【巻五四 魯肅】非載述之體
「歴史家としてあるまじき態度だ!」
「劉表死。肅進說曰:「夫荊楚與國隣接,水流順北,外帶江漢,內阻山陵,有金城之固,沃野萬里,士民殷富,若據而有之,此帝王之資也。今表新亡,二子素不輯睦,軍中諸將,各有彼此。加劉備天下梟雄,與操有隙,寄寓於表,表惡其能而不能用也。若備與彼協心,上下齊同,則宜撫安,與結盟好;如有離違,宜別圖之,以濟大事。肅請得奉命弔表二子,并慰勞其軍中用事者,及說備使撫表眾,同心一意,共治曹操,備必喜而從命。如其克諧,天下可定也。今不速往,恐為操所先。」權即遣肅行。到夏口,聞曹公已向荊州,晨夜兼道。比至南郡,而表子琮已降曹公,備惶遽奔走,欲南渡江。肅徑迎之,到當陽長阪,與備會,宣騰權旨,及陳江東彊固,勸備與權併力。備甚歡悅。時諸葛亮與備相隨,肅謂亮曰「我子瑜友也」,即共定交。備遂到夏口,遣亮使權,肅亦反命。
臣松之案:
劉備與權併力,共拒中國,皆肅之本謀。又語諸葛亮曰「我子瑜友也」,則亮已亟聞肅言矣。而蜀書亮傳曰:「亮以連橫之略說權,權乃大喜。」如似此計始出於亮。若二國史官,各記所聞,競欲稱揚本國容美,各取其功。今此二書,同出一人,而舛互若此,非載述之體也。
(漢籍電子文献資料庫三國志 1269頁 ちくま7-076 批判)
○解説
荊州を支配していた劉表が死亡。すると魯粛はすぐさま劉備のもとに赴きたいと孫権に申し出、ついには劉備や諸葛亮とのコンタクトを取ることに成功しました。
裴松之先生、この部分の話を確認されると、諸葛亮伝に対して改めて怒りを剥き出しにされるのです。
伝のこの辺を読めば、曹操を撃退する策謀が魯粛起点なのは明らかだろうに! にもかかわらず蜀書諸葛亮伝は、まるで諸葛亮がこの策謀の起点になっているかのように書かれている! おかしいだろ陳寿! なんで諸葛亮の功績のかさ増ししようとしてんだ! 二書の視点を合わせようとしないなんて、歴史家としてあるまじき態度だ!
○皆様のコメント
・波間丿乀斎
裴松之先生、自身が諸葛亮をアゲようとしてるもんだから、他人がそれをやろうとすると過敏に反応されてるんですね。良く言いますよね、「貴方の怒りは自己紹介である」と。心理学用語では投影と言うそうですが、ともあれ裴松之先生、自分の理屈に沿わない諸葛亮アゲのルートにはたぶん拒絶反応を示されるんじゃないでしょうか。と言うか蜀の立場から物事書くんなら魯粛まわりの話とかただの贅言に過ぎないと思うんですけどね?




