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Rees beruto 終章  作者: 天秤屋
8/9

虚空の夕暮れ

 そして世界は、夕暮れを迎える。

 遥か彼方で夕陽が沈む。

 アリアテは頬を紅に染め、気がつくと砂浜に立っていた。

「みんな!」

 砂の上に座りこんでいるロード達のもとへ、もつれる足を急かして駆け寄る。

「みんな、私……シェラ?」

 アリアテは、さらに深い絶望へと叩き落とされることになった。

「シェラ、どうして」

「俺たちを命懸けで助けたんだ」

「黄昏の子の瘴気まで退けて、サルベジア大陸も、世界も救った」

 クワトロは、白魔導師たちが運んできた白木の板にシェラを寝かせた。メリウェザーはシェラの手を握って離さなかった。

「オルフェスには失われた目を、私には炎に焼かれる前の体を……この子にもらったものは計り知れない」

 フレ=デリクの衣装をまとった美しい女性が、アリアテの前に膝をついた。

「お戻りをお待ちしておりました、アリアテ陛下」

 アリアテはシェラの亡骸から、傷を癒された仲間達に視線をうつした。がくりと、少女は砂に膝をつく。

「アリアテ陛下」

「私、シェラが、こんなに頑張ってくれたのに……」

 情けなく、悔しく、悲しく、アリアテはわけがわからないまま涙を流した。

「止められなかった。基板を、守れなかった」

 震えるアリアテの肩を、ロードが支えた。

「お前はよくやったよ。ここまでよく戦い抜いた」

 泣きじゃくるアリアテの頭を、エルウィンが撫でた。

「泣いていいですよ、アリアテ。でも、自分を責めないでくださいネ」

 ほとんど白くなった髪、小傷だらけの指先が痛々しいが、ひまわりのような笑顔は変わらない。

 おそるおそるシェラに近寄り、アリアテは膝をついて敬礼した。

「……シェラ、ごめん……皆を守ってくれて、ありがとう……」

 頼りない背中を、メリウェザーが抱きしめた。

「アリアテ、無事でよかった」

「メリー、私……」

「いいの、もう。でも、一緒に泣いてもいいかな」

 ひとしきり涙を流した後、アリアテはヴェイサレドに連れられ、リアのもとへ向かった。リアの傍には五賢者カストロ、ライエル、エルミナがひかえ、ラサも巨大な翼をたたんで寄り添っていた。彼らの視線の先、沖合には、白く巨大な背中が漂っている。その姿は千年を生きた白鯨(セローム)であった。

「アバデ、生命の樹、守った」

「あれがアバデ……私たちを術で守ってくれた賢者」

 いずれは、城で元老院議員としてまみえるだろうと思っていた。波に漂うアバデの体を包むように、リアは両手を掲げた。彼が踏みしめる黒い砂から、潮の香る水が湧き出る。

 リアが沖へと歩んでいくにつれ、海は満ちてゆき、やがて精霊の姿は見えなくなった。碧い海原を涼やかな風が渡っていく。

 茫然と海を眺めるアリアテに、ラサと五賢者たちが(ひざまづ)いた。

世界(カレスターテ)の王よ。海は戻りました。あなたは玉座において世界をお導きください」

「でも、基板は……」

 若き五賢者ライエルが顔を上げた。

「ザティアレオス王家の血を継ぐあなたであれば、新たな基板を築くこともできましょう。原初の基板を築いたのはあなたの祖。その法を、我らは探究する所存」

 次いでカストロが頷いた。

「黄昏の子の封印も揺るぎありませぬ。あなたはまず、世を治められよ。皆が黄昏の子のもたらした影に怯え、寄る辺を求めて嘆いております」

 アリアテは不安を拭えないまま、しかし決意して頷いた。


 クワトロたちがシェラを囲み、セリが白木の板を運んだ。五賢者たちはそれぞれの任地へと戻っていった。フレ=デリクはオルフェスとメリウェザー、エルウィンをともない、洞窟で休ませていたジョルジェとリキータを白き司へ連れていった。ヴェイサレドはメンテスを背負ってそれに続く。

 ラサが海の上を飛び去ると、その場にはロードとアリアテだけが残った。

「いねえなあ」

「どこに行っちゃったんだろう……」

 ロードはアリアテに付き合って、姿を消したドーイと、リオウを探していた。

「ドーイには、ちゃんとお礼も言ってないのに」

 シェラと同じように失ってしまったのだろうか。不安に駆られるアリアテの肩に、また誰かの手が触れた。

「……クオーレ?」

 振り返る前につぶやいて、アリアテは後ろを向いた。西日を背に、見知らぬ青年が立っていた。

「やあ、アリアテ。約束を果たしてくれてありがとう」

 クオーレは微笑み、海を眺めた。

「苦しい時にそばに居られなくてすまなかった……これからは、リアとともに君を見守っているよ」

「クオーレ!」

 抱きつくと、クオーレの体はしっかりと触れることができた。

「歴代の王のなかでも、私に抱きついたのは君が初めてだ」

 クオーレはアリアテの華奢な体を抱き返し、頭をぐしゃぐしゃに撫でた。クオーレの背格好は、思い出にある父ギオや兄アシュケに似通っている。

「本当によく頑張ったね、アリアテ」

「クオーレ、シェラが」

 子供のように泣きじゃくるアリアテの背中を、クオーレは優しくたたいた。その手は、母カルラや姉オルガのぬくもりに似ていた。

「シェラのことは残念だ。でも、命をかけて仲間を守りとおしたんだ。誇ってあげよう……この戦いで失われた魂は、ちゃんと私が受けとめて、新しい命として海へ還してあげるから」

 クオーレが言うと、ぽつぽつと銀色の雨が降り始めた。

「アリアテ、残酷だけれど、君にはやるべきことが残っている。砕かれた基盤を再生すること、そして、死の砂漠を生命豊かな大地へ戻すこと。疫も、海が戻ったことで治まるものではない。君たちが乗り越えなければならない試練だ」

「……私、やれるかな」

「大丈夫。君には私もリアも、すてきな仲間たちもみんなついている。さあ、白き司にお戻り。弟が君を待っているよ」

「クオーレ」

 気がつくと、アリアテはひとりで砂浜に佇んでいた。

「もう日が暮れちまうな。俺たちも戻ろうぜ、アリアテ」

「……うん」

 ロードに呼ばれて、アリアテはきらめく海を背に砂浜を駆け出した。



………………………………………………………………。

 白き司では、人々が忙しなくあちらこちらへと動き回っている。

 いまだ傷ついた者や疲労した者が簡易の療養所に運ばれたあと、ヴェイサレドはぐったりとうな垂れているセリの頭を膝に乗せた。

「セリ、これから忙しくなるぞ。復興には軍部の力が要る」

「申し訳ありません、シオ様。休ませてください……」

 獣の顔でもよくわかる、セリは苦笑を浮かべた。

「ならん。大臣も文官長も不在のいま、武官長としての私を支えるのはお前の責務だ」

「私などいなくとも、あなたは大丈夫です……」

「何を言う、己をみくびるな、セリ……許さんぞ、セリ……セリ!」

 閉じたまぶたが開くことはなく、セリは全身の力を抜いた。

「セリ!」

 金の毛並みを揺さぶるヴェイサレドに、覇気の無い声がかかった。

「私にお手伝いできるかも知れません、シオ様」

 膝をついて敬礼するのは、傷ついた姿のシーナだった。

「お前は」

「救っていただき、目は覚めました。今の私はグラトリエの錬成術を継ぐいち文官……我が母の罪はすべて、私が贖います。第八(アハト)

「はい、シーナ様」

 呼ばれて、物陰から人形のような男が姿を現した。宮廷魔道師第八(アハト)は、部下をともなってセリを連れ去ろうとする。ヴェイサレドは焦って抵抗した。

「待て、まだ信用はできん」

「ええ、それは覚悟のうえです。一緒においでください。エルウィン様も力をお貸しいただけると、先にお待ちです」

 ヴェイサレドは訝しむ気持ちをわだかまらせたまま、シーナたちについていった。


 ティオの部屋には緊迫が走っていた。

「だめだ、抑えられない!」

「ゼイーダ」

 突如として、第九(ノイン)が封印を破ろうと動きはじめた。ゼイーダは魔力を注いで封印を保とうとしたが、第九(ノイン)のほうが上手だった。ぎこちなく腕が動き、僧杖を床に叩きつける。衝撃波とともに、ゼイーダは吹き飛ばされ、第九(ノイン)はぐるぐると上半身を回した。

「あー、何だこれ。ガチガチだな」

 ひとしきり準備運動をしている第九(ノイン)を前に、ゼイーダは何か言おうとして口を開けたまま固まっている。ヴェイグは唸るのをやめた。

「は? ティオ様!? と、シオ殿の使い魔? 何でこんなところに……」

「戻った……? 何も、覚えていないのですか」

 まだ警戒をとかないままゼイーダが問うと、第九(ノイン)はしばらく考えこむような仕草を見せてから、首を振った。

「あーダメだ。二日酔いよりひどい記憶喪失だ」

 第九(ノイン)はしゃがみ、足下でうなっているメシュタポの背中に触れた。

「丑寅虚空酉不動戌亥阿弥陀(タークーカンネルキリアーダンツェ)

「う、ご、あ、あ」

 メシュタポは潰れたカエルのような声を上げ、その体は不自然に膨らんではへこみをくり返した。

「な、なにを」

 慌てるゼイーダを、とうのメシュタポが起き上がって制した。

「治った……ったく、僧術ってのは白魔道と違って荒っぽくて嫌いだぜ」

「弱音吐くなよ。ギドロイも白魔道より僧術の国だったろ? さてと」

 第九(ノイン)は立ち上がり、階段に向かった。

「信用回復にゃ実績作りが一番だよな。それじゃおじさん、下手伝ってくるわ」

 ひらひらと手を振りながら第九(ノイン)は階下におりていった。その背中を見送りながら、ゼイーダは床にへたりこんだ。

「何はともあれ……味方にすれば頼もしい人ですね……」

「決着がついたってことなら、そろそろお客さんが来るぜ」

 メシュタポはひょいとティオを抱え上げた。

「ヴェイグ、お前はヴェイサレドのとこに帰って休め」

「む、かたじけない……」

 アムテグロークは闇にとけて消えた。


 初めて足を踏み入れた白き司は、あちこちがぼろぼろに崩れ、あちこちで大量の官吏たちが動き回っていた。

「飛燕を飛ばせ! 式典に間に合わせなければ」

 忙しそうな獣族の隣を過ぎて、アリアテはクワトロに連れられ、玉座の間に入った。そこにも戦闘の傷跡が刻まれている。

「若草色の布はいただけないな。王弟一族の赤にしよう」

 クワトロは近くにいた文官をつかまえて命じた。

「アリアテ、何をぼけっとしてるの」

「まだ実感がわかない……」

 玉座の前でうろうろしているアリアテを、扉のほうから呼ぶ声があった。

「おう、久しぶりだなおてんば姫。ほれ、ティオだぜ」

 猫の子のように連れられてきたティオは、床におろされると、頼りなくアリアテに駆け寄った。

「姉さま……!」

 白い肌、折れそうな手足の弟を、アリアテは陶器のように受けとめた。

「……ティオ、私の弟」

 すがりついてくる少年の髪に、赤ん坊だった頃の面影を見た。

「……あの頃は私も小さくて、こうして抱かせてもらえなかった」

「姉さま」

 ティオはそれきり、アリアテから離れなくなってしまった。

「そうだ、ティオ。海の精霊にもらった、すばらしい贈り物があるんだ」

 アリアテはクレオの家に取りに戻った、海の雫をティオに差し出した。

「飲んでごらん。ティオの病気を治してしまう魔法の薬だよ」

 ティオは疑いもなく青い雫を飲みほし、ねむたげに目をこすった。

「姉さま……」

 ことん、と頭が肩に落ちる。アリアテは眠ってしまった弟をメシュタポに預けた。

「疲れているみたいだ。たぶん、薬で眠くなったわけじゃないと思う」

「気を張ってたんだぜ、ずっと」


 2日つづく祭日と、王位継承式典の段取りとで、白き司には夜半を過ぎても明かりが灯っていた。

「しばらく、執務はリキータとシーナが手伝ってくれるから、頭に全部つめこまなくてもいいよ」

 熱を出しそうなアリアテから、クワトロが本を取り上げた。

「お騒がせの大臣どのも、傷じたいは浅い。目を覚ませば君の手助けくらいできるだろう。しばらく【花の守護者】としての責務は負えないだろうけど」

 ちょっと叱ってやらないとね、とクワトロは珍しく笑みを浮かべた。

「こんなに大変な時に、私なんかの即位式典をやる余裕があるんだろうか」

「こういう時だからこそ、形式張った儀式が必要なんだよ」



………………………………………………………………。

 翌日の早朝、アリアテはフリント兄弟とエルウィンとともに、シェラの棺を囲んでいた。

「そうか、カレンはルワーンだったのか……」

「まるで別人デシタ。あたかも、メンテス・ガヴォがそうであったように」

「カレンも……というか、カレンが、別の人格だったってことか」

「ガヴォとは逆ね。カレンという性格の持ち主は、紛れもなく頼れる仲間だったわ……シェラも、そんなカレンのことを」

 メリウェザーは目元をおさえながら棺の小窓を開け、小さな悲鳴をあげた。

「どうした」

 ロードが弟の後ろから覗きこむと、そこには白百合が溢れていた。

「お、おいおい……花を入れすぎだろ、これじゃシェラが……」

 言葉をつまらせ、ロードはエルウィンに目配せした。ふたりでそっと棺の蓋を開けると、果たして、そこにシェラの体はなかった。

「どういうこと……」

「クワトロを呼んでくる!」


 アリアテがクワトロをともなって戻ると、メリウェザーがくいぎみに問うた。

「シェラはどんな術を使ったの。体は消えてしまったの?」

「白魔道で術者の体が消えるなんてことはない。消された、あるいは盗まれたか」

 クワトロは違和感に気づき、棺の手触りを確かめ、燭台を近づけた。

「これは……似ているけど、こちらで用意したものではないな」

「棺ごと、盗まれた」

 愕然とくり返したアリアテは、怒りよりも戸惑いの気持ちが大きかった。

「どうして……まさか、リオウ?」

 その場に、シェラの体が消えたことを嘆く声は起きなかった。みな一様に期待しているのだ。

 ――万が一にも、シェラが甦る可能性があるというなら、賭けでもいい。

「期待しているところ悪いけど、遺体が弄ばれない保障もない。シェラのことは諜報部に一任して、必ず見つけ出す」

「頼んだ、クワトロ」

 ひとつの大きなわだかまりを残して、東の空は明けていった。

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