第五帖。メモ魔東條
◆
昭和十九年十一月二十三日 名古屋 清洲飛行場
半年前の昭和十九年五月上旬、関東地区の防空を担当する第十飛行師団長吉田喜八郎少将は東條英機参謀総長から呼び出しを受けた。
五月五日、端午の節句に第十飛行師団は司令部を調布から東京代官山に移駐していた。
これは東部軍情報を迅速に活用することと、地上防空集団と緊密に協力するに便利であったことの他に、隷下、指揮下の各部隊との通信、交通連絡が便利であったからである。
警戒、空襲の情報を国民に伝えるときラジオからは「東部軍情報……」とまず流れる。本土にも米軍の爆撃機が飛来しつつある現今、通信の重要性は極めて高い。
この引見を吉田はいぶかしく思った。統帥上、直属関係にある東部軍司令または第一航空軍司令を経由しないのはおかしい。
東京市ヶ谷に立つ赤レンガの正面玄関の三階に東條。訪ねる。
参謀長室に赴き、始められた問答で、東京に来襲する敵機の生還を一機たりとも許さぬため帝都守護の飛行師団長として自信があるかどうかと東條は尋ねた。
吉田は答えた。
「率直に申し上ぐれば、現在のところ自信がございません」
東條は眉を少しだけ動かした。
吉田は言葉を続ける。
「ただし次に挙げます五つのことをやっていただければ自信があります。一つ目に、現在は訓練用燃料が操縦者一人当たり、一ヶ月に十時間でありますが、これを三倍にせられたい。二つ目に、飛行機は戦闘用の予備機として、編制定数の三倍を補給されたい。三つ目に、機上無線機を全機に充足せられたい。四つ目に、飛行場の誘導路掩体を整備せられたい。最後に、師団の作戦行動に必要な協力部隊、特に情報組織部隊を隷指揮下に入れられたく思います」
この内容を東條は丹念にメモした。メモ魔と呼ばれる几帳面さは健在である。東條はただちに航空本部の燃料主任を呼び出した。
燃料は出せないことはない、と主任は答えた。
「しかし余裕のあるガソリンには国内には一滴もありませんから、ある方面においては極めて不自由することを覚悟せねばなりませんよ」
結局、燃料、飛行機、無線機についても電撃的に決められ、ほとんどが吉田師団長の希望通りになったのである。
大本営も、防衛総司令部も、航空本部も、戦局の重点は南方だ、フィリピンだ、内地は第一線のために忍ばねばならないのが当然の認識であった。
それを東條は戦局の中心は帝都東京だと見抜いていた。
将棋やチェスではないのだから、東京が攻略されたら戦争に負けるわけではない。ただ帝都が易々と侵されれば国民の士気に影響するし、まして東京は帝都である。
こうして士気の低下を払底するためのしわ寄せが悠祀たちにまわされることとなった。
パイロットのことを陸軍では空中勤務者というが、パイロットは基本的に二十四時間、航空服を着たきりで、飛行場の飛行機近くで待機することになっている。
パイロットとしては空を飛ぶときが一番楽しい。
しかし訓練用燃料はパイロット一人につき一ヶ月十五時間分しか配当がない。その日の配当分を使い切ったあとは地面で訓練するしかないのは何よりも苦痛で退屈である。
悠祀のいる第五戦隊でも減燃は同様だった。
ちょうど五月分からの増配が決まっていたところへ、東條参謀総長の鶴の一声ですべて東京にまわされてしまったのであるから、実質的に減燃だ。
空への憧れが特に強いパイロットには歯噛みする思いだったが、決まってしまったものは仕方がない。
それから半年たった今月に入ってようやく新たな増配が始まっても一ヶ月に二十時間がいいところだった。日々にすれば一時間もない。
「当分は地ベタで訓練だね」と寺嶋は飛行帽を指先でくるくる回しているる。
「当分って言っても俺たちゃ昔から地面で訓練しているぜ。ったく、増配の遅れは士気に影響するからやめてほしいぜ」
「そういえばさ、今日東部軍管区から転属のパイロットが来るって」
「東部軍管区から? へー。わざわざ転属か」
昭和十五年七月、陸軍の防衛組織の面で前進が見られた。その一つが軍管区制の導入である。
その結果、全国は北部軍管区、東部軍管区、中部軍管区、西部軍管区、台湾軍管区、朝鮮軍管区の六個軍管区に分けられた。
東部軍管区の管区は東京、東北、北陸である。
またそれに合わせて東部、中部、西部の各軍管区の要地に初めて専属の防空用飛行隊が設定されている。背景には昭和十三年二月末の国民党軍による台湾空襲、五月の支那空軍の熊本、宮崎両県への反戦印刷物散布事件があったものと思われる。
防空のため戦時には一軍管区につき一個飛行戦隊から一個飛行中隊が割り当てられるに過ぎず、今の悠祀が聞いたらそれがどんなに非力か分かる。
昭和十五年に満洲ハルビンで演習が行われた話を耳にした。飛行場を守るのは百機を超す戦闘機。この日は快晴で視界も良かった。パイロットの腕前は今の言い方をすれば「技倆甲」が集められ、守備は万全であると思われた。
ところが結果は惨憺たるもの。攻撃側はその包囲を易々と突破してしまったのである。
そのときの悠祀は「情けない防空部隊だなあ」くらいにしか思わなかったが、防空がどれほど難しいか肌身で感じるとは思いも寄らなかった。
その防空が最重要視されている東部軍管区から転属して来る。だから腕は相当立つ者だろうと悠祀は想像した。
「そりゃあすごい。でもいいのかな」
「何が?」
「東京も今や主戦場だろ。一人でもパイロットが欲しいんじゃないのかな」
「さあ。名古屋は大きな都市だし、偵察機も飛んできたから戦力増強ってとこじゃないかな」
「なるほど」
「それに情報交換の意味合いもあるのかも。昭和十七年にアメリカ軍が最初に空襲したのは東京だったし、B29が最初に飛んで来たもの東京でしょ」
「確かに。名古屋としては東京の状況だとか対応策も知りたいしな」
納得顔の悠祀は便所の前で寺嶋と別れる。
コンクリートの土台に建つ木造の便所は昼間でも薄暗い。通路を挟んで右手に小便器。左手には大便用の扉が、戸板と扉とで区切られている。
小便器に放尿しながら、明り取りの窓を見上げる。横長のガラス窓がつっかえ棒で押し上げてある。
——わざわざ東部軍から来るんだ。さぞ腕のいい猛者だろーな。
ことによると藤村中尉殿と同等のパイロットかもしれない、と悠祀は想像をめぐらせる。同時に、しまったな、とも思った。寺嶋のことだからどんなパイロットなのかすでに知っている可能性がある。
戦隊長に頼めば転属者の名簿と顔写真くらい見せてくれたかも知れない。
開戦前は平均五、六百時間だった陸軍パイロットの飛行時間は、今では二百余時間に下がっていた。
パイロットの質が低下しているのである。
それを思えば飛行三百時間を持つ悠祀はまだ良い方だった。もちろんヒヨっ子であることに変わりはない。
——ワルさがしてーな……。
便所で用を足したあと、正門から飛行場の外へ出る。清洲飛行場の周囲に民家は少ない。農地が広がっているからこそ、陸軍がここに飛行場を作ろうと思ったのだろう。
目指すのは正門を出て徒歩五分くらいの川原。町に出るための駅に向かう。その途中で、細い脇道に入る。昼間でも人目がないことに気付いたのはつい最近だ。
そのときだった。道の先、駅の方からやってくる一人の軍人が目に入る。軍刀を吊っているから、下士官より上の軍人だ。軍人の顔を見る前に襟の階級章に目がゆく。
——軍曹。てことは上官だ。伍長|《俺》の一つ上か。
右腰に吊っている軍刀が重いせいか、その軍曹の体は右に傾いでいる。
妙だな、悠祀は思う。なぜ軍刀を右腰に吊っているのだろう。普通は左に吊るのに。
階級章の横に小さな徽章がある。ユリの花を二本交差させている。それは靜と同じ女子飛行兵の証だ。
軍曹と目が合う。案のごとく、女の子だった。肩まである黒々しい髪。まだ幼さの残る顔立ちに、涼しい目鼻立ち。靜と比べて、すっきりとした顔のつくりをしていた。軍刀一本に体を引っ張られてしまう華奢な体躯……。白百合、という描写が脳裏をふとよぎる。女の子は目をそらした。恥ずかしそうな表情で。
悠祀は立ち止まって、挙手の礼をした。
「ん?」
女の子はちょっと驚いたように目を見開いて、それからやや前かがみに返礼した。
「あ」
お互い敬礼したまま沈黙すること幾許か。
言葉を発したのは驚き顔の女の子だった。
「神佐君?」
「ああ、……もしかして美代子なのか」
悠祀は懐かしさのこみ上げて来るのを隠せない。
「懐かしいなー! ええ! そうか、女飛を出て東京に行ってたのか!」
「あの」
「今じゃ軍曹殿か。いや、参った。俺より上か」
「そうです」
昔よりも淡泊な物言いだと悠祀は思う。同郷の者同士がせっかく再会したというのに。いわゆる幼なじみの再会だというのに。
美代子の顔から驚きはとっくに失せていた。懐かしさも久方振りの再会を喜ぶ素振りもない。
そして言った。
「清洲飛行場はこの先ですか」
「ああ、……」
悠祀は察知し、はきはきと答える。
「はい。そうであります。この道をまっすぐ行った先であります。石の門柱がありますから、すぐお分かりになるかと思います」
「は、はい。ありがとうございます……。戦隊長殿は……?」
「繁國少佐殿のことでありますか」
「あっ、はい。そうです。その……着任の挨拶をしないといけませんから。どちらにおみえですか」
「はい。風見鶏のついた気象観測塔がありますが、そのすぐ右手に宿舎があります。宿舎の入り口すぐ脇が通信室でありますが、その隣が戦隊長室であります」
「あっ、ああ。はい、ありがとうございます」
「はっ、とんでもないことです」
「いえ……。失礼します」
極めて素っ気ない。
悠祀はかえって腹が立った。
——せっかく再会したのに。
それとも嬉しかったのは自分だけで、美代子には何も感じないのか。
そそくさと立ち去ろうとする姿は、とても幼く見えた。たぶん自分か靜くらいだろうと悠祀は想像する。すれ違い際、ぷんと香るいい匂い。官能的だった。
「松宮軍曹殿」
覚えず、呼び止める悠祀。はじかれたように美代子は振り向く。
「よろしければそのお荷物、お持ちしましょうか」
「あっ、あっ、いえ。だ、大丈夫ですから」
「そうでありますか」
「はい」と美代子はうなずいた。「……お気遣い、感謝します」
背筋を伸ばして、敬礼する。
小さな体に似合わず、とても凛々しく見えた。そして可憐に見えた。かわいい、と率直に思う。心がゆるんだせいで、悠祀は指摘してしまった。
「軍曹殿。軍刀を反対に吊っておられます」
え……という顔になる美代子。ちょっとの間だけ思案顔になって、やがてカッと顔を赤くする。間違いに気付いたのだ。軍刀は通常、左腰に吊る。日本陸軍の健軍以来、こんなおかしな軍曹はいないだろう。
美代子が真っ赤になっているのを見て、悠祀は慌てて付け加えた。
「そ、そうか。軍曹殿は左利きなんでありますね。だから右腰に軍刀を吊っておられる。う、うん、それなら何の不都合もありません」
「あ、は、あう……」
三十九度の高熱を出したように真っ赤になっている。何度もうなずき、たどたどしい手付きで軍刀を外し、左腰に移動させている。
「軍曹殿。その、申し訳ありません。ええと、自分の思い違いでした。失礼しました」
上官に恥をかかせぬのも部下の務めである。悠祀は深謝し、「間違い」を指摘したことをちょっとだけ反省する。
「いえ……」
耳まで赤くする美代子。悠祀から顔を隠すようにして、その場を立ち去った。
——なんでえ、やっぱり美代子は美代子じゃねえか。
しばらく会わないうちに変わることはよくある。けれども美代子は昔のままであることに悠祀は胸を撫で下ろしていた。
◆
昭和十九年十一月二十三日 サイパン
板垣夏雄は作業の手を安め、額の汗をぬぐう。
常夏の島サイパン。漢字で書くなら彩帆島となり、国民学校を出たばかりの夏雄でも書ける簡単な字面だ。
「暑い……」
満十五歳の夏雄にとって、日中の穴掘りは少々堪える。以前ならば軒下で昼寝でもしていた時間帯である。国民学校を卒えて就職した大日本航空株式会社でも、サイパンの気候に合わせて昼休みを長く取ってくれたものである。
夏雄はスコップを握っている手を休めた。サイパン島は島のほとんどが珊瑚礁で出来ているのだ。適度に休憩をしなければ手の皮がすぐ破けてしまう。
一息入れることにした。夏雄は作業場となっているヒナシス台地に立っている。そこから見ると、眼下の広大な飛行場に圧倒される。
日本名アスリート飛行場。
アメリカ側はイスリー飛行場と呼ぶ。サイパン島の一番くびれたところに造られた、二千四百メートルという恐るべき長さの滑走路は島の端から端までに及ぶ。
しかもこのA滑走路だけではない。完成すればB滑走路と呼ばれるであろう二本目の滑走路が、それに並行して造られているのである。
それらはB29専用の滑走路であった。その周囲で南国の太陽にギラギラ輝いているのはすべてB29であり、アメリカ陸軍航空軍隊麾下の第20航空軍第21爆撃集団に属している。
あまりに機数が多くあまりにまぶしいので、最初は海面の反射かと勘違いしてしまったほどである。
昭和十九年六月十五日、サイパン島西部のチャランカノア、オレアイ両海岸に殺到したアメリカ軍第2、4海兵師団、第27歩兵師団はこの島を守備していた日本陸軍第四十三師団と海軍部隊を壊走させた。そして七月九日にサイパン占領を宣言した。
サイパンの戦いである。
夏雄は捕虜となった。
捕虜収容所はチャランカノア海岸に設置され、軍人と民間人の身分によって分けて収容された。夏雄が捕虜となりススッペ収容所に来たのは占領宣言後の七月十四日であった。
捕虜生活は雑役で始まる。年齢に関係なく、成人とみなされる男子の希望者だけが早朝から作業に従事する。トラックに乗って作業場に着くまで行き先は分からない。常夏の島であり、食料も薬も満足にない中で捕虜となった夏雄たちである。穴掘りやドラム缶運びは体にきつい。
それでも希望者が続出しているのは三十五セントの日給が支払われるからである。これで食料、薬、余裕があればキャンディやチョコレート果てはアイスクリームといった嗜好品が買える。
「さて……、よっ、と」
夏雄は作業を再会した。
すると、続々と出て来る。乾燥と暑気のせいでカラカラに乾いた人間の骨であった。白い骨に茶色の筋肉や皮膚がこびり付いている。
夏雄は無感動に、それらを一塊にして地面へと積み上げる。それはヒナシス台地に布陣していた日本軍野砲第十連隊第三大隊と野戦高射砲第二十五大隊の亡骸であった。
地面を掘ればいくらでも出て来る日本兵やときにはアメリカ兵の死体、そしてときには不発弾、雑嚢、刃物もある。眼鏡も出て来る。それを掘り出して集めるのが夏雄の作業であった。
「おい夏雄、アイスクリーム食べたくないか」
不意に話しかけられた。友人の井上昭夫である。今はガレキとなってしまったサイパン最大のガラパン市で近所に住んでいた。もちろん国民学校入学から一緒の仲である。
「ああ、食べたい」
夏雄は答える。舌なめずりをした。
「そうだよな。暑いもんな。あー、早く作業、終わらねえかなー」
「まだ昼ちょっと過ぎだよ。まだまださ」
「ちくしょうめ、あいつら遊びやがって」
「ん? 誰か作業を休んでるのか? ほっとけ。どうせ見張りのアメ公に怒られるのがオチさ」
「いや、その見張りのアメ公が遊んでいるんだ」
何? と夏雄は顔を上げる。
遠くの方で上半身裸のアメリカ兵がキャッチボールをして遊んでいる。さすが白人というだけあって肌が白い。それがじりじりと照りつける太陽のせいで真っ赤になって、シミになっていた。
それでもいっこうに介さず、彼らは楽しんでいた。
「楽しそうだね」
「いい気になりやがって」と井上昭夫は悪態をついた。「今に見ていろよ。そのうち日本の兵隊さんがやって来たら、あいつらなんか皆殺しだからな」
「そうかい」
「そうとも! サイパンは欧州大戦の結果、我が大日本帝国の領土になったんだぞ? それが占領されたままに大本営がするはずがない。きっと今も捲土重来を期しているんだ」
「そんなもんかな」
「当たり前じゃないか。今だってサイパン目指して飛行機を準備しているのさ。きっとあそこの飛行場は全部ガラクタになっちまうに違いねえ!」
井上昭夫は興奮気味に言った。
しかし夏雄は若干さめた様子でその話を聞いている。
夏雄は捕虜になる前、名も分からぬ山の洞窟にひそんでいた。逃げてきたのである。食料も水も乏しく、特に水は敵の姿におびえながら山の下まで行かなければ手に入らない。
そのときどこかからか逃げて来た日本兵が夏雄の水筒を取り上げて、中の水をほとんど飲んでしまった。夏雄が文字通り命がけで手に入れた水を。
俺たちが島とお前らを守っているんだぞ、とその日本兵は言ったが、それならばなぜ上陸を阻止しなかったんだと夏雄は思った。ガラパン市が灰になることもなかったし、自分たちが洞窟に身を潜めることもなかったのに。
その日本兵がその後どうなったのか知らないが、守ってくれるはずの日本兵に裏切られている夏雄にはにわかには信じがたい。
ただ、何かしらの反攻があるだろうと漠然と考えていた。日本が負けたままでいるはずがないからである。
井上昭夫は手を額の上にかざす。
「しっかし見ろよ、アスリート飛行に並んだデッカい飛行機を。あれはB29といって世界最大の爆撃機だそうだ」
「へえ。あんなに集めてどうするんだ」
「そりゃあどこかを爆撃しに行くんだろう」
「どこを?」
「さあ」
井上昭夫は首をひねった。
B29が第21爆撃集団の新司令官ヘイウッド・ハンセル准将とともに初めてサイパン島に飛来したのは一ヶ月前の十月十二日。このB29は第21爆撃集団第73爆撃航空団に属し、以後、定数である四個航空群百八十機に達するまで、コツコツと一日に一から三機のペースで増強されてきた。
それらが帝都東京を空襲するためのものであることは、もちろん捕虜である二人が知るわけもない。
分かっているのは毎日、爆音を響かせながら飛行機が増えることくらいである。それも決まって昼間であり、夜には飛んでこない。
そのうちアメリカ兵の一人の手元が狂ったらしく、ボールがコロコロと夏雄の足下に転がってきた。
「ヘイ、ボーイ!」と、そのアメリカ兵は言った。
モジャモジャした変な髪型だ。笑顔もまぶしく、手をさかんに振っている。確かスミスとかいう名前だったはずだ。
その様子を井上昭夫は苦々しく見、言った。
「あのモジャモジャ、こっちへ投げろとでも言ってんのか。ったく調子に乗りやがって」
「そうか。じゃ投げてやろう」
夏雄は素直にボールを拾った。アメリカ兵に投げてやるつもりだった。だがそれはボールではなく、ピカピカに磨いた赤ん坊の頭蓋骨であった。
◆
昭和十九年十一月二十三日 清洲飛行場
細小々川は岐阜県を源流にし、いくつもの支流に分かれて名古屋の町をクモの巣みたいに走り回る川の一本である。
土手から川原に降り立ち、悠祀は周囲を確認する。
誰もいない。
向こう岸に目をやる。ずっと彼方に名古屋の家並みがかすんで見えた。うらぶれた家々が冬風に耐えて居並んでいる。
愛知県を東西に横断している名古屋鉄道の名古屋駅附近と思われる一帯を中心に、高層ビルディングが打ち忘れた釘のように飛び出ている。その灰色の壁が寒風に震えていた。
悠祀は土手から下る。
そこはススキの生い茂る川原で、ここまで来れば川そのものはススキに隠れて見えにくい。つまり悠祀の姿も見えにくい。
——なんか賽の河原みてーだな。
稚児が死んでから行くという三途の川原。親より早く死んだ稚児は川原の石を積んで塔を作ろうとする。しかしそのたびに鬼が来、石積みを壊してしまう。
無駄な努力の代名詞ともなっているが、この細小々川のうらぶれた感じ、まさに賽の河原みたいだ。行ったことも見たこともないけど。
けれども賽の河原では地蔵菩薩が鬼を退治し、最後には稚児は成仏できる。このあたりの話は悠祀も宮澤賢治の『ひかりのすあし』で読んでいる。稚児は救われるのである。
——この戦争もそんな感じで終わるんかなあ。
さびしい景色を見て妙に感傷的になる悠祀。
ポケットからマッチ箱と煙草を出す。
マッチ箱をスライドさせて一本取り出しその先っぽを手で覆う。風を遮って擦る。ぼう、と火がついて、それを煙草の先っちょにあてがう。
ふう、と一息。
陸軍の配給煙草といえば悠祀の吸っている譽をいう。
誰もいないのをいいことに川原を喫煙所にする悠祀。喫煙即大人、大人即カッコいいの方程式で、煙草を吸う未成年。
大人になりたい、背伸びして始めた煙草。一人っきりの川原で吸っていると、自分が何倍もカッコよくなって、たいへんな権力を手に入れた気がする。
煙草を吸っていい年齢が何歳からであるのか悠祀は詳しく知らない。けれども少年飛行学校にいた頃、喫煙者は見付かり次第ブン殴られた。
それを思えば未成年は煙草を吸えないことになるが、それならばこのホマレのように俺にも煙草が支給されるのはなぜだろう。
どうも納得できないと悠祀は思った。
たかが伍長の分際で、大日本帝国の行く末なんかを慮りだした。
昭和十九年、大日本帝国は、大陸においては進撃を続けていたが、他の主要なる戦線においては一斉に退却の初動についていた。
昭和十八年九月、蘭印―豪北―内南洋―千島列島を列ねる線が布かれ、敵の来攻は随時この線上の各地点で撃砕する方針が決められた。
〝絶対国防圏〟の議定である。
昭和十七年六月、ミッドウェー海戦で空母四隻を失って以来、日本軍の攻勢戦略は守勢戦略に転換されていた。
日本海軍はミッドウェー海戦以降、陸軍は同年八月のガダルカナル島の戦い以降、主要なる戦場でアメリカ軍に一度も勝てていない。
絶対国防圏の脆弱点に対して大陸及び満洲から兵力の輸送が行われ、弾量の蓄積が開始された。
大本営はこの絶対国防圏の確立に一ヶ年の期間を要するとし、十九年秋にこれを概成、二十年春に完成させる腹案を持っていた。
ところがアメリカ軍の反攻は大本営の予想以上に素早く、絶対国防圏は防御未完成のまま、猛反撃を迎えることになったのである。
昭和十七年八月、マキン島の奇襲を皮切りに、翌年五月アッツ島守備隊の全滅と、七月のキスカ島からの撤退。
日本軍はいずれにおいても勇猛果敢に戦った。特に十一月二十五日にマキン島・タラワの海軍守備隊が玉砕した際には「人命の犠牲を反省せよ」という輿論をアメリカ国内に捲き起こすほど画期的死闘の末の勇戦を演じたのである。
大正十年以降、大日本帝国の委任統治下にあったマーシャル諸島を失陥し、次いでエニウェクト諸島、クサエ、ポナペ両諸島を失った。
これが今から一年前、昭和十八年秋の実情だった。
明けて昭和十九年一月三十日、アメリカ軍はマーシャル諸島に襲いかかった。二月初旬には占領の憂き目に遭い、アッツ、マキン、タラワに次ぐ玉砕第四号及び第五号となった。
悠祀は冬空に煙を長くはいた。煙は冷たい空っ風に流れた。
離島防御は、海軍と空軍との三位一体の作戦によってのみ可能であって、その協力を得られぬ地上軍だけの防御は、必ず玉砕に終わることを、昭和十九年春の戦闘は痛くも大本営に教えた。
そうして、とうとうサイパン島を失ったのが四ヶ月前の昭和十九年七月である。
陸軍とは文字通り、陸に長けた軍だ。いかに精強なる陸軍といえど、島に着く前に輸送船を沈められてはお話にならない。
が、ここまで敗戦一辺倒になっても悠祀は何とも思わない。
ただ日々の訓練に邁進するのみである。
悠祀のように軍人であっても、この戦争がどう行われているのか知らないからである。
たとえ絶対国防圏上の第一線にいる将兵でさえ戦争の全体図が届くことはない。
情報収集に鋭い外地の憲兵でさえ、ラジオや新聞での大本営発表以外のことはほとんどわからないのだ。
南方戦線の状態がどうなっているとか、満洲で関東軍がどうなっているとか、そんなことは横のつながりのある、軍の限られた上層部にしか分からない。
もし知る機会があるとすれば、戦闘で兵員が足りなくなるときである。
関東軍から補充兵が来たり、南方から傷病兵が帰還したりする。その連中が話をして、内地の兵は初めて第一線の者に戦況が伝わるのである。
だから悠祀はこの戦争について一般国民と同じ程度しか持たない。占領下にあり、現在はB29の基地になっているというサイパン島へも何かしらの反攻作戦があると思っていた。
じゃり、と砂利を踏みしめる音。
慌てて煙草を投げ捨てる悠祀。吸殻を踏みにじって、音のした方を見て、
「何だあ」と、精一杯の嫌な顔をする。
「何だって、ひどいじゃないか」と童顔の陸軍伍長、寺嶋が言った。「せっかく呼びに来たのに。ここにいるだろうと思ってたけど、まさかワルさして、そんなもの吸ってるとは思わなかったよ」
「お前のせいで半分無駄にしちまったじゃねーか。どうしてくれるよ」
「せめて僕の話、聞いてよ。無駄が嫌なら煙管を使えばいいじゃない」
最近、世間では煙管がよく売れる。同じ量でも、巻いたものより長く吸えるからである。
さっき捨てた吸殻を拾って箱に戻す悠祀。煙管など持つ気になれない。「自分は喫煙者です」と公言しているようなものだ。
しゅば、と二本目のマッチを浪費して、二本目の煙草に火をつける。
「またかい」と寺嶋はあきれている。
「いいじゃねーか。戦闘機はガソリンがなけりゃ飛べないだろ? 俺には煙草がガソリンなんだ」
そんなものかな、と興味なさそうな顔で首を傾げる寺嶋。童顔で女っぽい顔つきは、仕草の一つ一つが幼っぽくみえた。そして寺嶋は、さりげなく風上に移動している。
——はっきり言やーいいのに。
寺嶋が煙草嫌いであることを、悠祀は知っている。
そんな寺嶋は、平然と川を眺めている。そしてつぶやく。
「ここは故郷に似てる」
「ふうん。長野ってこんなしょぼくれた土地なのか」
「埜路はこんなに貧相じゃない。ただ雰囲気が似てる」
寺嶋は長野県埜路村の出身である。ここに至って悠祀は、寺嶋のことをよく知らないことに気付く。少飛校から寝食をともにしているくせに、生年と出身地しか知らないのである。
「おい」
「何?」
女みたいに愛嬌ある目で悠祀を見る。もし寺嶋が女だったら……。などとくだらぬ妄想を振り払って、悠祀は尋ねる。
「寺嶋。お前はどうして陸軍に入ったんだ?」
「僕?」と手に顎を当てて、しばらく黙る寺嶋。
悠祀も寺嶋も陸軍伍長であるから普通グンと言えば陸軍のことだ。
寺嶋は悠祀に向かって笑みを見せた。長い付き合いなのだから、無理やり作った笑みであることを悠祀はすぐに摑み取る。喋りたくないことをうっかり口にしないよう、言葉を選んでいるみたいだった。
「まあ、なんて言うんだろう。うまくは言えないんだけど、うーん……。偉くなりたいから、かな?」
語尾をわざと疑問形にする寺嶋。頭をカリカリかいて、言う。
「……僕は水呑み百姓の末っ子だから、土地はどうせ兄ちゃんたちに分けられて、僕の分はないだろうと思った。もともと田畑あわせて八反足らずの土地だし、もし僕に分け前があっても微々たるものだろうし……。だから軍隊に入った——」
語句を区切る。ちょっとして、続ける。
「——軍隊に入れば白米の飯が食べられる。三食ちゃんとくれるし、衣も住も保証してくれるんだから、百姓よりもずっといい。……それに僕は、軍隊に入って初めて毛のズボンや革靴をってのはいたんだ。あと草鞋みたいに大きなビフテキとか、メンチカツとかライスカレーを食べて、世の中にこんな美味しいものがあるのを知った」
大日本帝国では、二十歳になれば軍隊に行く。兵役、納税そして教育は臣民の義務である。
どうせ兵隊にとられるならば早いうちに志願して出世してやろう——。そう考える国民が出るのも自然だった。軍隊で階級がものを言う。
そして、そのように考える国民よりも多いのが、貧しさから脱出する早道として軍隊を選ぶ国民だった。
寺嶋もそういった一人だった。
「少飛を卒業して、熊飛校を卒えたら半年後にはもう伍長に任官できる。二十歳を超えてから召集をくらったら二等兵から出発なのに、伍長って言ったら……、えっと」と指折り数える寺嶋。「二等兵、一等兵、上等兵、伍長だから、三つ飛ばしで、下士官から軍隊入りになる。それから半年で軍曹になれて、その次は長い軍刀を吊った曹長になれるでしょ。おまけに伍長任官から四年で少尉候補生への受験資格がもらえるってんだから、ありがたくって涙が出るじゃないか」
日本軍では下士官以上、つまり伍長以上に帯刀を許している。
明治九年の廃刀令で、特定の職業にある者を除き、日本人は刀を取り上げられた。しかし依然として刀は家宝であり、堂々と腰に吊れることは誇りである。
特に寺嶋の家は単なる百姓である。百姓の子として生まれながら堂々と刀を提げられる。これが誇りにならないはずがない。
悠祀は、初めて寺嶋の本音を聞いた気がした。いつもヘラヘラした軽い口調で、本心だか冗談だかわからないのに、今このときばかりは心の内を吐露しているように思えた。
「これってすごいことだと思う。小学校しか出してもらえなかった僕が士官まで出世できるんだからさ」
義務教育は尋常小学校四年間、高等小学校二年間の合計六年間。ただ昭和十六年に小学校はすべて国民学校と改名され、国民学校六年間の一貫教育となっていた。
「うまく受かって少尉、中尉に上がれば今度は位階勲等がもらえる。位階勲等があれば宮城に入れるから、もしかすると」と寺嶋はここで背を伸ばす。
そのあとに来る単語を悠祀も察し、背を正す。
「陛下とお会いできるかもしれないよ」
寺嶋は得意気に言い、続ける。
「位階勲等がつけば高等官じゃないか。そうなれば村じゃ一番の出世頭で、村長だって僕に頭が上がらないだろうね。小学校しか出ていない僕にだよ。学歴がなくて、恩給をつけるには軍隊が一番手っ取り早いんじゃないかな。まあ詳しい事情を知ったのは少飛校を卒業したあとのことだったけどね」
「ふうん、そうか……」
わざと、興味がないように装う。寺嶋の恥部に振れた気がしたからである。
「悠祀はなんで軍隊に?」と、寺嶋が反問した。
「ん、俺か。俺はまあ……、どうせ二十歳になりゃ兵隊にとられちまうことがわかってたし……。軍隊なんて階級がモノを言うんだから、早いとこ入った方が得だろ。どっちみち取られるんだったら早目に行って、なるべく偉くなっとこうと思ったり思わなかったり」
「どっちなのさ」
「さてな。俺にもわからんのよ。実を言や飛行兵になりたいんじゃなかった。飛行機に乗りたかったんだ」と悠祀は本音を語る。「それで少飛に志願したんだ。個人でも飛行免許は取れるが途方もない金がいる。飯や給金まで出して空を飛べるのが軍隊だったから、少飛に入った」
言い切って、ふうー……と煙を長く吐く。
「それに軍隊で飛行機を飛ばしていたって言えば戦争が終わっても仕事に困らないと思った」
「そうなの?」
「ああ。雑誌名は忘れたけど民間飛行機会社の特集が組まれていたんだ。そこに勤めている人の体験談があって、〝軍隊ならしっかりした教育をしてくれるからすぐ就職できます〟って」
「雑誌名は何だろう。航空アサヒ? アサヒグラフ?」
「たぶんそのあたりだったと思う」
「そうか。軍隊なら基礎から教育をやってくれるもんね」
「山梨県の甲府に民間の飛行学校があるそうじゃないか。でも入学金も在学の金も俺にとっては大金だ。そんなら軍に入れば全部タダでしかも給料が出る。それに階級がつくし刀まである」
「いいことずくめだ。それじゃ悠祀は戦争が終わったら航空会社に勤めるんだ」
「そのつもりだ」
悠祀は言った。
大正十年に航空法が公布された。六年後の昭和二年に施行された同法を根拠として民間でもパイロット養成者が増加し、昭和三年には八十六名の新民間パイロットを生み出していた。
航空局はパイロット養成に力を入れていたから民間飛行学校には政府から補助金が出たし、陸海軍からエンジンや機体の払い下げが行われることもあった。
こうした努力の結果、およそ二十年前の大正十二年の時点で国内には一社の国策会社と三つの民間航空会社が育つ。
国策会社は「日本航空輸送株式会社」。
民間会社には「日本航空輸送研究所」「東西定期航空会」「日本航空株式会社」の三つがあった。
この民間の三つはいずれも昭和十四年には「日本航空輸送株式会社」と吸収あるいは合併し、四社は国策会社「大日本航空株式会社」となって現在に至る。
この他にも小規模な国策会社が存在する。
悠祀はそうした細かな統廃合を知らない。けれども飛行機がなくなることはないと確信していた。もちろん根拠はない。自分が好きだからそう思っているだけである。
「それじゃ悠祀は軍には残らないんだ」
「そうなるかなあ」
「せっかく伍長まで来たのに」
「確かに。それはもったいない。かといってこの戦争が終わったらパイロットの数は減らされるだろうから……ん? なんだその手は」
「罰金」
「なぜ」
「敵性語を使ったから」
「そういや遊びをしていたな。ホラ、一銭」
寺嶋に一銭銅貨を手渡す悠祀。
一円=百銭。
一銭銅貨は駄菓子を買うのにちょうどいい貨幣だった。それでも悠祀はなかなかもらえなかった思い出がある。だからこうして気軽に一銭銅貨をあげられる今の身分は幸せであると思った。
「うーん。やっぱり俺、軍に残ろうかなあ」
「急にどうしたのさ。あ、空中勤務者の数が減るってどういうこと?」
「実際のところ日露戦争の後、兵隊が余ってしょうがなかった時期があったらしい」
「それ僕も聞いたことある。戦争だからって兵隊をたくさん徴集した。でも戦争が終わったら兵隊はいらないからね。ドンドン首にした」
「普段は最低限にしておいて必要になったら徴兵するのが一番効率良い。いらなくなったら首になるのは当然だな」
「それじゃ戦争が終わったら、悠祀は軍を首になると思うの?」
「ああ。可能性はある。だが、首になるなんてそんな格好の悪いこと体裁が付くか。向こうから言って来る前にこっちから辞めてやる」
「向こう見ず」
「その後は民間航空会社に就職したい。それに運輸省でも郵便の航空業務をやっていたはずだ。戦争で休止しているだろうけど。でも終わればまた始まるはずだし、日本の領土が増えれば郵便の業務も盛んになるだろう。だから空中勤務者の需要は絶対にある。軍を辞めても食いっぱぐれはあるまいよ」
今のところ南方の大半は日本の占領下にある。日本軍は開戦から半年で地球の六分ノ一を占領しているのだから、戦争が終われば当然そこは日本の領土になると悠祀は考えている。
「ふーん。結局のところどっちなのさ、悠祀は。軍に残りたいの? 辞めたいの?」
「……。終わってから考えようかな」
「向こう見ずなのに優柔不断」
寺嶋が皮肉っぽく言った、
煙草を根元まで吸って、昼下がりの土手に押し付け、消す。少なくとも三十分くらいはここでのんびりして、煙草の臭いをごまかすつもりだった。
「そういや寺嶋、お前は何の用事でここに来たんだ?」
嫌煙家の寺嶋はここに来た理由は何だろう。
「ああ、そうそう。忘れてた。戦隊長が呼んでた」
「何だとぉ!?」
飛行第五戦隊で一番偉い男。顔中が髭まみれの繁國少佐が思い浮かぶ。
「なんで早く言わん! のんびり雑談なんかしていやがって!」
「そんなに白目むかないでよ。休憩中なのにワザワザここに呼びに来てあげたってのに」
「白目なんかむいてない! あと恩着せがましい! ていうかもっと早く言えったら!」
「ごめんごめん」
「もっと悪びれろよ! ……なんかお前、わざと俺をいじめようとしてねーか?」
「……」
「いや、せめて否定しろよ!」
◆
昭和十九年十一月二十三日 清洲飛行場
上着を脱いでばっさばっさはたいて、煙草臭を払う。チョコレートひとかけを口に含んで口臭をごまかす。
最上階が尖塔になった気象台。三角屋根の先端で、風見鶏があっちこっちを向いていた。
気象台のすぐ横にある木造の公舎。上り框をまたいで廊下に歩みを進める。玄関から一部屋目は通信室。その隣が戦隊長室だった。
深呼吸する。
相手は少佐。自分は伍長。階級は七つも上だ。軍隊では階級一つ違えば、その差は親子ほどの隔たりがある。
扉をノック。
——いや、ノックは敵性語だから……、打扉とでも言おうか。
無論そんな日本語はない。悠祀が即興で作った語だ。
「入ってヨカありますか」と、軍隊言葉を大声で言った。
少年飛行兵学校入校から、「入っていいですか」などと民間言葉は使っていない。便所は厠。シャツは襦袢。スリッパは上靴。とにかく民間の言葉はことごとく軍隊言葉に直している。
「おう、ふん……入れ」
返答があり、扉を開ける。
悠祀は中に入り、後ろ手で閉める。
直立不動。
「神佐伍長、戦隊長殿に用事」と声を張り上げる。
戦隊長は光のよく入る窓を背にして座っている。和紙を細く切り取って、糊でバッテンに張り付けたガラス窓。
昼下がりの光が入り込んで、戦隊長の顔を暗くしていた。暗く見えるのは髭でもじゃもじゃのせいでもあった。
けれども、その暗いのがうなずくのだけはわかった。悠祀は気付く。戦隊長の他に、部屋にはもう一つ影があった。
無意識のうちに、その影のつけている階級章に目が行く。軍曹。つまり自分の一つ上。
敬礼する悠祀。
すると、戦隊長がおかしいものを見た口調で言う。
「ふん……まあそう硬くなんなよ、神佐」
逆光だった屋内に目が慣れて、悠祀はようやく室内の軍曹が女の子であることに気付く。
つい先ごろ道を聞かれた女の子である。
美代子だった。
美代子は気をつけの姿勢をして、悠祀に返礼をして、それから言う。
「松宮美代子……軍曹、です」
とても澄んだ声だった。
あたかも初対面とでも言わんばかりの格式張った挨拶。
繁國戦隊長が言う。
「ふん……。神佐、松宮と同郷らしいな」
「はい。そうであります」
「ふん……。女飛の卒だから同じ若鳥同士、仲良くやれよ。松宮は松戸の第五十三戦隊から我が第五戦隊に転属してきたんだ。年齢は同じだが、まあ神佐伍長、粗相のないようにするんだな」
戦隊長は、〝伍長〟の部分に力を込めたように悠祀には聞こえた。