パニック・イン・ザ・ストア -1-
対向車のヘッドライトが顔を照らすたび、俺は顔をしかめる。
先ほどから山道の曲がりくねった道を体感で時速60キロほどで疾走している。
よく考えれば、どこを走っているのか見当もつかない。
だが、不思議と不安はない。
なぜなら、目的地はないからだ。
突然、両脇を延々と固める山林が突然開け、眼下に煌々と輝く街並みが広がった。
ふもとに見える街には目立った高層ビルはなく、黄色やオレンジ、緑の光が控えめな色を放っている。
この景色は見覚えがある。
ついこの間、前島たちと隣県まで釣りに行った帰りにも見た景色だ。
ひたすら続く真っ暗な山道を抜け、この見慣れた夜景を目にした時、安堵したのを覚えている。
俺は、自分がハンドルを握っていないことに気づき、隣を見た。
運転席には、あの時と同じように前島が座っている。
「...よなあ?」
前島からの突然の問いに俺は聞き返す。
「ゾンビ病、全く話題にならなかったなあって。雄ちゃんそういう話題好きだったろ?」
前島は運転席で対向車のヘッドライトを浴びながら、再び問いかける。
「まあな。でも少し離れてみるくらいでちょうど良かったよ。ゾンビに追いかけ回される毎日なんて実際いやだろ?」
デジャブだ。
以前もこんな会話があり、こんな景色を見た気がする。
こういう感じがある時は、大体が夢だ。
そう自覚した途端、この状況にどっぷり浸かっていた身体がスーッと意識の表層まで持ち上げられ、俺の意識は瞼の裏へと戻った。
目を開けて時間を確認するために、手探りでスマートフォンを探すと、枕の下に見つけた。
ホームボタンを押し、画面に表示されている時間を見ようとしたが、充電が切れていて作動しない。
これといった決められた予定はないが、どうしても時間が気になった俺はベッドの傍の勉強机を探す。
大学のレジュメやら郵便物でごちゃごちゃとした卓上の中から、狙い通り普段から身に着けている腕時計を見つけた。
時刻は、午前10時27分。
「そろそろ起きるか。」
ベッドに戻りたくてうずうずしている身体に対し、言葉にすることで暗示をかける。
1階に降りると、案の定誰もいない。
今の俺は就活を終え、学生とも社会人とも言えない長い時間を過ごしている。
たぶんこんな時間は隔週でしかもう来ない。
キッチンに向かい、朝飯という時間でもないが、何か小腹を満たしてくれるものを探す。
普段なら、キッチンとダイニングの間のカウンターテーブルにその日の余りものがラップをかけて置いてあるのだが、今日は何もない。
キッチンに入り、炊飯器を開けてみる。 炊飯器には、米のカスがパリパリになって張り付いているだけで、とても飯の代わりにはならない。
今度は冷蔵庫を開けてみる。
400Lの冷蔵庫をざっと見渡すと、梅干し、生卵、納豆、味噌等が無造作に並べられている。
俺はその中からすぐに食べれて、そんなに量の多くない食べ物で検索をかけた。
すると、ヨーグルトが一件引っかかった。
それを手にし、戸棚からスプーンを取り出し、ダイニングテーブルに座る。
ヨーグルトのふたを開けようとした瞬間、ふと目の前に置かれたメモ書きに目が留まった。
そこにはA4サイズの広告の裏の白紙に次のように殴り書きしてあった。
‘‘今日は、おばあちゃんの介護で夜まで帰らないから夕飯は自分で用意して。お母さん‘‘
メモ書きの傍には千円札が二枚置いてあった。慣習に従うと、これは純と俺の夕飯代だ。こういう日の夕飯は毎度近所のファーストフード店で豪遊できるので心が躍る。
ヨーグルトをものの10秒で食べ終わると、今度は俺は後一時間したら訪れる昼食に何を食べるかを考え始めていた。
俺の家の半径1km圏内には郊外にも関わらず、インフラが充実している。400m先には市民病院があり、おおよそ1km先にはデパート。市立図書館も500m先にあり、カラオケ店や本屋、スーパーマーケット、薬局、コンビニはあちこちに点在している。駅までは2kmあるが、自転車ならば15分ほどで到着するので特に不便はしていない。
そして不便以上に俺はこの街に特別な思いを持っている。
小学校の通学路、中学生の頃好きだった子の家、放課後になれば、自然と近所の友達が集まってきた公園。挙げ続ければ、枚挙に暇がないが、そういった幼い頃の純粋な記憶が未だにそこかしこに練りこまれているのだ。高校生から大学生、そして社会人になるにつれ、感動が色あせてきた感覚に悩んでいる俺にとっては、これらの純粋な記憶は何にも代えがたい。純粋な感動を手放すことが大人になることだとは分かっているつもりだが、どうしてもこの街から離れられないでいる。
店内には、有名なJPOPの曲をさらにPOP調にしたインストルメンタルが流れている。
作曲者、歌手の縛りなく、人気有名曲ばかりだ。この音楽が消費者の購買意欲にどのように働きかけるのかはわからないが、土曜日のデパートは賑わいを見せていた。
市内随一の広さを有するこのデパートは3階建てで、2階までが、店舗として使用され、3階は立体駐車場となっている。四つあるうちの西側の入口付近の駐輪場に自転車を止め、店内に入ると、右側には食料品売り場、左側には日用品売り場が広がっている。
「カップめん、メモ帳、単三電池、ステッィク糊、あとは、、、ぞうきんか、、、。」
指を折り、口の中で小さく復唱しながら、買いに来たものを確認する。
「まずは、近いものから買いに行くとするか。」
何がどこに陳列されているかの記憶を辿った後、俺は最短の買い物移動ルートを脳内で構築した。
ここからだとカップめんが一番近い。
手軽に作れて、おいしいカップめんは俺の毎日の昼飯となっている。最近では有名ラーメン店とタイアップした商品も多数出ており、田舎住みで都会のラーメンを味わう機会がない者にとっては、非常にありがたい代物だ。
入口から迷うことなく、20メートルほど進んだ俺は、すぐに目的のコーナーを見つけ出す。コーナー一面に陳列されたカップめんの中から、食べたことのない種類の違うものを5つ手に取り、レジへと向かう。
カップめんの会計を終わらせた俺は、予定よりかなりのロスを食っていた。並んでいた列のレジ担当者の男性が、館内放送を聞いて突然どこかへ行ってしまったからだ。
お客様を放ったらかしにして、どこに行くんだと思ったが、誰一人として面と向かって咎めないのは、この地方の人間の性分だろうか。そういう俺も違うレジに並び直した。
カップめんの入ったレジ袋を一瞥し、俺は次の目標を思い出す。後は、メモ帳、単三電池、スティック糊、ぞうきんだ。この4つは、2階の百円均一のショップで揃う。
階段を敬遠し、エスカレーターに乗って、進行方向を見ているとさっきまでいた1階から悲鳴が聞こえてきた。
デパートという空間におおよそ似つかわしくない種類の悲鳴に、周囲の空気が変わるのを感じた。それは、子どもの高い声と明らかに違い、大人の女性のものだったからだ。その声は驚愕の類で発せられるものとは違い、何かを拒否する声のようだった。
エスカレーターが上昇していく中、うっすら隙間から見えたのは血の赤が広がっていく光景だった。




