素直で真っ直ぐな感情
週が明けた月曜日、トレーニングを終えた祐介は学校へ行く準備をする。
準備を終え、玄関で靴を履いていると丁度いいタイミングでインターホンが鳴った。
「今行くから少し待ってて」
玄関の外にいる少女に声をかけ、靴を履き終えると玄関の扉を開ける。
玄関の扉を開けると、そこにはいつものように制服姿の莉奈が立っていた。
「おはよう、祐介。準備できた?」
「準備は出来てるよ。じゃあ行こうか」
「うん」
笑顔の莉奈と一緒に祐介は家を出て、学校までの通学路をいつものように歩いていく。
祐介から見た莉奈は先週よりも機嫌がよく、笑顔が増えた気がした。
「莉奈は何かいいことでもあったの?」
「どうして?」
「何かやけに今日は機嫌がいいから」
「う~~ん、確かにそうかも。頼りになりそうな人も出来たし」
莉奈は笑顔を見せるが、今の発言を聞いた祐介の内心は穏やかではない。
祐介はさりげなく、当たり障りのないように莉奈が会った人のことを聞こうと試みる。
「へぇ~~。それってどんな人?」
「う~~んとね、子供っぽいようだけど大人の魅力があってちょっと格好良かったかな」
「格好いいか‥‥‥‥」
その言葉を聞いた祐介は愕然とし、ショックを隠せない。
莉奈は玲奈のことを指していたのだが、そのことを知らない祐介にとって莉奈が他の男の人とデートしているように思っていた。
「その人とは何かしたの?」
「う~~んと、昨日はお茶して色々とおしゃべりしたかな」
「おしゃべり‥‥‥‥」
莉奈は昨日の話を嬉々として語っていくが、その話を聞いていた祐介のテンションはどんどん下がっていく。
「こんなことなら、昨日出かけてればよかった」
祐介は昨日姉から任された仕事をほったらかしにしとけばよかったと悔やむ。
姉が取ってきた仕事はアメリカ最大手のMT制作会社イエロートラストからの請負仕事で、設計から開発まで一括して行うタイプのものである。
今まで姉がやってきた仕事の中では大きい仕事に入る部類で、姉がどうしてこの会社から仕事が取ってこれたのかと不思議に祐介は思っていた。
そして通常なら姉が本来自分で立てないといけないスケジュールを何故自分に全て任せたのかがいまだに祐介は理解が出来ていない。
作業が完了後スケジュールを渡した後、ねぎらいの言葉を貰った以外特に音沙汰もないため何のために1日地下の研究室に引きこもっていたのかと祐介は自問自答していた。
そんな後悔にかられて落ち込む祐介の方を莉奈はクスクスと笑って見ている。
「莉奈?」
「祐介は勘違いしてるようだけど、私が話していたのは女の人だよ」
「女性?」
「そう燈子さんの知り合いの人で‥‥‥‥」
そこまで言って莉奈は口を塞ぐ。
祐介は昨日莉奈が家に来たことを知らないので、莉奈が燈子と何故会っていたのかが気になった。
「待って。もしかしてさ、昨日莉奈って家に‥‥‥‥」
「祐介、早く行かないと遅れちゃうわよ」
「って莉奈? ‥‥‥‥わかったから、腕取らないで。俺、1人で歩けるから」
莉奈に腕を取られた祐介は引きずられるように学校までの通学路を歩いていく。
昇降口で靴を履き替え、階段を上っていくと教室には人だかりが出来ていた。
「何だこれ?」
「教室がすごいことになってるわね」
祐介達の教室の周りには大勢の人垣ができ、2人は中に入ることができない。
2人が人垣に視線を移すと上履きの色から1年生だけでなく2、3年生と思しき人達も祐介達の教室に群がっているのが見て取れた。
何でこんな自分のクラスに人がいるのか祐介と莉奈にはわからず、しばらく二人はその場に茫然と立ち尽くす。
そんな2人になじみの少年が後ろから声をかける。
「おはよう、2人共」
「吹雪? この人垣は一体?」
反対側の廊下から疲れた様子の吹雪が祐介達の方へと歩いてくる。
2人が見た吹雪の制服はよれよれになっており、顔には疲労の色が色濃く残る。
いつもの吹雪の姿とは全く異なる様子に祐介達は驚いてしまう。
「まぁ、ちょっとな。それより2人共屋上へ行かないか? 話したいことがあるんだ」
「わかった。莉奈はどうする?」
「私も行くわよ。祐介1人だけだとろくなことにならないもん」
「もちろんだ。ついてきてくれ」
2人は吹雪の後についていき、階段を1段1段上っていく。
屋上に着くと吹雪はドアを開き、そこに誰もいないことを確認すると2人を中へと案内し、屋上の扉を閉めた。
普段とは違い、厳重に辺りを見回す吹雪の姿を祐介達は不思議に思う。
一息つくと、吹雪は神妙な顔で祐介と莉奈の方に向き直る。
「そんなに警戒してどうしたんだよ? 吹雪らしくもない」
「あぁ、すまん。ここまで警戒するのは誰にも聞かれたくない重要な話だからだ」
「もしかして吹雪が話したいことって恵梨香のこと?」
「あぁそうだ。察しがよくて助かる」
吹雪は硬い表情のまま、先程までの出来事を順を追って話していく。
「出所がどこからかわからないが、恵梨香がアイドルデビューするって話が外部に漏れたらしい」
「それで教室であんな騒ぎになっているのか」
「そうだ。聞いた話だと既に学校中で噂になっているらしい」
「本当かよ」
祐介は呆れ顔で先程の騒動のことを思い出す。
あそこにいる人達は一目でいいからアイドルになる恵梨香の事を見たいがために集まった野次馬達であると知った。
それならクラスの周りにあんな人だかりができていたことにも祐介は納得がいく。
「それって簡単に言えば恵梨香が動物園のパンダ状態ってことになるわよね?」
「莉奈の言う通りだが、問題はそれだけじゃない。今まであまり顔を出さない上級生までが恵梨香にちょっかいをかけるためにクラスに現れている。さっきも上級生が恵梨香に絡んできてひと悶着があった」
「それって、恵梨香は大丈夫だったの?」
莉奈は恐る恐る吹雪に対して質問を投げかける。
「恵梨香は無事だ。朝教室に来た先輩方には俺が丁重にお願いして帰ってもらった」
「丁重ね」
祐介は吹雪の服がどうしてこんなによれよれなのか合点がいく。
それは朝、上級生ともめた為このように服がよれよれになってしまったということらしい。
「今は則之と女神ちゃんが恵梨香の側にいるが、この状態もいつまで持つかわからない。現に恵梨香は朝上級生に絡まれている。だから今後はもっと過激なことに巻き込まれるかもしれない」
「それは確かにまずいな。てことは恵梨香の身に何かが起こる前に対策を立てないといけないってことか」
「そういうことだ。先生方も恵梨香のことで色々と配慮しているらしいが、それでも今回の様なことが起きてしまったからな。多少の問題は俺達で何とかするしかない」
吹雪は渋い表情を浮かべながら祐介と莉奈に問いかける。
対策といっても特に案が浮かばず、祐介は苦悩する。
ただでさえ女神からの問いに答えが出ていない祐介からすれば、恵梨香の新たな問題は気持ちの上で重荷となっていた。
「そのことで私、1つ案があるんだ」
祐介と吹雪が悩む中、おずおずと話し始めた莉奈に祐介と吹雪は注目する。
莉奈にしては珍しく歯切れが悪いが自分の意思を明確に話す。
「恵梨香が‥‥‥‥アイドル辞めればいいんじゃないかなって」
「莉奈、それは本気か?」
吹雪と祐介の顔が驚きに染まる。
恵梨香のアイドルデビューを涙ぐんで喜んでいた莉奈が、何故このようなことを言い始めたのか祐介には理由がわからない。
一言一言言葉をつむぐ莉奈の表情は暗く、先程とは違い優れない。
ただ、莉奈の眼は真剣そのもので、その薄暗い瞳からは何か信念のようなものを感じた。
「本気。アイドルというよりは今の芸能プロダクションに入るのをやめた方がいいと思ってる」
「莉奈、それってさ‥‥‥‥」
祐介は莉奈があのプロダクションの問題を知ってしまったのかと一瞬勘ぐった。
ただ、それをこの場で莉奈に直接聞くことがはばかられる。
吹雪もいる手前、正確かもわからない情報を莉奈に対して質問することはできない。
「俺は恵梨香がオーディションに受かった時、心の底から恵梨香を祝福していたのはお前だったと思うんだが?」
「確かにあの時はうれしかった。でも今はうれしくない」
「どういう意味だ?」
吹雪は莉奈の真意がわからないが、祐介には莉奈が何を考えているかがわかった。
どのようなルートで情報を入手したのかわからないが、莉奈はあの芸能プロダクションが行っていた悪事を知っていると莉奈の態度から確信する。
しかし莉奈はそのことを話そうとせず、重要な部分をぼかしながら吹雪を説得していく。
「そのまんまの意味。今の私は、恵梨香のデビューを素直に応援できない」
「俺にはお前が何を言っているのか理解が出来ないし、その発言が正気の沙汰とは思えない」
「別にいい。わかってもらえなくても。私の勝手だから」
「莉奈、待て」
吹雪が莉奈を掴もうとする前に、祐介が莉奈の腕を掴み静止を促す。
祐介に掴まれた所を見て不機嫌そうな顔を莉奈はする。
「祐介、離してよ」
「もう少し待って。せめてもう少し話を聞かせて」
「待てない」
強引に振りほどこうとする莉奈の腕を祐介は離さないようにしっかり握る。
吹雪は2人の喧嘩している姿を憮然とした表情で見つめている。
「祐介には関係ないでしょ。早く離してよ」
「離さないから。今手を離したら莉奈絶対どっか行くでしょ」
「どこに行こうと私の勝手じゃん」
2人の押し問答がしばらく続く。
数十秒に続く押し問答の末、その終止符を打ったのは吹雪であった。
「わかった。もしかしたら俺が邪魔なのかもしれんから俺が出て行こう」
「吹雪」
吹雪はそういうと、祐介の隣に行き吹雪は莉奈に聞こえない程度の小声で話す。
「残念ながら俺には莉奈の考えていることはわからない」
「それは俺も同じだよ」
「だからこそ、莉奈を説得できるのはお前しかいないと思ってる。後は頼むぞ」
そういい残すと吹雪は祐介の肩を軽く叩き、屋上を後にした。
屋上に残っているのは不機嫌そうに祐介を睨みつける莉奈と困惑の表情を浮かべる祐介だけである。
「祐介はずるい」
「何で」
唐突な莉奈の発言に祐介は戸惑ってしまう。
「私を1人にしてくれないんだもん」
「それはお互い様でしょ。則之の時はあんな危険な所まで尾行したくせに」
「それは、祐介が夜遊びしてると思ってたからで‥‥‥‥」
莉奈は慌てたように取り繕うが、その後の言葉が出てこない。
慌てている莉奈のことを愛おしく思うも、祐介は話を続けた。
「それはいいよ。それよりも恵梨香がアイドルを辞めたほうがいいってどういうこと?」
「それは‥‥」
先程とは違い、言いにくそうに莉奈は口をつぐむ。
その表情を見るだけで、祐介には莉奈が何を考えているかわかった。
「もしかして莉奈が隠しているのはあのプロダクションがやってる違法な営業活動のこと?」
祐介の口をついた言葉は物事の確信をつく話すると同時に、莉奈の肩がびくっと震える。
莉奈動揺を隠せなく、驚いたように祐介の方を見ていた。
「祐介もそのこと知ってたの?」
「俺は莉奈がそのことを知ってることに驚きだよ。とりあえず座ってゆっくり話そうか」
祐介はそう言うと莉奈と共に屋上の扉の前に体育座りで座り込む。
その後は莉奈の口から祐介の知らないプロダクションの内情が出てきた。
違法な営業行為が常態化したプロダクションの実態や数々のスキャンダル、さらには決算報告書の偽造まで祐介の知らないことが色々と莉奈の口から出てくる。
莉奈が話す度に祐介は相槌を打ち、転生前の知識から導いた予想が徐々に確信へと変わってくるのがわかった。
「莉奈、ありがとう。話してくれて。でもよくそこまで調べることが出来たね。俺も虚偽決算やスキャンダル迄は知らなかったよ」
「それは色んな人に話を聞いたから」
莉奈は燈子と玲奈のことは伏せて祐介に話をする。
スノーサイドプロダクションのことを話す莉奈の顔は先程とは違い、すっきりした表情を見せていた。
「でもさ、俺は恵梨香が仮にそういうことをするようになっても普通に応援すると思う」
「何で?」
莉奈は祐介の顔を見る。
その顔はいつかのスタジオで見た世界中の不幸を背負っているような顔をしていた。
「だってさ、歌やダンスだけが努力ってわけじゃないと俺は思う。同じような能力を持つ人が2人いたら自分と仲がいい方を起用するしね。それなら自分のことを知ってもらうためにそういうことをするのも俺は努力だと思う」
「嘘つき」
「えっ?」
莉奈のほうを見ると珍しく心の底から怒っているように見える。
普段祐介に怒りを向けても、すぐ許してくれる莉奈とは違った。
「祐介が本当に恵梨香のことを応援しているならそんな辛そうな表情しないはずだよ」
「そんなことない」
「そんなことある」
莉奈は一方的に祐介に詰め寄る。
「そう言う莉奈はどうなんだよ? 恵梨香のこと応援してるんじゃないの?」
「恵梨香がアイドルになることは応援する。でも、そんなことまでしてアイドルになってほしくない」
「莉奈の言っていることは理想論だよ。現実はそんなに甘くはない」
莉奈の考えは祐介が真っ先に消去したものだった。
莉奈の言っていることは理想論で、現実はそんなに甘くはないと祐介は思っている。
「わかってるわよ。それに私燈子さん達にも同じこと言われたから」
「姉さんも今回の件に絡んでるの?」
そこで祐介はようやく莉奈の一連の行動に合点がいく。
ここ最近家で燈子から無茶な仕事を押し付けられたのは、燈子が莉奈と話しをするため。
莉奈が話す情報は燈子からもたらされたものだと仮定すると、ここ最近の燈子の行動の理由も理解できる。
「燈子さん達からも言われた。『あなたは色恋管理等で仕事を得るのは本当に努力とは言わないのか?』って」
莉奈は2人と話していた時のことを思い出す。
燈子と玲奈に対して言ったことを莉奈は祐介に対して言う。
「だから言うの。私は恵梨香にはそんな努力をしてもらいたくない。歌やダンスやトーク力を磨いて色恋とかそんな姑息な手段なんか介入する余地のない真のアイドルを目指してもらいたいって」
祐介にはどうどうとそう話す莉奈がまぶしく思えた。
愚問しか思えないが祐介は莉奈に質問をする。
「でも、もし努力してもトップになれなかったら? 努力は必ずしも報われるわけじゃない。そんな場合はそういうことをするのもやむえないと思うけど?」
「だから、そうならないためにも私達が恵梨香のことを支えてあげるんじゃない。私達5人も恵梨香がトップアイドルになるために出来る限り協力するの」
「‥‥‥‥‥‥‥‥そうだね」
そう言うと祐介は思わず笑ってしまう。
莉奈の話を聞いていると今までの祐介がが考えていたことが非常に馬鹿らしく思えてしまうからだ。
「何でみんなそうやって笑うの? こんなに私は真剣に話してるのに?」
「いや、ここまではっきりと言い切れる莉奈がすごいと思ってさ」
自分に対してここまで素直になれる莉奈のことが祐介にはうらやましかった。
それは転生前に大人の世界で生きてきた祐介にはないものでもある。
「それに祐介の質問って、燈子さん達とまんま同じ質問してた。それに反応も同じでなんかむかつく」
「そうなの?」
莉奈は燈子達と会話を思い出す。
その時には祐介も同じ質問をするかもしれないとは指摘を受けていたが、一言一句違わずに質問するのは姉弟だなと思ってしまう。
「そうよ」
「そうか」
そうつぶやくと2人は屋上の空を眺めた。
しばらくして祐介は莉奈に向けて右手を差し出す。
「何よ?」
「握手。仲直りの」
「別に私達喧嘩なんかしてないでしょ」
「そうだけどさ」
祐介としては今までの自分にけじめをつけるつもりでいた。
そしてこれから莉奈と協力して恵梨香のことをどうにかしようとする協力の印でもある。
その差し出された右手を莉奈は優しく握りかえす。
「その顔」
「えっ?」
「ここ最近で1番良い顔してるよ。一緒にクレープ食べてた時よりも」
「まぁ、悩みも解決したしね。莉奈のおかげで」
「ばか」
今の祐介にはそんな軽口を叩く余裕もあった。
その後は2人仲良く、屋上の空を眺めながら恵梨香のことについて2人で話す。
2人の話が尽きる頃1時間目の終了を告げる鐘が鳴り、慌てて教室へと足を運んだ。
☆★☆★
「そういうことか」
屋上の扉で2人の会話を盗み聞きしていた吹雪は納得する。
ここ最近の祐介の冴えない表情と莉奈の先程の仰天発言。
これまでの話を聞いていて、今まで様子がおかしいと思っていた2人のことをようやく理解ができた。
「2人はそんなことまで調べていたのに、俺は何をしてるんだろうな」
それと同時に吹雪は何も知らないくせに莉奈の言い分も聞かず一方的に話していた自分のことが恥ずかしくなる。
自分は恵梨香が合格しただけで喜んでしまい、プロダクションの実態までは掴めていなかった。
「俺はいつも祐介達に遅れを取っているな」
吹雪はきつく唇をかみ、噛んだ所からはうっすらと血が滲んでいる。
「俺は何のためにいる?」
吹雪は三枝家の事情を抜きにして祐介や莉奈達と一緒にいたいと思っていた。
そのために自分に出来ることは全てしてきたつもりでもある。
日笠家の騒動の時も則之を無用な争いから救うため、父親に頼み込み三枝家の私兵も使って則之の捜索をしていた。
結果的には祐介達に遅れをを取ったが、自分のしたことは間違っていないと思っている。
家の力を使ってでも祐介達のことを守りたいと吹雪は思っていた。
それぐらい吹雪にとってこのコミュニティーは自分にとってなくてはならないものにもなっていた。
今回の件はこのコミュニティーを維持しようと必死にここまで過ごしてきた吹雪にとって、見過ごせない事態でもある。
「そうなると俺のやるべきことは1つだな。まずはスノーサイドプロダクションの情報を洗い出さなくては」
そう言うと吹雪は2人に気づかれぬように屋上を後にする。
屋上を去る間際見せた、少しだけ笑う吹雪の姿を見たものは誰もいなかった。




