「「「悪徳令嬢に裏切られた俺は何事もなく復讐する。」」」
最近悪夢を見る。誰かに追いかけられるような、穴に落下するような夢。その大半は起きたときに記憶には残らない。残るのは怖かった、という感想だけ。でも、記憶に残る夢もあった。それは誰かに裏切られる夢。俺じゃない俺が大切な人に裏切られる、そんな夢。何回も何回も見るその夢は小学生のころに初めて見た。これが正夢というやつなんだろうか。あるいは、、、なんだろう。ともかく、その夢を見た日は決まって寝坊してしまうほど、悪い感情が記憶に刷り込まれてしまうのだった。
季節が本格的に夏に移ってから早くも一か月が経った。
夏の日差しは自転車で通学する人間にとってなによりの苦痛で、家から高校までの片道30分が俺にとってk苦痛だ。夏休み真っ只中だというのにこんな苦痛を強いられるのには訳がある。
私立〇〇高校では夏休みが明けると同時、文化祭が開かれるのだ。生徒たちは夏休みを返上してまで文化祭に力を入れるのが〇〇高校の伝統になっている。その力の入れ具合は他の高校に比べても常軌を逸するもので、例年外部から多くのギャラリーが訪れることで有名だった。その結果、〇〇高校への志望理由のほとんどが文化祭だと言われており、その影響力は年々増している。そうしてほとんどの生徒が登校を半強制されているのだ。
〇〇高校にたどり着くには長い坂を登る必要があった。夏休みだというのにその坂には遠目からでも自転車がまばらに見えた。坂の途中にある表門に着けば、自転車置き場まではすぐそこだ。普段は比較的に静かな朝の自転車置き場も、この時期だけは違う。教室だけでは作業のスペースが足りないと、暑いくせに外に出て作業する人間が多く現れるのだ。
「ダイチ!遅いぞ!」
今日はその中の1人が話しかけてきた。伸びかけ坊主頭のクラスメイトが立ち上がり寄ってくる。
「いや、これでも早いと思ったんだぞ。みんな早すぎなんじゃないか?」
時刻はまだ7時半にも到達していない。
「主役なんだからさ。誰よりも早く現場に来るぐらいでないと。俺なんか一番乗りの6時45分登校だぜ。」
6時45分は校門の開く時間ちょうどだ。こいつ、早くくればくるほど偉いと思ってんじゃないだろうな。
「はよ教室急げ!もう練習始まってんぞ!」
「分かってるよ!」
あいつは将来嫌な上司になる。多分。
教室では花田の言うとおり、すでに何人かが集まって練習していた。
「ニシカワ君!やっと来た!もうこないかと思った
よーー。」
髙島が俺の顔を見るなり言った。高島は眼鏡とおさげの学級委員長だ。俺は流石にこの三点セットは狙ってやっていると思う。
「みんなニシカワ君来ないと思って練習始めてたんだよ。」
流石俺への見切りが早い。普通に信用が無いらしい。
「すまん、ちょっと気合入ってなかったかも。」
「台本はしっかり読み込んできたよね?」
「それは大丈夫。バッチリやってる。」
言いながら台本をバッグから取り出す。他の人と比べるといくらか綺麗な台本には「悪徳令嬢に裏切られた俺は何事もなく復讐する。」とかいうおよそ学園祭でやるとは思えないタイトルが書かれていた。このタイトルが発表された時の衝撃は未だに脳の奥の方にこびりついている。この台本はクラス唯一の演劇部によって書かれたものだが、1人が強力な決定権を持つことの危険性を改めて感じた。王権政治とはこんな感じなのだろうか。
「ダイチも来たし、もっかい最初からやろか」
俺以外唯一の男子、三原が言った。
「うん、そうだね。もう一回確認しときたいこともあるし。」
答えたのは木下だ。このクラス唯一の演劇部。俺にとっては元凶ともいえる。
「よし、じゃ気合い入れてくよ!」
髙島の声に教室の4人が頷いた。俺のクラスは全部で32人。そのうち名前のある役を演じるのはわずか5人だけだ。その他の人間は舞台のセッティングや照明、ナレーションなどの仕事が割り振られている。そんな数少ないメインキャストに俺が振り分けられた理由はただ1つ、演劇の王様が俺に命令を下したからだ。演劇部の頭の中にはすでに配役が出来上がっていたらしく、タイトルが言い渡されてすぐ指名が行われた。俺は祈る間もなく最初に指名されてしまった。それも主役の、悪徳令嬢への復讐をやり遂げる貴族にだ。学級委員長の高島は主役と結ばれるヒロインに、演劇部木下は何かしらの偉い人役、三原が悪徳令嬢とペアになる悪い王子的な役だ。そして肝心の悪徳令嬢を演じるのが、
「あれ?篠原はまだ来てないのか?」
「そやねん。」三原は言った。「しかも連絡つかんくて困ってんねん。」
篠原にしてみれば練習は嫌だろうし練習に来ないのも納得できた。
篠原薫は目つきが少し悪い。それと無口でどこか気の強そうなイメージを持たれていた。それで暴走した王様に準主役に指名されてしまった、篠原はいわば悲劇のヒロインだ。
木下に言わせれば「徹底的なヒール役を演じられるのは、冷たさすら感じられる美しさを持った篠原、
いや、薫さん以外考えられません!」ということだ。それは褒めてるのかと思ったが聞かなかった。
「そやからダイチ、あの、来てすぐのところで悪いんやけどな、篠原さんとはずっと同じ学校やったんやろ?すまんけど家まで呼びに行ってくれんか。」
「え?」なにそれ。「篠原の家はこっから近いしみんなで行こうぜ?それかおまえと二人でも
いいからさ。」俺は三原を指で指して言った。
「この前、課題手伝ったったやろ?なんとかその貸しを返すという意味で、な、頼むよ!」
それでもまだ俺の表情から迷いを感じ取ったのか、三原はどんどん条件を出してくる。
「ジュース奢るわ!」
はあ
「食堂も奢ったる!」
へえ
「それから、、、ええと、、。」
「もういいもういい!行くから!」
「ホンマか!ありがとうな!」
三原がこんなに喜ぶのを久しぶりに見たかもしれない。
なぜ三原がこんなに喜ぶのか少々引っかかりはしたが、自分は遅れたという負い目もあって
断りづらかった。
「まあすぐ帰ってくると思うけどちょっと行ってくるわ。」
そう言って自転車置き場とは逆方向へ歩き出す。篠原の家はむしろ歩いた方が楽に行ける。
「ゆっくりでエエからなー」
後ろから三原の声が聞こえてくる。
ならちょっとコンビニでも行ってやろうかな。
「よし!上手くいった!」
三原はガッツポーズをしながら言った。
「その、三原君がずっと言ってるのって本当?そんな雰囲気あんまり感じないけど。」
「髙島さんには見えんくても俺には見えてんねん。あの2人の間には運命の糸がある。」
三原はニシカワに視線を向けたま言った。
「けど結構強引だったよ。ニシカワ君もそんな意図があるって気づいたら嫌だと思うし。」
「あ、え、そう?結構自然やと思ったんやけど。」
三原は一瞬だけ髙島の方を向いてからまたニシカワに視線を戻した。
「ゆっくりでエエからなーー」
髙島はそれを余計なひと言のように感じた。
俺は自分をダメな人間だと思う。気付けば自分は与えられた職務をほったらかしにコンビニの冷房にあたっていた。コンビニにイートインスペースが出来たのは一体いつだったろう。そんなことを思いながら購入したバニラアイスを口に運ぶ。だかそんな癒しの時間はすぐに去る。アイスも食べ終わり、そろそろ仕事を全うしようと腰を上げた、その瞬間だった。マンガ売り場にある少年雑誌が目に付く。明日発売だと思い込んでいたが、どうやら夏休みで曜日感覚が狂っていたらしい。
「ちょっとだけ、、」結論から言うとそれで済まなかった。
「やべぇよ。こいつ裏切ったらもう詰みじゃん。」
時間の感覚を忘れるほど、夢中になってしまった。
「えぇ!そーなんのかよ、まじかぁー。」
漫画っていうのは最高の娯楽なんだと思い知らされる。
「はぁ、そろそろいくかーー」
凝り固まった体は、伸ばすと体がゴムのように伸びる気がした。
「こんなとこで何やってんの。」
聞き覚えのある声が後ろからした。驚いて振り向くと、そこには当初の目的、篠原薫が立っていた。
全て思い出した。これでミッション・コンプリート!
「何って待ってたんだよ。」
「何を。」
言われて、篠原を指さす。
「私?なんか用があるわけ?」
「おまえ、今日学園祭の練習あるの知ってるか?みんな教室で待ってたんだぞ。」
「え!まじ?ホント?」
篠原は分かりやすく戸惑って手足をバタつかせ
始めた。しかし落ち着くとまた言った。
「じゃあダイチはこんなとこで何やってんの」
俺、何やってんだろうね。
「ダイチもアホだね。アホ。」
「うん。」返す言葉も無く返す。
篠原は制服に着替えるために一度自宅に引き返した。スマホは充電切れだったらしく、しかもベッドの下で発見されたらしい。ゲームにどっぷりの生活で、スマホに用がない日々を送っていたらしい。連絡が取れなかった原因を作り出した篠原も大概のアホだろう。
「俺はてっきり嫌で来ないのかと思った。」
「嫌?別に、そんなんじゃない。私は嫌なことを断れないほどビビリじゃないもの。」
さらっと俺に刺さることを言う。少し痛い。
そんな俺の心境を見抜いてか篠原は言った。
「?もしかして主役が嫌なの?へー、ダイチは目立つことが好きなんだと思ってた。」
「うん。」答えて、少し考える。そういえば、なんで嫌なのか自分でもよく分かっていなかった。台本を読めば読むほど胸がムカつくような不快さが胸を埋め尽くす。気のせいだと自分に言い聞かせてきたが、もしかすると気のせいではないのかもしれない。
「まあ、私が引っ張るから、気楽にやりなよ。」
考え込む俺を案じてか篠原は言った。
「あぁ、うん。ありがとう。」
実を言うと、台本を見た時と同じ性質の不快さを俺はずっと前から知っていた。篠原だ。篠原と知り合ったのは小学生の時だ。何か嫌なことをされたということも無い。ただ、時折その声の響きに、その目に、心がザワザワと騒がしくなるのだ。これは、誰にも言ったことがない。言えば、恋とか愛だとか冷やかされるのがオチだろう。さっきは不快だとか言ったが、何度も考えるものだから、それにも自信が持てなかった。もしかすると俺が恋を知らないだけで、みんなはこれを恋と呼ぶのだろうか?そうして考え込んでいると、前から「遅れてるんじゃないの?急ぐよ!」
という声が聞こえた。気付けば、横を歩いていたはずの彼女は少し前を行っていた。
文化祭の準備期間は始まれば溶けるように過ぎていった。
端的に言うと、それはかなり地獄だった。衣装が完成すると本番に近い形での練習が増えていくのだが、俺はそのころから事あるごとに頭に強い痛みを感じるようになった。それは全部篠原のセリフ中に起こっていた。おそらくストレスによるものだ。俺は悩みすぎているのかもしれない。上手く取り繕ったので他の人間にはバレていないと思っていたが、篠原にだけは目ざとく気づかれた。本番まで2日というのもあったし無理をしないという条件で黙っていてくれるようだった。2日後には胸がムカつくような気持ちも、この頭痛も終わりを迎える、そうなるよう祈るしかなかった。天気予報によるとその日は大雨。俺は何か決戦にでも赴くような気持ちでその日を待った。
文化祭当日、その日は予報通りの曇り空だった。雨はまだ弱く、砂みたいな雨粒だった。それもあってか去年より外部からの客は少ないように感じた。俺たちのステージは午後一発目。それまで文化祭を楽しむのが普通なのだが、メインキャスト5人は間違いがないよう、繰り返し確認作業に追われていた。
「ついにこの日が来たって感じだよねー。」
木下が小道具の最終確認の途中に言った。
「本番直前でもないのにやけに緊張するな。」そう言うと、木下は驚いたようだ。
「ニシカワ君も緊張するんですか?」
「そりゃ、するでしょ。」
「人間だもんね。そりゃそっか。」
「木下は演劇部だから緊張には慣れてるんだろ?」
「とんでもない!」木下は大げさに手を振って否定した。「毎回毎回おんなじように緊張する。しかも私の脚本でやるだなんて初めてだから。」
意外だった。彼女の脚本は初めこそかなり嫌だったが、読めば読むほどちゃんと面白かったのだ。
「いい脚本なんだからさ、大丈夫だろ。」
木下はそれ以来話しかけてくることなく集中していた。それで雨の音が強くなっていることに気づいた。遠くでは雷のうめき声が聞こえる。
「今日やばいかも、、、、」
廊下からは男子生徒のそんな声が聞こえた。
昼休憩が始まると、ステージ上は戦場のようだった。舞台ができていく様を見るのは何回見ても面白くてついボーっとしてしまう。
「、、チ!ダイチ!大丈夫か、ボーっとしてたで。」
衣装に着替え終えた三原が言った。
「俺着替え終わったから、次ダイチや。なるべく早くな。」
「うん。」答えて、声が震えた。緊張しているのがバレるようで恥ずかしかった。
着替え終わると、すでに他の4人は集まっていた。
「よし。全員準備完了だね。」
よく聞くと髙島の声も少し震えている。
「ここまでやれることはやった!あとはブチかますだけ!」
髙島の口から「かます」なんて言葉が出たのが可笑しくて笑ってしまった。髙島も、みんなも笑った。
「せーのっ!」
「「「「「おーーーーー!!!!!!!」」」」」
いよいよ舞台が幕を開ける。
雨は時間とともに強くなっていた。雷雲も確実に近づいてきている。
「もしアクシデントが起きても、焦らない。私がどうにかする。」
篠原はそう豪語した。
「舞台に立つのは初めてだろ。気負いすぎんな。」
「よし!ブチかます!」
聞こえてない。あがっているようだった。
「おーい。おーい。篠原ー。しーちゃーん。」
「、、大丈夫。、、大丈夫。」
あれ?これだいぶまずい?篠原はそのまま舞台上へ進んでいった。物語は篠原の語りから始まる。
照明もナレーションもオールオッケー。幕は開こうとしていた。
「おーほっほっほっほっ!」
篠原。まだ始まってない。篠原の声を聞いて係の生徒が幕を開けた。
「おおおおおーーーーーほっほっほっーーーーー!!!!」
声が出すぎている。こいつがこんなに本番で駄目だとは初めて知った。
でも篠原のおかげで緊張は消えていた。
「ふーっ、、、よし!」
舞台に上がる。
今まで見えなかった観客が目に入ると、嫌でも緊張してしまう。でも、ガチガチの篠原の顔を見るとそれも吹っ飛んだ。
ニシカワ!いっきまーーす!!!
舞台は順調だった。篠原は緊張をなんとかコントロールすることに成功し、大きなミスも無かった。劇の進行とともに雨の音は激しさを増している。時折雷の光がカーテンの隙間から漏れ出していた。
これは警報が出ているかもしれない。そんな状況でも誰も集中を切らさなかった。物語は、篠原の見せ場。悪徳令嬢の裏切りのシーンだ。その瞬間、今まで静かだった頭痛が襲った。
そんな俺の状況に気づいているのかいないのか、篠原の声は少し小さくなった。
俺はこのシーンは苦悶の表情を浮かべるのが台本の指示だ。頭痛もちょうどいい。雷の地鳴りみたいな音が頭に響く。痛ぇ!!!でも、やるしかない。篠原!頼む!一番の見せ場だ!
弱った俺と勝ち誇った悪徳令嬢が舞台上で相まみえる。
雨の音と雷の光が差し込む中
悪徳令嬢は大きく息を吸うと、
「あなたごときの人間が、私と釣り合うと思って?」
そのセリフと同時に雷が落ちた。それはきっと主人公の衝撃を表していると言っていいだろう。
俺は、そのセリフを練習で何度も聞いた。それで、何か違和感があったんだ。このセリフを俺はどこかで聞いている。俺じゃない俺が、誰かに告げられた言葉。その瞬間、全てがつながった。
「メイ?」
台本には無かったそのセリフが、俺の口からあふれ出てしまった。
それを聞いた篠原は少しぼうっとしたような顔になって、それから頭を押さえた。
同じだ。俺と同じ頭痛。間違いなかった。俺は、俺達には、前世の記憶がある。
ありがとう




