第12話 疾走
食の祭典一日目、午後四時。
さすがにこの時間になると、ゆっくり会場を回る人々が多くなる。そんなまったりとした雰囲気の中、相も変わらず駆け回る集団がいた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
その先頭を疾走するのはリムルだ。おとなしげな見た目とは裏腹に、驚異的な速度で会場の人波をすり抜けていく。追い着かれる恐怖感からか、全く後ろを振り向こうとしない。
二番手はラスタ。最初は軽く追い着くだろうとたかをくくっていたが、追い着くどころか、徐々に引き離されている。
「はぁ、はぁ……。一体、どういう鍛え方をしたら、あんな走りができるんだよ!」
一人毒づきながら、ちらりと背後を見る。こちらは徐々に近づきつつあるようだ。
「くっそー、何で俺まで走ってるんだよ!」
追われる筋合いの無いラスタとしては、止まって困ることなど無い。だが、リムルに追いつけないのがどうにも悔しくて、立ち止まることが出来ないのであった。
「はぁ、はぁ……。リート、は、早く追って!」
「わ、分かってるけどよぉ。時計塔の階段を駆け降りたもんで、足がつり……いて!」
その後を追うのは、リートを先頭にした黒ずくめの一団である。ユッテは時折立ち止まろうとするリートの尻に背後から蹴りを入れている。
「く、くそー!」
苦しいやら、痛いやらと、散々な目に遭いながらも、リートは重い足を引き上げ、ひたすら走る。
「お、頑張ってんな!」
「お疲れー」
そんな彼らを、街の人々は笑顔で見送った。
□■
街の一角でそのような事件が起きているとは露知らず、メルフィーとフィリアは会場を駆け巡っていた。腹が満たされたメルフィーはのんびりと会場を回りたいのだが、フィリアがそれを許さない。
「だって、歩いてたらお腹が減らないじゃない!」
メルフィーの訴えを、フィリアはあっさりと却下した。彼女の胃袋は未だ満たされていないようだ。そして、ようやく立ち止まったのは、メイン会場から旧市街へ繋がる石橋の上だった。
「ちょ、ちょっと休憩!」
メルフィーは欄干にもたれ、そのままずるずると道にへたりこんだ。
「もう、仕方ないわねぇ」
フィリアは背負っていた小さなリュックから水筒を取り出し、カップに注いだ。
「ほら、飲みなさい」
メルフィーはカップを受け取ると口をつけた。少し苦味のある緑の液体が喉を流れていく。食べ過ぎでもたれた胃がすうっと軽くなるような気がした。
「これって、薬草茶?」
「取引先からモニターを頼まれたのよ。薬なんかに頼るようじゃ、おしまいなんだけどね」
いや、あれだけ食べて胃腸が平気という方が絶対おかしい! メルフィーはそう叫びたい気分であったが、言っても無駄だということも分かっていたので、言葉を飲み込んだ。おかげで、せっかく回復しかけた胃がまたもたれそうだ。メルフィーはため息を吐いた。
「で、次はどこですか? こっちへ行くと、メイン会場から外れちゃいますよ?」
「そりゃあ、もちろん」
フィリアは胸の前で両手を組んで言った。
「マスターのお店でティータイムに決まってるじゃない!」
「ア、アハハハ……」
うっとりとした表情まで見せられ、思わずメルフィーは薬草茶を飲み干した。それでも胃もたれしそうだが……。
そんなフィリアの視線に、見覚えのある少年が入った。ラスタだ。どこかへ駆けていくようだ。フィリアは声をかけようとしたが、ラスタの前方を走るリムルを見て固まった。
「ラスタが女連れ!?」
思わず呟いた言葉をメルフィーは聞き逃さなかった。
「え? どこどこ?」
メルフィーはフィリアの視線を追い、遠ざかっていく二人の姿を捉えた。
「あ、本当だ! 誰を追いかけてるのかなぁ?」
リムルの背を見ながら、メルフィーは首を傾げた。
「くっそー、まだ私はマスターとデートも出来ないのにー!」
怨念のこもった声にメルフィーはぞくっとした。次の瞬間、フィリアはメルフィーの手を取り、メイン会場の屋台へと駆け出した。
「あ、あの、フィリアさん?」
「食べるわよ!」
「え?」
「あんなのを見せつけられたら、食べて欝憤を晴らすしかない!」
「いや、私、どうでもいい……」
「どうでもよくなーい!」
「マ、マスターは?」
「それも後!」
「えー!」
こうして、満腹のメルフィーは、再び食の戦場へと引き戻されていった。その脇を黒ずくめの一団が駆け抜けて行ったが、メルフィー達が気付くことは無かった。
☆★
それから一時間後。
「はぁ、はぁ……。な、何なの? あいつら……」
旧市街の中心部にある小さな噴水の前で、ユッテは膝に両手をつき、荒い息を吐いた。隣ではリートが仰向けになり、息も絶え絶えといった表情で倒れている。
「あの体のどこに、あのスピードと持久力があるのよ? レムリア一の俊足の私が追い着けないなんて!」
「はぁ、はぁ、ユッテ伝説もこれで終わり……いて!」
減らず口を叩くリートのすねを蹴飛ばし、ユッテは空を見上げた。くっそー、負けるものか! 心の中で一つ叫ぶと、未だ倒れたままのリートの前にしゃがみ込んだ。
「ねぇ、リート」
突然、甘い声で囁いたユッテにリートは怯んだ。こんなときのユッテは何か企んでいるのだ。
「な、なんだよ」
「おんぶして!」
「はぁ?」
あまりに唐突な要求に、リートは戸惑った。
「おぶってどうすんだよ?」
「とにかく、お・ん・ぶ!」
まるで、駄々っ子のようにユッテは繰り返した。
「おんぶしなかったら、蹴るわよ!」
「はいはい。ほら、乗れ!」
リートが渋々しゃがみ込むと、ユッテはその背中にしがみついた。その感触に、リートはドキリとした。
「はい、立って!」
「あ、ああ……」
少しどきまぎしながら、リートは立ち上がった。そして、ユッテはリートの耳元で……。
「リート、走れー!」
「ど、どわー!」
耳元で大声を上げられたリートは飛び上がった。
「な、何を……」
「いいから、走れー! 後を追うのよ!」
どうやら、自分は楽しようという作戦らしい。振り落とそうかと思ったが、たとえ落とせても、次に待っているのは回し蹴りであろう。
「く、くそー! 覚えてろよ!」
リートはそう叫ぶと、時空の間隙の扉を開いた。
「うぉー!」
そして、吠えるように声を上げると、全力で走りだした。
□■
「人探しですか。この人ごみの中では大変でしょう」
カップに紅茶を注ぎながら、マスターはカウンターに座った男に言った。
この時間になると、食べ疲れた人々が、物産エリアに集まってくる。その中にマスターのティールームもあるのだが、店が小さく団体客向きでないためか、立ち寄る人は少ない。隣接する紅茶の販売店は盛況なのだから、もったいない。マスターを祭典に誘った販売店の店主はそう思ったが、招待した手前、あえて口にはしなかった。知る人ぞ知る、マスターのティールーム。それもいいかも知れない。
「いえいえ、そうでもありません。優秀な協力者もおりますので……」
サイラスはカップに口をつけた。その味と香りに満足気な笑みを浮かべる。
「知人から噂を聞いておりました。クロノス・フレーバーは、この世界でも五本の指に入る逸品だと……。疲れ切った心に安らぎを与えてくれる、そんな気分になりますな」
サイラスの率直な感想に、マスターは笑みを返した。
「是非、味わって頂きたいものだ。あの方々にも……」
サイラスはそう呟くと、カップの中でゆったりと揺らぐ波を見つめた。
☆★
リムルがようやく立ち止まったのは街の外れだった。すぐ近くに南門が見える。振り返っても、後を追う者などいない。
「はぁ、はぁ……もう大丈夫」
「じゃねーよ!」
「キャッ!」
いきなり前から声がして、リムルは心臓が飛び出しそうな程驚き、その場にしゃがみ込んだ。
「ラ、ラスタさん、いつの間に……」
「まさか、ガキを追うのにジャンプするなんてな。お前、逃げ足、早すぎだよ!」
苦笑するラスタに、リムルはクスリと笑った。
「誰か連れはいるのか?」
「ええ」
リムルは今朝からの出来事は覚えていた。ラスタから祭典の案内図を受け取ると、一点を指差した。そこはアルテの屋台だった。
「わかった。そこなら、俺が一っ飛びで連れて行ってやるよ」
「いいの?」
「ああ。その代わりといっちゃ何だが……」
ラスタはウィンクして言った。
「何か美味いものをおごってくれ!」
「ちょっと待ったぁ!」
そのとき、背後から女の叫び声が聞こえた。
ふと振り向くと、壁の向こうから女をおぶった黒ずくめの男が飛び出してきた。
「しつこい奴らだ。お前ら、何者だ?」
「はぁ、はぁ、はぁ……。お、俺達、レムリア・ガーディアンズを甘く見ちゃいけないな!」
膝に手をつき、激しく息を吐きながらリートがニヤリと笑った。
「レムリア・ガーディアンズ……そういうことか」
ラスタはリムルに言った。
「こいつらから逃げるのは無理だぞ」
「え?」
「レムリア・ガーディアンズっていうのは、もとは別世界の侵略からレムリアを守るために作られた組織だ。別世界の人間は匂いでわかるとまで言われている。まるでミルンみたいな奴らだ」
ミルンとは狩猟で活躍する中型の動物。わずかな匂いで地の果てまでも獲物を追いかけるという獣だ。しかし、ミルンと同類に扱われ、疲労の限界に達していたリートはキレてしまった。
「う、うるせー!」
リートの絶叫に応えるように、周囲の空間が歪む。
「やばっ! リート、やめなさい!」
咄嗟にユッテが叫ぶが、リートの耳には届かない。
「まずいな。このままじゃ、この一帯が吹き飛ばされるぞ」
危機感たっぷりにラスタは言ったが、その表情に緊張感は微塵も無い。ただ、ジャンプすればよいだけだから……。ラスタはリノンの手を掴み、ジャンプしようとした。まさに、そのときだった。
「あらあら。レムリア・ガーディアンズは、何時から破壊者になったのかしら?」
いかにも場の空気を読まない、呑気な声が響いた。その場の全員の視線が声の主に注がれた。
「あ、あのっ、このような方々とは関わらない方が……」
「うふふ、大丈夫よ!」
そこには、建物の白い壁。そして『女の顔』が二つ貼りついていた。リムルは恐怖で表情が凍り付いた。しかし、他の者達の反応は違った。
「間隙から覗きとは、趣味が悪いな」
ラスタは動じることなく言い放った。
「うふふ、あの子達の成長を見たくてね!」
「はぁ?」
ラスタとリムルは黒ずくめ達を見た。先程とは明らかに表情が違っている。一言で言えば……。
「何だよ、こいつら。感極まったって顔じゃねーか」
ふと気付くと、崩壊寸前だった空間が、何事も無かったかのように元に戻っていた。
「お、お久しぶりです、姐御!」
「ユッテ!」
壁の顔の言葉にユッテは即時に反応した。高く舞い上がると、リートの後頭部へ強烈な回し蹴りを放った。
「うぐっ」
その場に倒れこむリート。彼は明らかに気絶していた。ユッテはふわりと着地すると、会釈した。
「お久しぶりです、姉様」
「うふふ。さすが、一番弟子ね!」
壁の顔は満足気に微笑んだ。
「盛り上がってる最中に悪いんだが……」
ラスタは半目で割り込んだ。
「いい加減で壁から顔を出すのを止めてくれないか? こいつが卒倒寸前なんだ」
その隣では、リムルがパニック状態で立ち尽くしている。
「あらあら、ごめんなさい」
すると、壁からすうっと女の全身が現れた。それはナミナとエルカだった。
「それでは、追いかけっこの顛末を聞かせて……」
ナミナが問いかけようとしたそのとき、遠くで鐘の音が響いた。午後五時。祭典の終わりの時刻だ。
ナミナは言葉を止め、少し考えるしぐさを見せた。
「もらおうかと思ったけど、それは明日にしましょう。皆さん、いかがかしら?」
「でも、ターゲットが……」
「私はいいですよ」
意外な返事をしたリムルに、全員の視線が注がれる。
「おい、大丈夫なのか? 今日みたいに逃げられるとは限らないぞ!」
「黒ずくめさんには身の危険を感じましたが、この方からは別のものを感じます」
リムルはナミナを見つめながら言った。
「別のもの?」
「はい。例えて言うなら、私と同じような……」
「ふーん」
ナミナは興味深くリムルを見つめた。
「それでは、交渉成立ね。明日、あなたのもとへ使者を送るわ。私の家でゆっくりお話しましょう」
「はい。それでは、本日はこのあたりで……」
リムルは軽く会釈すると、ラスタに言った。
「送ってもらえますか?」
「あ、ああ」
何だか釈然としないといった表情でラスタは会場の方へと歩き始めた。和気あいあいと話すナミナと黒ずくめたちの声が次第に小さくなっていく。本気で追う気が無いようだ。
「ラスタさん」
「ああ?」
「先程、私と同じものを感じると言いましたが、私には昔の記憶がありません。どうしてそう感じたのでしょうか?」
そう言って、リムルは寂しげな表情を浮かべた。思い出せそうで思い出せない、じれったさを感じているのだろう。
「心配するな! 思い出すまで、アリスタの民が面倒を見てやるよ!」
その不安を拭い去るように、ラスタは笑顔を見せた。
☆★
ガラーン、ガラーン。
午後六時。時計塔の鐘が一日の終わりを告げた。
食の祭典には一つのルールがある。昼間は世界中の食を食べ歩き、夜は開催地に敬意を表してレムリア料理を味わう。畜産業と農業が主力産業であるレスティアール地方は、何度訪れても飽きないと言われる程、食に恵まれており、参加者達もまた、それを楽しみに集まっているのだ。
「みんな、お疲れさまー!」
フィリアとマスター、そして紅茶販売店のスタッフ達は、その中でも名店と呼ばれる「グリル・ムアラーズ」に集まっていた。木材をふんだんに使い、ランプが灯る店内は暖かな雰囲気を醸し出している。そして、陽気な店員達が大きなトレイをに食材や酒を乗せ、テーブルの間を忙しく駆け回っていた。
そんな店の奥のテーブルを陣取り、フィリアの音頭で一同はグラスを掲げた。
「で、ラスタ。あんたがどうしてここにいるのよ?」
いつの間にかテーブルの隅を陣取っているラスタをフィリアは不満げに指差した。まだ先程のことを根に持っているらしい。その脇には、山盛りの野菜スティックの袋が二つ鎮座していた。先程の一件の戦利品のようだ。
「店じまいをしていたら、偶然会ったんだ。せっかくだから一緒にと……。駄目だったかな?」
マスターは申し訳なさそうに言った。
「い、いえっ、マスターがお誘いしたのなら、問題ありません!」
慌ててフォローするフィリア。これがマスター以外の誘いだったら、問答無用で追い出していたであろう。恋する乙女は弱いようである。
「そういえば、マスターはお店出したんですよね? お客さん、たくさん来ましたか?」
フィリアはちゃっかりとマスターの隣の席を確保していた。
「まあまあかな? それより、メルフィーが来ないなんて珍しいね。ムアールは大好物だって聞いていたんだけど……」
「ちょ、ちょっと、食べ過ぎたって感じかな? アハハハ……」
フィリアはぎこちなく笑った。その変化をラスタは見逃さなかった。
「フィリアさん、ムアールのAランクステーキ!」
「あ、はーい、店員さーん、Aランクステーキ、よろしくー!」
動揺して何も考えられず、おうむ返しに注文するフィリア。ちなみに、Aランクステーキの料金は、普通のステーキの倍である。ニヤリと笑うラスタに、思わず苦笑するマスターであった。
□■
その頃、宿の一室では……。
「うー」
「だ、大丈夫ですか? メルフィーさん」
ベッドに横たわって呻くメルフィーに、エルカは心配げに声をかけた。
途中でナミナと別れ、宿に帰って来たところで、エルカはメルフィーを背負ったフィリアとばったり会った。そんなエルカに、フィリアはメルフィーを押しつけると、再び会場へと走り去ったのであった。
「お、お腹が痛い……」
よく見ると、メルフィーの胃がぽっこりと膨らんでいるのが、服の上からでも分かる。明らかに食べ過ぎである。
「祭典はあと二日あるのですから、ゆっくり回られた方がよいと思いますよ」
「わ、分かってるわよ、それくらい。それを、あの大食い女が……あたた!」
ラスタの一件以降、半ばやけ食い状態となったフィリアに付き合わされ、改めて彼女の胃袋は異空間に繋がっていると確信したメルフィーであった。
「で、フィリアさんは?」
「マスターと食事って言ってましたけど……」
その言葉に、メルフィーはがばっと起き上がった。
「そ、そうだ、今晩はムアラーズでムアール食べるって……い、行かなければ!」
メルフィーは立ち上がろうとしたが、すぐに崩れ落ちた。
「いたたた……お腹が痛い……」
「駄目ですよ。寝て下さい!」
エルカはメルフィーをベッドに戻すと、窓の外を見た。旧市街の白い建物が夕日に染まり、幻想的な美しさを醸し出している。これもまた、古都ならではの光景であった。思わずメルフィーのことを忘れ、うっとりと景色を眺めるエルカであった。
「く、くっそー、明日は絶対にムアラーズで食べてやるー!」
メルフィーは力を込めて叫んだ。そして……。
「いたたた……お、お腹が……」
こうして、一日目の夜は更けていくのであった。
今回は、何と一ヶ月で投稿! まさに奇跡としか言えません!(笑)
ようやく食の祭典の一日目が終わりました。リムルって、こんなにタフだったんだなと感心した作者です。(笑)今回はすれ違ってしまったメルフィーとリムル。果たして二人は出会うことができるのか?そして、フィリアはまた食べまくるのか?
それでは、また13話でお会いしましょう!