
見ると、彼の力なく上げられた左腕によって俺の一撃が防がれている。さらに刃は彼の腕の肉を完全に切り裂くも途中で骨に食い込んでしまっていた。
「あ」と声をあげたのも束の間、今度は素早い動きで彼の右手が俺を捕まえようと伸びてくる。
俺はかろうじてそれをかわしたが、大事なマチェットを彼の左腕に忘れてきてしまった。
武器を失った。こうなれば、一か八か逃げるしかない。
俺は彼を無視し、その横を猛スピードで走り抜けた。もはや足の傷など気にしている暇はない。一刻も早くこの局面から脱しなければ。
20mは離れたかと思ったその瞬間、突然強い力で後ろに引き戻される感覚に襲われた。
「ぐっう」その強い引力に一瞬呼吸が止まる。
リュックをどこかに引っ掛けたかもしれないと思い後ろを振り返り、唖然とする。
そこにいたのは敏也だった。無表情な顔で俺のリュックを右手でがっしり掴んだ彼がそこにいた。
最悪だ...。
俺は最悪の予想が的中したことに言葉を失った。いくら足を怪我をしているとはいえ、直線距離の競走で俺がゾンビに追い付かれることはない。そう、一つの例外を除いては...。
ランナーゾンビ!
瞬間、身体が宙に浮く感覚に支配される。
敏也が俺の身体を右手だけで持ち上げている。彼はリュックを介して俺を持ったまま、右腕を大きく挙げるとそこから歪な投球フォームで俺を投げ飛ばした。
ガッシャアン。
投げられたということを気付いてから1秒と経たずに俺は車のフロントガラスの上にいた。
「痛っつ」フロントガラスが割れる程の衝撃が着地箇所の腰と臀部を中心に伝わり、それはやがて鋭い痛みへと変わる。
頭は打っていないが脳震盪でも起こしたのか軽く目の前がぐらつき、耳鳴りもひどい。
ぼやけた視界で敏也を探そうと元の位置を確認すると3mも投げ飛ばされたことを理解した。
驚いている暇はない。敏也はどこだ。
そう思った刹那、鬼の形相の敏也が俺の横たわる車の傍に立っていることに気付く。
「カァ゛ァ゛ァ゛」
かすれた喉から発した声とともに彼は俺の右足を掴む。今度こそ俺を食べる気だ。
死ぬ。という絶望が一瞬で脳内を駆け回るが、何かが違うことに気付く。
足を掴む握力が想像したよりも弱い。
もしかして俺を3mも投げ飛ばした反動で彼の右腕が損傷しでいるのかもしれない。
俺はこの機を逃すなとばかりに掴まれていない左足で彼の右腕の関節部を何度も蹴った。
すると足を掴んでいた手がするりとほどけた。さらにここぞとばかりに自由になった両足で力を込めた蹴りを彼の胸にお見舞いすると彼は後ろ向きに転倒した。
俺はすぐに彼が転倒している方とは逆方向に転がり降り、地面に足をつけた。途端に右膝から刺すような痛みが脳に届き、俺は苦悶の表情を浮かべる。
凄まじい痛みだが、まだ歩けないほどではない。
俺は右足を引きずりながら、歩道に上がるとすぐそばの小さな中古車販売店へと歩を進めた。
後ろを見ると俺を追いかけてきていたゾンビの軍団はとうに車列を抜け、俺に狙いをロックオンしたままこちらに向かってきていた。
目の前の店まで目寸法であと8m。
全面ガラス張りのショーウィンドウは耐久度も隠密性も最悪だが、店内には少なくとも見える限りではゾンビがいないという証拠を示している。
それは今この時に限ってはこの上なく重要なアドバンテージだ。
後はカギが開いているかどうかだ。もし閉まっていれば、俺に打つ手はない。喰われる前に痛み無く死ぬ方法を考えるだけになる。
ドアの取っ手に手をかけ、人生を決める宝くじでも引くような気持ちで手前に引くとドアは難なく開いた。
「開いたぁあ」
俺は賭けに買ったのだ。
ドアに内側からカギをかけさらに店内ののぼりを支えていた金属製のポールをかんぬきとして取っ手に差し込む。そうして安全を確保し、ひと段落すると俺は力なくその場に崩れ落ちた。
「い、生きてる。まだ生きてる」
しばらくの間、感動と痛みからくるエンドルフィンで俺は人生で未だ味わったことのないレベルの多幸感に包まれていた。
数十秒後。ショーウィンドウのガラスは一面ゾンビ客でいっぱいになった。




