Past days -9-
『続いてのニュースです。アメリカ西部のロサンゼルスで、寄生性変形菌症の患者の親族が病院と州を相手取り、裁判を起こしました。訴訟内容は、11月20日に寄生性変形菌症いわゆる上海病の疑いで入院していた患者を州政府の指導で病院側が州警察の監督のもと安楽死させたことについてで、原告の親族側は、親族に何の同意もなしに患者を安楽死させたことについて、政府による国民の人権を無視した殺人行為であると主張しています。一方州政府側は、発症する前に意識のあった患者より同意をもらっていたと主張し、両者の主張は食い違う形となっています。』
六千円の会費のダメージを残した俺は1月はずっとソファーでテレビを見ていた。ネットサーフィンもするが、ほとんどの情報の仕入れ先はテレビだった。といっても見るのは相変わらずニュース番組だけ。ネットニュースは大衆ジャンルに優れるが、テレビは政府系国際関係のニュースにおいて信憑性と情報新鮮度で優位に立つ。実際彼らは、政府や国際機関に直接出向いて情報を選別している。しかも政府指定の危険地域への海外渡航を許されているのは、今や報道の自由を保護された特定の記者だけだった。
感染源特定の報せから1か月も経たないうちに、メディアは感染症の脅威について触れなくなった。代わりにクローズアップされたのは患者の人権問題だった。訴訟大国アメリカでは、感染者500名の関係者が一斉に地方で裁判を提起し、裁判所はパニックとなった。日本では、国会議事堂前に「憲法違反をやめろ」、「強権国家」、「権力暴走」といったプラカードを持った人々が1万人以上も集結し、郊外ではデモ行進が行われた。その様子はテレビでも報道され、まるで国を挙げた祭りのようだった。そして時の与党は例外なくどの先進国でもこの感染症での患者の取り扱いをネタに野党の攻撃に晒されることとなっていた。
日本で保菌可能性があるとして拘束されたのは312名で実際に発症したのは、189名だった。残りの123名は停学または勤務先に無期限停職を言い渡され、今なおそのほぼ全員が隔離施設に留まっていた。感染症の詳細が判明しないため、ワクチンが完成するまで隔離する必要があるというのが政府の見解であった。
『政府による感染疑惑者の拘束は、実質的かつ法的根拠がないとして東京弁護士会に所属する弁護士8名は患者112名の親族達と共に‘‘特定感染症患者解放の会‘‘を発足しました。同会では、集団訴訟および署名活動により不当に拘束されている患者を解放することを目的としており、その対象とされるのは同会の計算では125名とされています。』
テレビ画面の中で記者会見席に座る親族と思われる人々の顔にはモザイクがかけられ、真ん中に座る初老の弁護士の満足気な表情がしきりに目立つ。
弁護士は土壌が違うだけで本質的には政治家と変わらない生き物だ。両者とも自分の名声のために力を浪費し、「先生」と呼ばれることに絶頂する。歳のせいで立たなくなった老人たちにとっては、これが‘‘おかず‘‘だ。この弁護士も後で記者会見でセンターに座る正義のヒーロー‘‘自分‘‘の姿を録画再生ボタンで映し出し、再度恍惚の時間に浸ることだろう。
『次のニュースです。18歳の少年が、同居する祖父を殺害しました。殺人罪に問われている少年は、昨晩午後10時頃自宅で認知症を患い、療養していた79歳の祖父の頭を金属バットで数回殴り死亡させたとされています。少年は、殺害後、自分の名前で警察へ通報をしており、駆け付けた警察官からの署への同行の要請にも素直に応じたようです。少年への取り調べによると、「インターネットの影響を受けてやった。祖父がゾンビ病に感染していると思い、殺さなければと思った。」と供述しております。神奈川県警は少年が影響を受けたとみられるインターネットの書き込みについても調べを進め、事件の全容解明に努めるとしております。』
その後もほとんどのニュースに例の感染症が関係していた。大手旅行会社が倒産。航空会社の連続赤字。どれも国によって観光目的の海外旅行が急速に制限されたことによる影響だった。それまで国内と海外で住み分けをしていた旅行会社の市場が国内に絞られ競争が過熱、航空会社に至っても暫定的に国からの支援金が支給されたことでかろうじて倒産をまぬがれた。また、海外旅行に限らず貿易に関しても防疫策の追加により、輸出入の両方でコストが増加、物価は世界中で高騰した。そんな中、医薬品業界の株式の値は上がっていた。感染源の特定が発表されて以来、初めての株式取引の開始となった1月7日の大発会から止まることなく上がり続ける値はワクチンへの期待に比例しているようだった。
1か月以上もテレビのニュースだけを見ていた俺は、すっかりニュース通になっていた。最近では、中東のイスラム系武装組織‘‘IS‘‘が聖戦を唱え、各地でテロを敢行しているようだ。フランス、ベルギー、トルコ。どれも日本から遥かかなたの出来事だ。そして日本では電車に乗っても、街中を歩いていても人々の顔からは、テロに怯える恐怖の色は全くと言っていいほど見えない。それもそのはず、ゾンビ病という映画の中では人類のカタストロフの引き金となる出来事が身近で起こっても、彼らは生活のスタイルを変えなかったくらいの楽観主義者だ。今さら、遠い海外のたかだか数百人の殺しで騒ぐことはしない。
俺は相変わらずリビングのソファーに座り、ドリップしたコーヒーを飲みながら、部屋の隅に目をやった。そこには先日スポーツショップで一万二千円で買った30Lのバックパックが置いてあった。本来ならここにサバイバル用の物資を詰め込んで部屋に置いておくつもりだったが、もうそんな気も起きない。4月からの就職という事実が俺をカタストロフ妄想から現実に引き戻し始めていたからだ。そんな目の前の現実に素直に従う俺も楽観主義者なのかもしれない。
2月12日、寄生性変形菌症、ゾンビ病、上海病と呼ばれた感染症のワクチンが完成し、俺は本当に現実の住人となった。
完成したワクチンは、既に感染している人間には効果がなかった。
WHOがワクチンとともに発表した感染症の詳細は以下の通りである。
・感染からの発症率は99.99%。
・接触感染が主な感染ルートで、感染者の細胞または体液が粘膜に触れることによって感染する。この場合の感染率も99.99%。
・感染から発症までの時間は個人差があるが、おおむね20分から6日の間であり、6日以後での発症率は現段階では0.3%。
・発症後、完治した者は0人。
ワクチンは不活化ワクチンで感染の予防のみを保障するものだった。アリポカプスは強い毒性を示しているため、およそ1週間に一回の間隔で合計4回の予防接種により体内に免疫をつけることで完了とされた。
『WHOが開発したワクチンは新型変形菌アリポカプスを特殊な技術で不活化させ、血管に注射することによって、人体に免疫抗体を作りださせることができます。WHOの報告書ではサルに臨床実験をおこない、十分な成果を得ているとされています。また、今回発生した寄生性変形菌症による被害は地球規模の甚大なものであるという安全保障理事会の指摘により、WHOは開発したワクチンの製造方法を各国政府に無償で提供すること発表しました。国内では提供されたワクチンの製造方法は政府により製薬会社各社に提供され、さらに作成されたワクチンを国が一定量を買い受ける契約を結んだ後、地方自治体を通して国民全体に無償で接種させることとなっております。』
国が無償で支給するワクチンの接種の支給の優先順位は、乳幼児、65歳以上の高齢者が第一タームで、第二タームは6歳から16歳の義務教育課程の子供とされた。その後は年齢に関わらず、順次無償でワクチンの支給が進められるようだ。また、自衛隊や警察の特殊部隊等は、パンデミックの際の治安維持の名目で優先的に支給が行われた。
このことに反発をしたのが、‘‘グループ‘‘だった。
『高齢者なんてもう生産性のないものに先にワクチンを支給するなんて、理解できん。高齢者は多く選挙の票を持ってるから、高齢者優遇の政策ばかりになるんや。国はワクチンは個人でも受けに行けるって言うとるけど、いくらかかるか知ってるか? 2万や、2万。高すぎるやろ。今の若い奴なんてどれだけ働いても手取り15万いけばいいほうやのに、これはないで。』
‘‘グループ‘‘は、政治に反発する学生団体や左翼政党との連携を取り始め、その考えは反体制的なものへとなっていた。学のないテイジンは元より、それをフォローする多くの若者たちが、その考えに毒されていた。もはや、ゾンビうんぬんが主な議題ではなくなっており、政府を叩く材料があれば何でも叩いていた。
感染症が引き起こした貿易規制は海外産の農畜産物の輸入量を減少させ、国産の高騰をも引き起こした。それは飽食の食文化をこの緊急事態に改めようとしなかった国民全員の責任であると俺は思うが、矛先は政府へと向かっていた。世界の終焉を導くと騒がれた感染症は、政治経済的な打撃を残して過去のものとなろうとしていた。
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以上で第二章は終わりです。
自由な内容で構いませんので評価をいただけると嬉しいです。




