表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

満汐引力 04

メイセア化粧品のキービジュアル作りは、小さなトラブルはありつつも、順調に進んでいた。


汐にとっても初めての取り組みだが、正直、陽河もたくさんの経験があるわけではない。どんな提案方法がいいか先輩や木島に相談し、過去案件の資料を真似ながら提案書を作ってみた。


汐は、画作りは得意だが、言葉になると途端に「訳がわからない」という感じになってしまう。かといって、陽河が汐の画を言葉で説明しようとすると、事務的というか、面白味がなくなってしまう。


見かねた先輩が、社内のプランナーを紹介してくれた。


「なんだ、この資料」


遠慮もなく、陽河が作った資料を鼻で笑ったプランナーの花江は、クライアントからのオリエン資料を読み解き、汐が「こんな風にしたらいいと思う!」と集めた画像や、作った画から、汐が表現したいことを抽出し、「合ってるかどうかわかんないけど」と言って、提案資料を作ってくれた。


さらに花江は「お前よりは弁が立つ」と言って、プレゼンも担ってくれた。「枯れ木も山の賑わいだ」と、木島もプレゼンに参戦。花江が話している横で、イメージボードを持ったり、花江の話に相槌を打ったりというパフォーマンス役を買って出てくれた。


プレゼン自体は好評で、その代わりと言ってはなんだが、膨大な量のフィードバックが与えられた。陽河はそれを、汐が感覚的に理解できるよう編集し説明する。汐は驚くほどの理解力で課題をクリアし続け、4回目のプレゼンで、クライアントからの合意を得ることができた。


これまではそれで、デザイン作業に入れるところだが、今回はそうはいかない。


モデルとカメラマンというメインの人材から、造作素材の果てまで提案しなければならない。


「モデルはオーディションでいいと思うけど、カメラマンは……、そうだな。ギャストの横手さんに声かけてみたらどうだ」


インターナルのミーティングで花江が言えば、木島も「この手のスチールなら、染島健翔さんもいいと思いますけどね」と提案する。


「そりゃ、染島さんはいいけど、予算はまるか?」


花江に尋ねられた営業の青井が「厳しいっすねー、染島さんは」と渋い顔をする。


花江と木島と青井が話す内容を、陽河は必死にメモした。そのメモをもとに汐に説明し、汐の了承をとっていく。


少し余裕気味だったスケジュールは、あっという間にパツパツとなり、それでもなんとか撮影の日取りを始めとした諸々を決定することができた。


その間、飯田は不気味なぐらい、この案件に触れて来なかった。陽河はクライアントとの定例ミーティングのスケジュールも飛ばしたし、クライアントからのフィードバックも送り続けていたにも関わらず……だ。


(何か、あるんじゃないか……)


そんな懸念が、陽河の脳裏から消えない。


陽河はとうとう、不安が募って木島に尋ねてしまった。


「局長が何も言ってこないのって、なんでだと思う?」


隣のデスクで作業をしながら、木島は「花江さんの提案資料のせいだろ」と答える。そして「よし、完了!」と言ってメールアプリを閉じると、PCをカバンにしまいながら、小声で話し始めた。


「木村さんが、なんで花江さんを紹介したかわかる?」


「手が空いてるって聞いたけど」


「空いてるっていうか、今回は空けてくれたんだと思う。暇な人ではないはずだから」


「どういうこと?」


「花江さんがプランナーで入ったら、局長も様子見するしかないんだ。プランニング局のエースだし、次期局長候補だし。花江さんに何かあれば、向こうの局長が出てくるし」


木島の説明に、陽河は思わず息を飲んだ。


「ここ数年、飯田局長はクリエイティブ局内で済む案件しか自分でやってこなかった。局内のスタッフと汐さんのデザイン力でなんとかなる案件ばっかりだ。もし旭が提案書作りが得意で、プランナーを入れる必要がなかったら、もしかしたら、しゃしゃり出てきてたかもしれないな。だが残念、もう花江さんが入っちゃってる」


「……局長が、この案件を潰せる可能性は?」


陽河は、一番不安なことを木島に確認する。この案件のために、汐がどんなに頑張っていたか知っている。それが飯田のせいでなくなることがあったらと思うと、胃がキリキリしてきた。


「ないと思うね。クライアントからの発注書は出ている。花江さんも動いてる。営業の青井さんにしても、メイセア化粧品は大事なお客さんだ。案件を潰すことは難しいし、今、僕らを外すことも難しいと思う。クリエイティブ局主導で始まったのに、クリエイティブ局の人員を引き上げるなんて、説明が通らないからね」


「ってことは、汐さんも、大丈夫ってことかな?」


「あるとしたら、撮影現場かな。クリエイティブディレクターヅラしてやってきて、汐さんの手柄を横取りするかもしれない」


それについては、もう、陽河の中で覚悟はできていた。あの厚顔無恥な男なら、それぐらいやり兼ねないと。多分、汐も薄々は覚悟していると思う。


「それについては、止めようがないから仕方ないと思う。ただ、頑張ったんだから形にしたいと思っているだけなんだ。汐さんも、名前がどうこうとは言わないと思う」


陽河が言うと「ほんと、汐さんって不憫すぎるね」と、木島は肩を落とした。だがすぐに顔をあげる。


「っていうか、旭、お前、『汐の刻参り』に行かなくていいの?20:00だぜ?」


「あっ!」


陽河は慌ててスマホの時計を確認する。最近、この件で陽河がバタバタしていることは汐も知っているけれど、この時間まで連絡も入れずに放置していたことはない。それでも陽河のスマホには、汐からのメッセージはおろか、着信すら入っていなかった。


(夕飯が、だいぶ遅くなるな)


陽河は慌ててノートPCを閉じると、リュックに詰め込んだ。あまり使わないようにしているけれど、今日はタクシーにしよう。もしかしたら汐は、卵かけご飯でも食べているかもしれないから、状況を見てから近所のスーパーに走ることにした。


「木島、お疲れ!」


「お、おう……」


先に帰り支度をしていた木島を置いて、陽河は執務室を飛び出した。





『今、会社を出たので30分で着きます!すみません』


届いた陽河からのメッセージに、汐はほっとする。1人で家で作業をするなんて、当たり前のことだったはずなのに、今は陽河がいてくれないと落ち着かないし、この時間になると盛大にお腹が空いてしまうようになった。


メイセア化粧品の撮影の準備でバタバタしていることは、陽河から聞いているけれど。夜になっても連絡が来なかったから、何かあったのかと心配してしてしまった。


自分から連絡をすればいいことはわかっているが、汐は、自分から誰かに連絡をする必要性を感じたことがない。今使っているスマホも、数年前に飯田から与えられたものだ。連絡先はその時から入れられていた、飯田の名前だけ。


陽河の連絡先も登録されていないから、メッセージの場合は内容で、電話の場合は声で、陽河であると判断している。


「30分かぁ」


陽河からメッセージが来たことで、汐はより強く空腹を感じた。陽河が来るまで、卵ご飯でも食べるかどうかを考える。陽河は冷蔵庫を毎日チェックして、卵や炊いたご飯を常備してくれていて、陽河がいない時にお腹が空けば、汐はそれを食べることもある。


(いいや。陽河が来るまで待っていよう)


汐はブラウザを立ち上げて、デザインの参考になりそうな画像を検索して眺め始めた。メイセア化粧品の案件と並行して、汐は2つの案件のデザインを進めている。それも陽河が進行してくれているから、陽河は最近、本当に忙しそうにしているのだ。


前の担当者の時は、彼が何をしているかなんて知りはしなかった。メールで指示されたことを汐が対応した後は、次のメールが来るまで、連絡の一つもなかったからだ。


だけど陽河は、昼から夜にかけてこの部屋にいて、たくさんの電話を受けて、たくさんの電話をかけている。汐には届かないメールやメッセージをやり取りして、陽河がよく口にする「調整」をしているらしい。


最近、陽河がよく連絡しているのは「木島」と「花江」という人だ。その2人と電話している時の陽河は自然体で、汐に接している時と変わらない。「青井」という人とはお金の話をよくしていて、あと「大原」という人との電話の時は、立ち上がって、時々、頭を下げながら話をしていたりする。


そういう陽河を見ているのは、面白い。


(あと、陽河の面白いところは……)


小さい流し台のところで食事を作ってくれている時に、流し台にサイズを合わせてるのかと思うぐらい、背中が小さくなってしまうところとか、ちゃぶ台でご飯を食べていると、すぐにお腹いっぱいになってしまうところとか……。


陽河は汐よりも体が大きいのに、本当にちょっとしかご飯を食べない。


(あとはねぇ、陽河は……)


思ったところで、外階段を駆け上がる足音が聞こえた。


(足音がうるさい)


汐は思わず笑ってしまう。このアパートで、陽河ほど階段を上り下りする人はいないと思う。昼にやってきて階段を上がり、掃除をしてゴミを捨てに階段を降りていく。そして戻ってくるのに階段を上がって、買い物に行くのに降りて、帰ってきて上って……。陽河の家に帰る時に、階段を降りるのだ。


ノックもなしに玄関が開いた。汐は首を伸ばして、モニターの上から陽河を確認する。


「汐さん、遅くなってすみません!何か、食べましたか?」


「食べてねーし」


「わかりました!すぐ、何か買ってきます!」


背負ってきたリュックを下ろし、陽河はドアを閉めていなくなる。すぐにまた「カンカンカン」と外階段で音が鳴る。


次に外階段が鳴る時、陽河は何か美味しいものを持ってきてくれるだろう。



陽河が買ってきてくれた弁当を食べて、汐は人心地ついた。陽河はまだ食べているけれど、汐の視線に気付いたのか「もう少し食べますか?」と尋ねてきた。


「もう、いらない」


汐は答える。毎日、陽河がちゃんとしたご飯を食べさせくれるようになってから、なんでか、「お腹がはち切れるまで食べたい」という気持ちが湧かなくなった。


「そうですか」


それでも陽河は箸を置いた。やっぱり今日も、陽河は食べる量が少ない。


立ち上がった陽河は、流しに行ってヤカンでお湯を沸かし始めた。陽河が買ってきた電気コンロは、フライパンで肉も焼けるし、ヤカンになるとお湯を沸かせるのだ。


お湯が沸くと、陽河は2つのマグカップに玄米茶を入れて持ってきてくれた。熱々のそれを、汐は受け取る。お茶なんて、陽河が淹れてくれるまで飲んだこともなかった。


「最近、少し寒くなってきましたね」


陽河が言った。(そうかも)と、汐は思う。寒い時は洋服を2枚重ねればいいし、真冬はエアコンをつければいい。電気代は厳しいけれど、夏の暑さよりはマシだと思う。


汐にとって、冬とは、そういうものでしかない。


「今月末には撮影もありますし、風邪をひかないようにしてくださいね」


「ひいたことねーし」


そう答えた汐に、(風邪ひいた自覚がなかっただけじゃないのか)と、陽河は思う。仮に風邪をひいていても、体調が悪ければ、布団にくるまって良くなるまで待って、体調が戻れば仕事を再開する。いちいち「風邪ではないか」などと考えずに、汐はそうやって生きてきた気がする。


(本当に、汐さんは……)


少し前まで「仕方ない人だな」と思っていたけれど、最近はもう「ちゃんと見ておかないと」という気分になる。撮影の時は汐にも現場に入ってもらうことになるのだ。風邪なんてひかれては困る。


『あるとしたら、撮影現場かな。クリエイティブディレクターヅラしてやってきて、汐さんの手柄を横取りするかもしれない』


木島の言葉が浮かんだ。汐が現場に出たら、飯田と顔を合わせることになるかもしれない。汐もわかっているかもしれないが、何か対策を話し合った方がいいだろうかと、陽河は考えた。


「その撮影ですけど、もしかしたら局長がいらっしゃるかもしれません」


陽河が言うと、汐は「だろうな」と頷いた。


「汐さんは、大丈夫ですか」


「何が?」


マグカップ持ち替えながら、汐が陽河を見る。多分、見ている。前髪が伸びすぎていて、本当に視線がわからないんだけど。


「その、局長と顔を合わせても、大丈夫かどうか、心配で」


陽河が思い切って言うと、汐は「へーきだし!」と、答えた。


「でも、汐さんが作ってきたものを、台無しにされるかもしれません」


「飯田がきたら、それだけで台無しだし。それに……」


口をつぐんだ汐の言葉の続きを待っていると、汐は「慣れてるし」と呟いた。


「慣れてるって、どういう……」


陽河が食い下がると汐の口元がへの字になった。もう一度「慣れてるし!!」と、汐が強い口調で言う。話は終わりだという態度だった。


「わかりました」


結局、わかったのは、汐も覚悟はしているということだけだ。


(せめて他の人には、尊重してもらえるように)


制作物は飯田にいいようにされたとしても、現場で汐が嫌な思いをしないで済むようにしたい。


今の陽河にできるのは、そんなことだけだ。







「あれが噂のゴーストディレクターか」


愉快そうに陽河に尋ねてきたのは、カメラマンの横手慎吾だ。汐はさっきから、スタジオの中央に据えられた造花のオブジェの周りをグルグル回っていて、現場を困惑させていた。


「カンプ通りに仕上げたんですけどね」


撮影スタッフの美術担当も、困り顔だ。先ほど陽河も、「何が気になるのか」と汐に尋ねたのだが、汐は答えなかった。


「でもクリエイティブディレクターが納得してないんじゃ、仕方ない。見てくれはあれでも、あいつがトップなんだろ」


「すみません」


横手の言葉に、陽河は思わず恐縮した。


汐には結局、髪を切ることもヒゲを剃ることも拒否された。セーターとデニムとブルゾンは新品にしたけれど、陽河も靴までは気が回らず、今日、汐を迎えに行った時に「あっ!」と思った時には、後の祭りだ。


「ちょっと、俺が話してみるよ」


横手がカメラ片手に汐に近づいていく。オブジェを何枚か撮影すると、モニターを見せながら、汐に話しかけてくれた。その様子を、陽河は少し離れたところから見守るしかない。


「旭、そんなに気に病むな。こんなこと珍しくないって」


花江がそう言って、「横手さんに任せよう」と陽河の肩を叩いてくれる。


「段取りのチェックしよう。3時間後には、クライアントが入ってくるからな」


「はい」


スタジオの端に据えられた長机で、木島や撮影スタッフも交えて打ち合わせを行う。


「1時間後から、モデルを入れてテストショットを撮影します。セレクトして、クライアントが入ったら、チェックしてもらって、本撮影。カットは、全体と横顔のアップ、商品のイメージカットです」


撮影スタッフが香盤を説明している時、「美術さん、照明さん、ちょっときてくれ!」と横手が大声で叫んだ。


わらわらとスタッフが横手と汐の周りに集まっていく。その中心で、横手がカメラモニターを指したり、天井を指したりしながら話をしている。その横手の隣で、汐はただ、立っているように見えた。


照明スタッフが脚立に登って照明を調整し始め、美術スタッフは造花のオブジェに手を加えている。横手は度々カメラで撮影すると、汐に見せて話をしていた。


(汐さん、笑ってる?)


カメラモニターを見つめて横手に何か言ったらしい汐の表情が、明るい気がした。今日も顔は全く見えないんだけれど、汐の周りの空気が明るく揺れている気がする。


陽河の胸がカッと熱くなった。今、汐は、人生で初めての楽しさを感じてくれているんだろう。そんな汐の姿を見られたことが、嬉しくてたまらない。


やがて、横手が見せたいくつかのカットを見て、汐が大きく頷いた。そんな汐を連れて、横手が長机に戻ってくる。


「モデルはすぐに入れるか?」


「はい」


スタッフが頷くと「じゃあ、テスト始めよう」と横手が言う。


「シーディー様のOKが出たからな」


横手がそう言うと、汐の表情がほころんだように見えた。






テスト撮影が終わったところで、飯田は当たり前のように現場に入ってきた。いつも飯田を取り巻いている複数人の部下を連れて。そしてスタッフが集まる長机に堂々とやってくると、挨拶もなく「旭くん、テスト見せて」と、言った。


汐に、飯田に従う自分を見られるが嫌だと思ったけれど、陽河に選択肢はない。横手が手渡してくれたモニターを、飯田の前に置いた。飯田は数枚を見ると「やり直しだな」と、ため息を吐いた。


「旭くん、これは化粧品の、しかもカラーアイテムのビジュアルだ。アイテムが乗ったモデルの顔がメインじゃなきゃ、商品の良さが伝わらないだろう」


したり顔で言った飯田に、陽河は「申し訳ございません」と頭を下げる。


「花江くんがついてくれているようだから、大丈夫だと信じていたが……」


飯田の攻撃は花江にも飛んだが、花江は眉を上げただけだ。


「カメラは誰?」


飯田の言葉に、横手が手を挙げる。横手を見た飯田は一瞬、嫌そうに顔を歪めたが「撮り直し」と告げた。


「どう撮り直しましょうか」


「さっきも言っただろう。モデルをメインに。背景は活かしてもいいから、とにかくルックが際立つように撮って」


「承知しました」


横手は無表情で頭を下げると、汐に「いくぞ」と声をかける。汐は黙って横手について行った。


そこからの現場の雰囲気は最低だった。横手は無言でシャッターを押し続け、撮り直しになったモデルは戸惑いながら表情を作る。汐は立ったままそれを見ていた。


そんな汐の背中を抱きしめてやりたいと、陽河は思う。一瞬で、自分が作ったものを壊された汐を慰める言葉なんて見つからないから、せめて、汐は悪くないんだと、力一杯、抱きしめて伝えたい。


だけど陽河の立場では、そうすることはできなくて……。座っている飯田の隣に立ちながら、飯田がつけているコロンの匂いに耐え続けるしかない。


やがて横手が、陽河を振り返った。


「チェック」


送られてきた写真を確認して、飯田の前にモニターを置いた。汐が苦心して考え、横手がその意図を汲んで、スタッフが調整した造花のオブジェが、ただの背景になってしまっている。


それを見て、飯田は「これでいい」と頷いた。


「クライアントには3枚目と11枚目を出そう。準備して」


「はい」


陽河は頷いて、飯田の前からモニターを避ける。飯田は手を伸ばして、長机に置かれたお菓子の箱を引き寄せると食べ始めた。


モニターを持って、陽河は横手に近寄る。そばに俯きがち立っている汐がいたけれど、横手に伝えないわけにはいかない。


「3枚目と、11枚目を出したいそうです」


「わかった。そしたら軽く色味を調整するわ」


横手は陽河からモニターを受け取ると、作業のために立ち去っていく。だけど陽河は踵を返せない。俯いた汐を、1人にしたくなかった。


(汐さんがもし「帰りたい」っていうなら、そうさせよう)


ここからはもう、飯田の独壇場になるに決まっている。それを目の当たりにするのは、汐も辛いはずだ。


「汐さん、帰りたいですか?もしそうなら、タクシーを……」


陽河が汐にかけた声に、「汐〜」と、飯田の声が被さった。陽河と汐の間に立った飯田は、「楽しかったか?プロの真似事をやってみて」と、汐の顔を覗き込む。その手が、汐の尻を撫で回すのが見えた。


陽河は、浮きかけた右手を、咄嗟に左手で押さえる。自分の立場では、見えていないフリをするしかない。もしここで飯田を殴り飛ばしでもしたら、汐の傍から排除されてしまう。


「旭くんも、こういうところに、こういう汚いのを連れて来ないようにね。クライアントもいらっしゃるのに、失礼だよ」


「浅はか、でした……」


陽河は必要以上に腰を曲げて謝罪の言葉を吐いた。精神力の全てを集中しても、声の震えを抑えられない。汐を「汚いの」と表現された怒りが、滲み出そうになってしまう。


「まぁ、いい」


その時、「メイセア化粧品さん、いらっしゃいました」と告げるスタッフの声が聞こえた。飯田はすぐに2人から離れたが、陽河はその場に留まった。


「汐さん、タクシー呼びますか?」


小声で陽河が尋ねると、恐ろしく冷静な声で「帰らねーし」と、汐が返事をした。


「でも!」


「偉い人がきたんだろ。陽河も行けよ」


「でも、汐さんっ!」


前を見ていた汐が、陽河に顔を向けた。


「慣れてるって、言ったろ。陽河もいるし、大丈夫」


そう言った汐に、陽河は呆然としてしまう。


「……ぼ、くは、なんの、助けにも、なってないです……」


「そんなことねーし!ってか、ほら、来たぞ、偉い人が」


汐が顎をしゃくった方を見ると、クライアントがスタジオに入ってきたところだった。飯田が大仰な態度で迎えているのが見える。


陽河も迎えなければならない立場だ。


「ほ、本当に、大丈夫ですね?」


「大丈夫だから、いけよ」


頷いた汐に背中を押されて、陽河は長机に走る。案件を担当しているブランドマネージャーの大原に、飯田がチェック用の写真を見せているところだった。


写真を見ながら飯田の説明を聞いていた大原は、一言「カンプと印象が違いますね」と言う。


「そうですね。本撮影して、レタッチを入れて調整すれば、限りなく近づくかと」


飯田の説明の途中で、「構図も違うのに?」と、大原は淡々と質問を挟む。その鋭い指摘に、さすがの飯田も黙り込んだ。


「良かったら、他の画像もご覧になりますか?」


不意に横手が口を挟むと、大原は頷いた。横手に手渡されたモニターをスワイプし、一つのカットで手を止める。


「美しいですね」


大原の手元を覗き込んだ横手が、ニヤリと笑った。陽河の位置からはどの画像かわからなかったが、横手の希望通りの物を、大原は選んだのだろう。


「最初、均一に刺してた造花を、束にしたりして調整したら、造花の素材の反射が良く生まれたので、そのまま活かしています。モデルがこの立ち位置だと、ちょうど全身が光が纏うようになるんです。それで……」


そこで言葉を切った横手が「おいっ!シーディー!!」と大声で叫んだ。横手が見た方向を、全員が振り返る。ポツンと立っている汐に、全員の視線が集中する。


「俺じゃ上手く説明できねぇっ!ここに来て、説明しろ!」


途端に木島が駆け出して、ぼーっとしている汐を引きずってきた。大原は汐の風貌にちょっと驚いているようだったが、横手は構わず「全身の光をどうするんだっけ?」と、汐に尋ねる。


「……ラメに……。で、周りに、パウダーを……」


横手以上に下手な汐の説明に、大原は沈黙している。だが、今度は花江が口を開いた。


「元のカンプでは、この辺りに商品を並べるだけの予定でしたが、この全身に当たる光から、徐々にラメに変えていって、それが商品のパウダーに変わって、その上に商品のカットを載せていこうと思っています。コンセプトにも合いますし、カンプ以上に、商品のパウダーの繊細さも伝わるビジュアルになると思います」


花江の説明を聞いた大原は「了解しました。その方向で進めてください」と合意した。イメージが見えているかのような即決だった。


「よしっ!」


思わずガッツポーズをした横手は、それを誤魔化すように汐の肩を抱いて「さぁ、撮るぞ」と、スタジオの中央に向かっていく。


撮影の様子を大原は見守り、その隣で飯田はあれこれと話しかけている。


長机のそばに立ち、汐の後ろ姿を見つめていた陽河は、その背中を取り囲む空気が、弾けているように感じていた。


「今回は若いクリエイターたちに任せてみていたのですが……。デザイナーがちょっと変わり者で、あんな格好でお目にかけることになって、申し訳ありません。驚かれましたよね」


飯田が、汐の風貌を大原に詫びているのが聞こえる。(誰のせいで、汐さんに金がないと思ってるんだ)と、陽河が拳を握った時「確かに驚きましたけど……」と、大原が淡々と話し出した。


「私、美大出身なので、慣れてはいます。むしろ、学生の頃は、私もあんな感じでしたから」


陽河は思わず大原を振り返ってしまった。大原はかっちりとしたスーツ姿で、髪も綺麗に撫で付けられている。大原が汐のようだったなんて、想像がつかない。


自分を振り返った陽河に気づいた大原が「旭さんですね」と、声をかけてきた。


「あ、はい!申し訳ありません、タイミングを逸してしまって、ご挨拶もせず……」


陽河は大原の側により、名刺を差し出す。大原はわざわざ立ち上がって「大原です」と、自分の名刺を差し出してくれた。


「オンラインのミーティングの時に思ったんですが、ドラマに出てらしたでしょう?」


「はい。大学3年まで、俳優をやってまして」


「すごく気になってたんですが、出演されていたSFっぽいドラマがあったじゃないですか。あれはグリーンバックで撮影を?」


「あ、はい、あれは……」


撮影の間中、大原と陽河はドラマの大道具の話で盛り上がった。大原は舞台美術を志していたことがあったらしい。


撮影が終わり、画像をチェックした大原は、いくつかの要望を残して帰っていった。飯田は大原を見送るところまではいたものの、挨拶もなしに、いつの間にか現場からいなくなった。


今後の進行をスタッフと確認し終えた陽河は、美術が解体されていくのを見ている汐に近づいた。汐はただ立って、花のオブジェが崩されていくのを見つめている。


「汐さん、そろそろ帰りましょうか」


「……」


汐が無言でいるから、陽河は汐の顔を見る。造作も表情も全く確認できない横顔だけど、汐は笑っていると思った。


(もう少しここにいたいなら、一緒にいよう)


陽河がオブジェに目を戻した時「陽河」と、汐に呼ばれた。


「はい」


陽河が答えると、「楽しかった」と、汐がつぶやいた。


「すげぇ、楽しかったし。すげぇ、良かったし」


汐の感想に、陽河の目頭が熱くなる。


(まったく、汐さんは……、僕を泣かせる名人か、何かなのか……)


汐と出会ってから、何度、こんな気持ちになったかわからない。


(今日は大仕事だったし、ご馳走にしよう!)


泣きそうな自分を誤魔化すために、陽河はそんなことを考えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ