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アウトサイディング・第一章

 欧米人の考え方、感じ方の根本には父がある。キリスト教にもユダヤ教にも父はあるが、母はない。キリスト教はマリアを聖母に仕立てあげたが、まだ絶対性を与えるに躊躇している。彼らの神は父であって母でない。父は力と律法と義とで統御する。母は無条件の愛でなにもかも包容する。善いとか悪いとかいわぬ。いずれも併呑して「改めず、あやうからず」である。西洋の愛には力の残りかすがある。東洋のは十方豁開である。八方開きである。どこからでも入ってこられる。


   『東洋的な見方』 鈴木大拙著 上田閑照編



 川のほとりで、死について考えていた。

 頭上をカラスが数羽飛び交っている。ベンチから眺めていると、カラスは程なく遠い木々の小枝に留まったようだった。この川にカラスが現れるのは珍しかった。不吉だ。そう思った。タバコの煙を吐く。この川は源兵衛川という。静岡県は三島にある地元では有名な川である。景観が美しいので、町の宣伝にもよく使われる。初夏の夜には蛍が灯り、綺麗な水でしか育たないという三島梅藻という水草が茂っている。その川にカラスが数羽現れたのである。どこかに今にも息絶えそうな人が有り、数羽のカラスが、その期を狙って待ち構えているような空想を抱かせた。死がどこかに潜んでいるように感じた。静養のため、この川に立ち寄ったのに、随分不吉な光景を見たような気分がして、残念に思った。気を晴らそうと、先ほど清涼を感じさせた川のなかへ身を溶かそうと思った。俺は、吸っていたタバコの火を消して、携帯用灰皿に押し込むと、川のなかの飛石を渡るべく、歩み出した。五月初旬の昼であり、空は晴れ晴れとしていた。尚死について考える。

 俺は幼少の頃から死に多感であった。物心ついてまもない頃、寝かしつけられた布団のなかで、このまま目を覚まさず死んでしまうのではないかと怯えて、死にたくない、死にたくない、とよく念じていたことを覚えている。幼年期の記憶はそのほとんどが忘却され思い出すことすらできない。しかし、死に慄いていたその記憶は今でも忘れることなく覚えている。

 成長するに連れ、死の意識に慄くことは少なくなった。だか、死が俺の心から消えたわけではなかった。死とはなにか。人は死んだらどうなるのだろう。死についてよく思い巡らせた。自分のなかに死があることを多々自覚する。死は、今でも俺の心のなかに通低音のようにこだましている。しかし、それでも俺は死のうと思ったことがない。それでは、この死の意識というものは一体いかなるものなのだろうか。

 川は木々のなかを流れている。雑多な日常の煩わしさを忘れさせてくれるような散歩道である。川の水は透き通っており、水底に例の水草が萌ゆるのが見える。先ほどカラスが留まったと思われた木の脇を通り過ぎた。すでにカラスは消えていたし、そこに人の死骸などある筈もなかった。美しい景色のなかの煩わしさが一つ消えたような気がした。その後もしばらく続いた飛石の列が、すのこでできた大きな踏み台を最後に途絶えた。それからは、川と別れを告げるように四段五段の階段を上がり、舗装された元の町の道に帰る。思惟に耽りながら更に歩みを続ける。

 十九歳の頃であった。死に関する言説群をある文献に垣間見たことがある。死に多感な人間は、その人格に一定の偏向を被っているという言説。死に多感な人格、その性分。死を愛好する性分とは、言い換えれば、無を愛好するということであり、有を無に還そうという衝動のことであるという。有を無に還す力。有機的なもの、生き生きとしたもの、人間味溢れるもの、それらを無機物、つまり死んだように変化しないものに還そうという力であり、破壊衝動を伴う。他者のみならず自身すらをも破壊しようという衝動。自他共に破壊しようとする衝動。そうした力学が、死に多感な人間の心中には渦巻いているという。これらの人々は、無機物を愛好するが故、合理的でないものを受け入れられない。人の感情、それは、有機的で非合理なものである。だから、死に多感な人々が好むのは、生き生きとした心のやりとりではない。彼らの人間関係の目指すところは無機物の所有である。また、感情の交流を嫌気する代わりに、彼らが好むのは、もっと凝り固まったもの、法や秩序や階層秩序である。人を愛することよりも人を愛するための法を尊び、秩序を脅かすものを蔑視し、階層秩序をとりわけ好む。それらの人々の心象風景は融通の利かない、そうした無機的なもので成り立っているという。

 これらは、死に多感な人間の偏屈した人格の一部である。俺は死のうと思ったことはない。しかし、俺の心の中には死が通低音のようにこだましている。俺は破壊を好むだろうか。人間を物体のように所有したいと思うだろうか。愛よりも法を尊ぶであろうか。俺は世の中を強者か弱者に振り分けて眺めているだろうか。人は自身の目指しでしか世界を望むことができない。とりわけ、死などと言われるものは、性と同様、タブーの向こう側にある事物である。だから、常識的な人間が社交の場で猥談を好まないのと同様、死に関する話題を人前でそうそう口にはしない。だから分からないのだ。人が死について考えることがないのか、もしくは自分と同じように夜な夜な死について思い巡らせているのか否か。

 そうした戯言を考えているうちに、いくつもの店を通りすぎた。そして、楽寿園を過ぎ、坂を登って行くと目的の三島駅に着いた。三島駅は、これから向かう東京ほどではないにしろ、雑多に人が溢れている。コロナ禍のピークから四、五年経ち、もはやマスクをしている人間はいないに等しかった。だので、一応マスクを持ち合わせていたが、それをするのを取り止めて、駅のなかに入っていった。販売機で東京までの切符を買う。改札を通り、階段を下る。友人からの誘いがあり、しばらく実家に帰省していた俺は、再び東京に赴くことになったのだ。バーで集まりがあるから参加しないか、と友人は俺を誘ってくれた。その友人は俺の現在の事情を知っていた。

 俺は二十三歳だ。大学を卒業し、社会人一年目を終えた人間である。社会人だけでなく会社勤めも終えた。新卒採用で入社した建築設計事務所。その会社をわずか一年で退職した。理由は、心因に依るものと言うべき事情であった。銀座に本店のあるその設計事務所は、昨今よく取り立たされるブラック企業ではなかった。定時時刻には退勤できたし、仕方なく残業をする際には残業分の給与はしっかり支払われた。やる気を見せようと、定時時刻よりも遅く残って仕事をしていると、上司から注意されるほど、無償で働くことにはうるさかった。人間関係も良好で、大半の上司は優しかったし、同僚に性悪な人間がいたわけではない。一年目ということもあり、それほど難しい作業を任されてわけでもない。簡単な図面の修正作業や模型制作、あるいは、打ち合わせの議事録を付ける作業などが主だった。至らず怒られたこともしばしばあったが、決してパワハラとは思ったことがない。しかし、俺の心は次第にやつれていった。入社間もない頃は、出勤時間の一時間前に出勤し、仕事の段取りや自習に努めた。その意欲が次第に衰え、やがて、出勤時間間際に出社するようになり、退職する前月には二回の遅刻をした。その時期になると、身だしなみも粗雑となり、髭の剃り残しの注意を上司から受けたことがある。何故そうなってしまったのか分からなかった。あれこれ思い巡らせた。もともと会社勤めに向いてないのではないだろうか、学生気分が抜けず会社のリズムに疲れているのではないだろうか、食事の栄養バランスが悪いからではないだろうか、あるいは若くして母を失ったことが起因しているのだろうか・・・・。しかし、それらの原因の分析の甲斐もなく、俺は最後に無断欠勤をした。それも二日連続で。ベッドから起き上がることもできず、電話を取ることもできなかった。鳴り響くiPhoneの着信音を無視して、俺は二日間アパートの一室に引きこもっていたのである。その際は流石に怒られた。上司に呼び出され、何故無断で休んだのかと問い立たされた。理由を述べることができなかった。事態を収拾する手立てを考えなければならないと思った。だから、申し訳なさも相まって、心療内科に行き医者に診てもらう、と自分から申し出た。病院の診断が下った。診断名に抑うつ障害とあった。その後、通院を三度四度繰り返すと病名は、適応障害に変わった。そして、俺は入社して一年が経つ二〇二四年の三月に、職場を自主退職した。そして、三島にある実家に帰省し、早二ヶ月が経とうとしている。その折、連絡を取り合っていたのが、その友人であった。

 駅のホームに出る。休日の田舎の駅のホームは、朗らかでのんびりしていた。幾人もの人が立っているが、人混みとは感じない。田舎のホームは、東京のような忙しなさを感じさせない。時間に種類があるのなら、それは労働の時間ではなかった。むしろ、リゾートの時間に近かった。実に時間がゆっくり流れているような感覚にさせられる。俺は田舎に帰省したのは、確かに心の静養になっているのだと思った。だが、これから向かう先は、他でもなくその忙しない筈の東京である。東京ではあるが、仕事に行くわけではなく、バーでの宴に行くからには、幾分気が楽だった。電車が到着するまで五分ほどあり、ホームには列ができていた。その列の最後に並ぶと友人のことを思った。

 友人の名は洋介と言う。高校時代の同級生である。俺は高校を卒業して、東京にある某大学の建築学科に進学したが、洋介は美術大学に進学した。俺は建築家に成りたいという夢があり、建築学科に入学したのだが、洋介の方は将来、芸術家に成りたいらしく、美大に進学した。高校時代、俺も洋介も音楽やファッションやサブカルチャーが好きだったので気があった。洋介とは、高校卒業後も付き合いを続けていた。設計事務所を退職した旨をライン通話で伝えると、洋介は何故だか嬉しそうだった。洋介は就職をせず、芸術家として作家活動をしているという。作家活動をしていると言えば聞こえがよい。だが、洋介は根が遊び人であるので、きっと働かず遊び歩いているのだろうと俺はおもんぱかっていた。その洋介に、今の俺の身の上を説明すると「とうとうお前もこっちの世界に来たんだな」と言った。そして、「行きつけのバーで集まりがあるからお前も来てみないか」と誘ってきたのである。洋介は、下世話にも「女も来るぞ」と付け加えたのだった。

 そうした経緯から、俺は今東京の新宿区のとあるバーに向かって、こうして電車を待っているのだ。働いていた頃とは違い、電車の時刻表など気にしなかった。大分早めに出発し、行き当たりばったりで到着した電車に乗る。時間が有り余っているから、途中どこかに立ち寄ったり、ぶらぶら町を散策したりして、暇を潰す。そして、集合時間の少し前には目的地に到着して、人を待つ。休日遊びに行く際は、そうやって時間のなかにゆとりをつくって、独り楽しむのが好きだった。これから二時間半電車に揺られることになるが、それも俺にとっては億劫ではない。イヤフォンをして音楽を聞いたり、本を読んだり、あるいはボーっと考え事をしたりして、電車の時を楽しむ。おそらく今日は、イヤフォンも本も持ち合わせていないので、ボーっと思惟に耽って揺られることになるだろう。そう考えていると、程なくして電車の到着のアナウンスが流れる。そして電車が到着すると、降りる人を横目に電車に乗り込んだ。幸いにも電車は空いており、座ることができた。俺は、先ほどの思索の続きを再開する。死について。

 例えばそのような死の感性が、歴史の一端に現れたことがあるという。それは太古の昔にとうに人間が解消したものであったように思われた。だがそれが、二十世紀のある現象に表出した事例が記録されている。それは破壊に魅惑された集団である。二十世紀に台頭したナチス・ドイツという集団は、この死の感性を最も物語っている集団である。階層秩序を好み、破壊を崇拝し、弱者を狩る。そうした事例が、確かに記録されていることを俺は知っていた。もちろん、俺は歴史学者ではないのでその知識の分量は限られている。しかし、ナチスが行ったユダヤ人に対するジェノサイドを知らぬ者はいないだろう。『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』、『ヒトラーと戦った22日間』・・・・、それらナチスの悪行を描いた映画を観ると、ナチスがどれほどの胸糞悪い集団であったのか子供でも分かるほどだ。ヒトラーやアイヒマン、それらの人物はそのような性向の持ち主であって、それらの指導者がこのナチスという集団の集団的人格を物語っているのである。

 これらの言説は、新フロイト派の社会心理学者エーリッヒ・フロムの言説群を自分なりに咀嚼して語ったものである。フロムは、著書『自由からの逃走』でナチスを支持した人々の心理的過程を解明し、その後『悪について』で、ナチスの本質を解明し断罪した。ナチスを支持した人々を権威主義、言い換えればサド・マゾヒスト的性格−−−上位者に対する服従、下位者に対する支配という心理傾向−−−とし、そして、ナチス自体の本質はネクロフィリアとして断罪する。ネクロフィリアという言葉は、今まで語った死を愛好する性向のことである。もともと死体愛好の意で使われていた言葉であるが、フロムはその概念を拡張し、死を愛好する性向とした。サド・マゾヒスト的性格が、依然生の方向にそのリビドーが向いているのに対し、ネクロフィリアの方は他ならず死の方向にリビドーが向いているのであるから、サド・マゾヒズム的性格より尚いっそう病理的な兆候であるのだと。

 俺は死のうと思ったことがない。しかし、死の意識、それは俺にとって安堵をもたらすように心地がよかった。つまるところ、俺は精神分析学という、現代でも最も信憑性があると信じられている”占い”において大凶を引いたような心持ちなのである。これが、俺が普段人に打ち明けない心の内面であり、心の闇という使い古された言葉を使えば、その通り、心の闇なのだ。しかし、それが一体なんなのだろう。俺は悪人であるのか。病人であるのか。ナチスであるのか。ああ、そんなことは、どうでもよい。

 顔を上げると、三島駅を出た電車は、函南駅に止まった後、熱海駅に向かおうとしていた。しばらく長いトンネルが続いたが、電車のなかに再び光が射す頃には窓の外に景色が見えた。熱海の海。空は晴れ晴れと蒼く、海はその蒼を凝結させたかのように尚蒼かった。窓の外を見ていて、美しいと思えた。

 その後、その光景を最後に俺は俯き、目を閉じると眠りに入る姿勢をとった。目を瞑りながら尚も死の意識を感じていた。こうして、品川駅まで行くのである。そして、忙しない山手線へ。高田馬場で降り、ぶらぶら歩きながら目的地に向かう手筈ある。


 そうして死を忍ばせて、俺が早稲田あかねというそのバーに到着したのは、待ち合わせ時刻午後七時の十五分ほど前だった。二時間前に近辺に着いたので、カフェに入り、暇を潰した。無音でTikTokを観たりInstagramを開いたりしているうちに、辺りが暗くなり夜になった。夜になるとラインに洋介からメッセージが入った。現地にもういるから来い、と。カフェを出てiPhoneのマップを見ながら歩き続けると、小道に入り、紅い灯火の溢れる店が見えてきた。

 間口が二間ほどのこぢんまりした店だった。頭上、店を端から端に横断するように架けられた垂れ幕式のシート看板を見ると、確かに『あかね』と書いてある。朱色の看板、看板の中央ではなく、右に寄った位置に白字で斜めに『あかね』。その看板の下のファサードは、中が覗き見れるようにガラスが目立つのだが、窓の枠もガラス戸の枠も紅く塗装されていたので、全体が紅く目立っていた。バーと聞いていたのでもっと洒落た店を想像していたのだが、店はバーというより飲み屋に近い印象を与えた。いかにも金のない若者が好みそうな親しみやすさを感じさせる。洒落たバーなんかよりも好感が持てた。中から楽しそうな笑い声が聞こえる。中に入りたくなったが、その輪にひとりで加われるか不安になり、躊躇っていた。すると程なくして、ドアが音を立てて開き、中から洋介が顔を出した。洋介は出会い頭に「久しぶりだな、健太郎」と言った。Tシャツに柄物のシャツを羽織り、黒い髪が癖毛風にウェーブしながら肩に掛かっている。口元と顎には短く髭が伸びており、美大卒業後一年が経つが、洋介は大学時代のイメージそのままだった。変わっていない洋介の姿を見て安心した気持ちになった。

「随分真面目になったじゃないか」

 洋介が俺の風貌を見てそう言った。おそらく、髪型や服装が学生時代と比べて小綺麗になったことを指して言ったのだろう、と思った。俺は挨拶を飛ばして答える。

「二ヶ月前まで真面目に会社勤めしてたからな。学生時代のままじゃ通用しないだろ」

 学生時代に長かった髪は短髪にし、ピアスも外し、伸ばしていた髭は剃るようにしていた。

服装も仕事で通用するようにフォーマルなものを選ぶように心掛けた。このときは、襟付きのストライプ柄のシャツをボタンをしっかり閉めて着て、ズボンは濃紺のスラックスを履いていた。その結果が真面目な印象を与えたに違いない。洋介が不敵に笑った。

「俺は相変わらずだからな。社会一般から言ったら世捨てみたいだろ?」

 俺は忌憚せずに「見れば分かる」と言った。洋介はその言葉に笑うと紅いガラスドアを開けて、俺を中に案内した。中はファサードの紅とは違い蒼かった。八坪ほどの店内の壁は群青色をしており、右側の壁一面にはプリミティブな画が描かれている。その画を覆い尽くすように、幾枚ものフライヤーが無造作に貼られている。この店に来客する客が、なにかしらのイベントを告知するために貼ったことを想像させた。そのフライヤーを讃えた壁の前には黒い長椅子が設ており、その椅子に五人の男女が座っている。黒いテーブルを挟んで相対するダイニング・チェア型の椅子にも青年が二人座っており、輪になって会話をしているようだった。また、左側を見ると、そこはバーカウンターとなっており、背の高いバーチェアが三つ置いてあった。その奥はキッチンであるが、テーブルの上には酒や食材が置いてあるのが丸見えだった。先ほど店の前で感じた紅い灯火は、天井からぶら下がったアンティーク風のランプの灯りだった。バーというパブリックな存在ではなく、常連の客が集うアジトのような印象を受けた。

「ここはアート界隈の人間がよく使っているバーだ。アットホームなところがいいだろ?」

 洋介はそう言いながら、バーカウンターの椅子に俺を座らせた。洋介は隣に座り、「ビールでよいか」と尋ねた。俺が「ビールでいい」と言うと、洋介はカウンターの中の店員に「姉さん! ビール一杯!」と声をかける。その女の店員も同い年くらいであった。洋介が尋ねる。

「最近どうだった? 体調は大丈夫か?」

「大丈夫さ。仕事を辞めてすっかりよくなった」

 俺は卒なく答えた。

「俺らの世代は、入社してもすぐ辞める人間が多いらしいからな。一年で辞めても気にすることじゃない。そんな奴いっぱいいるさ」

 笑顔を浮かべた洋介は、普段となんら変わらぬ声の調子でそう言った。俺が心療内科に通院していることを知っていたので、身を案じて気遣ってくれているようだった。ささやかな気遣いが快かった。気恥ずかしくなるが、信頼できる友人であると改めて思った。

「励ましの言葉はいいよ。それより、ここにいる人たちは洋介の知り合いか?」

 話題を変える意味合いも込めて訊いた。

「ああ、大体が知り合いだよ。元々の友達もいるし、このバーで知り合った人間もいる。今日初めて会った方もいるよ。基本的に誰が来ようとウェルカムだから、お前も呼んでみようと思って呼んだんだ」

「そうだったのか。ありがとう。俺も興味本位だけど、こうした集まりに興味があったからな。顔を出せてよかったと思ってるよ。楽しそうだし」

「そうだろ。お前も建築家の卵だろ? 土俵は違えど、同じクリエイター志望者だから話は合うよ」

「建築家の卵だなんて口が裂けても言えない。設計事務所一年で辞めたし・・・・」

 俺は苦笑いし言った。

「そうか。じゃあなんて紹介しようか」

 洋介は自問するように呟いた。そこに先ほどの同い年ぐらいの店員の女が、ビールを持ってきて尋ねた。

「ビールお持ちしました。お兄さんはこの店ははじめて?」

 洋介が俺の紹介をはじめる。

「こいつは、俺の高校時代の同級生だ。丁度、会社辞めたばかりで小綺麗な格好してるけど、元々は俺と同じようなちゃらんぽらんだ」

 洋介は、俺にとって不本意な紹介をした。俺は洋介の紹介の仕方を不服に思い、自己紹介を自分の口でする。

「ちゃらんぽらんって思ってるのはこの洋介だけで、俺は大学時代、真面目に建築の勉強をしてた。ただ、新卒で入った設計事務所が一年しかもたなかったから、そう言われても仕方ないかもしれないな。とにかく今はニートです」

 女は愛想よく、「いいじゃない、ニート。私も美大出てフリーターだし」と切り返す。

「美大出てフリーター? なにかつくったりしてるの?」

 女は一言「絵を描いてる」と答えた。おそらく初見の人間には大っぴらに言えぬ心情があるのだろう。女はあまり語りたくないといった口調であった。沈黙が打ちそうな気配がしたので、洋介に話を振る。

「そういえば、洋介はどうだ? 絵は描いてるのか?」

「色々やってるよ。絵も描いたりするし、現代アートの一環でインスタレーションやパフォーマンスとかな。あと借り出されればDJもやる」

「本当か。俺はてっきり作家活動を働かないことの免罪符にして、遊びまわっているものだと思っていたよ」

 冗談めかしに言うと、洋介は笑顔のまま反駁する。

「遊びまわってるわけじゃねぇよ。まあ遊ぶのも俺のなかではアートの一環だけどな」

「そうか。そりゃいいな。俺も憧れるよ、そういう生活に」

 お世辞を言っ後、「そろそろ乾杯しないか?」と洋介に尋ねた。洋介は「ああそうだったな」と言い、「俺のビールはこっちにあるんだ」と付け加えて席を立った。すると、先ほど入って来るときに右側に目にした、男女七人の輪の中のテーブルから、飲み掛けのビールを手にする。手にしたビールをそのままこちらに向ける。俺は自分のビールを持ち席を立つと、ビールジョッキの口を洋介のそれと合わせて乾杯をする。そして、ビールを煽る。喉にダイレクトに流し込むように大胆に煽ると、喉から食道に伝ってひんやりとした気持ちよさが通るような気がした。束の間、快感に浸っていると、「誰?」という女の声がした。見ると壁沿いの長椅子に座っている三人の女のうちのひとりが微笑みを浮かべていた。洋介に紹介される前にすかさず答える。

「洋介の友達の健太郎だ。洋介に誘われてはじめて来た」

 すると、その女が答える。

「男前じゃん。洋介にもこんな友達いたんだ」

 ここで頷いてしまったらナルシストと言われかねない。だからと言って、不気味な笑顔を作って返すわけにもいかない。だから俺は無表情のまま、こう返す。

「俺は単なるニートだ。褒められた人間じゃないよ」

 すかさず女が返す。

「ニート? 仕事代わりになにかしてる人?」

「いや、なにもしていない。でも俺もアートには興味がある。もともと建築家になりたかったんだ。だから、文化一般には興味があるよ」

 相手がアーティスト志望者だと見越して、俺はそう言った。

「健太郎さんは何歳?」

「二十三歳だ」

「まだ若いじゃない。なりたかったって言うけど、今からでもなれるんじゃない?」

「だといいけど、会社勤めが向いてないみたいで・・・・」

 そこまで言うと、俺は自分の欠点を曝け出しているような感覚に囚われて、言葉が続かなくなってしまった。女の方は続きの言葉を待っているようで口を開かなかった。沈黙が打つ気配にいささか慄いて、言葉を捲し立てた。

「大学時代は、一流建築家に憧れて文化的あれこれの思索に耽ってたんだけど、いざ設計事務所に入社してみたら、そんな知識は全く必要なかったみたいで、仕事はクライアントの要望に答えるため、会社の利潤を上げるための業務をただ機械的に熟すだけのものだった。入社して一年だけだったけど、設計事務所の実態が分かって落胆したよ。なら、もっといい建築事務所に入ればいいじゃんって話だけど、そんなに優秀じゃなかったから仕方がない。もちろん我儘と言われるのは仕方がないと思ってる。だけどこれが俺の本音だ。だから、そんな我儘な自分の性格も含めて、俺は働くのに向いてなかったんじゃないかと思っているんだ」

 心因に依る退職という事実を伏せて、設計事務所に勤めていた際に感じていた不満を開き直ったように吐露した。女は幾分明晰であった。

「今の話聞いてると随分芸術家気質みたいな印象を受けるわ。もし文化が好きだったら、建築以外にも表現の仕方があるんじゃないかな。働きたくないんだったら、表現者でも目指してみたら?」

 すると洋介が横から口を挟む。

「そうだろ? だから俺は今日、健太郎をここに誘ったんだ。アーティストを目指すかどうかは置いといて、その手前、こうした集まりは刺激になるだろう」

 周囲の目が自分に集まっているのを感じながら、俺は答えた。

「ああ来てよかったと思ってるよ。思ってるけど、アーティストにはならないと思うよ。そんな簡単になれるもんじゃないと思うし。目指すんだったら覚悟を決めなきゃならないだろ」

「アーティストになれって勧めてるわけじゃないんだよ。こうした文化絡みの交流も刺激があっていいと言ってるんだ」

 洋介はいくらか酔っているらしく上機嫌にそう言った。すると、今度は、後ろの方から男の声が聞こえた。入店する際、死角であったため今まで気付かなかったが、ひとり年配の男性が座っていることに気付いた。長椅子が長手方向の壁に沿うように設置されているのだが、それに直角に面するように椅子が置かれている。丁度、ファサードの裏面に当たる場所であり、入口からは後ろを振り向かなければ見えない場所である。男は五十代半ばぐらいで、白髪混じりの頭髪に銀縁の眼鏡をかけていた。

「文化的思索に耽っていた、と言うけれど具体的にどんな勉強をしていたんだね?」

「いえ、大したことはない、創作に活かそうと、建築家の書籍を読み漁ったり、思想書を読み耽ったりしてただけです」

「思想書?」

「あまり知られていませんが、建築は哲学と交流のある分野なので、それを念頭において、現象学や記号論、文化人類学、あるいは美学、いかがわしいかもしれないですけど、精神分析学の本などをよく読んでいました」

「なるほど、だったらこのコミュニティは合ってるよ。この間は丁度、カントの『判断力批判』の勉強会をしたところだよ。どうだね? カントは読んだことあるかい?」

「自分の好きな建築家にダニエル・リベスキンドという人がいます。ベルリンのユダヤ博物館をデザインした人ですが、その建築家が、これからの建築は美学に忠実であるべきだ、と言っていて・・・・。だから、カントの『判断力批判』も読みました。十八世紀に出版された本だけど、今でも美学の主流だと聞いたので」

 何やら自分が試されているような気がして鼻持ちならない気分にもなったが、愛想笑いを浮かべて俺は説明した。自分の内心とは裏腹に男はニヤニヤ嬉しそうな笑みを浮かべた。

「そうかね。そりゃいいことだ。最近の学生は漫画やゲームばかりでさっぱり勉強しなくなったと聞いたからね。それじゃ恋愛の方はどうだ?」

「いや、恋愛の方は・・・・。大学時代にひとり付き合ったことがありますが、それ以外は正直ないです」

「やっぱりそうか。最近の若者は恋愛離れ甚だしいと聞いたが、その例に漏れてないようだね」

 そう言うと、男は手前テーブルの上に置いてあるグラスを手にして、目前にかざした。

「とにかく、みんなで飲もうよ。そこに椅子が空いてるから座りなさい」

 そう言われて俺は、その初老の男の誘い通りに空いているダイニング・チェア型の椅子に座った。洋介もひとり挟んで奥の椅子に座り、宴をすることになった。

 狭い店内に十人の和合ができ、会話が弾んだ。はじめ遠慮しがちであったが、ビールを煽る度にその遠慮が消えていった。そうして、ビールグラスを四杯、五杯と呑み干していった。すると、酔いが回り、饒舌となった。時間が経つと、衆人九名の前で俺は建築に関して語っていた。

「近代においては、建築の主眼は“機能”だった。だけどこれからはそうじゃない。建築の主眼は、見えがかり、雰囲気、様相・・・・そういったものに移り変わっていく。もはや建築はコルビジェが言ったような住むための機械じゃないんだ」

 不面目なことに、俺はたかだか大学で建築をかじった程度の人間であることを忘れて、雄弁に建築に関して語るという暴挙にでていた。

「機能美というものが有用性を担保として美に寄与するものなら、見えがかり、雰囲気、様相・・・・それらが標榜するのはなにか。それらが標榜するのは日常生活の審美化だ。そこでだ、この日常の審美化というのは、一体なにによって構成されているのだろう、そう疑問に思ったことがある。その領域は、きっと快適であったり、善、場合よっては悪徳なんてこともある、そうしたもので構成され表現されうるんだって考えに至ったんだ。言わば建築は、よりよく生きること、究極そんな命題に奉仕しなければならないと思っているんだ。俺は大学時代、そうしたテーマを腹に据えて制作をして、教授たちからそれなりの評価を受けてたんだよ」

 稚拙な建築私論は、遂には自慢話に変わろうとしていた。誰かたしなめる人間が必要な兆しが見えた頃、友人の洋介が親切にもその役を買ってでた。

「面白くなってきたな。お前の建築に対する愛はよく分かったよ。酔って火が付いちまったんだろう。水を飲め、頭を冷やすんだ。今頼んでやるからな」

 微笑を浮かべた洋介は振り返り、店員の女に「すいません、お水一杯下さい」と注文する。

「酔うと変なこと言い出すから。いつもは冷静なんだけどな」

 先ほどからつまらなさそうに聞いていたひとりが、お世辞を言う。

「いや、面白かったよ、今の話。建築家はそんなことを考えているんだってね」

 洋介がその言葉をいさめる。

「お前はいい奴だな。そんなお世辞言ったら、こいつの建築論がフル回転するぞ」

 俺は洋介のその言葉に笑って言った。

「洋介、ありがとう。お前がいなかったら、その通り、俺はフル回転してただろう。止めてくれたことに感謝するよ」

 そして、俺は省み理性的になることに努めて黙った。すると、銀縁の眼鏡をした先ほどの初老の男が、俺に尋ねてきた。

「で、君が言う日常の審美化を構成する、快適であったり善であったり、あるいは悪徳であったりっていうのは具体的にどんなものなんだね?」

 初老の男の方を向くと、不機嫌そうであるどころか興味津々という表情であった。真面目に答えるべきか、それともお喋りが過ぎた反省に卒なく答えるべきか迷ったが、結局真面目に答えることにした。

「これからは、自分の個人的な感性に由来するものですが・・・・、俗に美と言われるものの背後には、なんらかの概念が潜んでいるものだと思っています。例えば春の野原に寝そべることを考えると、それは快適です。しかし、その春の野原を模倣して一枚の絵画や一編の詩にした場合、それらは概念に変貌する。そして、そうした概念に転化した快適を考える場合、それは善と近似している。例えば、冷たい、暖かい、暗い、明るい、苦い、甘い・・・・、それらは本来、感覚的なものであり快適に寄与するものですが、それを、冷たい人、暖かい人、暗い人、明るい人、苦い人、甘い人・・・・とする場合、つまり概念に転化した場合、善悪を表す言説になり得るんです。そうした観点から、自分は日本の空間を読んでいるんです。そこで日本の空間の在り方なのですが・・・・、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』や磯崎新の“闇の一元論”、あるいは石で構成された枯山水、それらが表現するところの概念が、自分には心地よく美的に思えてならないんです」

 その述懐を聞いた初老の男は、いささか分からぬという具合に首を傾げる。そこで、俺は述懐を続ける。

「西欧哲学史の初期の段階においては、善とは快楽のことであった。善は快楽だという命題から、善とは幸福だという命題へ。それから、善は個人の幸福だという命題から個人及び他人の幸福だという命題へ。そうした善の変遷が西欧哲学史の初期の段階で、早々と行われたんです。それが言わんとすることは、善も快適もどちらも欲求能力を司る理性の能力に由来していることだと思うんです。高次の欲求が善に対する欲求であるのなら、低次の欲求は快楽に対する欲求、という風に理性の能力で成り立っている。だから、俗に美と言われているものの背後には、人の欲望が潜んでいる。そう個人的に思っています。そして、『陰翳礼讃』や“闇の一元論”の美質の背後に潜んでいる欲望を考える。すると、そこに潜んでいるものが分かる」

 そこで一息付くと、躊躇わずに言い放つ。

「そこに潜んでいるものは、言わば“死”なわけです」

 臆することなく、俺は普段考えていることを言ってのけた。死を暴露することに対して、横溢なカタルシスを感じた。初老の男は怪訝な顔ではなかったが、眉間に皺を寄せ、やや右上の方を向いて、なにやら思い巡らせているような態度であった。そこに店員の女が水の入ったグラスを持って来て、「お待たせしました、お水です」と言う。俺は「ありがとうございます」と言ってそのグラスを受け取ると、グラスに口を付け、水をゴクリと飲む。束の間、十人の和合の中に沈黙が打ったが、初老の男が口を開いた。

「回り道した言い回しだったけど、君の言いたいことはおおよそ分かった。ただ、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』や磯崎新の“闇の一元論”という日本の空間の美質を端的に死の表現とするのは、いささか論理が飛躍していないか」

「陽の光よりも陰を尊ぶ陰翳礼讃、闇の中で蝋燭の火が灯る闇の一元論、自分にとってそれは、死に傾倒した美質です。そのことにある程度、理解が得られると思っていたんですが・・・・。それに例を挙げれば他にも見つかる。例えば、コムデギャルソンの川久保玲の・・・・」

 そこで突然、初老の男は言葉を遮った。

「いや、死という言葉が出て奇異に感じてるわけではないよ。確かに、日本文化の一系譜に死の精神があることを私も認めるよ。例えば切腹。切腹という形で自殺を制度まで高めたのは、世界中で唯一日本だけだ。あるいは、太平洋戦争時の特攻作戦などもその例に漏れないだろう。しかし、特攻というのは戦争時、それも敗戦の確定した戦争末期という特殊な状況で発案された苦策であるから、これを平常時の精神とすることには反対だけどな」

 そこまで言い終えると、初老の男は手前テーブルに置いてあるグラスに手をかけて口の方に持っていく。残り少なくなった焼酎をグイッと飲み干す。そして、もう一度語り出す。

「だが、そういった死の精神は淘汰されるべき人間の悪しき習性だとは思わないかね?」

 初老の男はそう俺に尋ねた。俺は初老の男の圧に押されて至極真っ当な意見だと思ってしまった。初老の男は続ける。

「この際だから特攻について言う。俺は特攻で亡くなった戦死者を冒涜することは決してしない。俺が批判し断罪したいのは、特攻作戦なんてものを考えた為政者だ。特攻というのは、投下爆弾ほどの威力がなく、特攻のおかげで沈んだ大型戦艦は皆無だった。家族に当てる手紙も検閲がかけられ、国のために喜んで死にますとしか書けなかったんだ。故障などで生還してしまった特攻隊員には、これではお上に成果が示せないと言って困ったという話だ。人の命をなんだと思っているんだと思わないかね。なぜ負けると分かっていた戦争で、未来ある特攻隊員は無駄に死ななければならなかったのか。そして、もし仮に、それら特攻作戦が、日本が元々孕んでいた精神性に由来し、それが戦争という特殊な状況下で異常な形で溢出したものであるとするならば、そんな精神性、死の精神なんてものは、金輪際、あってはならない、淘汰されるべきものだ、そう思わないかね?」

 初老の男は、幾分熱くなり、持論を展開するのだった。俺は逃げ口上に陥らないように努め、真っ向から真摯に意見をぶつけなければならないと思った。

「一面的な教条主義で語れるほど人間は薄っぺらくない。例えば戦争をするのはよくないだとか自殺をするのはよくないだとか、そうやって一般的な社会通念に則って物事を言うとき、人は自分の頭で深く物事を考えてないと思うんです。言わば、虎の威を借りた狐であって、社会の自動人形になっている。だから、特攻がよくないと言うのは簡単ですよ。でも、果たしてそれが何故悪いのかを示すのは簡単じゃないと思うんです。実を言うと告白しますが、自分は特攻に格好良さを感じ憧れたことがあります。それは英雄的な戦死に憧れる一種のロマンに裏打ちされていたかもしれません。そういった人間もなかにはいるんです。だから、特攻について、その作戦は結果的に採算の取れない愚策だったかもしれませんが、その精神は理解できるんです。もちろん、不本意に駆り出され亡くなられた特攻隊員は慈しまれるべきだと思いますが」

「つまり、死の精神は淘汰されるべきでないということかね?」

 少し考えた後、こう答えた。

「世の中は一面的な教条主義で語れるほど単純明快にはできていないと思います。特攻作戦に直面し、戦争神経症になったという米軍兵もいたということです。結局特攻は、図らずとも、日本人は怒らせると何をするか分からないという恐怖心を植え付けることになり、これは外交の優位や戦争抑止力になり得ると思うんです。つまり死の精神とは、反転した倫理のなかで有用であり得ると思うんです」

 その発言を聞くと初老の男は、顎に手をやり、うっすら伸びた白髪混じりの髭を撫でるような素振りを見せる。そして、切り返すようにこう言った。

「そうか、君は懐疑主義者だし一面無政府主義者であるみたいだね。反転した倫理のなか、つまり戦争や諍いを肯定し、尚且つそのなかで死の精神は必要だと言う」

「支配的になってはならない傍流の一つに死の精神を据えること、それがそんなに悪いことでしょうか。もちろん平和に越したことはない、ですが戦争もやらずに済まされないことがあるじゃないですか。・・・・それに、もし特攻で亡くなられた青年たちのことを思う心があるんだったら、せめて、特攻は格好良かった、そう言ってやるべきじゃないですか。無意味だったとしても・・・・」

 初老の男の眉間に再び皺が寄る。指で顎を撫でながら、今度は下の方に目をやり、何やら思い巡らせているような表情だった。

「特攻が格好良いか・・・・」

 すぐには咀嚼できない心境があったのだろう、初老の男はそう呟いて黙った。

 そうして切り返すように顔を上げると、再び口を開く。

「特攻が格好良い、死が格好良い。・・・・確かに君の言う通り考えることができるかもしれない。家に帰ったらよく考えてみるよ。それに君のことは嫌いじゃないよ。むしろ、常識や社会通念に忖度することなく、深く物事を考えている姿に敬服するよ。若いのに芯のある奴もいるんだなって」

 そう言うと俯き加減であった初老の男が顔を上げる。そして目が合う。初老の男の顔は無表情であった。だから心情を窺い知れなかった。そして、こう尋ねられた。

「で、君は今も死に魅惑されているのかい?」

 初老の男の言葉に核心を付かれ内心たじろいた。それを表に出さぬように努めて冷静に答える。「自分は傍流を行く人間です」とだけ答えて黙ったが、妙にキザな言い回しになってしまったことを感じ、気恥ずかしさがした。

 そしてしばらく沈黙が打った。しばらくのうち、初老の男とのやりとりを黙って聞いていた和合の中のひとりの青年が「おぉ」と小さな歓声を上げた。そして、「それだけ自分の思想を持ってるんだったら、やっぱり表現をやるべきじゃないか?」と続けた。青年の方を向くと、陽気な笑顔を浮かべている。きっと場の空気が落ち込むのを懸念して、青年はそう切り出したのだと思った。

「こうしゃべっていたら、俺もなにか表現をしてみたくなった。それに実を言うと、俺は羨ましかったんだ。こうして自分の好きなことをしながら、奔放に生きている洋介やみんなの姿が」

 洋介が笑顔を浮かべながら言う。

「確かに、傍流を行く人間なんだったら、世間に習ってサラリーマンしてるより、こっちの方が合ってるだろうよ」

 俺は会話の歩調を合わせるように「そうかもしれないな」と言い、愛想笑いを浮かべた。そして続けた。

「だけど、表現者目指すって言われても、なにをやってよいか分からないよ。確かに文化は好きさ。でも、俺は美大を出たわけでもないし、やり方が分からない。絵も描けないし。俺ができるのはせいぜい図面と模型ぐらいだ。それに、どうやって生計を立てたらいい? 創作には金もかかるだろう」

 未だ酔いが冷めていなかったのかもしれない。俺はこのとき、この宴に参加してその楽しさ、愉快さに心惹きつけられていたのは確かだった。できれば、この界隈に身を寄せていたいとさえ思っていた。だから、元々気兼ねしていた表現者への道を目指す言動を口にしていたのだ。そして、洋介が俺の言動を拾った。

「本気でやるならある程度、アートの勉強が必要だ。で、金の方はバイトするなりして稼げばいい。三十になるまではそうやって好きなことやってても潰しがきく」

 俺は「そうか」とだけ答えて思い巡らせた。

 俺は適応障害という診断を受けた人間だ。言わば、社会不適合者の烙印を押されたような人間である。今一度、会社勤めをすることができるだろうか。毎日満員電車に揺られ、上司の叱責に耐えながら、やりたくない業務を熟し、忙しない日常を送っていく。それが定年退職まで続く。それに今一度価値を見出せるだろうか。価値が見出せたところで、それこそが、本来の自分の在り方から逃げた偽りの人生ではないか。であるならば挑戦してみるべきかもしれない、表現者としての道を、傍流の生き方を。そして答えた。

「手始めに現代アートの勉強をしてみるよ。自分になにができるか考えてみる」

 洋介は何故だか嬉しそうだった。そして、言った。

「おぉ、そうか。それは楽しみだな。お前が本気だったら、お前が心配している仕事の方も紹介するよ。実を言うと楽に稼げるバイトがあって、それにお前を誘ってみようって思ってたんだ。仕事に向いてないって言ってたけど、そんな大した技能は必要ない」

 洋介は仕事を斡旋してくれるという。しかし、表現者を目指すか否かの話から仕事の斡旋の話に飛ぶのは、いささか唐突ではないかと思わせた。だから、勘ぐって洋介にこう尋ねた。

「もしかして、その仕事に斡旋するため今日俺を呼んだのか?」

「いやいや、違うよ。ホントに俺は今日お前に楽しんでもらいたいと思って誘ったんだよ。お前の助けになるつもりで。それで、仕事の斡旋の方が二の次だった。そりゃ人手が欲しかったところだから、お前を誘うことも頭によぎってたさ。だけど、そのために呼んだ訳じゃないし、変な画策を立てていたわけじゃないよ」

 洋介は弁解するように言葉を連ねた。そして付け加えた。

「もしお前がよかったら、どうかなって話だ。どうする?」

「どんなバイトか教えてくれ。それで判断したい」

「分かった。説明するよ」

 こうして俺と洋介は、先ほどのバーカウンターの方でふたりとなり、話をすることになった。一体楽に稼げるバイトとはどのようなものなのか、話を聞いた。

 その日の宴は、十一時ぐらいまで続いた。先ほど、意見の相違によって悶着したかのように思えた初老の男とも再び打ち解け、バーの中は哄笑の声で満たされた。

 その夜、俺は三島には帰らず、新宿のネットカフェに泊まった。間仕切り壁で仕切られた二畳ほどの狭い個室の中で今日あったことを回想した。表現者を目指すことを勧められたこと、銀縁の初老の男と死を巡り議論をしたこと、そして洋介から紹介を受けた仕事のこと。俺は逡巡していた。洋介から紹介された仕事に関して。倫理的煩悶があり、畏怖の念もあった。しかし、一週間後には、俺は洋介の紹介した仕事を請け負っていたのだった。


第二章以降はamazonサイトにてキンドル出版致しました。

続きをお読みになりたい方は、そちらをチェックして下さいませ。

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