屋上塔屋の哲学少女は懊悩煩悶を饒舌に語る
なんか凄い浮世離れしてるっぽい雰囲気のヤツ、クラスに必ず1人はいない?
高校二年の夏休みが明けて数日が過ぎた。秋晴れが眩しい昼休み、僕はいつもと違う事を求め、思い切って屋上へ足を運んだ。屋上の扉は施錠こそされてはいないものの出入りしていることがバレたら少々めんどうな事になる。生活指導とか、なんとか、具体的には知らないけどたぶんそんな感じにめんどうだ。
とは言え、いつもと何か違うことがしてみたいという衝動と、安いスリルに駆られた思春期の行動力は我ながらあなどれない。昼休みを知らせるチャイムが鳴り終わって3分も経たないのに僕はすでに屋上扉の鍵が壊れたドアノブを握っていた。軽く捻って扉を押し込むと塔屋内のこもった空気が一気に外へ流れ出し、代わりに秋特有の涼しさと日光の温かさが入り交じった風が頬を撫でた。秋晴れはやはり眩しい。地べたを歩いている時よりも空は近い。
僕は扉を閉めると塔屋の壁に寄りかかり、そのままズルズルと座り込んだ。吹きつける微風が心地良い。月並みだけど世間から切り離されたような不思議な感覚だ。
「君も嫌になったのかな?」
突如聞こえた声に僕は盛大に驚き飛び上がると、文字通り仰天した。
「大きな声は出さないで欲しいな。耳に刺さって不快だよ」
僕は尻に付いた砂ぼこりを払いながら声の主の方を見た。その人は塔屋の上に座り込み僕の方を見据えていた。肩にかからない程度の髪を金色に染めた女子生徒。耳にはピアスまで開けているが化粧っ気は感じさせない。むしろ不思議な透明感がある。
僕は大声の謝罪の意味も込め軽く会釈した。すると彼女は僕の目を見て微笑んだ。その様に不覚にもドキッとしてしまったが思春期なのだから、それも仕方ないのだと理解してもらいたい。
「嫌になるよね。日常から隔離された夏が終わって幾日か経つと、段々と現実がそれまでのツケを払うように催促しているかのような・・・そんな焦燥感に掻き立てられてさ。こう、少しでも夏の残り香を噛み締めたくなって屋上に来てしまうよね」
この外見で小難しい話方をしているから哲学的な話をしていると錯覚させられるけど、要するに『夏休みが終わって連休ボケが抜けない内に平常授業が始まってスゴい萎えるから、屋上に来て現実逃避をしていた』ってことか。
「『空を見ろ!』『鳥だ!』『飛行機だ!』『いや、スーパーマンだ!』」
彼女は空を見上げると唐突にワケのわからない事を言いだした。
「スーパーマンが登場した時の街の人達のセリフだよ。通行人BとCは何に驚いているんだろうね?鳥や飛行機だと思ったのなら、それが空を飛んでいると騒ぐなんて頭おかしい人みたいじゃない?」
確かに。言われて見ればそうだ。有名なシーンだが、よくよく考えると不思議な光景だ。鳥や飛行機が空を飛んでいる事を大声で周囲にアピールするのは幼稚園児ぐらいだろう。スーツを来た良い大人のする事ではない。だが、それがなんだと言うのだろう?
彼女は顔を下ろすと、こう付け加えた。
「君はどう思う?」
まさかの意見を求められてしまった。そんなディスカッションをするような議題では決してないハズなのだが。まぁ、しかし無視するのも失礼と思い僕はぎこちなくうなずいた。
すると彼女も真剣な表情でうなずき返して来た。何だこれは・・・。
数秒の間があくと彼女は憂鬱そうな表情でまた僕に語りかける。
「君は『ランボー』って映画を知ってるかな?主人公の"ジョン・ランボー"はベトナム帰還兵で戦争の英雄なんだ。それが、たまたま立ち寄った町で食事をしようとしただけなのに高圧的でクソみたいな保安官に浮浪罪とかナイフの所持とかで逮捕されて嫌がらせを受ける。暴力、暴言、折檻。頭に来たランボーは暴れてそこから逃げ出すんだ。そしたら保安官供は銃を持って追いかけてくる。山に逃げ込んだランボーをヘリで追い詰めて撃ち殺そうとする。ランボーがせめてもの抵抗に石を投げたら、その石のせいでヘリがバランス崩して保安官が1人死ぬんだ。それで他の保安官達もランボーを殺しにかかるんだ。ランボーの気持ちを考えてみろ。アメリカのために命をかけて戦った。 親友だった仲間はみんな戦争のせいで死んだ。 それが国に帰ってみたらどうだい?反戦デモの罵詈雑言、保安官や州兵が自分を殺しにかかる。自己防衛しただけなのにだよ。なんでこんな目に遭わなきゃいけない?アメリカのために戦った自分が、祖国のために命をかけた自分が、ただ知り合いを訪ねた先の町で食事しようとしただけなのに。その知り合いだって戦争の後遺症で死んでたしね。 完全な孤独。悲観。疎外感。恐怖だってある。 ベトナム戦争で傷を負って帰ってきた。体にも心にも。アメリカでは市民に迫害される。名作だけど、娯楽じゃない。あの映画を見て感じるのは怒りと憐れみだね」
夏休みのヒマな時に映画を見ていたらしい事はわかった。もちろん、それ以外の事はまったく意味がわからない。
「君はどう思う?」
恐ろしいフリが来た。どうやら彼女は僕に今の映画のレビューに対する感想を述べさせたいらしい。僕はどうして良いかわからず、苦笑いしながらぎこちなく小首を傾げた。それを見た彼女は何故か満足そうに微笑んだ。今、僕の身に起こっているこの現象は何なのだろう。
彼女の表情がまた曇った。僕はなんとなく次が来ると直感した。
案の定、彼女は一際陰鬱そうな溜め息をつくと唐突に語り始めた。
「日本ってのはダメな国だと思わない?日本政府ってバカばっかりだよね。この間、放射性物質を積んだドローンが総理官邸に落とされた事件あっただろ?あの後すぐドローンに関する規制がかけられたんだ、すぐにね。日本人の三大義務って知ってるかな?教育を受けさせる義務、勤労の義務、あと一つは納税の義務。日本には家庭環境の問題でまともに学校にいけない児童や登校拒否、不登校になる子供が大勢いる。ニートもだよ。働かない、学校に行かない。そんなのが今の日本にはわんさかいる。でも日本の政府は知らんぷりだ。ところがどっこい、脱税者には超厳しい。毎日寝て食ってゲームしてのニートだろうが、子供を学校に行かせない親だろうが、納税さえしてればなんでもいいんだ。でも脱税するのだけはダメなんだ。どんな事情があるにせよ、自分たちに金を寄越さないヤツなんてあいつらにとってはニートやネグレクトなんかよりもずっと人間のクズに見えるんだ。しかも自分達だってやってるクセに仲間の1人が問題起こせば、これでもかって吊し上げ、叩きのめし、徹底的に締め上げる。横領だとかセクハラヤジとか。まるで自分は違うとでも言いたいみたいにね。くっだらない。自分の身の安全と自分の金のことしか頭に無いバカばっかりだよ。自分達の平和を脅かすドローンには迅速に対応を!自分達の給料を減らそうとする輩には厳しい罰を!自分と直接関係の無いニートやネグレクトや環境問題、年金問題、消費税、米軍、汚職警官、教師の不祥事!適当な対処しかしない。警察も連中の犬だよ。汚ない政治家には尻尾振って忠実、善良な市民には牙見せて高圧的、凶悪な犯罪者にはビクビクしてる。適当にパトカー転がして交通違反ばっか取り締まっていれば仕事してると思い込んでる。国会前でボーっと突っ立って番犬の真似事だ。いざって時には役に立たない。夜中の交番だってサボって裏で居眠りだろ。こないだ深夜に財布届けにいったら誰もいなかったんだ。そのクセ自分達は絶対正しいと思ってる。めでたいバカばっかりだよ。教師もそうだね。セクハラ、痴漢、覗き、盗撮。まったく、くだらない事件はだいたい公務員が起こしてる。この国はダメな国だ。しかもこの国じゃそーゆーことを世間に表明することでさえ罪になる。表現の自由もクソもあったもんじゃないね。小説や映画にあるようなディストピアだよ。クソみたいな政治家、その狗の警察供、支配されてるのを知らずに統治してもらってると思い込んでるマヌケな国民だ。自由なんか無い。最後にもう一度言う・・・この国はダメだ。」
テーマの重量がえげつない。僕に処理し切れる問題ではない。それを僕に伝えてどうしたいのだろうか?なんと言って欲しいのか?何と言うのが正解なのだろうか?いや、正解なんてどうでもいい。とにかく今、僕が願うのは一つ・・・!
「君はどう思う?」
願いは叶わなかった。そのセリフを彼女に言わせぬよう神に祈ったのだが、神はまだ夏休み中なのだろか。
僕は目を瞑り深くうなずいた。とにかく彼女と目を合わせているのが恐ろしかったからだ。
彼女は一層満足そうに微笑んだ。正解だったらしい。よかった。
ふと、安堵に包まれた僕の思考は一気に別の方向へとかたむいた。僕は非日常的な平穏を求めこの屋上へ足を運んだのだ。なのに待っていたのは理解不能なスフィンクスの試練だった。何とか切り抜ける事はできたものの僕の平穏は奪われた。この理不尽をどうしてくれようか。そう思うと彼女へ対する憤りがフツフツと込み上げてくるのがわかる。
「実は今回、そんな国に絶望したから自殺でもしようかと思ってね」
彼女の言葉に僕の憤りは吹き飛んだ。
自殺?・・・え!?自殺!?
ハシゴを伝って塔屋からスルスルと降りてくる彼女を僕は池の鯉のように口をパクパクさせながら凝視した。
自殺!?それはマズい!!先ほどの理解不能な話も自殺寸前の不安定な心理状態から来るものだとするなら合点がいく!なんとしても止めなくてはいけない!初めてしゃべった相手とは言え、これを止めるのは人としての義務だ!幸い何故か彼女は少なからず僕に心を開いているようだし、説得する事は可能なハズだ!
彼女は真剣な表情で僕と向かい合うと、あれこれ考えている僕に対して驚くべき言葉を放った。
「なんちゃって」
殺してやろうか
「自殺は冗談。するわけ無いよ、恐いし」
心境は至って正常らしい。ならば、先ほどの話がまったく理解できない物と化す。
いや、それはどうでもいい。とにかくそうであるならば僕の平穏と善意を踏みにじった彼女は罪深い。彼女の代わりに死んだハズの憤りが息を吹き返した。
僕がその憤りを言葉にしようとした瞬間彼女は人差し指を立て静止した。
「言葉はいらない。君の気持ちはよくわかる」
なら、謝れ。
「君とは良い友人になれる気がするよ」
気のせいだ。
「名前は名乗らなくていいよ。君の事は知ってるから」
当たり前だ。お前は同じクラスだろうが。
「本名を名乗るのはまだ気恥ずかしいから私の事は『K.T』って覚えてよ。私のイニシャル」
『津島叶』。一年から同じクラスだろうが。
「それじゃあね。良き友人くん」
そう言って彼女は屋上を後にした。
・・・え?何だったんだ、あいつ。
この数年後、なんやかんやあって僕らは結婚した。
終
大抵はただただ変わってるだけだったりね