第8話 サイラス
「これは、どういうことだ!」
広い執務室の中に響き渡る声で、館の主人である男は叫んだ。椅子には座らず、背後で手を組んで歩きまわっている。かなり苛立っているようだ。
その前では、三人の男が並んで立っていた。中年の二人は明らかに主人の怒りに怯えていた。そしてもう一人、初老の銀髪の男は、対照的にかすかに笑みを浮かべていた。
「まずは、警備隊長。君の言い訳を聞かせてもらおうか。この館の警備は万全ではなかったのかね?」
主人はまず、館の警備隊長に矛先を向けた。
「は、はい。私が就任して以来、これまで外部より侵入されたことはありません。しかし、あのような事件は想定外でして……」
主人の突き刺すような視線に、警備隊長は言葉が続けられなかった。
「もういい。次、教育係!」
次に矛先を向けられたのは、館の教育係であった。
「一体、どのような教育をしたら、このような素晴らしい事件が起きるのかね?」
教育係はプレッシャーに弱いようだ。既に目が潤んでいる。
「も、申し訳ありません! お嬢様方はとても勉学に熱心で、健やかに成長されているものと自負しておりました」
確かに、見た目はその通りだった。しかし、彼女達の心の中までは見通せなかったようだ。
「もういい。二人は下がれ!」
「は、はい! 失礼します!」
警備隊長と教育係は一礼すると、足早に執務室を出て行った。
「役立たず共めが……」
主人は苦虫を噛み潰すような顔をして言った。
「あいつらに期待するのが、そもそもの間違いかも知れん。それよりも問題なのは……」
主人は銀髪の男を指差して怒鳴った。
「お前だ、サイラス!」
サイラスと呼ばれた男は、怒れる主人を目の前にしても、涼しげな表情である。彼は何も考えていないように見せかけて、冷静に三人の発言を分析していた。この展開も、想定の範囲内である。
「メルフィナはともかく、リムルまで行方不明になるとは、どういう管理をしておったのだ! それでも元情報局長か!」
主人の言う通り、サイラスはかつてこの国の情報局長として、国中の情報を一手に掴んでいた。仲間達に、彼の知らない事を探す方が難しいと言わせた程である。
「申し訳ございません。只今、捜索中でございます。かなり遠出をされたようで、時間を要しておりますが、いずれ居場所は把握できるものと考えております」
サイラスは淡々と答えた。主人は分かっていた。サイラスが『できる』と言うときは、絶対にできるのだと。しかし、その冷静な反応が主人の苛立ちを倍増しているのも事実であった。
「しかし」
サイラスは言葉を区切った。突然、訪れた沈黙に、主人は動揺した。これもまた、計算どおりである。
「この事件のきっかけは一体何なのか? それが分からない限り、お嬢様方を見つけられても意味が無いかと……」
「どういう意味だ、サイラス?」
主人の問いに、サイラスはうっすらと笑みを浮かべた。やはり、このお方は分かっていない……。
「時間は十分にございます。ごゆっくり、お考え下さい」
そう答えると、サイラスは一礼して執務室を後にした。
☆★
「キャー!」
アリスタの放牧場で、黒い大型動物の群れがリムルを追って駆けてきた。リムルの逃げ足の速さも結構なものだが、所詮、人間である。距離はぐんぐんと縮まり、ついに鼻先が背中に当たりそうになったそのときであった。
「サイラス、助けてー!」
「こらー、止まりなさい!」
アルテの大きな声が辺りに響き、動物の群れはぴたりと止まった。
「はぁ、はぁ……ありがとう、アルテさん」
膝に手を置き、息も絶え絶えにリムルが礼を言った。
「ムアリスは気難しい動物なんだけどねぇ。あんた、余程気に入られたんだね」
リムルの顔を舐めるムアリスを見て、アルテは笑った。
「あれから、もう三ヶ月。すっかり村に馴染んじゃったね」
「フフッ、そうですか?」
リムルは楽しそうに答えた。こんな解放感を味わったのは、生まれて初めてだろう。
規則に縛られた社会の中で育ったリムルにとって、アリスタでの自由な生活は、これまでの常識を全て覆してしまうほど、衝撃的であった。最初は一つ一つに抵抗感を感じていたが、アルテや村の人達に温かなもてなしを受け、次第に心を開いていった。
「ところで、さっき『サイラス、助けてー』って叫んでたけど、誰だい?」
「え?」
アルテの言葉にリムルは驚いた。
「無意識に出たということは、もしかして、いい人かい?」
「ち、違いますよ!」
ニヤリと笑うアルテに、リムルは笑って答えた。
「サイラスはうちの執事さんです。初老の方なのですが、優しくて、とっても頼りになる方です」
「そっかぁ。それなら今頃、執事さんがあんた達を探しているかも知れないねぇ」
アルテの言葉に、リムルは少し考え、そして笑顔で答えた。
「そうですね。サイラスになら見つかってもいいかな?」
☆★
「リムルのこと、何か思い出せた?」
紅茶を飲みながら尋ねるフィリアに、メルフィーは首を横に振り、寂しげに答えた。
「何も思い出せないの。大切な言葉だと思うのに……」
夕暮れのティールーム。閉店間際のこの時間には、マスターと彼女達以外は誰もいない。壁にかけられた時計の音だけが静かに響いていた。
「何かきっかけが必要よね」
フィリアはクッキーをかじりながら、カップを見つめた。
そして、ハッとした表情をした。
「そうだ、あそこへ行けば、何かきっかけを掴めるかも……」
「あそこ?」
メルフィーは首を傾げた。
「異世界図書館よ!」
「あ、なるほど……」
フィリアの言葉に、マスターも納得したような表情を見せた。
「何ですか? その異世界図書館って」
「五つの世界で最も古い歴史を持つ都市、レムリアにある図書館よ。ここには、五つの世界はもちろん、過去にレムリアと交流のあった世界、そしてクロノ・ワンダラーが手に入れた書物が集められているの。その数は膨大だけど、もしかしたら、その中に何かきっかけになるものがあるかも知れないわ」
メルフィーは思った。ここに来て一年経つが、記憶は一向に戻らない。フィリアの言うとおり、もっと外の世界を知り、自らきっかけを掴むべきなのかもしれない。
「どうだい、行ってみるかい?」
マスターの問いに、メルフィーは頷いた。
「ルシェはいい町だけど、ここにじっとしているだけじゃ、何も始まらないかも知れない。少しでも何かが変わるのならば、私、行ってみたいです!」
☆★
「こちらへ来たのは確かなのか?」
薄暗い酒場の片隅。二人の男がジョッキを手に小声で話していた。一人は40代くらいか。眼鏡で神経質そうな雰囲気だ。もう一人は初老で銀髪のオールバック。サイラスだ。テーブルには地図と二枚の写真が置かれている。それはメルフィーとリムルだった。
「あの遺跡から人がジャンプできる範囲は限られている。メルフィーは足取りが掴めないが、リムルはこの世界のどこかにいると考えるのが妥当だろう」
サイラスは地図を指差した。
「しかし、この五つの世界は私には広すぎる。そこで、あんたのコネクションで探して欲しいのだ」
男は腕を組んで暫く目を閉じた。
「もちろん、ただでやってくれとは言わん」
サイラスは鞄の中から封筒を取り出した。
「長らく待たせたが、例のやつが手に入った」
男は目を開くと、サイラスから封筒を受け取り、中を確認した。
「こんなもの、よく持ち出せたな」
男の問いに、サイラスは何も答えず、ジョッキの酒を飲み干した。
「それだけ重要な案件ということか……。いいだろう。ここまでされると、受けざるを得ないな」
「すまんな」
サイラスは立ち上がると、男と握手を交わした。そして、テーブルに酒代を置くと、店を出て行った。
お待たせしました!第8話はサイラス登場の巻です。旧版ティールームでは欠かせない存在でしたが、今回はどのような活躍をするのでしょうか?書いている私が一番楽しみにしてます。
さて、彼はメルフィー達を見つけることができるのか?リムルはメルフィーに出会えるのか?そして、メルフィーは記憶を取り戻すことができるのか?
それは、第9話以降のお楽しみということで……。(笑)