第16話 再会
「マスター、もうあんな悪い冗談は無しですよ!」
「いやー、フィリアなら大丈夫かなと思っていたんだけど……」
「どういう意味ですか!」
柔らかな午後の日差しが差し込む図書館の通路を歩きながら、フィリアは膨れっ面でアンクラの一件を抗議していた。それを、マスターはいつものように軽く受け流す。そして、二人は閲覧室へと入っいいった。
室内は茶褐色の大きな一枚板のテーブルが何列にも並び、読書を楽しむ者、調べ物をしている者達で溢れていた。それだけ貴重な、そして興味をひかれる文献が多いのであろう。中には、心地よい環境で安らかな眠りに落ちている者もいる。
「あっ」
フィリアは、その中に見慣れた顔を見つけた。メルフィーだ。本を開いたまま、幸せそうな笑みを浮かべて眠っている。
フィリアは背後からそっと本を覗きこんだ。それは異世界の菓子のレシピ本であった。ティールームの新たなレシピでも考えているのだろうか。メルフィーの手帳には、びっしりと文字や絵が書き込まれていた。もっと他に調べることはあるだろうに。自分がいた世界の手がかりとか……。フィリアは苦笑した。自分のことは後回しにする。これがメルフィーの欠点だ。しかし、そこがまた、皆に好かれる点なのであろう。
「マスター、居眠り娘は放置して行きましょ!」
「そうだね」
二人は頷くと、閲覧室を後にした。
□■
その頃、リムルは橋の欄干にもたれ、ぼんやりと街を眺めていた。時計台から三時の鐘が響いてくる。
あの行事の後、リムルを含む一般参加者は国王主催のランチパーティーに招待された。子供向けにアレンジされた料理はどれも美味しく、広間は笑顔で満たされた。
「リムルさん、ごめんなさいね。急にあんな場所に引き出してしまって」
ドレス姿のナミナがリムルに声をかけた。昨日会ったときとは異なり、一つ一つの振る舞いが王族らしさを醸し出している。
「いいえ、人手が足りなかったということですし、気にしていません」
リムルは笑顔で答えた。
「昨日、ガーディアンズのミスで、リムルさんの大切な記憶が欠けてしまったと聞きました。何か、思い出すきっかけになればと思っていたのですが……」
「あっ」
ナミナの言葉でリムルは理解した。一時的な記憶喪失であれば、少し強めのショックを与えることで記憶が蘇ることがある。ユッテから話を聞いたナミナは、あの行事を利用してリムルに思い出すきっかけを与えようとしたのだろう。
「すいません。せっかくのご厚意に応えられなくて」
リムルは申し訳なさそうに言った。その姿を末席より見つめていたサイラスは、寂しげな表情を浮かべていた。そんな二人の表情を見たナミナは、少し考え込むしぐさを見せた。そして、リムルに告げた。
「私にもう一つ、あなたの記憶を取り戻す策があります。少々面倒な手続きがありますので、夜まで待っていただくことになりますが……」
ナミナの申し出をリムルは受けることにした。記憶なんて簡単に取り戻せるものではないとは思うが、可能性があるなら、応じない理由は無い。
しかし、夜まではかなり時間がある。城内で待っていても退屈だろうし、せっかくの祭典だからと、リムルは一旦、パレス・レムリアの外へ出たのであった。
二日目の後半に入り、会場は幾分落ち着きを見せているようだ。誰もが楽しそうな表情を浮かべ、のんびりと会場を巡っている。
「ラスタさん、どうしてるかなぁ」
ふと、彼女を助けてくれた少年の名前を呟く。
「何気に忙しいかな?」
「キャッ!」
突然、隣からかけられた声に、リムルは思わず声を上げた。ラスタはリムルの隣で欄干にもたれ、川を眺めていた。
「ラ、ラスタさん、何時からそこに?」
「十五分くらい前。お前、全然気づく素振りを見せないから、無視してんのかと思ったぜ」
「ぜ、全然気づかなくて……。ごめんなさい!」
深々と頭を下げるリムルに、ラスタは苦笑した。こいつは、とことんばか正直だな。
「それより、記憶は戻ったのか?」
ラスタの問いに、頭を上げかけたリムルの動きが止まった、返事は無い。
「そっか……。ま、食えよ」
ラスタは腕に抱えていた袋を差し出した。中にはクッキーや飴が無造作に詰め込まれている。
「ありがとうございます」
その中からリムルはクッキーと飴を少々取り出した。袋の上の方の菓子は、まだ焼きたてのようで温かい。
「で、これからどうするんだ? アリスタへ戻るのか?」
「それが……」
リムルはナミナの話をラスタへ語った。ナミナに記憶を取り戻す策がある。そのためには夜まで待つ必要があると。
「夜まで待つ? 何だ、そりゃ?」
「分かりません。だけど、すがれるものがあるなら、何でも試してみたいの」
「そっか……」
ラスタはリムルをじっと見つめた。思わずリムルの頬が熱くなる。
「よし、俺も付き合ってやるよ」
「え?」
リムルの瞳が大きく開かれた。
「昨日、物騒な目にあったばかりだからな。それに、夜に呼び出されるんだ。何かやばい事があるかも知れないし、そんなときは場数を踏んでる俺がついていた方が安全だろう」
「本当に……いいの?」
おずおずと問うリムルに、ラスタは笑顔で答えた。
「ああ。その代わり、美味い物でも食わせてくれ!」
「はい! それでは、早速、祭典を回りましょう! 安心したら、お腹が減っちゃいました!」
リムルの笑顔がはじけた。どうして、こんなに嬉しいのだろう? リムルは自分の行動を不思議に思った。
□■
トントン。
優しく叩かれた背中の感触でメルフィーは目覚めた。ぼんやりとした表情で振り返る。
「こんなところで寝てたら、せっかくの祭典が終わってしまいますよ!」
コーミィだった。壁にかかっている時計を見ると、針は四時を回っていた。
「お菓子の本ですね。レシピの研究ですか?」
「はい。いつもマスターにお世話になってばかりなので、せめてティールームで美味しいお菓子が出せたらと思って……」
「なるほど。ところで」
コーミィは手帳をちらりと見て尋ねた。
「異世界の文字は読めるの?」
「もちろん、読めません!」
笑顔で即答するメルフィーにコーミィは苦笑した。
「でも、絵も一緒に書き写したので、何とかなりますよ、たぶん。それに、ティールームの常連さんに鉄の胃袋を持つ人もいるので、毒味はその人に任せようかと……」
メルフィーは、フィリアを思い浮かべて舌を出した。
「いつか、私もメルフィーさんの作るお菓子を食べてみたいですね。頑張って!」
「はい!」
メルフィーは手早く荷物をまとめると、席を立った。
「少しお腹が減っちゃいました! それじゃ、全力で食べてきます!」
足早に閲覧室を後にするメルフィーを、コーミィは小さく手を振って見送った。そして、テーブルの上を見て呟いた。
「あの子、食には一生懸命になれるタイプみたいね。でも、本は自分で返して欲しかったな」
コーミィは苦笑すると、山積みの本を抱えて書架へ歩いて行った。ふと、一番上に置かれた本のタイトルが目に入る。それは以前、彼女が翻訳を試みた本であった。
「この本……確か、『世界の不味い料理探訪』?」
コーミィは慌てて振り返ったが、既にメルフィーの姿は無かった。
「ま、いいか!」
コーミィはメルフィーを追わないことにした。美味しいレシピのためには、不味いレシピの経験も必要であろう。それに、鉄の胃袋の毒見役がいるのであれば、病院送りになることはないだろう。
「毒見役の方にはお気の毒ですが……」
コーミィはクスリと笑った。
□■
クシュン!
フィリアがくしゃみをした。
「寒いかい?」
「いいえ。きっとメルフィーあたりが良からぬことを言ってるのよ! それよりも」
図書館を出たフィリアとマスターは、その脇にある時計塔の上にいた。もちろん、二人きりを演出するためのフィリアの策略である。
「素敵な景色ですね!」
フィリアは幸せ一杯といった面持ちで言った。
太陽は次第に西の空へ傾き、白い街が少しずつ赤に染まり始めていた。その先は牧草地、そして地平線まで続く赤茶けた荒野。それらが一体となり、芸術的な風景を作り上げている。まるで、一枚の絵画のようだ。
フィリアの隣では、マスターがいつもの笑みを浮かべていた。彼の足元に置かれているリュックは、会場のあちこちで買ったり貰い受けた食材で膨れ上がっていた。かなりの重量だろうと思われるが、マスターはいつもの笑みで軽々と背負っている。こんなとき、マスターって一体何者なんだろうと思ってしまうフィリアであった。
マスターはリュックから水筒とカップを取り出すと、紅茶を注ぎ、フィリアに渡した。一日の疲れを取り去ってくれるような、優しい香りが辺りに漂う。そして、一口味わおうとした、そのときであった。
「いい香りですねぇ」
「キャッ!」
突然、頭上から響いた女の声に、フィリアは驚いて見上げた。どうやら、屋根の上に誰かいるようだ。そして、カップに視線を戻し、ため息を吐いた。紅茶の大半はカップからこぼれ、床の上に広がっていた。
「もう、誰よ! 私の時間を邪魔する奴は!」
かなり不機嫌な声でフィリアが叫んだ。
「降りてきたらどうだい?」
「はーい!」
マスターの声に従い、屋根の上からふわりと女が飛び降りてきた。白いシャツに、風になびく黒髪。見た目は清楚で静かな雰囲気であり、俊敏さは微塵も感じられないのだが……。
「もう! あんたのせいで、美味しい紅茶がこぼれちゃったじゃない!」
「ごめんなさい! それよりも、その紅茶、とても良い香りですね! 少しいただけますか?」
女は全く悪気の無いといった感じで、フィリアの責めを受け流し、マスターに催促した。そんな二人に苦笑しつつ、マスターはカップに注いだ紅茶を女に渡した。女はまず香りを楽しみ、そしてカップに口をつけた。
「あ、香りだけじゃなくて、本当に美味しい! 屋根の上でお昼寝していた私にも気づいてたみたいだし、お兄さん、只者じゃないですね!」
「いやいや、至って普通の紅茶屋だよ」
突然の事態にも、マスターは全く動じず、いつもの笑みを浮かべている。これで普通の紅茶屋を名乗られても、誰も信用しないよなぁ。しかし、屋根の上で昼寝とは、この子も只者じゃない。ま、どっちもどっちか!フィリアは苦笑した。
「ところで、君は?」
マスターの問いに、女はハッとした表情を見せた。そして、姿勢を正すと、軽く一礼した。
「挨拶もせず、失礼しました。私はコーディ。この塔に住み込んで探し物屋などやってる者です」
「探し物屋?」
聞きなれない職業に、フィリアが首を傾げた。
「はい。私、ちょっと特殊な能力を持っていて、物とか人とか、レムリアの中にあるものならば、大抵のものは見つけられるのですよ」
「なるほど。ということは、君もガーディアンズなのかい?」
マスターの問いに、コーディはにっこりと微笑んだ。
「すぐにガーディアンズに結びつけるあたりは、やっぱり只者じゃないですね! ただ、私は協力はしていますが、ガーディアンズには入ってないんですよ」
「どうして?」
「争い事とか揉め事は嫌いですし、お手伝いの報酬として、美味しいものが食べられたら十分ですから」
ぐぅ。
その言葉に応えるかのように、コーディの腹が鳴った。
「あっ」
コーディは恥ずかしげに俯いた。
「空腹みたいだね。祭典には行かないのかい?」
マスターの問いに、コーディの表情が急に曇った。
「どうも、あのごみごみした場所は体質的に合わないのです。大量の情報が頭の中に飛び込んできて、パニックになっちゃうの」
寂しげに答えるコーディを見て、フィリアは不憫に思った。特殊な能力を持ってしまったがために、市街から離れた生活を強いられているのだ。今も、せっかくの祭典なのに……。そうだ! フィリアに妙案が浮かんだ。
「ねぇ、ここで出会ったのも何かの縁だし、一緒に夕食はいかが?」
「え? 私?」
フィリアからの突然の誘いに、コーディは自分を指差してきょとんとした表情を見せた。
「他に誰がいるのよ?」
コーディはきょろきょろと辺りを見渡すが、勿論、他には誰もいない。
「何で?」
コーディは、まだきょとんとしている。彼女はこういう誘いには慣れていないらしい。可愛い反応に、フィリアはクスリと笑った。
「ご飯を食べるのに、理由なんていらないでしょ! さぁ、行くわよ!」
そう言うと、フィリアはコーディの手を引き、そしてマスターを見た。
「いいよ。私も付き合おう」
フィリアには、マスターの笑みがいつも以上に優しく感じた。フィリアはそれがとても嬉しかった。
「で、でも、私は……」
「大丈夫! お客は少ないけど、とても美味しいお店を知ってるの。私に任せて!」
フィリアは不安がるコーディにウィンクすると、塔の階段を駆け下りて行った。
☆★
「それにしても、私達って」
リムルは胸に抱えた大きな紙袋に手を突っ込みながら言った。
「お菓子ばかり食べてますね!」
会場を駆け回り、手当たり次第に放り込んだ袋は、あっという間に菓子の山と化していた。あまりの量にラスタも呆れたが、そのラスタの袋も負けず劣らずといった感じの膨らみようである。
「祭りだし、いいんじゃねえの?」
そう答えながら、棒菓子をかじるラスタを見て、リムルはクスリと笑った。
「そうですよね。うん、そういうことにしましょう!」
「よし、それじゃ、次は……あれ?」
ラスタは、川の向いの道を歩く見知った顔を見つけた。メルフィーだ。
「おーい、メルフィー!」
その声にメルフィーはぴたりと立ち止まり、きょろきょろと声の主を探した。そして、ラスタの姿を見つけると、近くにあった橋を渡って駆け寄った。
「おーい、ラスタ、食べてる?」
「いきなり、食べる話かよ! それより、何だ、そりゃ?」
ラスタは呆れ顔で袋を指差した。大きな袋はラスタ達と同じだが、中身が全く違っていた。詰まっているのは肉料理、魚料理、付け合わせの野菜、更にはデザートまで。ご丁寧にパック詰めまでしている。これは、まるで……。
「お前、これからピクニックにでも行くのか?」
でも、これがメルフィーだよな。突っ込みながら、ラスタは笑みを浮かべた。
「だって、食の祭典だよ! 今食べなきゃ、三年後に食べられるか、分からないんだよ! これって、大変なことだと思うの」
両手を握りしめて力説するメルフィー。それをリムルはラスタの背後からそっと眺めていた。悪い人ではなさそうだが、ラスタと楽しげに会話するメルフィーは、何となく嫌だった。
そんな視線にメルフィーが気付いた。
「で、その子は? もしかして、彼女?」
「ば、馬鹿なこと言うなよ! ちょっとした腐れ縁だ」
茶化されたリムルは真っ赤になり、ラスタの背後に隠れた。
「あっ、ごめんなさい。私はメルフィー。ラスタは私が働いているティールームの常連さんなの」
リムルはそーっとメルフィーの顔を見た。屈託の無い笑みを浮かべている。
「彼女はリムル。ちょっとした事件で記憶を失ってるんだ。ま、仲良くしてやってくれ」
ラスタはそう言うと、リムルを前に押し出した。俯き気味にメルフィーを見ている。その視線に多少刺があるような気がしたが、きっと初対面だからであろうとメルフィーは思った。
「あっ」
ふと、メルフィーは彼女が唯一記憶している単語を思い出した。リムル……。
「どうした?」
ラスタの問いに、メルフィーは我に返った。あれは、別世界での出来事のはずだ。これは単なる偶然であろう。
「あ、ごめんね! ちょっと考え事をしてしまって……。ラスタもああ言ってるので、よろしくね!」
笑顔で手を差し出すメルフィーに、リムルはおずおずと手を出した。メルフィーはその手を両手でぎゅっと握り締めた。とても温かい。リムルはそう感じた。
そのとき、リムルの脳裏に何かが浮かび上がった。擦りガラス越しに見るような不確かな映像。とても懐かしく感じるそれは……。
「うっ」
その直後、リムルを激しい頭痛が襲った。ふらついたリムルをメルフィーは抱きとめた。
「おい、大丈夫か?」
ラスタがリムルの顔を覗き込む。メルフィーは川沿いに置かれているベンチにリムルを連れていき、横にすると、自分の膝にリムルの頭を乗せた。
それは、典型的な時空病の症状であった。この症状が出ているうちは記憶が甦る可能性があるという。完全に消え去ると、それを思いだそうとする意識が働かなくなってしまうのだ。そうなると、普通のやり方で回復することは不可能である。
「大丈夫? お医者さんに診てもらう?」
「大丈夫……です。少し休ませてください」
苦しげに答えるリムルにメルフィーは優しい眼差しで言った。
「祭典も間もなく終わるし、私も疲れちゃった! 暫くここでのんびりしましょ!」
「今食べなきゃ、三年後に食べられるか分からない、なんて言ってなかったっけ?」
「男はそういう細かいことを気にしないの!」
頭上から響くメルフィーとラスタの会話に、リムルは笑みを浮かべた。そして、心地よい膝枕ですうっと眠りに落ちていった。
大変お待たせしました。第16話をお届けします!\(^o^)/
今回、ついに二人が再会しました。どういう再会がよいか悩みまくりましたが、私はこの再会を選びました。皆さんはどのように感じたでしょうか?
さて、16話が終わったということは、17話を書かなければいけないのですが、昨今の異常気象で小説の泉が枯れぎみ(すごい言い訳(笑))なので、そのうち投稿されるだろうと気長にお待ちください!
それでは、第17話でお会いしましょう!(^^)/