【巻三五諸葛亮】良為可怪
「いみわからん」
魏略曰:劉備屯於樊城。是時曹公方定河北,亮知荊州次當受敵,而劉表性緩,不曉軍事。亮乃北行見備,備與亮非舊,又以其年少,以諸生意待之。坐集既畢,眾賓皆去,而亮獨留,備亦不問其所欲言。備性好結毦,時適有人以髦牛尾與備者,備因手自結之。亮乃進曰:「明將軍當復有遠志,但結毦而已邪!」備知亮非常人也,乃投毦而答曰:「是何言與!我聊以忘憂耳。」亮遂言曰:「將軍度劉鎮南孰與曹公邪?」備曰:「不及。」亮又曰:「將軍自度何如也?」備曰:「亦不如。」曰:「今皆不及,而將軍之眾不過數千人,以此待敵,得無非計乎!」備曰:「我亦愁之,當若之何?」亮曰:「今荊州非少人也,而著籍者寡,平居發調,則人心不悅;可語鎮南,令國中凡有游戶,皆使自實,因錄以益眾可也。」備從其計,故眾遂強。備由此知亮有英略,乃以上客禮之。九州春秋所言亦如之。
臣松之以為
亮表云「先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事」,則非亮先詣備,明矣。雖聞見異辭,各生彼此,然乖背至是,亦良為可怪。
(漢籍電子文献資料庫三國志 913頁 ちくま5-108 批判)
○解説
劉備のもとに諸葛亮が合流!
伝がそのシーンを迎えると、裴松之先生は『九州春秋』より取材したという『魏略』の記事を載せています。ご覧の通りクソ長。それによると劉備が荊州にいたところ、諸葛亮自身が出向いてきて天下国家の計を論じ、登用された、というのです。
まったくもー、と裴松之先生、有名な『出師の表』を引いて仰います。いやいやめっちゃ諸葛亮サマご自身が「劉備様が三顧の礼にてこの身分低い私を出迎えてくださった」ってかいとるやん、だのになんでここまで事実から乖離した話が出てくんのん、全く意味わからんわ、と。ここは正直罵詈雑言と言うより、正真正銘出所が謎すぎて首かしげてらっしゃる印象もありますね。
○皆様のコメント
・おさっち 様
劉備が編み物をして暇つぶしするっのて元筵売りの劉備の逸話としては割とそれっぽいのですよねー。ムキになる松さんも含めなんか気にある記述!




