パニック・イン・ザ・ストア -5-
「追ってこないっすね。」
八方塞がりの状況と未知の相手に対するストレスで重い空気が流れる中、沈黙を打ち破るように金髪ヤンキーが突然言葉を発した。初めて声を発する厳つい風貌の青年に思わず全員が視線を向ける。
「いや、だからさ、見つかったんでしょ。テロリストに。なんで追ってこないんすか?」
金髪ヤンキーはこちらを向いたまま、従業員通用口の方を親指で差し示しながら、こう続けた。
「さっきから聞いてたんすけど、明らかに皆さんの言ってることつじつま合ってないでしょ。まず、テロにしてはこんなの頭悪すぎますよ。テロなら普通火器使うはずなのに、爆発音もしない。
いくら平和な日本つっても爆弾なんて作ろうと思えば、ホームセンターの材料でも作れますよ。それにさっきから遠くから聞こえてくるこの奇声。誰か説明できるんすか?」
金髪ヤンキーの見かけよりも、むしろその的を射た発言に多く言葉を詰まらせた。
彼らにはあまりにも情報が不足しており、先程から全員が聞こえないふりをしている奇声についても、理屈に合った仮説すら立てることができない。
「あの通用口は危険なんです。それだけは分かってください。」
リーダーが諭すように言った。その声はトーンからしてもかなり疲れているようだった。
「だ、か、ら、どう危険なのかを聞いてんの?襲われたんでしょ。襲ってきた相手はどこに行ったの?」
イラついた様子で金髪ヤンキーが返す。
「わかりました。教えます。僕を襲ってきた相手には仲間がいました。なんとか追い払ったんですが、仲間を呼びに行ったようなので危険と判断しました。」
「で、どの段階で仲間がいるってわかったんすか?全然言ってることがわからないんすけど。」
「これしか僕にはわからないんです!」
話の噛みあわないリーダーに金髪ヤンキーは明らかにイライラしており、対するリーダーも態度は平静を保ってはいるが、声はうわずっていた。
「ま、まあまあ、ここは少し落ち着いて。何が起きたかは後で考えるとして、今はここを離れて安全な場所に退避する方法を考えましょう。」
俺は、場を落ち着かせるためというより、自分のみが状況を把握しているという優位性を保つために核心をつこうとする金髪ヤンキーに抑えをかけた。
何故俺が知っていることを話さないかというと、それはこの先の展開の予測がつかないからだ。トランプの大富豪でプレイヤーがジョーカーを最後まで隠し持つように、俺も「情報」というジョーカーを「生存」という確実な勝利までのルートが見えるまで切らないつもりだ。
金髪ヤンキーは俺を一瞥すると俺が浮かべる愛想笑いに小さく舌打ちして、今度は全員に向かって質問した。
「で、これからどうするんすか?」
この状況を打破するには現状としては売り場に出るしか選択肢がないことは明白だった。
リーダーの発言に引っかかる点はあったが、要はゾンビが何体もいるということだと解釈すると、従業員通用口に戻ることはリスクが高いし、彼の言葉をそのまま信じる者達も戻りたがらないだろう。と、すればやはり誰かがまず売り場へと偵察に出るしか先に進みようがないのだが、誰も我こそはと名乗り出ようとしない。
「エレベーターで下に降りたらどう?案外下には誰もいないかもしれないわよ。」
オバサンがすぐ右にあるエレベーターを指差し、提案する。
「や、やめておきましょう。あ、相手がテロリストだったら、エレベーターを操作するコントロールルームは真っ先に占拠されてるでしょう。」
旦那がそれに返答する。妻の手を握っている右手の震えのふり幅は、先程より大きくなっており、挙動から読み取れるようにこの状況にかなり神経質になっている様子だ。
賛成した者こそいないが、オバサンが提案したエレベーターで降りるという選択肢は俺にとっては最悪の選択肢の1つである。当然だが、エレベーターは前しか出口がない。つまりどんな状況だろうと、前にしか道がないのだ。ホラー映画でよくあるエレベーターの「閉める」ボタンを連打してハラハラするといったスリリングな体験は現実世界ではぜひお断り申し上げたい。
「僕が見てきます。」
全員が立候補するのを待っていた生贄役を買って出たのは、やはり我らがリーダーだった。
「俺も行く。」
続いて名乗りをあげたのは、あの金髪ヤンキーだった。その名乗り出に驚いたのかリーダーが顔を向ける。その目には喜びというよりも、動揺が見てとれた。
「いえ。ここは僕に任せてください。偵察するなら一人の方が見つかり辛いと思いますので。」
「固まって動けば見つからないしそんなドジ、踏まねえすから。」
彼の少し苛立った様子にこれ以上言っても無駄と察したのかリーダーは反論をすることを辞めて、無言で売り場の方に向き直る。
「じゃ、じゃあ行ってきます。何かあれば知らせてください。」
小さく深呼吸をすると、リーダーは腰をかがめながら売り場の方にゆっくりと歩いていった。それから3秒間をおいて、今度は金髪ヤンキーが無言でその後を同じ体勢で追う。2人はすぐに、あの視界を遮っていたハンガーラックのところまで到着し、リーダーがそのままの体勢で慎重にそれをどけようとすると、その手を金髪ヤンキーが掴んだ。彼が小声で何かを言うと、リーダーは頷いて少し後ろに下がる。何をしているのかと俺が目を凝らすと、突然後ろから声が聞こえた。
「まずいですって。」
声の主は旦那だった。気になって頭を下げ、後ろを見るとオバサンがスマホを取り出して、画面を触っていた。
「ま、まずいですって。言われたじゃ、ないですか!携帯の電池は節約しようって。」
旦那が声量に気を付けながらも語気を強めて注意する。
「は?これは私のスマホなのよ。なんでそんなことを言われなくちゃいけないの?」
オバサンは負けじとスマホを片手に反論する。
「今は緊急事態ですよ。使うならもう一度警察に電話する時にしてください。」
旦那は先程より大きめの声で再び注意する。その顔は我慢の限界という様子でその手にも既に妻の手は握られておらず、当の妻も旦那から少し距離をとった位置にいた。
「もう一度、電話すればいいんでしょ。じゃあしてあげるわよ。」
旦那の神経質な声に息をついたオバサンは、面倒臭そうにスマホの画面を押すと、耳に当てた。
「やっぱり誰も出ないわよ。もういいでしょ。」
飽きれた声で、110と表示されたスマホを見せると、旦那は怒りとも焦りともつかない顔で口をつぐんだ。その様子を見たオバサンは免罪符を得たように再びスマホを弄りだすが、その顔はみるみる険しいものになっていった。
「え。なんで?LINEのメッセージが送れないんだけど。」
画面を何度もタッチしながらオバサンが苛立つ。
「電波は入ってますか?」
「ほら、全部入ってるわよ。」
そう俺が質問して、見せたスマホの画面の左上には電波の強度を表すマークの白丸が4つ並んでおり、電波が良好であることを示している。
「こ、これで決まりだ。やっぱりテロじゃないか!中にいる人質が外に助けを求められないように犯人が電波ジャックをしたんだ!」
旦那は、全員を非難するような口調で自分の推測の正当性を示すが、その考えに他の者は賛同するでも反対するでもなく、ただただ困惑の表情を上塗りしただけだった。旦那の状態を察して俺もあえて何も言わなかったが、俺の中の問題はそこではなかった。
警察へ電話がつながらないのはまだわかる。警察への通報は電波を交換する局を経由して、発信地を管轄する都道府県の通信指令室に繋がる。1つの街の住人が一斉に通報すれば、回線はパンクして繋がらなくなるだろう。
だが、LINEは違う。LINEは全国規模のアプリケーションだ。その利用者は、6000万人とも7000万人ともされているため、1つの街の住人が一斉に連絡用に使ったところでサーバーを停止させてしまうなんてことは無い筈だ。ここから導き出される答えは、想像はできるが信じがたい最悪のものである。
「あのー。お二人の姿が見えなくなっているんですが...。」
ひとり、他とは違う理由で冷や汗をかいていると、誰かがそんなことを言ったのが聞こえた。
 




