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裴松之先生の「罵詈雑言」劇場  作者: ヘツポツ斎
罵詈雑言劇場 蜀編

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53/76

【巻三六 馬超】穢雜虛謬

「ひどいし雑だし虚報だし誤り!」



山陽公載記曰:超因見備待之厚,與備言,常呼備字,關羽怒,請殺之。備曰:「人窮來歸我,卿等怒,以呼我字故而殺之,何以示於天下也!」張飛曰:「如是,當示之以禮。」明日大會,請超入,羽、飛並杖刀立直,超顧坐席,不見羽、飛,見其直也,乃大驚,遂一不復呼備字。明日歎曰:「我今乃知其所以敗。為呼人主字,幾為關羽、張飛所殺。」自後乃尊事備。


臣松之按以為

超以窮歸備,受其爵位,何容傲慢而呼備字?且備之入蜀,留關羽鎮荊州,羽未嘗在益土也。故羽聞馬超歸降,以書問諸葛亮「超人才可誰比類」,不得如書所云。羽焉得與張飛立直乎?凡人行事,皆謂其可也,知其不可,則不行之矣。超若果呼備字,亦謂於理宜爾也。就令羽請殺超,超不應聞,但見二子立直,何由便知以呼字之故,云幾為關、張所殺乎?言不經理,深可忿疾也。袁暐、樂資等諸所記載,()()()()()()()()()()()()()()


(漢籍電子文献資料庫三國志 946頁 ちくま5-184 罵詈雑言)



○解説

 馬超ばちょうが紆余曲折の末、劉備りゅうび軍に加入。このときのエピソードとして、「山陽公載記さんようこうたいき」では馬超が劉備をあざな呼びしていて、それに関羽かんう張飛ちょうひが切れていた、という話を載せます。馬超のやつ殺す、とまで言い出す勢い。慌てた劉備は二人を止めますが、「ならあいつにわからせてやればいいんだな?」と、やや物騒な方向転換をしました。やがて会合が開かれたとき、馬超が遅れて入ってくると、なぜか関羽と張飛が劉備の側に。それを見た馬超が、よくわからないんですが、「これは玄徳げんとく殿をこのままあざな呼びしたら殺される」と悟り、以降尊号呼びをするようになったのだそうです。

 どういうこっちゃ、裴松之はいしょうし先生、おこおこです。

 馬超は劉備から爵位を得てる以上、君臣の別がはっきりしているのは明らか。そんな状態で、あざな呼び? んな天元突破の無礼ありえんやろ。というか関羽伝を紐解けば関羽が荊州けいしゅうから動けずにいたのは間違いのないことで、だからこそ馬超加入の時手紙で「馬超なんぞ飼って大丈夫なのか?」と問い合わせるしかなかった。そんな人間がどうして馬超と顔を合わせられるのか? ……というか万が一あざな呼びが事実であるとしたら、許すだけの事情があったと考えるのが普通。それを関羽や張飛がどうこう言うのはお門違い。というかそもそも山陽公載記の流れで、どうして馬超が「あざな呼びのせいで」殺されかねないと悟ることができるのか? ()()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()



○皆様のコメント


・松浦 桀 様

 215年に孫権そんけんが荊州返還を求めて関羽軍と交戦した際に、劉備は兵5万を率いて益州えきしゅうから荊州へと帰還している。このときに劉備、関羽、張飛、馬超が顔を合わせた可能性はかなり高い。

(巻三十二 先主伝「二十年,孫權以先主已得益州,使使報欲得荊州。先主言:「須得涼州,當以荊州相與。」權忿之,乃遣呂蒙襲奪長沙、零陵、桂陽三郡。先主引兵五萬下公安,令關羽入益陽。」)

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