1 女神の追放
ここは神界。神々の住む世界。
人では決して足を踏み入れることの許されぬ領域。
その、神界にある美しい白い宮殿の一室で、一人裁きを受ける神がいた。
「いい加減になさい、ティアラベリア」
そう言い放ったのは、秩序と平和を司る女神フロレンス。淡い緑色の髪に、薄青の瞳を持つその美しき女神は、普段のおっとりした優しい雰囲気を消して、目の前の女神に厳しい目を向けている。
対するティアラベリアと呼ばれた、もう一人の女神は、そんなフロレンスの様子さえもおかしくてたまらないと言ったように、唇を歪める。
「あら、フロレンス。何がかしら?私が何かして?」
淡い金髪に、サファイアのような鮮やかな青の瞳のこれまた美しい、破壊と再生を司る女神は、フロレンスを嘲笑うかのようにクスクスと笑う。
「ティアラベリア。これまでは、貴女をあまり大きな罪には問いませんでした。しかし、貴女は決して、犯してはいけない罪を犯してしまいましたね……。あなたは遂に人間にまで、手を出してしまった」
ティアラベリアの態度にも、表情一つ変えず、フロレンスは淡々とそう言う。
「人間?ああ、戦争を起こしたこと?別にいいじゃない。ヒトが滅びたわけじゃないんだから」
相変わらず笑みを浮かべ、笑うティアラベリアにフロレンスが顔色を変える。
「人間の世界で戦争を起こすなんて……。なぜそんなことをしたのです!?貴女でも、やってはならないことであると気づいたでしょう!」
声を荒あげたフロレンス。
しかし、フロレンスも怒るのも当然だ。
人間や、人間を含む、全ての生き物や世界は、神々の中でも最高神にあたる十の神々によって創造された。
しかも、秩序と平和を司るフロレンスと、破壊と再生を司るティアラベリア。
どちらも十神に名を連ねた女神だ。
だが、その一人の女神による人間界への干渉と、戦争の発生。最悪なことに、その戦争は世界を破壊し、人間を滅ぼしかけた。
慌てて他の神々のティアラベリアを止め、なんとか人類滅亡と世界の崩壊を免れたものの、数え切れないほどの命が失われた。
神はすべてのあらゆる生命を慈しむもの。
滅びへと導く存在に決してあってはならない。
「貴女は、人々を操り、戦争を起こし、世界を滅ぼしかけた。あまつさえ、再生の力を失い、邪神へと身を落とすとはどういうことです!?」
フロレンスの怒りのこもった声があたりに響く。
そう、ティアラベリアは、世界を滅ぼしかけただけではない。
破壊と再生を司る女神でありながら、再生の力を失い、今回の出来事で、神が決して堕ちてはならない邪悪の化身、邪神へと身を堕としたのだ。
そのため、以前より問題行動が多かったティアラベリアだが、今回ばかりは甘い罰で済まされるはずもなく、フロレンスによって糾弾されている。
「別に、私だって失いたくて失ったわけじゃないわ」
しかし、そんな中でも、ティアラベリアは飄々としていた。
ティアラベリアは、以前と比べ物がないほどの禍々しい力を放っている。
反省の色のないティアラベリアを見たフロレンスは、一瞬悲しそうな表情をしたが、すぐそれを消し、スッと目を伏せる。
「ティアラベリア。わたくしは、秩序と平和を司る神。たとえ、神であっても、罪を犯した者には罰を下さねばなりません」
フロレンスはそこでいったん言葉を切る。
ティアラベリアはただ、「へぇ」と言っただけだった。
そんな様子を見たフロレンスは、息を吐くと、右手に持っていた裁きの神杖をカツンと鳴らす。
そして、ティアラベリアにこう言い放った。
「秩序と平和を司る女神、フロレンスの名の下に、破壊と再生を司る女神、ティアラベリアに裁きを下す。尊き沢山の生命を滅びへと導き、邪神へと身を堕とした其方の罪は重い。よって、其方を、力を封じて、人の身へと落とし、神界から追放とする」
流石にこれにはティアラベリアも予想外だったのか、「はっ!?」と目を見開き、驚愕している。
「私が人間なんてなにを馬鹿なーー」
しかし、フロレンスはティアラベリアにをすべてを言わせず、文句を遮った。
「生命の神に頼み、生命の輪廻に干渉し、貴女を人の身へと転生させます。貴女が、再生の力を取り戻すまで、貴女はずっと人のままです。取り戻すことができたら、神界へ戻ることを許しましょう。それ以外で戻ることは許しません」
そうピシャリと言い切ったフロレンスは、ティアラベリアの反論を許さず、再びかつんと裁きの神杖を鳴らす。
すると、ティアラベリアの周りを淡い緑の光が包みこんでいく。
ティアラベリアが慌てて抵抗しようとしたが、もう遅い。
完全に光に包まれたティアラベリアは宮殿から姿を消した。
* * *
ティアラベリアを輪廻の輪へと送り、宮殿に一人となったフロレンスはため息をつく。
「どうしてこうなっちゃったのかしらね、ティア」
かつては、同じ十神として姉妹のように仲の良かったフロレンスとティアラベリア。
しかし、いつの日からかその関係性は壊れていった。
それは、ティアラベリアが他の神々と別格と言っていいほど強大な力を持っていたからだ。
フロレンスは普通にティアラベリアのことを妹のように思っていたが、他の神々は違った。
飛び抜けた力を持つティアラベリアを恐れ、邪険に扱った。
誰よりも孤独な彼女は、いつしか、その長いときの中で、心が壊れてしまった。
そして、破壊ばかりを繰り返す邪神とまでになってしまった。
誰よりも近くでその様子を見ながらも、ティアラベリアを助けることのできなかったフロレンス。
フロレンスが一番悔いてるのは、己の行いだ。
だからこそ思うーー
どうか、ティアラベリアのこれからの人との関わりの中で、その孤独を癒すことができますように、と。
自分にはできなかったことをフロレンスは人の子へと託した。
フロレンスは誰よりも願っている。
愛しい妹が幸せでありますように、と。