第2話 ドロッパー
「おじさん、いつものやつ、ちょうだい!」
「お、メルフィーちゃん、お使いご苦労さま!」
雑貨屋の主人は店の奥に入ると、様々な品が詰め込まれた大きな袋を一つ持ってきた。メルフィーは代金を払うと袋を受け取った。両手にずしりと重みが伝わる。
「お、重い……」
「メルフィーちゃん、悪いことは言わないから、マスターに手伝ってもらいなよ」
「そ、それは駄目!」
メルフィーは主人の提案を拒否した。
「だって、居候なのに、ちゃんとお給料をもらってるんだもん。これくらい、何てことない!」
メルフィーは息を整えると、再び袋を持ち上げ、肩に背負った。
「それじゃ、気を付けてな!」
主人がドアを開けると、メルフィーは右に左にふらふらしながら出て行った。
「あの頑固さは、マスター以上だな」
主人は見送りながら苦笑した。
☆★
「よいしょっと。少し休憩!」
町の大通り(といっても実際は小さな通りだが……)に出たメルフィーは、道端のベンチに袋を置き、腰を下ろした。そして、ぼんやりと通りを眺めた。
ルシェを含む、都市を結ぶ回廊沿いに存在する町は、回廊が発する強力な時空エネルギーによって引き寄せられた小さな泡(世界)である。それらは物理的に繋ぎ止められているわけではなく、嵐が通り過ぎた後、忽然と姿を消す町も多かった。消えた町は『遺跡』として時空間を彷徨う。運良く他の世界に流れ着くものもあるが、大半は時空間の流れに飲まれて消えてしまう。
この町も、いつかは消えていく運命なのだとマスターは言った。
「マスター、どうして町の人達は安全な五つの世界に住まないの?」
あるとき、メルフィーはこの疑問をマスターにぶつけた。
「回廊に住む人々の大半は『ドロッパー』なんだ」
ドロッパー。
それは、成功を夢見て都市を目指し、そして夢破れた者達の蔑称であった。都市を追われた者達は、行くあても無く彷徨い、回廊の小さな町に流れ着く。彼らの大半は、再び都市を目指そうとしないのだという。
「でも、不思議なのよねぇ」
メルフィーは通りを行く人々を見て呟いた。
旅人にはドロッパーらしいものも多く見受けられるが、ルシェの人々にはそれが感じられなかった。生気に溢れ、笑顔が絶えない。不思議な町だとメルフィーは思った。
そのとき、とぼとぼと町へ入ってくる中年の男に気付いた。憔悴したその姿は、まさにドロッパーそのものであった。そして、通りの向かい側の縁石にどさりと腰を下ろした。虚ろな目は、石畳をただ見てるだけ……。
メルフィーは立ち上がると、男へ近づいていった。その気配に気付き、男は顔を上げた。
「お疲れですね。美味しい紅茶でもいかがですか?」
メルフィーは柔らかな笑顔で言った。声をかけられた男は怪訝な顔でメルフィーを見た。
「うーん……。それじゃあ、美味しいクッキーもサービスしましょう!」
この言葉に、さすがに男も苦笑した。紅茶屋の客引きなんて、初めてだった。その笑顔には、嘘偽りを微塵も感じない。悪質な客引きではなさそうだ。
「そうだね。案内してもらえるかな?」
「はい! でも、ちょっと待ってくださいね!」
メルフィーはそう言うと、袋へと駆け寄った。
「よいしょっと! さ、さぁ、行きましょう」
面白い娘だ。ふらふらと歩くメルフィーを見て、男は少し笑みを浮かべた。そして立ち上がると、メルフィーの袋を取り上げた。
「私が持とう」
「あ、だ、大丈夫です!」
「早く美味しい紅茶とクッキーを味わいたくなったのでね」
男の言葉に、メルフィーは満面笑顔になった。
「ありがとうございます! それじゃ、美味しい紅茶とクッキーをサービスしますね!」
メルフィーは礼を言うと、男をティールームへと案内した。
◇◆
カラン、カラーン。
「マスター、ただいま!」
「おかえり。おや、そちらの方は?」
マスターは、メルフィーの背後の男に気づいて言った。
「お客さん!」
「彼女に誘われましてね。紅茶屋の客引きって初めてですよ」
「なるほど……」
マスターはメルフィーの意図を理解した。そして、笑顔で答えた。
「かなりお疲れのようですね。取って置きの紅茶をご用意しましょう」
「あ、『めるふぃーず』はサービスで! 荷物持ってくれたから……」
「かしこまりました」
マスターは軽く一礼すると、棚から紅茶の小瓶を取り出した。
メルフィーは冷蔵庫からクッキーの生地を取り出し、オーブンに入れた。
男は窓際の席に座った。柔らかな日差しが店内に差し込む。三人だけの店内に、掛け時計の振り子の音が静かに響く。
「はい、お待たせしました」
トレイを抱えたメルフィーが席にやって来た。
木製のトレイには、ティーポットとカップと皿、そして焼きたてのクッキーが入ったバスケットが乗っていた。メルフィーはカップと皿をテーブルに並べた。そして、ティーポットを取ると、カップへと静かに注いだ。
「この紅茶は、クロノス・フレーバー。ここでしか味わえない、とっておきの紅茶です!」
そして、バスケットの中からクッキーを取り出し、皿に並べた。
「この『めるふぃーず』はサービス!」
メルフィーはウインクした。
「めるふぃーず?」
男は首を傾げた。
「おばあちゃん直伝のクッキーなの。甘くて、食べると元気いっぱいになるんだから! マスターに名前をつけなさいって言われたから、勢いでつけちゃった! さあ、召し上がれ!」
男は頷くと、カップに手にした。その深い香りは、沈んでいた男の心に優しく広がっていった。そして、カップに口をつけ、ゆっくりと紅茶を喉に流し込む。急に体の中から元気が湧き出したような気がして、男は驚いた。続いて、クッキーを一口。
「うまい!」
その言葉を聞いた途端、メルフィーが満面笑顔になった。
程なく、紅茶とクッキーは空になった。
「ごちそうさま。こんなに美味しくて、元気の出る紅茶とクッキーは初めてだ」
男は笑顔で礼を言った。
「特に、この紅茶。消えかけた心の炎を再び燃え上がらせてくれるようだった。よければ、分けてもらえるかな?」
「ごめんなさい。それは駄目なんです」
メルフィーは申し訳なさそうに言った。
「入荷が気まぐれなので、いつも在庫がぎりぎりなんです。お店で出すのが精一杯で……」
「そうですか……」
男は残念そうに言った。
「それにしても、何故、こんな場所にお店を?」
「え?」
メルフィーは首を傾げた。
「表通りに店を構えたら、もっと客が入るでしょう。こんなに美味しいのに、もったいないかと……」
「のんびりしたお店っていうのも、いいものですよ!」
男の問いに、メルフィーは笑顔で答えた。
「ここは都市とは比べものにならないくらい、物価が安いんです。お金で困ることはありません。それに……」
メルフィーは窓の外に目を移した。子供達が笑顔で駆けていくのが見える。
「この町には優しさが溢れてるんです。そんな町を眺めながら、ゆっくりと流れる時間を感じるって、素敵です!」
メルフィーは振り返ってマスターを見た。マスターは笑顔で一つ頷いた。
男は思った。世界は一つでは無く、そこに住む人々も一人として同じ者はいない。自分は管理された世界に長年居て、思考が硬直していたのかも知れない。そして、男は語った。
「私は長年、都市に住んでいました。都市に住む人々は、回廊の町はドロッパー達が作り上げた、住むに値しない町だと思っています。私もそうでした」
男の話を、メルフィーとマスターは穏やかな表情で聞いた。
「あなたが私に声をかけてくれなければ、これからもずっと、そう思っていたでしょう。でも、今日、あなた達のような人もいることに気付くことが出来ました。そして、管理された都市よりも、もっと魅力的な何かがこの世界にあることも……」
そして、男は立ち上がった。そこには、店に入ったときの虚ろな姿は無かった。
「夢を叶えようという、強い思いがあれば、きっと立ち直ることができる。そう思えてきました」
男の言葉に、メルフィーは満面の笑みで答えた。
「そうですね。次はもっと素敵な夢が追えますよ!」
男は頷くと、テーブルに代金を置いた。
「とても有意義な時間を過ごせました。それでは、私は出発するとしよう」
メルフィーは扉を開け、男を見送った。
「行ってらっしゃい!」
メルフィーの言葉に、男は笑顔で頷いた。そして、ふと何かを思い出したような顔をして、メルフィーに尋ねた。
「そういえば、以前、こんな噂を聞いたことがあります。とある小さな町に、心を癒す不思議な紅茶を出してくれるティールームがあるとか……。もしかしたら、ここが?」
男の問いに、メルフィーは、いたずらっ子のような眼差しで答えた。
「さぁ、どうでしょう?」
◇◆
男は大通りへ戻ると、再び回廊へ歩を進めようとした。そのとき、背後から自分を呼ぶ声が聞こえ、男は振り返った。そこには、二十代半ばの男が荒い息を吐きながら立っていた。その顔には見覚えがあった。
「こんな所まで、何をしに来たのかね? コーウェル君」
男は穏やかな表情でコーウェルに尋ねた。
「わ、私はミリアム・シティの管理者、ソルフォン様の公設秘書官です! それが理由ではいけませんか?」
「私は既に管理者の地位を剥奪され、都市を追放された身だ。君には何もしてやれん。ミリアムに帰りなさい」
そう言って、ソルフォンはコーウェルを諭した。
都市の管理者は、その世界においては支配者である。古の時代、それぞれが独立した世界であった頃は王国を名乗っていた。しかし、とある事情で5つの世界が結合された際、国家も連合体へと変化した。そして、いつからか、その中心となる街を都市と呼ぶようになった。
ソルフォンは、一ヶ月前迄は『商都』と呼ばれる都市、ミリアム・シティの管理者であった。他の都市が王国時代からの世襲制を維持していたのに対し、ミリアム・シティは商都としての発展を優先した。このため、管理者は公選にて選ばれ、三年間の任期が与えられる。ソルフォンは有能な管理者としての評価が高く、既に三期目に入っていた。
その頃、とある汚職事件を発端として、一人の男が彗星のように政界に現れた。彼は、この事件の首謀者をソルフォンであると公言し、議会にて追及を始めた。当初は誰も信じようとはしなかった。実際、それは一役人の個人的な犯行であったから……。
しかし、彼の言葉は、歴代の管理者の誰よりも饒舌であり、雄弁であった。周到な根回し、そして将来の保障をちらつかせ、ソルフォンの支持者を次々と寝返らせた。世論は反ソルフォンに傾き、ついには、議会でソルフォンの管理者剥奪と都市追放が賛成多数で可決された。そして、男は市民の熱狂的な支持を受け、管理者の座を得た。
徹底的に打ちのめされたソルフォンは、資産を全て没収され、嘲笑う門番達に見送られて都市を後にしたのだった。都市を出た直後は、生ける屍同然だった。
それなのに、今、どうしてこんなに落ち着いて語れるのだろうか? ソルフォンは思った。
そうか……あの紅茶か。
たかが、紅茶一杯。だが、あの娘が声をかけてくれなければ、あの紅茶を味わうことも無く、どこかで行き倒れていたかもしれない。これも、また何かの縁。ならば……。
「嫌です! 私はソルフォン様だったからこそ、秘書官に志願したのです。力ずくで管理者の座を奪うような奴には従えません!」
頑なな表情で、コーウェルは訴える。この真っ直ぐな性格が気に入って、この若者を登用したのだが、それが災いしたか……。ソルフォンは苦笑し、そして決心した。
「何度も言うが、私はミリアムには戻らん」
「そんな……」
コーウェルは、がくりと肩を落とした。その肩に、ソルフォンは手を置いて言った。
「このまま回廊の田舎町で隠居生活のつもりだったが、気が変わった。とある街に、旧知の友がいる。一旦、そこに身を寄せて、新たな事業を立ち上げようと思うが、力を貸してもらえるかな?」
「え?」
コーウェルは驚き、目を見開いた。そして、その表情が一気に笑顔へと変わった。
「は、はい、喜んで! ソルフォン様の行くところなら、何処へでも!」
「ソルフォン様は止めてくれ。堅苦しくていかん」
「す、すいません! それでは、ソルフォンさん、よろしくお願いします!」
深々と頭を下げるコーウェルの肩を、ソルフォンは優しく叩いた。
「こちらこそ、よろしく頼むよ」
そして、二人は回廊へと旅立っていった。
□■
そんな二人を、メルフィーは建物の影からじっと見つめていた。
「どうやら、大丈夫みたいね」
ぽつりと呟く。
「そのようだね」
「わっ」
いきなり背後から声がして、メルフィーは飛び上がりそうになった。いつの間にか、マスターが背後に立っていた。
「な、な、何で、こんなところにいるんですか!」
「飯屋に行く途中で、偶然見かけたものでね」
マスターの言葉に応えるように、メルフィーのお腹が鳴った。
「あっ……」
思わず赤面するメルフィー。
「食いしん坊のメルフィーが夕食も忘れて見ているなんて、どうしたのかなと思ってね」
「も、もう、いじめないで下さい! 今日は、美味しいものをご馳走してもらいますからね!」
そう言うと、メルフィーは飯屋へと駆けていった。その後を、マスターはいつもの笑顔で追った。
皆さん、こんにちは。
ティールーム第2話、いかがだったでしょうか?
メルフィーのほんわかパワー(笑)は届きましたか?
この作品を読んで、笑顔になっていただけると嬉しいなと思います。