第15話 アンクラ
ガラーン、ガラーン……。
正午を告げる鐘が響いてきた。さて、そろそろ食休みするかな? フィリアはマイカップに蓋をすると、ベンチに座った。
通常の祭りだとこれから昼食であろうが、これは食の祭典である。食べていくらの世界。油断していたら、お目当ての料理や食材は手に……いや、口に入らないのだ。とはいえ、店を構えている人達も休まなければ体が持たない。このため、暗黙の了解として正午から一時間は食休みを取るのが習わしとなっていた。食べる方としても売り切れを心配せずに休めるので一挙両得とも言える。
「休憩中かい?」
不意に声をかけられ、フィリアはぼーっとした表情で見上げた。
「マ、マスター?」
いきなりの至近距離にフィリアの鼓動は一気に高まった。
「こ、こんなところで何をしているのですか?」
「紅茶と食材を見て回っているんだ。これだけの食材にお目にかかる機会は滅多に無いからね」
いつもの笑顔で答えるマスターだが、フィリアにはいつもより眩しく見えた。
「あ、あのっ、ご一緒してもいいですか?」
「え?」
「だ、だって……あ、そうです。紅茶の銘柄が分かれば、私が発注することも出来るじゃないですか!」
いかにも苦し紛れな言い訳をするフィリア。顔は真っ赤である。通り過ぎる人達もクスクスと笑っているが、本人は全く気づいていないようだ。
「そうだね。それじゃ、きちんと控えておいてね!」
「は、はい! お任せください!」
歓喜の笑みを浮かべるフィリアに、さすがに苦笑するマスターであった。
□■
その頃、メルフィー達は異世界図書館への小道を歩いていた。周囲は背の高い木々に囲まれ、緩やかに吹き抜ける風が心地よい。
門で待ち構えていたのは図書館の広報担当であった。名前はコーミィ。ナミナとは幼馴染みらしい。
「当館にはレムリア千年の歴史の中で収集された、一億冊を超える書物が納められております」
コーミィの言葉に、メルフィー達は建物を見上げた。石造りの白い外壁を持つそれは、長年の風雪に色褪せているが、各所に施された装飾が今なお威厳を保っていた。しかし、どう見ても三階建てにしか見えないこの建物に、一億冊もの書物が収蔵できるとはとても思えなかった。
異世界図書館は、五つの世界で最も古い歴史を持つ都市、レムリアにのみある図書館である。ここには、五つの世界はもちろん、過去にレムリアと接した世界の記録まで、様々な古文書が収蔵されている。更には、遺跡でクロノ・ワンダラーが手に入れた書物も買い取っているため、このような膨大な収蔵数となったらしい。
千年の歴史を刻む館内は非常に落ち着いた雰囲気で、柔らかな採光は読書に最適となるように設計されているようだ。
「あのー、質問していいですか?」
館内の説明をするコーミィにメルフィーは手を挙げた。
「はい、どうぞ」
「この図書館って、三階建てですよね? この大きさで一億冊も入るのですか?」
「とても良い質問ですね!」
メルフィーの問いに、コーミィは笑みを浮かべた。
「その通りです。ここの蔵書は全て書架に収めてますから、入りませんよね。見た目は」
「見た目?」
メルフィーは首を傾げた。
「レムリアは過去に何度も侵略を受けています。レムリアには他の世界が繋がりやすい特徴があるのですが、繋がった世界が全て友好的とは限りません。そういった侵略者から貴重な書物を守るため、レムリア王家は思い切った手を打ちました」
そう言うと、コーミィは一歩横に移動した。背後に、円筒形のテーブルのようなものがあった。その上には鍵付きの蓋が付いている。コーミィは腰から鍵の束を取ると、その一本を差し込み、蓋を開けた。
「それが、王家の結論です。ご覧下さい」
ツアー客達はその中を覗き込んだ。
「あっ」
メルフィーは絶句した。ツアー客達も同様だ。
そこは吹き抜けとなっており、書架が見えた。それもかなり深い。ここが一階だから、地下一階、二階……。メルフィーは地下二十階で数えるのを止めた。その先も果てしなく続いているように見えたから……。
「見てのとおり、レムリア王家は地下を掘り進めることで蔵書を外敵から守ってきました。ここ、レムリアは比較的湿度が低く、更に、地下に進むほど時空間の力を受けやすくなります。時空の狭間では物は腐らないという効果を利用したものです。ただし、書物は守れますが、それを出し入れする人にはかなりの負担になります。当図書館員は常に時空病との戦いを強いられているのです」
「歴史はよく分かった。分かったのだが……」
ツアー客の男が尋ねた。
「私達は図書館の視察ではなく、食の祭典に来ているのだが……」
「そうね。ここにはどんな料理があるのかしら?」
「確か、館内には料理を出すような店は無かったと記憶しているが……」
その疑問に、他の客達も同意の声を上げた。
「フフフ、皆さん、まだまだ甘いですね」
想定通りだったのか、コーミィはニヤリと笑った。ツアー客達もその意外な反応に静まり返り、コーミィに視線を集中させる。
「この前置きには、ちゃんとした意味があるのです。それでは、こちらへ」
コーミィは吹き抜けの蓋を閉め、鍵をかけると、図書館の奥へと案内した。
□■
「あん? 何だ?」
地下二十一階。
急に頭上から強い光が差し、ラスタは顔をしかめて見上げた。
「非常用の換気窓だ。点検か何かで開けたんじゃないのか?」
書架へ古文書を戻しながら、隣の男が言った。
「しかし、俺達が時空間に慣れてるからって、自分で書架に戻せなんて言うかねぇ。ここの司書は」
「仕方ねぇだろう。ここは、時空の狭間の干渉力が何処よりも強い。一般人が潜れるのは地下十五階が限界だ。それより下に行けるのは、訓練された職員か、俺達のようなクロノ・ワンダラーくらいだが、それでも一時間が限界だ。ところで、ラスタ。お前の目当ての本は見つかったのか?」
「まだだ」
「そろそろ上に戻る時間だが、いいか?」
ラスタは手に取った本を書架に戻すと、背伸びをした。
「さすがに疲れた。帰ろう」
二人はゆっくりと地上への階段へと向かった。
ラスタが最後に戻した本。その隣の本には異世界の文字でこう書かれていた。
『エルディス家の系譜』
□■
「ここは……」
「はい、見てのとおりです」
ツアー客は職員用と書かれた扉から館外へと出た。どうやら図書館の裏手らしい。そこには大きな泉、そして古びた平屋の建物があった。
「あれは、職員用の食堂です」
「観光客が使ってもいいのかい?」
「普段は職員専用ですが、食の祭典の期間だけは一般の方も利用可能なのです」
「利用できるなんて案内は無かったぞ」
「はい。あれだけですね」
コーミィは食堂の扉を指差した。そこには『観光客歓迎』の張り紙があった。それも雑に書いてあり、歓迎する気の無さが一目瞭然だ。
「ナミナに頼み込まれて、料理長が渋々承諾したのです。でも、穴場なのだから、観光客が自力で見つけて来るべきだって言って、図書館の正面には張り紙一つ無し。本当に頑固で困ったものです!」
「頑固で悪かったな!」
扉の向こう側から響いた大きな声に、ツアー客は飛び上がりそうな程、驚いた。
「例のお客様よ。よろしくね」
そんな声を平然と受け流し、コーミィは扉を開いた。
中には恰幅の良い、大柄なコック姿の男が腕を組んで立っていた。
「この食堂の料理長です。これでも、昔は一流レストランの総料理長……」
「これでも、は余計だ!」
料理長の怒りを受け流し、コーミィは笑みを浮かべた。きっと、いつものことなのだろう。
「あんた達がナミナの紹介の客か。話は聞いている。入りなさい」
料理長はぶっきらぼうな口調で言うと、厨房へと入っていった。
「大丈夫でしょうか?」
不安げに尋ねるエルカに、コーミィは笑って答えた。
「大丈夫! あれでも歓迎してくれてるのよ。さぁ、そちらの席へどうぞ」
「それでですね、あの、私達はここで何を注文すればよいのでしょうか?」
エルカは小声で尋ねた。
「ナミナさん、行けば分かるわよって、教えてくれなくて……」
「さぁ、何でしょうね?」
コーミィはニヤリと笑った。
食堂の中は薄暗かった。また、食事時から外れているせいか、客も少ない。食事中の職員達が物珍しそうにツアー客を眺めている。
「コーミィ、あれ、本当に出していんだな?」
「はい、お願いします!」
厨房から顔を出した料理長に、コーミィは笑顔で答えた。
程なくして、テーブルに座るツアー客の前に、料理が運ばれてきた。一見、何の変哲もない魚料理である。
「ナミナ・スペシャル。ナミナが学生の頃からのお気に入りよ!」
「この魚はアンクラか。しかし、なんて心地よい香りなんだ! さすが、王女様お気に入りの逸品!」
「何だか、とても心が安らぐわね。何の香りかしら?」
感嘆の声を上げるツアー客。その中で、メルフィーとエルカだけは首を傾げていた。
「この香り、どこかで……」
「あれ? メルフィーさんも心当たりが?」
「え? エルカさんも?」
「はい。つい最近、飲んだ……あっ!」
二人がお互いを指差して叫んだ、そのときであった。
「うげっ」
「ぐぐぐ……」
「こ、これは……うっ!」
食堂に不似合いな呻き声が響いた。
メルフィーとエルカが声の方向を見ると、そこには口にしたばかりの料理を前に真っ青な顔で水をがぶ飲みするツアー客達の姿があった。
「ま、ま、ま……不味い!」
「何で、この香りでこの味なんだ! この料はこの世のものなのか?」
「ト、トイレはどこー?」
そんな姿を見て、メルフィーは更に首を傾げた。
「おっかしいなぁ。あれなら、そんなに不味くはないはずなんだけど……」
メルフィーとエルカは席に座ると、問題の料理を口にした。
次の瞬間、メルフィーは目の前が真っ暗になった。別の世界へ飛んだ、そんな気がした。額からたらりと汗が流れる。そして、隣のエルカを見た。彼女は見事に気絶していた。
「こ、これは……何?」
震える声で、メルフィーはコーミィに尋ねた。彼女の前には料理は無かった。案内係だからなのか、それとも……。
「それはアンクラ。レムリアでは普通に食べられている魚よ!」
「それは見れば分かる。だが、アンクラはもっと美味いぞ!」
コーミィの答えに、ツアー客達は反論した。
「コーミィの言っていることは間違いじゃない。あんた達が食べたことのあるアンクラとの違いは……」
料理長は食堂の奥を指差した。
「あの泉で育てたことくらいだな」
食堂の窓の向こう側には、先程の泉が見えた。
よく見ると、その中心部には小さな島があり、腰ほどの高さの木が生い茂っている。
「その香りも味も、あの島に生えているクロニアのせいだ。確かに不味いが、それを補って余りあるものを持っているの。そろそろ気づく頃だと思うが?」
「あ、あれ?」
「え?」
再びツアー客の声が上がった。再び振り返ると、先程の阿鼻叫喚はどこへやらといった感じで、皆穏やかな表情へと変わっていた。
「何だか、体の奥から元気が出てくるような……」
「本当。胃もスッキリしたわ」
口々に驚きの声が上がる。
「でも……二度と食べたくはないわね」
初老のツアー客の言葉に、全員が苦笑して頷いた。
コーミィによると、クロニアはレムリアでもここだけに植生する珍しい茶葉なのだそうだ。効能は素晴らしいのだが、どうにも味が変えられない。それで、図書館限定の料理として細々と残っているとのことだ。魚の数も限られるので、宣伝などしていない。
「ま、宣伝したところで、不味い魚よりも食の祭典の美味い魚の方がいいに決まってるさ! 俺なら絶対にそうするからな。ハッハッハ!」
料理長は豪快に笑った。
「でも、不味くても食べなければいけない人もいるの。そうでないと、メニューになんか載せないわよ」
コーミィの言葉に、メルフィーはハッと気付いた。
「もしかして、図書館の地下に降りる人達って、これを……」
「大当たり。みんな、地下に降りる危険性より、これを食べる恐怖心の方が上みたいね」
コーミィは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
□■
もぐもぐもぐ。ごっくん。
はぁー、も、もう、幸せ……。
恍惚の表情でフィリアは紅茶を喉に流し込んだ。
マスターの紅茶の調査に付き合ったフィリアであったが、行った先々で出てくる「紅茶の付け合せ」を一度も遠慮することなく平らげていった。単品だと善し悪しが分かりにくいが、付け合せによってこれほど絶妙な味わいに変わるとはフィリアも気付かなかった。商取引の慣習で紅茶そのものの味にこだわり、それなりに見る目を持っていると自負していたが、その自信を思い切り砕かれた、そんな気持ちがした。
ちなみに、フィリアは完全に失念していたが、付け合せも試食品である。美味しさのあまり、あちこちの屋台で大量に食べてしまい、マスターが気付いたときには、紅茶商人のネットワークを通じて「大食い女注意報」が発令されていた。そのせいか、フィリアの接近を見かけた店は、客達の怪訝な視線を気にしつつも、慌ただしく試供品の大半を屋台の奥へ避難していたのであった。
そして、午後3時の鐘とともに、ようやくその戦いを終えた。というか、マスターが屋台に気を使って打ち切ったというのが実情だが、フィリアにはそれを知る由もない。彼女は、ただひたすら満足感に浸るのであった。
マスターは、そんなフィリアをとある場所へと連れ出した。
薄暗い店内には誰もいなかった。そして、フィリアの前に料理が運ばれた。
「さぁ、遠慮なく食べていいよ」
笑顔のマスターの前で食事なんて、フィリアにとっては至高の幸せである。食欲をそそる香りにあふれたその料理をフォークで取り、口に運ぶ。
「あ、あれ? マ、マスターが……」
目の前でマスターが、料理が、そしてテーブルがぐるぐる回った気がした。
「うーん、やっぱりフィリアでも無理のようだね」
腕を組み、一人呟くマスターの前で、料理長特製アンクラを食べたフィリアは見事に撃沈したのであった。
大変お待たせしました! ティールーム15話、ようやく投稿できました。
皆さんに忘れられるという危機感もありましたが、仕事漬けでそれどころではなく、このまま年越しも覚悟していました。「今後、次話投稿されない可能性があります」と表示されずに済み、一安心です。
次回は何とか一か月程度で投稿できるように頑張ります!