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第三帖。軍人勅諭と女風呂

 昭和十九年十一月二十三日  愛知 清洲飛行場


 その男は、警急中隊が離陸してからずっと通信室に詰めていた。逐一報告される状況を絶えず耳に入れ、あるときは黙ってうなずき、またあるときは指示を下した。

 年齢は四十ほど。がっちりした武骨な体つき。あちこち(かぎ)裂きで破れた軍服を着て、もみあげから顎の下まで真っ黒の(ひげ)(うず)もれていた。


 髭まみれの顔から、とって付けたような目だけが爛々(らんらん)とのぞき、そして光り、子供だったら一目で泣き出しかねない異様な風貌を(かも)し出している。

 十年くらい営倉(えいそう)処分を喰らった風体のその男は、敵機を取り逃がした旨を聞くと、目をカッと見開き、天を仰いだ。


 四度の敵機侵入を許した東部軍でもそうだったが、「初撃完墜」が防空の一大方針だったのである。

 二度目の名古屋侵入を許してしまった失態。

 中部地区の防空を与る(あずか )第十一飛行師団はもちろん、国民に対して申し訳が立たないと男は思った。


 男はしばし瞑目した後、通信室をあとにした。

 滑走路に人影はない。さきほどまでは、普段見慣れない陸軍機を見ようと、滑走路脇に入ろうとする市民を、整備兵が必死に制止していたのである。

 今日は木曜日のはずであるのに、学生らしい少年の顔がちらほらあった。たぶん彼らは、一学級に数人は必ずいる飛行機マニアというやつなのだろう。

 かくいう男自身、少年の頃、欧州大戦の経緯を綴った報道雑誌を読み、空に憧れた。よれよれの軍服の(えり)には、少佐の階級章が(あか)にまみれて見え隠れしていた。


 爆音。見上げる。一機の複戦が、着陸態勢に入っていた。エンジンの下から二つの車輪が出ている。


「ふん……。ありゃ藤村(ふじむら)かいな」


 髭まみれの少佐は、その機の胴体横に「藤」を図案化した模様があるのを認めた。

 機は少しずつ高度を落とし、やがて前二つの車輪を静かに地面へ着けた。高速に回転している金属と金属とが猛烈にすれ合う音。前二つの車輪から白い煙が出ている。


 前二つの前輪を地面に着けて、ブレーキをかけ、それから尾輪を着けるという着陸をした機は、やがて完全に停止する前に、滑走路脇の駐機所に腰を据え、エンジンを切った。

 見事な、そして典型的な陸軍式の着陸だった。

 さすが飛行時間一千五百時間の実績ある藤村中尉だった。離陸と比べたとき、着陸ははるかに難しい。パイロットの腕の良し悪しを知りたければ、着陸を見れば一目瞭然だ。


 髭の少佐は、その機に歩み寄る。着陸した機のパイロットは、ちょうど操縦席から出て、主翼に乗っていた。パイロットの藤村中尉は鼻かしらが高く、精悍な顔立ちをしていた。見方によっては外国人と見間違えてしまう。 同性ながら、髭の少佐とは、およそ対極だった。パイロットの藤村(のぶ)()中尉は、髭の少佐を見ると挙手の礼をした。


 挙手の礼をされた髭の少佐……繁國(しげくに)第五戦隊長は、すっきりした顔立ちの藤村中尉に答礼すると、さっそく質問をぶつけた。


「ふん……。で、どうだったね」


 髭まみれの戦隊長に問われ、藤村中尉は軽い笑みを見せ、首を振る。


「駄目でした。情報通り敵は単機でしたが、一万五百メートルあたりを飛ばれちゃいまして」


「ふん……。対応できたんは?」


 敵機に追いつけたり、攻撃できた味方機はいないか、という意味だ。


「自分だけです。あ、一機、惜しいのがありました。神佐の機ですね」


「ふん……。おうあいつか。そりゃすげえこった。若えのにやりよるの」


 それから繁國戦隊長は、藤村の機を眺め渡す。


「ふん……。武装は?」


 武装に不備はなかったかという意味だ。

 藤村中尉は難しそうな顔をする。


「機首のホ二〇三が試射のとき撃てませんでした。たぶん故障じゃないかな。こいつも一発でも当たりゃ一撃なんですがねえ」


 飄々(ひょうひょう)と語ってはいたが、繁國戦隊長にはわかる。会敵していながら攻撃できなかった悔しさを心に秘めていることを。


「ふん……。そうか。整備小隊長にちょいと言っとこう」


 繁國戦隊長は髭をなでた。続々と戻りつつある複戦。彼ら一機一機から事情を聞くのが、繁國戦隊長には心苦しかった。戦隊長といっても万能ではない。だが、せめて最良の状態にはしてやりたい。それが戦隊長の最低の義務であると思った。




 昭和十九年十一月二十三日  名古屋 清洲上空


『運が悪かったねえ』


 のんびり口調が左耳に届く。


 悠祀が清洲飛行場に戻ってきたら、上空は他の複戦で混み合っていた。飛行時間がたった三百余時間に過ぎない悠祀は、誤って接触事故を起こしてしまうからと、飛行場からだいぶ離れた市の上空を旋回していた。


『警急中隊の藤村中尉は飛行時間が一千五百だっていうじゃない。悠祀もあれくらいベテランになれば一番に着陸できるでしょ』


 寺嶋がいい加減なことを言っている。藤村中尉が一番に着陸したのは飛行時間がものを言ったのではなく、単なる偶然だろう。

 正午過ぎの市内に人影はあまりない。そろそろ空襲警報は解除される。もう少ししたら警戒警報も解除されて、市内はまたいつもの活気を取り戻すだろうと悠祀は考える。

 単に警報といっても、「航空機ノ来襲ノ(オソレ)アル場合」に発令される警戒警報と、「航空機ノ来襲ノ危険アル場合」に発令される空襲警報がある。


 前者が発令されたとき、市民は日常生活上で比較的影響の少ない灯火を消す。

 そして敵機の来襲が確実となったとき後者が発令され、電車は止まり、一切の灯火を消さねばならない。

 警戒警報と空襲警報ではサイレンの鳴り方が違う。子供でも聞き分けられるようになっている。


 警報の推移はラジオが事細(ことこま)やかに放送していて、警戒、空襲、警戒、解除の段階を通るのが普通だった。


 昭和十七年四月、アメリカ軍の爆撃機が初めて日本本土、それも帝都東京を白昼空襲した。

 東部軍はこのとき「判明せる敵機撃墜数は九機」の発表をしたが、実際に撃墜した敵機は一機もなかった。敵機の残骸は一つも発見されず、東京市民からは「落としたのは九機(きゅうき)ではなく空気(くうき)だろう」と陰口を叩かれる始末だった。


 このドーリットル空襲による死傷者は約四百五十名。家屋約二百戸を破壊され、「防護いたらぬ(くま)もなし」と歌われていた国民に、ある程度の動揺を与えたものの、その反面「空襲なんてこんなものか」と、かえって楽観視する風潮が生まれてしまっていた。


 政府は昭和十八年十月から京阪、阪神、名古屋、北九州の各地区を疎開区域に指定し、疎開を奨励してきた。

 東京に限っていえば、四人家族で疎開距離が五十キロ未満なら、東京市は二百円を支給する。

 十二月には建物の疎開が計画に移されている。万が一大規模な空襲に遭ったとき、被害者を出さず、損害を減らし、避難を容易にさせるためである。

 骨董品(こっとうひん)以外の家屋や日用品はすべて東京都が時価で買い上げ、自ら進んで家屋を撤去した場合には坪当たり三十円を奨励金として支払うことが決定していた。


 昭和十九年に入ってからは学童を地方に集団的に疎開せしむる計画を調査していた。北九州が空襲に遭ってからも、東京や名古屋では政府指導の学童疎開こそ見られたが、民間人の疎開はほとんど見られなかった。


 事情を察すれば当たり前と言えばそうだった。

 地方への引っ越しを考えれば、奨励金などスズメの涙に過ぎない。東京から隣県茨城(いばらき)水戸(みと)まで家財を貨車で輸送すれば、三、四百円はかかる。

 それに疎開先での生活も考えなくてはならない。疎開先での仕事の斡旋まで政府は保証しない。こういう事情があって、今の時期、北九州を別として、東京でも名古屋でも「疎開」という言葉はあっても実行に移す民間人は少ない。


 悠祀は、機首をゆっくりとめぐらせる。眼下の町並みは穏やかだった。冬であるせいか、家々は寒々しているように見えた。


『家だらけだね』


 感想というよりは、感心したふうに悠祀には聞こえた。


「長野はどんな感じなんだ?」


『信州はね、いいところだよ』


 寺嶋は故郷(くに)のことを長野県と言わず信州と呼ぶ。


山脈(やまなみ)がきれいで、川もきれいだ。日本アルプスっていうでしょ? タデとかカヤツリグサが野原いっぱいに生えて、小さな虫がその根元で小さく鳴いて。なんていうか、……うん、いいところだ。(かみ)高地もいいよ。大正池と焼岳なんかもいい。冬は浅間温泉で泳いだり、夏は梓川で泳いだり』


「温泉で泳ぐのは駄目だろ」


『大丈夫、昼間に行くとほとんど誰もいないんだ』


 ふーん、と悠祀は、何気なく聞き逃すところだった。


「ちょっと待て、昼間? お前が長野にいたのって少飛校に入る前だから、小学校のときの話だろ? 学校はどうしてたんだ」


『……』


「おい、何か言えよ」


 尋常小学校か高等小学校の話かはわからないが、どっちにしても学校に行かず温泉に通う小学生がよくぞいたものだ。


『あ、三時!』


 三時だから、右手方向。民家の群れの中に、壁に囲まれた一際大きな白亜の建物。長い煙突が象徴的だ。


 ——なんだ、銭湯じゃねーか。


 煙突から細く煙が出ていることを、悠祀は怪しく思う。

 燃料不足の折、銭湯は午後四時以降でないと営業してはいけないはずだった。

 なじみの客なら、よけいに代金を払えば特別にいれてくれる内情を、悠祀は知らない。


「……!」


 ある光景が目に入った。最初は気のせいだと思った。が、気のせいではないらしい。

 その建物は間違いなく銭湯だ。それはべつにおかしくない。名古屋城を模したらしい緑青(ろくしょう)色の屋根瓦。ひさしの下にずらりと並ぶ、押し上げ式の換気窓。その換気窓を通して、入浴中の裸身が……。あれは女湯。


――れ冷い静いにななるんだだ。


 冷静に操縦桿を操作し、冷静に円を描き飛び、冷静に軍人勅諭を暗唱する。

 我国ノ軍隊ハ世々天皇ノ統率シ給フ所ニソアル昔神武天皇躬ツカラ大伴物部ノ兵トモヲ率ヰ中国ノマツロハヌモノトモヲ討チ平ラ給ヒ高御座ニ即カセラレテ天下シロシメシ給ヒシヨリ二千五百有余年ヲ経ヌ此間世ノ様ノ移リ換ルニ随ヒテ兵制ノ沿革モ亦屡ナリキ……。


 冷静(まとも)に暗唱していたら十五分以上かかることに気付いたから、日朝と日夕点呼に唱えている要点に切り替えた。

 一ツ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。

 一ツ、軍人は礼儀を正しくすべし。

 一ツ、軍人は武勇を(とうと)ぶべし。

 一ツ、軍人は信義を重んずべし。

 一ツ、軍人は質素を旨とすべし。

 冷静になった頭で考える。下界を見る。銭湯の正面玄関。左が男湯。右が女湯。何回考えたって、さっきのぞいたのは女湯だ。


『悠祀は初めて空を飛んだ日のこと覚えてる?』


「ん? ああ、忘れるもんか」とか言いつつ、脳裏に浮かぶのは換気窓から見える裸身だ。距離があるのと、換気窓が小さいのとで、はっきりとは見えにくい。でもそれがよけいに興奮するのはなぜだろう。見てはいけないと思う。でも見える。だから困る。困ってしまう。


『風を受けて滑走して、体が地面にグッと押し付けられる感じがしてさ。上空は寒くて、飛行機酔いはひどかったけど、僕は着陸が一番怖かった』


 少飛校では高度を十メートルまで落とし、それから機首を引き起こすよう習った。

 十メートルと聞いたとき、飛行機に乗ったことのない人間は「地面までずいぶんある」と思う。パイロットからすれば、今にも墜落しそうに感じる距離しかない。


「それがどうかしたのか」


『悠祀もがんばれば、もう少し低く飛べるんじゃ……』


「よく見えるからだな。やってみたいのは山々なんだが」


『ん?』


「今より低く飛ぶと地上に迷惑がかかる。エンジン音とかプロペラの風とか。それに、あれ見ろ。飛行場の上もいつの間にかガラガラじゃねーか」


『ありゃま。……帰る?』


「おう」


 操縦と後席は一心同体、とは藤村中尉の言だ。このとき二人は、かつてないほど心が通じ合っていた。


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