第6話 記憶
町外れに古い館がある。
今は主のいないこの館も、かつては町の繁栄の象徴であったらしい。
その一室の扉がゆっくりと開き、中から何かがふらっと出てきた。それは、ゆっくりと館の廊下を歩いていった。
☆★
ルシェは基本的に来る者を拒まない、おおらかな町である。移住者は遺蹟の建物を自由に選び、住み着いていった。それでも人口が増えないのは、去る者も多いから。都市からドロップアウトした者達は、ここで心の傷を癒して別の都市を目指した。
「この町もいいと思うんだけどなぁ」
メルフィーはカウンターで頬杖をついて言った。昼下がりの店内は、いつものように静かだった。
「ここは刺激が無い町だからね。心を癒した後は、退屈で仕方ないんだと思うよ」
いつもの笑顔でマスターは言った。
「良い思い出っていうのは、なかなか記憶から消えないものなんだよ」
カラン、カラーン。
「いらっしゃいませ」
店に入ってきたのは、髪の長い、小さな女の子だった。無表情で入り口に立っている。メルフィーは女の子の前でしゃがむと、笑顔で尋ねた。
「こんにちは。どうしたのかな?」
女の子は黙ったまま、メルフィーを見つめた。
「お母さんかお父さんは?」
首を横に振る。
「どこから来たの?」
今度は首を捻った。この子、言葉が話せないのかしら?
「わかった。お姉ちゃんが一緒に探してあげよう!」
メルフィーが言うと、初めて女の子が笑顔を見せた。振り返ると、マスターは笑顔で頷いた。メルフィーはエプロンを外すと、女の子の手を取った。
「さあ、行きましょ!」
二人が出て行くのと入れ違いに、雑貨屋の主人、ドルスが入ってきた。
「メルフィーちゃん、お使いかい? 『一人』でニコニコしながら飛び出して行ったけど……」
マスターはいつもの笑顔で、ドルスのお気に入りの紅茶を取り出した。
「そういえば、また出たらしいぞ! やっぱりあそこは……」
☆★
メルフィーと女の子は手を繋いで通りを歩いていく。道行く人達は、メルフィー達が通り過ぎた後、不思議そうに振り返ったが、メルフィーは気づかなかった。
そして、二人が辿り着いたのは、古い館の前だった。
「ここは……」
メルフィーも噂には聞いていた。町の人々は、館のことをこう呼んでいる。
「お化け屋敷……」
そう呟いて隣を見ると……。
「え?」
女の子がいない!
ふと前を見ると、女の子が館の中へ入ろうとしていた。
「あ、そこは入っちゃだめ!」
メルフィーの叫びに、女の子は不思議そうな顔をしたが、そのまま中へと入っていった。メルフィーは慌てて女の子の後を追い、ドアを開けた。しかし、そこには女の子の姿は無かった。
「どこに行ったのかなぁ」
主のいない館は薄暗く、静まり返っていた。その中を、メルフィーは不安げに歩く。
お姉ちゃん、こっちだよ。
不意に女の子らしき声が聞こえた。頭の中に響いてくる。そんな気がした。
程なくして、メルフィーは半開きの扉を見つけた。扉の向こう側に何かを感じるが、不思議と怖さを感じなかった。メルフィーは思い切って扉を開けた。
そこは大きな食堂だった。そして、テーブルを囲んで食事を取る、家族らしき人々がいた。
「いらっしゃい!」
女の子が笑顔で迎える。
「娘がご迷惑をおかけしたようで、すいません」
父親らしき男が申し訳なさそうに言った。
「あのー、ここって」
「私の家ですが、何か?」
父親の答えに、メルフィーは戸惑った。だって、ここは……。
「お詫びのしるしに、一緒に食事していきませんか?」
「そうしようよ、お姉ちゃん!」
父親と女の子の誘いに、メルフィーは迷った。目の前にいる人々はとても幽霊には見えない。実際、女の子とは、手を繋いでここまで来たではないか。
「ねぇ、お姉ちゃん!」
女の子がメルフィーの手を取った。その手の温もりで、メルフィーは決心した。
「はい。喜んでご馳走になります!」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
メルフィーの言葉に、女の子の笑顔がはじけた。
メルフィーは女の子の前の席に案内された。その前に並べられた料理は、どれも見たことの無いものであった。
「さぁ、召し上がれ!」
父親の声に、メルフィーは頷いた。
「いただきます!」
肉にフォークを刺し、口に運ぶ。肉汁が口の中で広がっていく。
「美味しい!」
そして、次々と料理を口にしていった。どれも、味付けが絶品だ。
「いいなぁ。こんな料理が食べられるなんて……」
「え?」
女の子が首を傾げた。
「この町じゃ、普通に食べてる料理だよ。お姉ちゃん、よその町から来たの?」
「うん。私、今、ティールームで働いているの。こんな美味しい料理、お店で作れたらいいな!」
「それでは、お教えしましょうか?」
「え?」
父親の提案にメルフィーは驚いたが、すぐに笑顔になった。
「は、はい! ぜひ教えて下さい!」
「それでは、このお嬢さんに教えて差し上げなさい」
父親はメイドらしき女に命じた。
メイドはメルフィーの後ろに立った。メルフィーはポケットから手帳を取り出す。それを合図に、メイドは料理の作り方を話し始めた。出てくる材料は、初めて聞くものばかりだった。メルフィーはメイドの言葉をそのままに書き写す。そして、10分後。
「お分かりになりましたか?」
「た、多分……」
メルフィーは、びっしりと文字が書き込まれた手帳を読み返しながら答えた。分からなかった材料は、帰ったら、マスターに聞いてみよう。帰ったら……。
そう心の中で呟き、ふと後ろ - 扉の方 - を振り向いた。
「あれ?」
メルフィーは、あることに気付いた。部屋が広くなってる?
先程入ったときには、テーブルまで2メートル程であった。しかし、今はもっと遠くに見える。目を凝らして見ると、その距離は徐々に広がっていた。テーブルを囲む人達は気付く気配もない。そして、扉がまるでノイズが入ったように擦れてきた。メルフィーは立ち上がった。
「どうされました?」
父親は不思議そうな顔でメルフィーに尋ねた。
「……帰らなきゃ」
メルフィーは呟いた。
「えー? お姉ちゃん、ご馳走様するまでいてよ!」
女の子が今にも泣きだしそうな顔で訴え、メルフィーは迷った。
次の瞬間。
「メルフィー、走れ!」
扉の方から声がして、メルフィーは我に返った。扉が開かれ、マスターがこちらへ手を伸ばしていた。咄嗟に走りだす。
「お姉ちゃーん!」
女の子の悲しそうな声を背にメルフィーは扉へと走る。そして気付いた。扉と部屋の間に大きな時空の狭間が広がっていることに。
「飛べ! メルフィー!」
マスターの声に、メルフィーは強く床を蹴った。狭間の中で体が不安定になる。懸命に腕を伸ばす。あと少し!
しかし、どうしてもその先に進めない。少しずつ体が沈んでいくような気がした。
もうだめ……。メルフィーが絶望しかけたとき、マスターが扉から飛び降りた。
「え?」
そして、左手でメルフィーの手を強く握った。
「マスターまで時空間に流されちゃう!」
メルフィーが叫ぶ。
しかし、マスターは笑顔で扉の方を振り返った。その足の先に腕が見えた。その腕が力強くマスターとメルフィーを扉の中へ引き上げる。腕の主はドルスだった。
「ありがとうございます」
マスターはドルスに礼を言った。
「しかし、どうしてこんなところに?」
「ティールームでメルフィーを見た後、あんたが館の方に歩いて行くのを見たのでね。気になって後をつけてきたんだ。もしかしたら、館の幽霊に連れ去られたんじゃないかって。メルフィーちゃん、無事でよかったな!」
ドルスは、メルフィーの頭を軽く叩いて言った。
「マスター、あれって、本当に幽霊なの?」
メルフィーはマスターへ尋ねた。とても幽霊とは思えない温かさがあった。そんな気がしたから……。
「ここで話すのも何だから、ティールームへ帰ろう」
マスターの提案に、メルフィーとドルスは頷いた。
☆★
「記憶だけ?」
マスターの言葉に、メルフィーは首を捻った。
「何故そうなったのかはわからないけど、彼らには実体がない。個々のが物や感覚を作り上げいるんだ」
「それじゃ、私が食べた料理も?」
「多分、一種の記憶の刷り込みのようなものだろう。彼らがかつて口にしたものの食感がメルフィーに伝わったんだよ」
ということは、やっぱり、あの料理って、本当に美味しかったんだな。メルフィーは思った。
「それじゃ、幽霊の件はどうなんだ? 噂では、幽霊に連れ去られて、館で行方不明になった者もいるとか……」
ドルスは、かねてから持っていた疑問をマスターに投げかけた。
「かつて、ルシェではなく、どこかの世界の町であった時代。この町は何らかのトラブルで世界から切り離され、時空間に浸食された。この世界の周りにある遺跡と同じですね。そして、今のサイズまで小さくなったところで、偶然、この世界に取り込まれた。その浸食の最終地点が、あの館なんです」
「それは知っている。それと幽霊がどう繋がるんだ?」
「ここからは推測ですが……」
マスターは話を続ける。
「侵食の末端、館の裏はとても時空間が不安定な状態になっています。その特殊な状態が、浸食された人々のを吸いこんでしまったのでしょう。それは気泡のようにルシェのまわりを彷徨い、時々館に繋がってしまようです。誰にも出現が予測できない。だから、幽霊と呼ばれるようになったのでしょう」
「それじゃ、どうして女の子はティールームまで来れたの?」
メルフィーも、一つの疑問をマスターに投げかけた。
「多分、偶然だろう。それに、時空間が作り上げた人間は、それと波長の合う人にしか見えないらしい」
「え? でも、マスターはあの女の子が……」
「実は、私には見えなかったんだ」
マスターは苦笑いして答えた。
「えー? それじゃ、幽霊だと分かっていて、私を行かせたの?」
メルフィーは不満げに訴えた。
「ああ。滅多に経験できないことだし、私には対処方法がわかっていたからね。でも、声をかけても反応しなかったときは、さすがに焦ったよ」
「反応しなかった?」
メルフィーは首を傾げた。マスターから声をかけられたのは、1回だけだったと思っていたから。
「熱心にメモを取っていたようだったけど、何をしていたんだい?」
「メモ? あ、そうだ!」
その言葉で、メルフィーは手帳のことを思い出した。ポケットから取り出し、マスターに見せる。
「マスター、この料理、知ってる? あのとき、メイドさんから聞いたんだけど……」
マスターとドルスは手帳を覗き込んだ。
「これは……」
ドルスが呟いた。
「ご存知なのですか?」
マスターの問いに、ドルスは頷いた。
「ああ。この町が発見されたとき、私も調査団に参加したんだよ。そのときに見つかった本に、この料理のことが書かれていた。あんた、本当にこの町の元住人に出会えたんだな!」
やっぱり本物だったんだ! メルフィーは思った。それに、実体は無かったかもしれないが、彼らはとても温かく迎えてくれた。それが嬉しかった。
「ここに書かれている野菜の一部は、今でも名前を変えてルシェで生き残っているよ。異世界の料理を再現するっていうのも、ロマンがあっていいかもな」
ドルスの言葉に、メルフィーは頷いた。あんなに美味しい料理が別の世界にあることが分かったのだ。
味は自分が覚えている。同じものは作れなくても、近いものを作ることは可能かもしれない。そういう記憶なら、受け継ぐのも悪くない。
「うん、やってみるよ。『めるふぃーず』に次ぐ、ティールームの名物料理が作りたかったんだ!」
「確か、店に在庫があったはずだ。取りに来るか?」
「うん!」
メルフィーは笑顔で店を飛び出した。今度はドルスと二人で……。
亀更新のさんたろーが、気合いを入れて短期更新しました!(笑)
今回は、時空の町、ルシェのちょっと不思議なお話を書いてみました。
ティールームの世界は独特だと友人から言われますが、皆さんはどのように感じましたか?