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絶滅世界 (ZOMBIE LIFE)  作者: バネうさぎ
第三章 パニック・イン・ザ・ストア
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パニック・イン・ザ・ストア -3-

 男女のトイレを表す人型マークの近くに青色の車いすの表示。

 この位置からは黙視できないが、エレベーターの右横にトイレへと向かう通路があり、その先に目的地があることは推測できた。

 この2階のスポーツ用品店周辺はパニック以前より客が少なかったのに加え、エスカレーターから距離があるため、まだ混乱の波が来ていない。しかし、いつここにも混乱が押し寄せるかはわからない。耳を澄ませば、犠牲者の悲鳴は意味不明の叫ぶ声へと変化していた。

 

 俺が見捨てた老婆や女性、父親やその子ども達のいた場所はとっくにその叫び声の波に呑まれてしまっている。もし、助けに行っていたとしたら、自分は確実に喰われていただろう。老人はもちろん、怪我をした人間を引きずって、あるいは背負って逃げれば、移動速度は大幅に遅くなる。

 やつらの移動スピードから逃れるには、その速度では不十分に見えた。俺の選択は緊急避難として当然の選択だった。


 それどころか心の深層で優越感を感じている自分がいた。罪悪感は不思議となかった。俺は元々、こういう人間だったのだ。感動も謝罪もほとんどが嘘。他人と価値観を共有することができないために他人の価値観に必死に合わせているふりをしていた。

 今感じている罪悪感も実際は罪悪感を感じるべきシチュエーションだったので感じたふりをしたのに過ぎない。これからはそんなまっとうな感情を持つやつが死んでいく。俺は正常だ。

 

 現在の危機を忘れて、関係のない思考が頭を駆け巡る中、トイレがある通路へと入った俺は目的の身体障害者用トイレを探した。

 通路の奥に従業員用通用口。その手前に男女に分かれたトイレ。そしてそのさらに手前、俺から一番近いところに目的の空間を見つけた。

 俺は素早く近づき、ドアの金属製のレバーに手をかけ、横にスライドさせる。

 

 ガチャッ。

 ガチャッ。


 「おい。うそだろ。」

 2回の抵抗の音を発したドアは、俺の予想を裏切り、カギがかかっていた。見ると、トイレには電気がついており、右手には赤枠に白文字で「使用中」とあった。

 

 「すいません!入れてください!」

 ドアを叩いて、呼びかけるが返事はない。そうだ。もし中の人がこのパニックに気づいていなければ、開けないのは当然だ。普通なら使用中に「入れてください」と言われて、「はい」と言って開ける輩はそうそういない。そこで俺は方法を変える。

 

 「すいません!放送聞かれましたか!?今、外で大変な事件が起こってるんです!早く逃げないと!」

 俺は、あたかも外の方が安全かのように聞こえるようにし、中の住人を外へとおびき出そうとした。しかしそんな策略の効果もむなしく、中からは依然として返事はなくそれどころか物音ひとつしない。

 

 もしかして中に誰もいないのか?

 俺は状況を整理することにした。

 まず、俺が取るべき選択肢はここを離れるかこの場所でドアが開くのを待つかの二つしかない。この中に人がいなければ、俺はここで文字通り立ち往生してしまう。だが、誰もいない状態でこの多目的トイレの電気が付き、カギがかかるのか?むしろ、こういうトイレは、安全性を考慮して、中で勝手に閉まるなんてことは無いはずだ。だったら、中にいるのは感染者なのか?

 いや、それはない。歩いてきた道に血の跡はなかったし、既に感染しているなら、むしろ音がするのが妥当だ。じゃあ、中でパニックとは関係なしに人が倒れているのか?まさか。そんな運の悪いことが起こるはずがない。頭の中で、ぐるぐるとまわり続ける最悪の仮定は、俺の心をいよいよ混乱の渦へと巻き込んでいった。


 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ」


 さっきまでとは明らかに近い男の声が俺の最期までのカウントダウンを知らせる号砲に聞こえた。


  一度は遠ざかったと思った恐怖が再び俺を襲う。

 男の断末魔の叫び声は、俺の鼓膜を通して、その恐怖と痛みを脳裏に映し出した。ここに至るまでに見た惨劇の画の数々が一つ一つ組み合わさり、俺の脳に鮮明に情景を想像させる。30から40歳の男が、血に飢えた感染者達に後ろから掴まる。男は必死に抵抗をするが、感染者の一人からのひと噛みで生じる鋭い痛みに力が抜ける。続けざまに、もうひと噛みされ、そこで男は自分が食べられていると自覚する。

 咬筋力で筋組織を引っ張り出され、鋭い爪ではらわたを引きずり出されている自分の姿を見せつけられていく。やがて限界を超えた痛みに脳内でモルヒネが分泌され、脳が冷静になった時に男は悟る。

 

「俺はもう元の人間の形には戻れないんだ...」

生に対してあきらめのような絶望感を感じながら、そうして男は死んでいく。

 

 次に聞こえたのはデパートの床を揺らす大勢の足音だった。デパートの床はサビ石という大理石に似た硬度の材質でできているため、通常揺れることはない。その床が揺れ、音が伝わるということは、かなりの人数が同じペースで床を踏み鳴らしているということだ。そして、同時にそれらがここから近いということを示す。

 

 足音は、俺が通ってきたスポーツ用品店の前の交差点を分岐点に音が小さくなった。恐らく、交差点で集団が分かれたのだ。足音の正体は見なくても十分に想像がつく。3秒も経たないうちにエレベーターの方から分かれた集団から5人、6人の影が迫ってくるのが目に入り、俺の身体は絶望に崩れ落ちた。

 

 「早く!早く!」

 先頭にいる一人が若い男の声で後方を急かす。その声に続いて、4人ほどが近づいてくる。ぼやけた視界に人間らしい動きの影が映りこむ。


 「大丈夫ですか!?」

 若い男が俺に立ち止まって話しかけてきた。至近距離であるのに男の顔が確認できないことで俺はそこで自分が泣いていることに気づいた。袖で涙を拭い去り、かろうじて俺は応じる。

 「はい...」


 「ここは危険です。逃げましょう!」

 男は一言そう言うと、先にある従業員通用口を指さしてこう続けた。

 「皆さん!あそこに入れば、外への非常階段まで安全に行けます。頑張りましょう。」

 その男の言葉を聞いて、一緒に逃げてきたであろう4人が肩で息をしながらも各々に返事をする。男を入れた5人は、年齢も性別もバラバラでパニックの流れで偶然居合わせたように見えるが、男はその集団の中で謎のリーダーシップを発揮していた。

 

 俺はこの集団に追随することにした。男の放った「非常階段」というワードがこの局面での最期の救いに思えたからだ。そして、こいつについていけば助かると感じさせるほどの自信が男の顔と態度から伝わった。

 

 俺たちは、男について従業員通用口へと走った。障害者用トイレからは20mもなかったが、生への執着心が俺の時間感覚を狂わせ、そこまでの道のりを異常に長く感じさせた。

 従業員通用口の両開きの扉を男が勢いよく開けた瞬間、中から腕が伸びてくるのが見えた。

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