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オルゴールの箱庭  作者: 猫目石琥珀
チューン・シート
1/6

1 恋は野の鳥


 まだ花があんまり咲いてない原っぱで、友達と蜜探しの準備をする。

 みんなで集めた平石を地面に敷いて、鍋型アイロンを置いた。手鍋みたいなアイロンには、真っ赤に熾した石炭が入っている。

 アイロンに蜜蜂の巣のかけらを入れて溶かす。

 解けた蜂巣を木板に垂らし、さらに蜂蜜を加えた。

 ふわっと香る蜂蜜の甘い香り。

「こんなんで本当に来るのか?」

「バカ。蜜蜂はすげえ遠くからでも嗅ぎつけてやってくるんだぜ。まだ花が少ないから、蜜蜂ははらぺこなんだ」

 おれの疑問に、年長のやつが笑う。

 こいつはおれらよりふたつ年上の十二歳で、薪割り斧も許されている。図体と態度がでかいから、おれは好きじゃない。

 おれだってそこまでガキじゃない。

 まだ斧は買ってもらってないけど、ナイフは自由に使っていいのに。

 木の板から離れて、木陰でみんなで固まった。そしたら年長のやつが言った通り、蜜蜂が一匹やってくる。ぷうんと独特の羽根音を響かせて、くるくる回りながら蜜へ降り立った。

「ほらな」

 自慢げに囁いてきやがった。

 すぐ蜜蜂がきて嬉しいけど、こいつが自慢げなのは腹が立つ。

 蜜蜂は蜜をたらふく食べて、森の奥へと飛んでいった。

「追いかけるぞ、おまえは石、おまえは木板を持ってこい。おまえはナイフ持ってたから、帰りの目印を刻んどけよ」

 年長のやつは鍋型アイロンを抱え、当たり前のように命令する。

 おれは鹿角柄のナイフを革鞘から抜き、大きな木の幹に矢印を刻んでいった。

 迷ったらほんとにバカだもんな。

 きらきらと差し込む木漏れ日を潜って、根っこがでこぼこしてる山道を駆けていく。

 上がったり下がったり、渓流で回り道をして走る。いちばん年下のやつが、泥に足を突っ込んで立ち往生だ。

 蜂を見失う。

「どっちいったんだろう?」

「せっかく蜂蜜きたのにね」

 みんな残念がる。

「方向は合ってんだから、大丈夫さ。もう一回、あっためるぞ」

 香りで蜜蜂をおびき寄せて、みんなでまた追いかける。

 今度は三匹もきた。

 息を切らせて追いかけていくと森が開けて、おんぼろ屋敷があった。いつごろ建っていたのか、じいちゃんに聞いても知らないと言うくらい古びたお屋敷だ。

 絶対に近づいちゃいけないと注意されている。 

 近づくと住んでる魔女に、カエルにされるとか、シチューの材料にされるとか。

「あのお屋敷、魔女が住んでるんだって。近づくとカエルにされるんだったら、野良犬を引っ張ってこようか」

「おまえそんなに子供だまし信じてるのかよ」

「でも動物がカエルになるんだったら見たいだろう」

 友達と話していると、年長のやつが笑う。

 欠けた前歯がよく見えるくらい大笑いした。

「おまえらバカだな」

 すぐおれらをバカ扱いしやがる。

 憎たらしい。笑ってる口に石を投げ込んでやろうか。

「あの屋敷に住んでるのは、魔女じゃねぇよ。高級娼婦なんだぜ。街から馬車がたまに来るんだ。馬車に乗ってる大金持ちしか相手にしない美女がいるんだぜ」

 高級娼婦……って何だろう。

 知らないって言うとまたバカ扱いされるから、おれは口を噤んだ。

 古い屋敷に近づいていく。

 雑草が途切れて、小石がなくなり、柔らかな茂みに変わって、砂利道になった。靴を履かなくたって大丈夫なくらいだ。

 脱ぎたいな、新しい靴って小指とかかとが痛い。

 靴紐、緩めよう。

  

「どちらさま?」


 女の声が降ってきた。

「うわっ!」

 最初に叫んだのは、年長のやつだ。それからみんなも叫んで、森へ逃げる。

 おれだけすっ転んだ。

 靴紐を踏んずけて、盛大に転んで、両足を砂利に擦る。

「いてて……」

「どこのいたずら小僧かしらね」

 おれの目の前にいた女は、とびきりきれいな女だった。

 たっぷりした黒髪を、几帳面に結っている。

 ドレスは明るい若草色で、見たこと無い艶の生地だった。綿でも羊毛でもない生地で、おれの泥だらけの指で触ったら天罰が下りそうだ。

 ロケットペンダントは陶器で、黄薔薇の絵が描いてある。二重になっている金鎖が、日差しを反射してきらきらしていた。

 これが魔女なのか。

 それとも高級娼婦?

 名乗りもしないでずっと黙っていると、視線がおれの膝に向けられた。

 きらきらとした新緑の瞳だ。

 いろんな葉っぱがたくさん重なって、太陽が深く差し込んでいるみたい。

 そうだ、万華鏡だ。友達が持ってる万華鏡を覗いた時と同じ気分になってきた。きれいで、不思議で……二度と同じ模様にならないから少し怖い。

「わたくしはクロエ、この屋敷の主よ」

 クロエ。

 外国の響きがする。

 海を越えた国の血が入っているのか、肌は不思議な黄色だった。でも嫌な黄色じゃない。黄薔薇をミルクに混ぜたら、こんな色になるんじゃないかな。

「さ、おいでなさい、煮沸した水で洗ってあげるわ。ここで破傷風になられると気分が良くないもの」

 嫌だと言いづらかった。

 クロエって名乗った女主人は、スカートをしゃらしゃら鳴らして裏手に回る。

 澄んだ音だ。ペチコートがタフタってやつなのかな。タフタのペチコートは衣擦れがきれいだから、女の子たちは大人になったら絶対に欲しいって言ってる。

 たしかにきれいな音だ。

 裏庭へと回ると、大きなすももの木が茂っている。日当たりのいいところには菜園、日陰には蜜蜂の巣箱があった。  

 もしかしてさっき飛んできた蜜蜂は、この女が養蜂してるやつだったのかな。

 みんなで蜜蜂の巣を見つけて、秋にたっぷり蜜を貯めた頃に採る計画だったけど、この女の蜜箱からじゃ盗めない。他人の巣箱から盗むなんて、じいちゃんに拳骨される。

 裏口から食器洗い室に入る。

 食器洗い室は水漆喰が新しいし、鋳物のポンプを備えた水場があった。おんぼろ屋敷だけど、水回りは新しいんだ。

 屋根の下に水場があるの、すっげぇ羨ましい。おれんちは斜向かいの井戸まで行かなくちゃけないから。

「座っていなさい」

 三脚の小さな椅子を指し示される。踏み台代わりになっているのか、あちこち禿げていた。

 腰を下ろしてじっとしていると、奥から水差しを持ってきてくれた。あと清潔そうなタオルも。

「ありがとう、でも自分で出来るよ、こんくらい」

「そう? 痛くてもきちんと洗うのよ」

 素っ気なく水差しとタオルを渡してくれる。

 遠くから轍の響きが聞こえた。あとは御者が馬を引く掛け声。

「お客さまだわ。泥ひとつなく洗ったら待っていなさい。消毒してあげるから」

 クロエはさっと立ち、スカートを鳴らして行ってしまった。

 消毒は嫌だ。

 洗ったらさっさと逃げよう。

 おれは両膝の擦りむいた傷に、ぬるま湯を流す。朱色の傷がじんわり痛むけど、よく洗っておいた。それからタオルで拭けばもう大丈夫。

 よし。

 食器洗い室を飛び出した。

 あの女が魔女なら、薬草を煮る大釜とか、かび臭い本があるはずだ。

 魔女の屋敷を探検なんて、友達の誰もやったことがない。あの威張り腐った年長のやつだって、黙るだろう。

 足音を立てないように、長くて天井の高い廊下を歩いていく。

 優しい音楽が聞こえてくる。

 ほんのちょっぴりだけ開いた扉からだ。

 誰かいるのかと息を殺して覗いてみれば、そこは職人の工房みたいだった。

 使う方法が想像つかない工具ばっかりが、壁に掛けられている。靴工や馬具職人の道具みたいだ。勝手に触ったら、拳骨でぶん殴られる。絶対。

 それから金属粉の匂いと、嗅いだことのない油の匂い。べたっとした感じからして動物油っぽいけど、牛でもないし豚でもないし、なんだろ。

 作業台の奥に、あの女が佇んでいた。

 鳥籠を抱えている。

 花の装飾が絡みついた真鍮の鳥籠で、中には小鳥が何羽も入ってる。でも普通の鳥じゃない。親指サイズの小さな小鳥たちで、ぴくりとも動かない。

 魔法で小さくして、固めてあるのかな?

 女が鳥籠の螺子を捲く。

 キリキリと金属的な音がして、ぽろぽろと音が鳴り始めた。小鳥たちが一斉に動き出して、囀っているみたいだ。

 その音を奏でながら、女は屋敷の表側へと歩いていく。

 こっそり追いかけた。

 玄関に近い部屋に入っていく。今度はきちんと扉が閉められて、中は覗けない。

「お待たせいたしました」

「素晴らしい! どの職人にも直せなかったのに」

 男の声だ。

 はしゃいだ声で、女を褒めている。

「大叔父さまのからくりオルゴールは、細かい上に癖が強いですから。弟子のわたくし以外は手こずるでしょう」

 弟子?

 じゃあオルゴールを直したのは、あの女?

 魔女でも娼婦でもなくて、オルゴール職人だったんだ。

 でも女で職人やってるんだったら、もう魔女みたいなもんだよな。

「いやはや、まったくなんとお礼を申し上げていいものやら。これは祖母の輿入れに、祖父が贈ったもので。足腰の悪くなった祖母にとって、もう唯一の楽しみと呼べるものなのですよ。早く帰って祖母に見せたい」 

 鳥籠を抱えた中年の紳士が、扉から出てきた。何度も何度も礼を述べながら、立派な箱馬車に飛び込む。

 街からやってくる金持ちって、オルゴールの修繕を頼みに来てるのか。

 そりゃオルゴールなんて高価なもの、金持ちしか持ってないもんな。

 窓越しに箱馬車を眺めていると、背後でしゃらしゃらとタフタの衣擦れが聞こえた。

「そんなところにいたの?」

 あーあ、見つかった。

 緑の万華鏡みたいな瞳に見つめられると、なんだかおれはガキっぽい態度が取れなくなってくる。

「オルゴール職人だったんだ。なんで街じゃなくて、こんな田舎に?」

「都会の空気が濁っているからよ。田舎の空気じゃないと駄目なの」

 肺が弱いのかな。

 たまに肺が弱いお金持ちが、ここで何週間か休んでいく。すごく肺が弱いと毎年来る。

 使い走りするとお小遣いが稼げるんだ。 

「さ、消毒するわよ」

 おれは引きずられて、両膝に塗布用アルコールを塗られた。



 

 オルゴール職人と会ったのは、じいちゃんにも友達にも言わなかった。

 魔女でも娼婦でもなかったぞ。腕利きの職人だっただけ。

 そうみんなに言えばよかったけど、じゃあみんなで覗きに行こうって言われる気がして嫌だった。

 クロエは、誰にも内緒にしておきたかったんだ。

 おれだけの秘密に。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 猫目石さんの新作待ってました!! 早速美しい服飾と工芸の描写に惚れ惚れしております。 一話目かららタイトルが悲恋のオペラ代表の歌詞でたいへん嫌な予感がしますが......。ともあれ続きを本…
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