あきらめない気持ち
始業式の朝、いつものトレーニングを終え学校へ行く準備をすると祐介は家を出て九条家へと足を運ぶ。
いつもは莉奈が祐介のことを迎えに来るのだが、この日は莉奈の調子が悪そうなため祐介の方から迎えに行くと莉奈には話していた。
九条家へつき、インターホンを押すと眠そうに目をこする制服姿の莉奈が出てくる。
「おはよう、莉奈」
「うん、おはよう」
朝のトレーニングを終えても、莉奈の反応は相変わらず悪い。
今朝のトレーニング前も眠そうな目をこすり、日課であるランニングの最中もふらふらとした足取りで走っていた莉奈。
そんないつもとは違う様子の莉奈を見ていたため、祐介は莉奈の体調を心配していた。
「莉奈、大丈夫? 昨日眠れなかったの?」
「違うわよ。ちょっと夜更かししてただけ」
莉奈の話を聞きつつ、祐介と莉奈は学校への道を歩いていく。
朝の登校中に大きな欠伸をし、眠そうに莉奈は目をこする。
莉奈の目にはうっすらと隈が出来ており、夜遅くまで起きていたことが伺えた。
「珍しいね。莉奈が夜更かしするの」
「まぁ、たまにはね」
そういいながら大きなあくびをする莉奈。
莉奈に隠し事をしている手前、祐介は何故莉奈が夜更かししたのか理由を聞けずにただ心配そうに見ることしか出来ない。
「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫だから」
「俺まだ何も言ってないけど」
「祐介の顔に書いてあるの」
「そうなんだ」
苦笑いを浮かべる祐介は改めて莉奈に隠し事が出来ないと思いつつ、2人で学校の校門をくぐる。
下駄箱につき上履きを履き替えてると後ろから声をかけてくる少女の姿が見えた。
「おはようございます。莉奈さんにへたれで優柔不断な祐介さん」
「おはよう、女神ちゃん」
「おはよう女神。それと気のせいかな? 俺だけ罵倒されてるのは?」
にこりと優雅に笑う女神に対して祐介は喧嘩腰の姿勢で睨む。
「嫌ですね。気のせいではなく私は明確な意思で祐介さんを罵倒したんです」
「尚更悪いわ」
「祐介、こんなとこで喧嘩しないでよ」
女神のことを睨む祐介と微笑を崩さない女神の間に、莉奈が入る。
睡眠不足で若干不機嫌そうな莉奈の視線は終始祐介に向いていた。
「それに女神ちゃんが言ってた優柔不断でへたれっていうのは私も間違ってないと思うよ」
「ぐっ」
祐介は莉奈に言われて、うめき声を上げる。
女神に対してはいくらでも反論できるが、自分のことをよく知っている莉奈がそのように話すので祐介としては反論のしようがない。
「わかったらさっさと教室に行くわよ。女神ちゃん、先に私達教室に行ってるから」
「莉奈、そんなに引っ張るなって。俺まだ上履きはけてないから。だからもう少しゆっくり歩いて‥‥‥‥」
そういうと莉奈は上履きを持ったままの祐介を引きずり、昇降口を後にする。
この時、祐介の悲痛な叫びは無視して莉奈は階段を上っていく。
昇降口に残ったのは寂しく1人たたずむ女神である。
「何なんでしょうか。祐介さんを言い負かしたはずなのに漂うこの敗北感。まるで試合には圧勝したはずなのに勝負には大敗した気がします」
そんな女神の悲しいつぶやきは2人には聞こえなかった。
祐介が莉奈に引きづられる形で階段を上り、教室のドアに差し掛かると見知った男女の声が中から聞こえる。
「この声って則之と恵梨香?」
「そうだと思う。ただ2人が口論しているように聞こえるのは俺だけ?」
2人が教室に入ると想像通り則之と恵梨香が何やら口論をしていて、吹雪は難しい表情で2人のことを見ていた。
珍しく教室内で口論をする2人の所に莉奈は歩いていく。
「恵梨香、則之、何してるの?」
「おぅ莉奈、久しぶり。それよりもちょっと聞いてくれよ。則之のやつが‥‥‥‥」
「僕は本当に無理なのかと聞いているだけです」
「ちょっと2人共どうしたの?」
口論をしていた2人の間に莉奈が入り仲裁を始める。
祐介はその間に少し離れた所で2人の姿を難しい顔で眺めていた吹雪に事情を聞くことにした。
「おはよう、吹雪。あの2人、一体何があったの?」
「祐介か。実は恵梨香がバンドの練習に出れないといっていてな。それよりもお前こそどうした? 上履きを持ったまま教室に来るなんて」
「そのことは忘れてくれ」
手に持っていた上履きを履きながら祐介は現状を把握する。
吹雪が話すことをまとめると恵梨香のレッスンが忙しくバンドの活動時間が取れないということである。
この出来事は祐介にも覚えがあった。
転生前、恵梨香のアイドル活動が忙しくなりバンドへの練習が激減した時もこんな話し合いが行われたのを祐介は覚えている。
その時はボーカル不在で代行も立てられないという話でまとまり、則之号令のもとあっさりと出場を辞退してバンドは解散を迎えた。
もしかしたらこの時から既に友達と言いつつも、祐介達の心はバラバラだったのかもしれない。
そんな寂しさを覚えつつ、祐介は吹雪と話を合わせる。
「ボーカル不在ってかなりまずいんじゃないのか?」
「あぁ。最悪解散もあり得る」
ここまでは祐介の知っている史実通りである。
恵梨香のアイドル活動の本格化と音楽祭前のバンド解散。
だが、恵梨香の夢を応援するためならこの結末もありだと祐介は思う。
客観的に伝え聞いた幸福と自分自身が思っている幸福は違う。
恵梨香がオーディションの結果に満足しているなら、祐介には口うるさくいうことは許されないという結論を夏休み中に出した。
それに恵梨香がこの機会を逃したらもしかしたら、アイドルになれないかもしれない。
そう思うと祐介は余計に恵梨香の問題に余計に介入しづらくなっていた。
恵梨香達の方を見ると莉奈が仲裁に入ったおかげで、話し合いはスムーズに進んでいるようで則之も莉奈の言葉に納得した表情を浮かべている。
「わかりました。それでは恵梨香は学園祭のバンドは不参加ということでいいです」
「すまん。則之達には悪いと思うが音楽祭は辞退、バンドは解散って方向で‥‥‥‥」
「辞退に解散ですか? 僕はそんなことは一言も言っていませんが?」
いつもは合理的なことしか話さない則之の血迷いごとに恵梨香と莉奈は驚きを隠せないでいる。
3人から少し離れた所にいる祐介と吹雪も、則之の言動にあいた口が塞がらない状態であった。
「2人とも何をそんなに泡を食った表情をしてるんですか?」
「いや、するだろ。普段の則之ならバンド解散して音楽祭も辞退っていうのに」
祐介も普段の則之なら、傷が広がらないうちに辞退という選択を取ると思っていたため驚きを隠せないでいる。
莉奈がそのことを話すならともかく、則之がこんなことを言うことが祐介には信じられなかった。
「確かに今から辞退をした方が合理的だとは思います。まだ音楽祭まで1ヶ月以上ありますし、プログラムの変更もきくので傷も浅く済むと思います」
「だったら、私もそうした方がいいんじゃないかって思うけど?」
莉奈も則之の言った意見に賛成する。
元々は恵梨香が勝手に申し込んできた音楽祭の企画。
その張本人が抜けるとなると、渋々やらされていた則之達が抜けるのも妥当な線となる。
「まぁ、これは僕のわがままになってしまうんですが‥‥‥‥」
そう、則之が前置きを置いたうえで照れながら言う。
「せっかく1ヶ月以上練習してきたので、僕はこのことを無駄にしたくありません。やるなら最後まであがいてみたいと勝手に思ってるんですが、莉奈達はどうですか?」
「それ、私はすごくいいと思う」
「そうだな。物事はやってみないとわからない」
「吹雪もですか」
吹雪と祐介も話し合いが終わった3人の方へと近づく。
則之の言葉を意外に思いながらも周りからは則之の意見に呼応する声が上がる。
莉奈はキラキラとした目を則之に向け、吹雪は無表情に見えるがその表情はいつもよりはうれしそうに見えた。
祐介は則之がそんな事を言うことにただただ驚くだけであった。
「それにしても則之がそんなこと言うなんて本当に意外。何か悪いものでも食べた?」
「食べていませんし病気でもありません。ただ僕ももう少し物事を前向きに捉えようと思っただけです」
「ふむ」
「吹雪、何で俺のこと見てるんだよ」
吹雪は則之から視線を祐介に向ける。
「なんでもない。則之がこんなことを言うのは誰の所為かと思ってな」
「さぁな。則之の中で意識改革でもあったんだろ?」
「お前も強情だな」
「さぁな」
いつもは硬い表情の吹雪が少しだけ笑うのが祐介には見て取れた。
莉奈達は3人でなにやら盛り上がっているため、吹雪の些細な変化に気づいている様子はない。
「吹雪、今笑っただろ?」
「俺は笑ってない」
「嘘つけよ。今その鉄仮面が緩んだのが‥‥‥‥」
「それにまだ僕は音楽祭に間に合わせる算段があるんです」
突然声を上げる則之に祐介と吹雪はそちらの方を見る。
「算段って間に合わせるための秘策があるの?」
「はい。ボーカルなら楽器を1からやるのとは違い、多少人より多く練習すれば遅れは取り戻せると思いますので、誰かがボーカルを変わればいいだけです」
「でも、演奏しながら歌うって私は無理だよ」
「別に莉奈に頼もうってわけではないです。いるじゃないですか。楽器を弾かず、なおかつ僕らのバンドの練習に参加をしていた人が約1名」
則之がそういうと祐介の方に向き直る。
その瞬間吹雪は祐介が逃げられないように羽交い絞めにし祐介の逃げ場をのなくす。
吹雪達の無駄にいい連携から逃れられないことを祐介が理解するのと同時に、背中に嫌な汗が流れるのがわかった。
「というわけで祐介。恵梨香の代わりにバンドのボーカルをお願いできますか?」
「んなこと言われても無理だよ。俺音痴だし」
「大丈夫です。素人をだませるぐらいでいいんですから」
則之達の強引な手段に祐介は首を縦には振らない。
祐介は自分自身音痴なことは転生前、カラオケに行った時痛感している。
それは燈子とカラオケに行った時、1曲歌った後全くマイクを握らせてくれなかったことからも明白である。
「祐介前僕に言いましたよね? 『僕が前に進むための手助けがしたい』って」
「それは魔工技師についての話だろ? それに莉奈とのトレーニングに英会話のレッスン。おまけに姉さんの仕事の手伝いまであるんだぞ。このスケジュールにどうやってボーカルの練習まで入れるんだよ?」
さらに言えば、自作MTの改良や術式を開発する時間も祐介はほしい。
祐介が現在進めている術式の開発ももうすぐ終わるので、時間があるならそちらの方に取り掛かりたいというのが祐介の本音である。
「でもこの前燈子さんに会った時、今週1週間はボストンに出張って聞いたけど」
「莉奈どこでそれを‥‥‥‥」
前日に莉奈と燈子の秘密会談を知らない祐介は莉奈の情報に心底驚く。
この話は祐介も前日に初めて知ったことなので、何故莉奈が知っているのかが不思議であった。
「とりあえずこの1週間は大丈夫そうですね。その後は僕達で燈子さんの説得をしましょう」
「俺の意志は無視?」
「祐介、あきらめも肝心だぞ」
こうして何がなんだからからないうちにバンドのボーカルは祐介に決まった。
後から教室に入った女神は5人が盛り上がっている様子を見て、1人うわごとのようにこういい残す。
「私、最近忘れられてませんか?」




