海の明暁
旅は終わり、物語はしばしの幕引き。
いくつもの困難と試練を乗り越え、アリアテは遂に【海】を、家族を、あるべき場所を取りもどした。
晴天の下、大祭日【海の明暁】は即位式典とともに祝われた。
祭り囃子を遠く聴き、アリアテは化粧のむずがゆさに顔をしかめていた。
「あらあら、お顔がしわだらけになっちゃうわよ」
「だって」
アリアテの頬とまぶたに鉱石の粉を塗りながら、メリウェザーは顔をほころばせた。
「娘をお嫁にやる親の気持ちがわかる気がするわ」
アリアテはさらに、あちこちにルビーを鏤めた重たい衣装を着つけられ、裾を引き摺りながら廊下に現れた。
「おお、見違えたな。それ全部つけ髪か……髪が長けりゃ、お前もちゃんと女の子に見えるなあ」
「兄さん、一言余計よ」
「頭が重い」
ふらふらするアリアテの足下を、エルウィンがそっと水の花で支えた。
「ありがとう」
「伝統衣装ですからネ、くれぐれも転んで裾を破かないように……」
「うん、行ってくる」
元気よく一歩を踏み出したアリアテは、ベールの裾を巻きこみ、スカートの裾を踏みつけた。転ぶまいと両足で踏ん張って、エルウィンが危惧したとおりの結果になった。
「言わんこっちゃねえ!」
「きゃあー……」
メリウェザーは力なく言ってアリアテを助け起こした。
「もう時間デス。このままごまかすしかありませんネ……」
さすがのエルウィンも、眉間に手をやって首を振った。
前日のうちに、女王即位を伝える飛燕が国内外、各大陸の各国に向けて放たれた。急の報せゆえ、式典には出かけられないがお祝いを、という旨の飛燕が各国から白き司に舞いこんだ。
もちろん、出席できる貴族や民は、返信を送る代わりにゲッテルメーデルは白き司に駆けつけた。戦いの傷跡が巧妙に隠された門前広間には、城下町の民と周辺地域の民がひしめき合っている。ヒト族も、獣族も、みな期待に満ちた顔で城壁上のテラスを見上げていた。
「アリアテ……!」
「後で叱られるから! 行ってきます!」
あきれ果てたクワトロをやり過ごし、アリアテは口を真一文字に結んで、広いテラスへと踏み出した。民衆の明るい表情が見えてくる。
アリアテはおずおずと、しかし真っ直ぐに天へと手を掲げた。
「カレスターテの王、正統なる第12代ザティアレオス家長、アリアテ女王陛下である!」
ヴェイサレドが口上を述べると、民衆は嵐のような歓声を上げた。期待に満ちみちた声に圧されてよろめくアリアテの足を、エルウィンの水の花がそっと支えた。
(ロード、メリウェザー、エルウィン、カレン、シェラ。リオウ。一角獣のみんな、白き司のみんな……クオーレ)
仲間たちに支えられ、共に笑い、共に傷つき、旅してきた1年間。言葉では語り尽くせないほどの出逢い、別れ。幾多の苦難は仲間と共にあれたからこそ、乗り越えることができた。
「ありがとう、みんな」
心からの言葉だった。
集った民は女王の謝辞にとまどい、しかし頬を昂揚させた。そのなかに混じってアリアテを見上げるフリント兄弟とエルウィンは、誇らしい心地がした。
「私は虚空に、海に、神の鳥に誓って世界を治める」
民の力強い声援にあたたかく迎えられ、アリアテは胸を張って宣誓した。
「アリアテ、立派になったよなあ」
「きれいだわ」
「これからが大変ですネ」
声援に紛れて思いおもいの声をかけながら、彼らはいちど白き司へ引き返した。
「式典お疲れさま。皆、興奮冷めやらぬといったふうで帰っていったわよ」
アリアテはメリウェザーに労われながら、ベールを脱いだ。
「あら、つけ髪が外れないわね?」
「ええ、頭が重いのに」
「それは外れないよ。女王の証でもあるからね」
平然と乙女の更衣室に入りこんでいるクワトロに、メリウェザーは化粧水の瓶を投げかけた。
「ちょっと。僕が人間じゃないのはアリアテから聞いてるでしょ。というか、君だって男じゃないか」
「そうだっけ」
「やだアリアテ、忘れてたの?」
「ううん、冗談だよ」
メリウェザーは明るく笑って、アリアテの長い髪を撫でた。
「しばらくは剣を振り回すようなこともないでしょうし、すてきよ、この髪も」
廊下に出ると、ロードとエルウィン、フレ=デリクが待っていた。フリント兄弟は故郷に戻り、エルウィンはシーナの補佐官として白き司の研究室に配属されることになっている。
「俺たちはオヤジの所に戻る。俺はそのまま宿を継ぐつもりだ」
「私は、ゆっくり今後のことを考えるわ。お別れだなんて淋しいわね」
アリアテは一人ひとりと握手した。
「ロード、元気でね。君のおいしい手料理が恋しくなるよ。ありがとう。」
ロードは軽くアリアテの額を小突いた。
「気負って無茶やるんじゃねえぞ。城を抜け出せたら宿にこいよ、いくらでも食いたいもんを食わせてやるさ」
「メリウェザー、いつも優しさで包んでくれて、嬉しかった。ありがとう」
メリウェザーは、ひまわりのような笑顔を浮かべた。
「エルウィン、頼もしい水魔導師。今までありがとう、これからもよろしく」
「あなたもずいぶん頼もしくなりましたネ」
エルウィンもまた、ひまわりのような笑みをたたえた。
「でもよエル、お前さん旅支度してるじゃねえか」
「そうなんデス。実は、途中で置いてきたレフトバードの行方が知れないというので……ヴィヴィオルフェンまで、いったん里帰りしてから戻ってきマス」
「うん、気をつけて」
アリアテは、道化師の支度をしているフレ=デリクを振り返った。
「フレ=デリクも、また仮面をつけて」
「私も道行きについていく。私には道化師としての仕事が残っている。また道化に戻るつもりだ……ただ、心はつねにあなたとともに。アリアテ陛下」
「そうか……城下町に来るときは、城にも顔を見せにきてくれ」
廊下の奥には、ジョルジェが大きなカバンを抱えて待っていた。
「ジョルジェも、道中気をつけて」
「はいよ、お嬢ちゃん陛下」
「不敬だぞ、ばか弟子め」
フレ=デリクはジョルジェを追いかけて行ってしまった。
「仮面の下が、あんな美人だとは思わなかったな」
「シェラが私たちにくれたものは大きいわ、とても……」
「うん……私、みんなのおかげでここまで来られた。本当にありがとう」
アリアテは順に仲間の顔を見つめた。もっと目に焼きつけておきたい。
名残惜しく彼らを送り出したあと、アリアテは慣れない衣装をひるがえして執務室に向かった。
14年前、アリアテはわずか4歳で波瀾の人生に置かれた。家族を失くし、思い出を失くし、砂漠化を食い止めたい一心で各地を旅してまわった。
クオーレと出逢い、ロードとメリウェザー、エルウィン、カレン、シェラ……かけがえのない仲間たちと出逢った。
そして今、世界を導く女王として歩み出す。