一 鶸
ここは和色世界。
和色の名を持つ男子が住まう場所――。
一 鶸
「や~い!弱虫!」
「弱虫って言うか、弱鳥だよな~、お前。」
「ほんっと、『名は体を表す』って、そのまんま!」
笑いながら突き飛ばされて、じわっと涙が出てくる。
「あ、泣き出した!」
「や~い!泣き虫!」
「コラッ!お前達、何をしておる!」
「やべぇ!長だっ!逃げろ~!!」
僕をいじめてた奴等が一斉に飛び立った。僕は一人、地べたに取り残される。
「鶸よ…。お主、今日も飛べなかったのか?」
地上に降り立った長が少し呆れたように言う。僕は頷く。
「翼はどこも異常無い。飛ぼうとさえ思えば、お主はいつだって飛べる筈なんだぞ。」
「………でも…、怖くて…。」
そう言いながら、僕はばらまかれた豆を拾い集める。
「もういい。貸しなさい。」
長は残りの豆を袋に入れると、すっと飛び去った。
ここは鳥人の里。背中に翼のある者達が住まう場所だ。皆、自由自在に空を飛ぶ。でも、僕は飛べない。だって、怖い…。長は「大地を蹴り出せば飛べる」って簡単に言うけど、飛んでどうするの?地面は立てるけど、空はどこにも立てる場所なんか無い。高い所まで行って、急に翼が動かなくなったらどうなるの?落ちるしかない…。落ちたら…、きっとすごく痛い…。今も小突かれた所が痛いけど、空から落ちるのはきっともっと痛い筈。だったら…馬鹿にされるのも小突かれるのも我慢出来るよ、僕。涙は出るけどね…。
ごしごしと袖口で涙を拭いて、歩いて母屋を目指す。長は先に帰った。僕は足も遅いんだ。ゆっくり歩きながら見る夕焼け空は茜色で綺麗だけど、どこか冷たい感じがするのは風のせいかな?とぼとぼ歩いて、漸く母屋に帰りついたら大人達に怒られた。
「鶸!今日も飛べなかったんだって!?お前はとんだ落ちこぼれだな!この里の面汚しだ!」
「飛べないなら、もう今度から全部の下働きをお前がやれ!」
「そうだ、そうだ~!でも、豆の筋取りすら、まともに出来ないもんな、お前~!」
茶化すように言う奴等に長の怒号が飛ぶ。
「コラッ!まだ鶸が飛べないと決まった訳ではないだろう!」
「だってさ~、もう何年地べたを歩いてんだよ、ソイツ!」
「具現化したての奴だって、三分は飛べるんだぜ。」
分かってるよ…。僕が落ちこぼれだって…。だから、皆に迷惑かけないように厨房の手伝いとかは頑張ってるのに、僕が筋取りしてた豆を奪って丘にばらまいたのはそっちじゃないか…。
そう思ったら、また涙が零れそうになった。だから「ご飯はいりません…」って言って屋根裏の自分の場所にひっこんだ。頭から布団を被る。こうすると、少し落ち着く。僕にも、味方になってくれるような友達がいたら良かったのにな…。そう思って、泣きながら眠りに着いた。
そんな毎日だったけど、ある日、長が言った。
「鶸、気分転換に花見に行こう。ここから少し行った所に綺麗な桃園があるんだぞ」って。一族皆が行くなら、僕は留守番をしてるって言ったんだけど、連れて行かれたんだ。ビクビクしたけど、今日はずっと長がいるからか、奴らは手出しをしてこなかった。だから、安心してお花を見たんだ。桃の花は特に香りはないけれど、とっても綺麗な色と形。「綺麗だね」って話してたら、長が歩いて行った先で僕に手招きしたの。「鶸、こっちに来てごらん」って。そっちには、もっと綺麗な花が咲いているのかなと思って走って行ったら、長に抱きかかえられて、「そ~ら!飛んでみろ!」っていきなり崖下に投げ飛ばされたんだ…。突然の事に驚いて、そのまま地面に叩きつけられた僕は大怪我をして、生死の境を彷徨った。
「すまん、鶸…。『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』とあるじゃろう?自分に危機が迫れば、きっとお前の翼も開くと思ったんだ…。まさかこんな事になるとは…。」
体中の痛みと高熱にうなされている僕の傍らで、長がひたすら謝っていた。
そんな事があって、起き上がれるようになった頃には流石に誰にも「飛べ」とは言われなくなった。けど、一族の皆は僕を鼻つまみ者みたいに扱うようになった。まぁ、そうだよね…。長の荒療治でも飛べない、って分かったんだもん。僕は鳥人として不適合者の烙印を押されたんだ。でも、僕自身はほっとした。これでもう「飛べ」って言われなくなったんだって思ったら、漸く楽になれたんだ。
でも、飛べないのに翼があるのはみっともないかと思って、以後は頭から大きな布を被って翼を隠した。お布団を被っているみたいで安心する。この布は僕を守ってくれる友達みたいなものなの。そうしたら、今度は「布饅頭」って呼ばれるようになった。僕にはちゃんとした名前があるのにな…。
そんな風に、一族の皆から隠れるようにこそこそ生きてた。
崖下に落とされてから丁度一年後、ふとあの綺麗な桃の花が見たくなって、今度は一人で桃園に行った。もう人のいない夕方。その年は例年より寒かったから、折角来たのにまだ花が咲いてなくて、がっかりして帰ろうとしたら、上から声が降って来た。
「何だ、お前。桃の花を見に来たのか?」
吃驚したから声は出なかったけど、頷いたら声が続いた。
「ちょっと待ってろ!」
それから、上の方でガサガサ動く気配がして、今度はいきなり何かが落ちて来た。
「―――な、何っ!?」
「…いててて…。」
大きな音と共に落ちて来たのは、僕と同い年位の男の子だった。
「だ、大丈夫…?」
ドキドキしながら声をかけた。
「うん!痛ってーけど、へーき!そんな事より、ほら!これ、やるよ!」
ずいっと差し出された男の子の手には、綺麗に色づいた桃の花が付いた枝があった。
「下からじゃ見られないけど、日当たりの良い上の方はもう花が咲いてんだぞ!」
「あ、ありがとう…。」
お礼を言って受け取った。
「お前、ここらへんじゃ見ない奴だな。遠くから来たのか?」
「…うん、まぁ、そんなとこ…。」
「そっか~。あんまり遠いとなかなか来られないかもだけど、あと十日もしたら、ここ花盛りになるからまた見に来なよ。とっておきの場所に案内してあげる。」
茜空に照らされたにっこり笑顔が印象的だったから、つい頷いてしまった。
「お!来るのか!じゃあ、約束な!」
いきなり小指を立てた右手を出して来たから、戸惑った。
「…?指切りだよ、したこと無いの?」
「…うん…。僕、友達いないから…」
小さく言ったら笑われた。
「な~んだ!じゃ!俺っちと友達になろうぜ!でな。指切りってのは、こうやってする約束の儀式だ!」
そう言うと、自分と僕の右手の小指を絡ませた。
「十日後に、またここで。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます!指切った!」
そう歌うように言って、腕を振って、最後の所で勢いよく振り払われた。
「これで、約束完了だ。三英傑がしたって言う桃園の誓いみたいだな!」
きししと笑う。同年代にそんな笑顔を向けられたこと無かったから戸惑ったけど、なんだか嬉しくて、楽しかった。なんか良く分かんないけど、胸がぽかぽかした。
「ぼ、僕、鶸。君の名前は?」
「俺っち、桃!よろしくな、鶸!もう暗くなるから、気を付けて帰れよ!じゃっ!十日後!忘れんなよ~!」
そう言って、大きく手を振ると桃園の奥に走って行ってしまった。
僕は自分の手にある桃の枝を見て思う。今のは、桃の精?
持って帰った桃の枝は花器にさして、枕元においた。心があったかくなるような綺麗なお花。僕の所に春が来たみたい。
*****
十日後。今度は朝から出掛ける事にした。まだ日が高いうちから出掛ける支度をしている僕を見て、長は戸惑っていた。
「鶸よ、出掛けるのか?」
「うん。友達と約束があるから。」
そう告げて、布を被って外に出る。歩いてたら、上から「布饅頭が歩いてる!」と声が降って来た。カッと恥ずかしくなって、茂みに入った。上から見られないように、茂みの中をひたすら進んだ。そんな風にして歩いてたから、桃園に着いた時には、葉っぱやら蜘蛛の巣まみれになっていた。友達に会うのに、なんだか薄汚れてて恥ずかしい…。
まだ早いから、桃はいないかな?キョロキョロと見渡す。
時間も決めておけば良かった…。でも、もしかしたら嘘でからかわれたのかもしれない…。不安が胸をよぎった時に、向こうから元気な声がした。
「ヒワ~!!!」
ぶんぶんと大きく手を振って、弾ける笑顔で駈けてくる桃がいた。
「待ってた!一緒に食べようと思って、金平糖も持って来たんだ!こっちに来いよ!いっちばん綺麗に見える場所に連れてってやる!」
そう言うと、蜘蛛の巣まみれの僕なんか気にしない、って感じで僕の手を引いて、ぐんぐん走り出す。
「待って…!速いよ、桃!も少し…、ゆっくり…」
息を切らしながら言ったら、桃が止まって、振り向いた。
「あ…ごめん。嬉しくて、つい…」
照れたように笑う。
「ごめん…。僕…、足が遅くて…。」
「いいって、いいって!鶸はここまで来るのに、疲れてるんだもん。ゆっくり行こ!今日はたくさん時間があるし。それにしても、今日はいい天気だね!」
そう言って、今度はゆっくり歩き出す。さっき僕を引っ張る為に繋いだ手はそのままに。桃が歌うと空の雲雀も歌った。
「へへっ、雲雀も歌ってら!」
桃が嬉しそうに言う。
「雲雀、好きなの?」
「ん~、好きって言うか、羨ましい!鳥には翼があるじゃん!俺っちも欲しかった!翼があったら、ここらで一番高い木よりも、もっとずっと高い所に行けるからなぁ~。」
そう言われて、ドキリとする。役に立たない翼を持っている僕…。翼がある事を隠して友達になるのは、嘘をついている事になる?心臓がバクバクする。どうしよう…。言うべき?でも、言ったら言ったで自慢に聞こえてしまうかも…と思ったら、結局何も言えなくて…。
ただ、桃に手を引かれて歩いた。
「ほら、ここ!本当は手入れする道具を入れとく所なんだけど、ここの屋根に上って見ると、桃園が一面の雲みたいに見えるんだぜ!」
桃はそう言うと、小高い丘に建つ掘っ立て小屋に梯子を立てかけた。
「俺っちが梯子を押さえててやるから、鶸、先に登って!」
「え?…ええっ!」
掘っ立て小屋は結構な高さだ。ちょっと足がすくんだ。でも!折角出来た友達に「怖い」なんて言えなかった。覚悟して、登った。登り切ってから、怖くて目を瞑った。
「じゃ~、俺っちも今、行く!」
そう下で声がしてから隣で「お待たせ!」って声がしたのは一瞬だった。びっくりして目を開けた。
「ほら、鶸!見てみろよ!雲海みたいだろ!」
手を引かれて、屋根の上に立つ。そこから見た桃園は、一面に広がる桃色の雲だった。
「うわぁ…っ!綺麗だね…。」
「だろ!桃源郷ってこんな感じの所を言うのかな?」
上から見る風景が、こんなにも色鮮やかで美しいなんて知らなかった。暫く、言葉も無く眺めていた。
「な!これがとっておき!鶸は友達だから、特別だぞ!ほら、座って。綺麗な風景を見ながら、金平糖食べよ!」
そう言って、手を引いて隣に座らせると、離した手のひらに綺麗な金平糖を載せてくれた。
「金平糖も綺麗だね…。君の瞳と同じ、綺麗な桃色…。」
「うん!俺っち、桃って名前も色も木も皆、好きなんだ!」
桃はそう言ってから続けた。
「でも、もっと好きなのは空!俺っち、ここらにある高い木は全部登り切っちゃったからさ、次はもっと高い所に登るんだ!」
「もっと高い所って…?」
そう聞く僕に、桃はびしっと遠くを指差した。
「ここで、最も高いって言ったら、やっぱ、六省の天守だろ!あそこに登りたい!だから、もうしばらくしたら、六省入省の試験を受けようと思ってる!」
「ええっ!?試験を受けられるのは青年期からじゃないの?」
「こないだ試験要綱見たら、そんな事どっこにも書いてなかったから、受けに行かない手はないと思って!俺っち、こう見えて弓矢が得意なんだよね。だからさ、矢文の係になりたいんだ~。で、物見櫓からなんかじゃなく、あの天守の屋根から矢を放ちたい。きっと、すっげーいい気分になれると思う。」
そう言って、屈託無く笑った。真っ直ぐに夢を語れるのを羨ましいと思った。折角出来た友達だけど、こうして一緒にいられる時間はあと少しかぁ…と淋しく思った。
「で!思ったんだけど、良かったら鶸も一緒に試験を受けようぜ!」
「え…?ええええええー!!!む、む、無理だよ!僕、得意な事なんて、何も無いもん…」
最後は消え入るように言ったら、桃が言った。
「そんな事ない!まだ気づいてないだけかもしれないじゃん!よっし!俺っちがお前のいい所を探してやるよ!」
そう言って、にっかり笑った。
それから、五日ごとに僕達は会う約束をして落ち合った。僕にある何かしらのいい所を見付けようと、桃はいろんな提案をしてきた。書、絵、計算。どれもイマイチだったけど…。
ある時、例の掘っ立て小屋に燕が巣を作っているのを見付けた。二人で巣立ちまで見守ろうね、と話してた。
ある日行ったら、桃が慌ててた。
「鶸!大変!燕の巣が、烏に襲われてる!早く来て!」
走る桃を慌てて追いかけるけど、僕の足は遅いから、その差は開くばかりだった。でも、視界に烏に襲われている燕の巣が入った。大きな烏の攻撃を受けた巣がぐらりと揺れたのが見えた。落ちるっ!
――だめっ!
あれは、巣立ちまで見守ろうと桃と決めた燕の巣。落とす訳にはいかない!
そう思った時、勢いよく地面を蹴ってた。次の瞬間、ひゅん!と風になって桃を追い越してた。そのまま、地面すれすれで巣を掬い上げ、上へと戻す。それから、烏がまた悪さをしないように遠くまで追いたてた。もう来ないだろう、と思った時に初めて気付いた。自分が空にいる事に。
「ヒワー!鶸―!お前、すっげー!すっげー!」
地面に立つ桃がこっちを見上げて、ぶんぶんと両手を振ってるのが見えた。
ゆっくりと降り立つ。
「鶸!すっげー!お前、滅茶苦茶飛ぶの速いじゃん!何だよ!この野郎!『能ある鷹は爪隠す』ってヤツか~?」
そう言ってから、ハッとした顔をした。
「お前…。もしかして、俺っちが羨ましいって言ってたから、飛べる事黙ってたのか?」
「ち、違うよっ!僕、今まで飛んだ事なかったんだもん…。」
「え?」
「は、初めて飛んだんだ…。自分でもびっくりしてる…。燕の巣を守らなきゃ、って思って…。だって…、もうすぐ六省の試験を受けに行っちゃう桃が、最後に見たのが落ちて潰れた燕の巣じゃ嫌だもん!あの巣は…二人で…巣立ちまで見守ろうね、って言ったから…。」
それ以上は上手く言えなくて…。良く分からないけど、涙が出た。燕の巣を救えたのが嬉しかったからか、初めて飛べたからか、じき来る桃との別れが悲しかったからか…。そのどれもだったかもしれないし、どれも違ったかもしれない。
わんわん泣く僕に桃が言った。
「馬鹿だな~、鶸!一緒に試験受けよう、って言ったじゃん!今の速さなら、きっとお前が東西一だ!きっと受かる!一緒に受かって、二人で天守の屋根で金平糖を食べようぜ!」