花の守護者
――花の守護者の何たるかを、その目で見届けよ。
毒竜どうしの争いは、その巨体をぶつけあい、互いの喉元を狙う熾烈なものだった。
「シオ殿まで……いや、竜であったことよりも、ガヴォと兄弟であったとは」
茫然とするフレ=デリクは、気を失っているオルフェスを、同意を求めるように見つめた。
「おいおい、怪獣大戦争じゃねえかよ」
回復したロードは起き上がり、メリウェザーの治療に移ったシェラに並んだ。
「ガイは……どうだ?」
「しつこい毒だけど、カレンのくれた薬が効いてきたみたい」
メリウェザーの額の汗と、紫の皮膚変色はひいていた。
「ふう。あとは休ませてあげて。次はオルフェスさんだね……」
シェラは汗をぬぐって、オルフェスの治癒にとりかかった。
「檻の中の方々も心配ですが、さすがにシェラの負担が大きいですネ」
エルウィンは、風にのって吹きつける毒霧を水の膜で退けるので精一杯だった。アマルヘレネはもう割れた。一瞬たりとも気を抜けない。
「アリアテ様は、体力を温存するように」
フレ=デリクは、かしこまっているのか普段どおりなのか、よくわからない口調で言い置くと、檻に向かった。
「奴は道だの用済みだのと言っていたが、どうやら結界は解かれたようだ。鍵を壊せば助けられるかも知れん」
「お気をつけテ」
アリアテはフレ=デリクを見送りながら、違和感に首をかしげた。
「あれ、カオルは?」
その疑問にはセリが答えた。
「シオ様の使い魔がお運びしました。洞窟に、白魔道士部隊の数名が駆けつけてくれています。リキータ、ジョルジェ様とともに回復されているでしょう」
「ん、師匠はどうしたの?」
「クワトロ様は……はて、私どもより先に、こちらに向かわれたはずですが」
しかし、誰もクワトロの姿を見ていない。アリアテはまた小首をかしげてから、頭を振った。
(今は戦いに集中しないと)
ヴェイサレドと比べて、メンテスは二回りほど大きな竜だった。喉の毒袋と思われる部分も大きく発達し、耳は長く折れて下がり、冠のような鱗に毒々しいたてがみが生え、その隙間からねじれた角が4本のびている。
「毒竜を見るのは初めてだけど、もしヴェイサレドの姿が普通だとすれば……」
「ええ、メンテス・ガヴォの姿は異様です」
どちらが有利に見えるかと問えば、意見は一致するだろう。
ヴェイサレドは健闘したが、致命傷を負わせるには至らない。疲労をみせた一瞬の隙をついて、メンテスは羽ばたいて砂を舞わせ、ヴェイサレドの目をくらませた。そのまま、牙のように尖った口でヴェイサレドの喉に食らいつく。
低く轟くような叫びがあがり、ヴェイサレドは横倒しになった。メンテスはしばらく喉を噛み続け、ようやくヴェイサレドを放した。
「ヴェイサレド!」
「アリアテ様、シオ様は私が。強制的にヒトの姿へ変える呪符を預かっております……貴方は、メンテス・ガヴォと戦うご準備を」
メンテスは小傷だらけの体を揺らし、大げさに呼吸していた。呼気に紫煙が混じっているが、その色は薄く、明らかに疲労している。
エルウィンは力を振り絞り、アリアテに水の鎧を着せた。
「万全ではありまセン。が、毒の脅威からある程度は守れマス」
「ありがとう、エル」
アリアテとセリは同時に飛び出した。
メンテスは紫煙を吐いた。セリは紫煙が到達するより早く、ヴェイサレドをヒトにして運び去った。
アリアテは水の鎧に守られ、メンテスの前に立った。
(大きい……このか細い腕と剣で、どう戦えば)
魔剣イオスの導きはない。炎も出ない。魔力が切れたのか、もはや為す術がないと暗に示しているのか。仲間もみな傷つき倒れ、頼りはエルウィンのくれた鎧だけ。
それでも、アリアテは剣を握りしめて毒竜に立ち向かった。
「覚悟しろ、メンテス・ガヴォ!」
「ザティアレオスの血よ、贄は貴様にしてくれよう」
「Du’llo:wa!!」
掴みかかったメンテスの前肢は、ただよう毒霧ごと圧し返された。
「なん……だ、これは!」
吹きつける突風にメンテスは踏みとどまることができず、横倒しになった。
「風……」
アリアテは呟いて振り返った。背後に懐かしい気配を感じる。
包帯だらけで顔もよくわからない男が立っていて、わずかにのぞく銀の目が真っ直ぐにメンテスを見据えていた。
すべての毒霧を巻き返した風のおかげで、エルウィンはようやく解放された。とうに限界は超えていた。音もなく倒れたエルウィンを、解放されたリアとラサが受けとめた。
「私たちに、あとわずかでも力が残っていれば……」
道を開く、とやらの目的のために魔力を吸い尽くされたリアたちは、気絶しないだけでやっとだった。
「あたしも、魔力の回復は手伝えないからなあ……五賢者の人たちは目を覚まさないし……シオ様は、酸欠で気絶しただけみたい。じきに目を覚ますと思うよ」
オルフェスの回復を終えたシェラは、フレ=デリクの回復にあたりながら、空を覆い始めた雪雲をにらんだ。
「降りそう……みんな、体を冷やさないように集まって」
ロードは眠っているメリウェザーを抱え、アリアテを見つめた。
「それで、アリアテのそばに立ってるアイツは何者なんだよ」
ヴェイサレドのベッドになっているセリが答えた。
「かつてメンテス・ガヴォの副官であった男です。動向が読めず、シオ様が使い魔をつけていたのですが、まさかガヴォを裏切るとは」
(トクサの言ってた副官ってヤツか……ここに来る前、フレ=デリクもキセで、アリアテに薬を届けに来たとか言っていたな)
「うう……」
折り良く目を覚ましたヴェイサレドは、牙の痕があるものの、傷のない喉元を確認して茫然としていた。
「……兄上」
「あ、シオ様よ。悪いが、どういうことか説明してくれ。ガヴォは何者なんだ」
――あれが【花の守護者】だ。
花の守護者は魔大戦のおり、魔王のもとを離れ、ヒト族を守護するよう言いつかり、ザティアレオス王家に代々仕えてきた。
王家との契約によって、主の手以外で死ぬことはない。よっていかなる時も主を守る鉄壁となる。だが、契約している最中の主を失うと、新たに主を得るまでは何者にも殺せぬ、自らも死ぬことができない無欠の不死身となるのだ。
「いま、兄上の体を乗っ取っている者もそれが狙いだ。不死身の毒竜の力を得て、自らの願いを叶えようとしている」
「乗っ取ってる、ってあれがメンテス・ガヴォじゃねえのか?」
ヴェイサレドは首を振った。
「兄上はザティアレオスⅩ世をあざむき、王弟ギオ様に忠誠を誓った。ギオ様は契約を解除する方法を、兄上や毒竜一族を解放する方法を研究なされていた。つけ込まれたのだ。その優しさに、その優しさにほだされた心に」
「待てよ、じゃあ、14年前の内乱は」
「兄上を操り、【黄昏の子】が反旗をひるがえしたのだ……すべては、不死身の毒竜という器を手に入れるために」
「不死身って……それじゃあ、アリアテには勝ち目がないんじゃ」
不安がるシェラに、ヴェイサレドはまた首を振った。
「我々は、アリアテ様の勝利を信じるのみ」
アリアテの背後に立った男は、起き上がろうとするメンテスに向けて第二の攻撃を放った。
「Shae:tte;tri’que!」
メンテスは足下をすくわれ、毒竜の巨体がいとも簡単に転がった。
「き、さま!」
「Taltal:ro’pe!」
メンテスは風の蔓に絡まれ、もがいた。
男はアリアテの前に立ち、背中越しに言った。
「さあ、覚悟はよろしいですか、お姫さま。あなたのことは命に代えてお守りしますよ、それが主との約束ですから」
アリアテの記憶が弾けた。
「その声……知ってる。どうして……城で、兄さまや姉さまといる時に……それから、漁村で剣の稽古をしてもらった……風が……」
いつも、風が吹いていた。盗賊に襲われた時も、アマルドで亜竜と対峙した時も。ハルバで隠れていた時も夢に現れた。
――あなた、そうとう過保護な風の加護がついてるわね。
いつか、ゴドバルガで占い師がそう言った。
「あなたは、あなたは私の養育係の」
男はアリアテの言葉を片手で遮った。
「それは私の、世話好きな主です。私はただ、主に代わって、命懸けでおてんばのお姫さまを守っていただけですよ……私は元精兵連、メンテス様の副官にして文官長ドーイ・イヴェロイ。しがない風魔導師です」
そう言って、世界三大魔道を継承する魔導師は、アリアテの前に仁王立ちした。
「さて、敬愛する我が主の命を果たさねば。まったくつらい役回りですよ」
「こざかしい、人間どもが!」
メンテスは蔓を破って起き上がり、大きく息を吸いこんだ。
「Ca’bra:montes!!」
毒竜が紫煙を吐くよりも早く、ドーイの放った風が巨大な角の獣となって突進した。突風をあつめたような風の獣が、竜の体を一回転させる。
「アイベックス。父さまが牧場を持っていた……」
「……主にとって、ギオ様はかけがえのない友。覚えてはいらっしゃらないでしょうが、主はよく、貴方がたのお守りをしたものです」
ドーイの言葉に、またアリアテの記憶が弾けた。
「……高いたかいをしてくれたのも、子守唄を歌ってくれたのも」
どうして忘れていたのか不思議なほど、温かい記憶が甦ってくる。
「我が主の苦しみを止められる方は、貴方を置いて他にない。どうか、主に巣食う不届き者を討ちはらい、我々の苦しみを断ってください」
「……そうだ、あれは、メンテスじゃない」
激昂して襲い来る毒竜を、アリアテは燃え上がるような、凍てつくような心地で見つめた。
「あんなのはメンテスじゃない」
「わかっていただけますか」
ドーイはうんうんと満足そうに頷き、両腕を広げた。
「お手伝いいたします。楔を断ち切るのはあなたの役目ですよ、お姫さま」
ドーイの体から包帯が解けていく。逆巻く風のなかに立って、彼は痛ましいメンテスの姿を見つめた。
「さあ、メンテス様。あなたの仰せのままに……己れを弑してでも守れと命じられた、それほど愛する者を、これ以上その手にかけさせはしない」
すべての魔素が集中していくように、風が集まっていく。色のない空気は圧を増し、ドーイの体を包み隠していく。
「Zan’tan:Rhegion」
詠唱の声が虚空にこだました。ドーイは無数の風の鉤爪――千の杭手をまとい、毒竜を見据える。地面をがっきと掴み、竜の巨躯を相手に一歩も退かない連撃を放った。
「こ、の」
毒竜となったメンテスが、防戦一方にまで追いこまれている。かろうじてくり出される爪や尾も、風の鉤爪に弾かれてドーイには届かない。
見守るロードたちも呆気にとられ、恐怖すら覚えていた。
「おい、これ……人間が……使えていい技なのかよ。まるでおとぎ話だ」
シオだけは、難しい顔でドーイを見つめていた。
(そう。これだけの大技、何も代償がないはずはない)
竜をも圧倒する千の杭手すべてを使い、ドーイはメンテスに組みついた。
「この時を待ちわびたぞ【黄昏の子】!」
「き、さまぁ~っ!!」
風が渦巻くのが見える。巨大な柱がメンテスの両脇に立ち、その下に白く光る風の大刃が現れた。
「契約の楔は逆鱗の下にある! 道は開く、楔を断て!」
契約の効力により、ドーイにメンテスは殺せない。だが、深傷を負わせることならできる。すべての魔力を以て、ドーイは風のギロチンをせり上げた。
耳をつんざく竜の悲鳴がこだました。顎の下、逆さに生えた鱗を断ち切られ、毒竜はどおと倒れた。
地響きのなか、ドーイが叫ぶ。
「夜の色をした鉱石だ、打ち砕いて、我らの悲願を――」
砂煙の向こうから、毒竜の尾が鞭のように振るわれた。ドーイはまともに食らい、砲弾を受けたような衝撃に吹き飛んだ。
「ドーイ!」
「構わず、アリアテ様! 逆鱗を剥がれた今、兄上は毒も魔法も使えません! 契約の楔を!」
ヴェイサレドが叫ぶ。アリアテは弾かれたように駆け出したが、メンテスは前肢をついて体を起こした。獣のうなりを上げ、苦しみに尾が暴れている。
(あれだ、夜色の鉱石……でも、高い)
アリアテは剣を構え、頭上の鉱石をにらむ。その肩をいつもの大きな手が叩いた。
「来い、アリアテ! 上まで飛ばす!」
「ロード!」
アリアテは、構えたロードの手に飛び乗った。
「行け!」
ロードはその腕力と気功術とをあわせ、アリアテを契約の楔のもとへ飛ばした。直後、力尽きて仰向けに倒れる。ロードは砂の上に身を投げ出して、アリアテの背中を見つめた。
「行け、アリアテ」
………………………………………………………………。
「誰もかれも世迷い言を。この小娘に何ができる? 契約主を殺した今、この竜は不死! 自ら死ぬことも、殺されることもない。完全無欠の化け物であろうが」
憤る黄昏の子に、メンテスはのんびりと微笑んだ。
「それは違うな。アリアテは私を弑せる」
黄昏の子はメンテスをぎっとにらんだ。
「ばかを言うな。そんなことがあるはずが……」
怒気をはらんだ声は、メンテスの静かな微笑みに失速していく。
「なに……まさか、貴様……理解が……及ばぬ……お前は何をした?」
メンテスは少年のように屈託なく笑って答えた。
「忠誠は誓ったが、私の主は最初からジーンではなかった。それが友情。そして、これが親心の愛情というものだ。黄昏の子、アルビドロ」
「ばかな……そんな、ばかな……ふざけるな、貴様!!」
………………………………………………………………。
夜色の鉱石と魔剣イオスとの間で、すさまじい火花が散っていた。
「ぐ……う…っ」
アリアテは全体重をかけて剣を圧しこむが、楔の周りを囲む文字のようなものに弾かれてしまう。
「踏ん張れよアリアテ!」
ロードは倒れながらも、気功でアリアテの足下を支えた。
「踏ん……張れ……」
腹部の傷が少し裂け、血が滲む。長くはもたない。ロードはアリアテと自分とを激励しながら、ぎりぎりのところで持ちこたえていた。
「う、う……」
歯を食いしばって踏みとどまるアリアテに、懐かしい声が語りかけた。
「我が名を。レグァザイロと……アリアテ姫」
アリアテは遠く聞いた子守唄を、そして旅の途中に一夜を守られて過ごした、砂漠の薔薇を思い出した。
「……ザイロ……レグァザイロ!!」
刃を阻んでいた文字が霧散し、アリアテの剣は楔をたたき割った。毒竜はもがき苦しみ、その体から瘴気のようなものがにじみ出て、檻のほうへと飛び去った。
まもなく、毒竜は轟音を立ててその体を砂に伏した。
砂に落ちたアリアテは、ふらつく足取りで毒竜の鼻先に近寄った。
「メンテス」
「私は【花の守護者】の宿命に反し、自らの手で愛しい花々を手折ってきた……花よ、人の子らよ。長い悪夢がようやく、終わった」
――花よ 愛し子 風に薫らば
清き 雨露 葉にもこぼれじ
我は まどろみ 夢を与うは
安く眠れる 子らの守り唄……
毒竜の口から歌われる懐かしい歌に、アリアテはかつてあやされた腕を思い出す。赤ん坊の頃の記憶などないはずなのに、ぬくもりを覚えている。
「……そうだ。ダンスの約束をしたんだ」
リメンタドルムで、このセルシスデオの地で。何者かに乗っ取られながら、望まない形でメンテスとの約束は叶えられた。
「おかえり、メンテス」
鉱石のような感触がする鼻面に抱きつくと、メンテスは穏やかに目を閉じた。
セリに乗って駆けつけたヴェイサレドは、兄の体に呪符をおしつけた。ヒトの見た目になったメンテスは、弟の腕のなかで小さく言った。
「毒とは、弱き者を守るためにあるもの……私の涙を、傷ついた者に……迷惑ついでに後を頼む、優秀な弟よ」
ヴェイサレドはメンテスを抱きかかえ、こぼれる涙を小瓶にとった。
「それは?」
「【花守の涙】です。一滴飲めば、あらゆる毒を中和し無効化する」
「花守の……それ、ドーイが届けてくれたんだ。ドーイだったんだ……そうだ、ドーイは」
アリアテは見通しの良い砂浜を探したが、ドーイの姿はなかった。
「ドーイ……どこに」
「アリアテ様。兄のしたこと、赦しは乞いません。罰するのであれば私も」
アリアテはヴェイサレドに向き直り、首を振った。
「終わったんだよ、ヴェイサレド。メンテスは帰ってきた」
深く頭を垂れたヴェイサレドに支えられ、メンテスは眠っているようだった。
「契約の楔、砕いてしまったけど、メンテスはどうなるんだろう」
「逆鱗が再生するまでは、竜に戻ることも、常人離れした力を使うこともできません……契約の楔を主の手で破壊された前例もありません。まだ、何とも」
「メンテスのことは任せる。セリ、ロードを運んであげてくれないか。私は……」
アリアテは、檻のすぐ上に残っている空間の歪みをにらんだ。
「まだ、やることがある」