Past days -8-
『本日12月18日午前16時30分。首相官邸より上海病と呼称されている感染症の正式名称が発表されました。
感染症の名前は、寄生性変形菌症。この感染症は同じく新しく名付けられた新型変形菌「アリポカプス」が人体に寄生することによって引き起こされ、現在患者は感染源国の中国を中心に世界中で50万人を超えると予測されています。
国内では昨日大阪梅田駅周辺にてこの患者と思われる男性が突然暴れだし死者5名重軽傷者4名を出す大惨事が起こりました。現在国内には政府が把握しているだけで保菌の可能性のある患者が288名おり、うち39名はすでに発症が確認されているとのことです。』
感染は多くの先進国では街の機能を停止させるような急激な広がりを見せることはなかった。
各国は水面下で海外渡航者から感染疑惑者を特定し、任意同行から始め、拒否すれば難癖をつけて公務執行妨害で拘束していったからである。
特にアメリカでのこの手の隔離までの速さはほとんど芸術だった。
日本国内では、感染症法により寄生性変形菌症を指定感染症に分類し、医師には一類感染症より厳重な届出基準が課せられた。また、特定海外渡航者には7日間の医師による健康診断が義務付けられるという条項が付け足された。感染の疑いがある者と確定した者は、厚生労働省が指定した全国120か所の医療機関に隔離される。隔離先の医療機関は、感染地域の拡大を最小限に抑えるために、主に都市部を避けて密集して指定された。
およそ2500床が確保され、感染症専門医185名が患者の搬送の際、24時間以内に駆けつけることができる体制が構築された。
そして、12月30日。
WHOは感染源の特定を正式発表し、本格的にワクチンの作成が始まった。
『WHOが発表した新型変形菌「アリポカプス」は血液を介して各部位に拡散しながら人体に寄生するということです。
そもそも粘菌とも呼ばれる変形菌は、カビやホコリ、藻菌が代表的なもので細菌やウイルスのように人体に侵入し、直接症状を与えるものではありません。
しかし、今回発表された「アリポカプス」は、変形菌に構造が酷似しておりながら、細菌に分類される大きさをしており、これまでの変形菌と全く違う種類のものです。
WHOは既に感染源を特定していますが、生物兵器等への応用を懸念して、具体的な感染源については発表しておらず、今後はWHO主導でワクチンの研究を進めるとのことです。』
「文系で人の命を預かる仕事って、MRくらいしかないでしょ?」
ゼミ生で企画した立食パーティーで饒舌に語るのは‘‘サキヤン‘‘と呼ばれている男だ。
目が細く、中肉中背で髪型は今時のツーブロック、ゼミ内で一番ノリが軽いというのが俺の抱いている印象である。
「今は接待とか禁止されてるから営業力磨かないと出世できないよなー。その点メガバンクはいいよな。クルージング接待とかあるんだろ?」
「まあね。でも結局メガバンレベルの仕事になってくるとプレゼン力が一番だし、結局人の出入りが多いから人との繋がりより個人のマンパワーなんだよね。」
飲み放題の安ワインを片手に前者より短髪でツーブロックの男が話す。
彼は‘‘コウ‘‘と呼ばれている。
行事ごとでもないのにいつも派手なスーツを来ている。
今日は紺色に白のストライプ、茶色のネクタイにBURBERRYと大きく印字されたネクタイピンを着けていた。
ゼミ生20名の中で最も入社難易度の高い会社に内定した彼ら2人の周りには、女子のゼミ生10人の内7人が取り囲むように立っている。
目は皆ハートマーク。2人が吐き出す声に前のめりで聞き入っている。
他の男子のゼミ生6人は、残った女子のゼミ生3人に対して、どれだけ自分達の就職先が優良であるかを遠回しにアピールしていた。
俺は、少し離れたテーブルで唯一本名を覚えているゼミ生の今野くんと二人でアルコール度数の低いカクテルを飲みながら、この内定先自慢大会が早々に終わるのを待っていた。
注文していたカシスオレンジが届き、口をつけようとすると今野くんが口を開いた。
「桐山君って今の日本どう思う?」
「え?」
何の脈絡もない突然の質問に俺は反射的に聞き返した。
「日本社会って小学生から見えないレールみたいなものがあってそれから外れると普通の幸せも受けれなくなると僕は思うんだ。」
今野くんは二杯目のファジーネーブルで顔を真っ赤にしながら、再び口を開いた。
「確かに就職活動には学歴フィルターみたいなものはあるけど、俺達の大学からもいいところ就職してるじゃん。」
俺は目線をなんとなく、高笑いしているツーブロックの2人の方に向けて、例を示す。
「学歴的な話をしているんじゃなくてね。僕が言いたいのはもっと根本的なこと。人生の話。人って生まれながらにレールの太さが決まっててそこから脱線すると幸せになれないってこと。
レールの太さは生まれながらに容姿や頭脳、性格である程度決まっていて、彼らみたいなのはとてつもなくレールが太くて、うちみたいな2流私立大学に少し逸れても最後はああいう風に1流に戻れるんだよ。」
今野くんはため息とともに沈んだ声を吐き出した。
「まあでもそんなこと言ってちゃ努力がバカバカしくなるじゃないか。」
今野くんが彼と俺を同じ2流にカテゴライズしている気がしたことに抵抗感を感じた俺は、彼の意見に異を唱えた。
俺はこの今野貴志という人物とは違うカテゴリーの人間だ。
声が小さく、ネガティブで去年の就職活動に失敗して既卒として無い内定のまま卒業する彼より自分は高等であるという自負をしている。
俺が彼とゼミ内で一緒にいることが多いのは他のゼミ生といるよりも落ち着くからであって、決して彼と同じカテゴリーだからではない。
「やっぱり今の日本って腐ってるよなあ。」
俺の思いを知る由もない彼は、残り5cmまで減ったファジーネーブルのグラスを片手でクルクル回しながらしきりに呟いていた。
ゼミ生での立食パーティーは夜の8時に終わり、2次会をもっともらしい理由で辞退した俺は会費として徴収された6千円の名残りを求めて財布を開いた。
3千円で買った牛皮の黒財布には紙幣の代わりにコンビニレシートが詰め込まれ、残金は2千円のようだった。
ニヒルな笑顔を浮かべ、俺はオリオン座しか見えない夜空を見上げた。




