【巻四八 孫皓】防護風寒豈唯數處
かもめっち@ilyich様よりの情報です。
干寶晉紀曰:陟、璆奉使如魏,入境而問諱,入國而問俗。壽春將王布示之馬射,既而問之曰:「吳之君子亦能斯乎?」陟曰:「此軍人騎士肄業所及,士大夫君子未有為之者矣。」布大慚。既至,魏帝見之,使儐問曰:「來時吳王何如?」陟對曰:「來時皇帝臨軒,百寮陪位,御膳無恙。」晉文王饗之,百寮畢會,使儐者告曰:「某者安樂公也,某者匈奴單于也。」陟曰:「西主失土,為君王所禮,位同三代,莫不感義,匈奴邊塞難羈之國,君王懷之,親在坐席,此誠威恩遠著。」又問:「吳之戍備幾何?」對曰:「自西陵以至江都,五千七百里。」又問曰:「道里甚遠,難為堅固?」對曰:「疆界雖遠,而其險要必爭之地,不過數四,猶人雖有八尺之軀靡不受患,其護風寒亦數處耳。」文王善之,厚為之禮。
臣松之以為
人有八尺之體靡不受患,防護風寒豈唯數處?取譬若此,未足稱能。若曰譬如金城萬雉,所急防者四門而已。方陟此對,不猶愈乎!
(漢籍電子文献資料庫三國志 1164頁 ちくま6-202 批判)
○解説
呉の末期、孫皓が紀陟を司馬昭の元に遣わせました。このときのやり取りを干宝『晋紀』が綴っています。それによると司馬昭が紀陟に「魏との国境線がこれだけ長いともなると、国土防衛も大変でしょうな」と語ったそうです。すると紀陟は「人体は八尺もの長さに及びますが、その中で病魔を侵入させぬために防ぐのは三、四箇所ほどに過ぎません。国土防衛にも同じことが申せましょう」と回答、司馬昭を唸らせたのだそうです。
は? 裴松之先生、食いつきます。
いやいや、人体でしょ? 三、四箇所しか病魔の入らないところがないなんてことある? どう考えてももっと多いでしょ、それなら巨大な城には四つの門があってそこからしか侵入できない、ってしたほうがまだわかりやすいんじゃない?
○皆様のコメント
・かもめっち@ilyich 様
え?そこ??歴史家として突っ込むところそこなの?




