大広間の血戦
第零が語る、エルウィンの秘密……
大広間はかつて、舞踏会や展覧会がひらかれた城の中枢であり、数ある部屋の中でももっとも広い。広大な石造りの間は巨大な装飾ガラスの窓に囲まれ、陽の光がさんさんと降りそそいでいた。
戦っているのはゼイーダとエルウィン、途中合流した魔道士のリクリル。そして対峙するのは宿敵、第零と配下の第八であった。
口火をきったのは第零、サリヤの火とおぼしき炎をエルウィンたちの後方に発生させた。
「ここはお任せを!」
リクリルはふんだんな石材からゴーレムを造り、サリヤの火を阻んだ。
「サリヤの火は生体物質を燃焼する……無機物は燃やせず、消えてしまう。我々の仮説とアリアテ様の情報が正しかったと証明されましたね。途中でリクリルと会えたのは幸運でした」
ゼイーダは水の刃で反撃しつつ、第零たちの出方を見ようとした。しかし、水の刃は第八によって凍りつき、ゼイーダたちのもとへ跳ね返された。
「なっ」
とっさに水の防壁を張るが、氷の刃はそれを突破してゴーレムの背を打った。
「多少威力は殺せても、やはり水魔道と氷魔道は相性が悪い」
ゼイーダの背には、疲労困憊のエルウィンが匿われている。
(氷魔道を会得したエルウィンさんが動けても、第八相手では五分が良いところ……万事休すか)
救援も見込めない。大広間の門前には屍の山が築かれ、第零がそこにサリヤの火を放った。あの炎が屍の山を燃やし尽くすまで、何人たりとも大広間に立ち入ることはできない。
「お前たち、そこを退いて私にエルウィンを差し出せ。見逃してやろう」
第零の口からは、到底信じられない言葉が紡がれた。
「その男は錬成術によって造られた、神がかりの傑作。我が妹ジゼルが持ち逃げした研究の集大成だ」
言って、第零は頭から被っていた漆黒のベールを脱いだ。
「なぜ、ここにシーナ様が」
ゼイーダとリクリルは同時に驚愕の声をあげた。
「我は第零の宮廷魔導師……シスル・アルティディエ・グラトリエ。我が娘シーナの肉体を手にした今、更なる研究のためにはエルウィン、お前が必要なのだ」
差し向けられた第八は、無言のまま氷柱を造りだし、鋭利な槍をゼイーダたちに降らせた。リクリルのゴーレムは打ち砕かれ、ゼイーダの水魔道も破られる。窮地に陥った彼らは、第八と同じ氷の魔道に救われた。
「エルウィンさん!」
「だめだ、無茶をしては!」
ゼイーダとリクリル、双方に咎められながら、エルウィンは立ち上がった。
「残念ですが第零シスル。我々は先を急ぎマスので」
血の色をした双眸が第零をとらえた。エルウィンの胸元で、青とオレンジの光が調和して輝く。第零は目を輝かせた。
「お前が持っているのだな、賢人の慈涙! それを継承したということは紛れもなく、お前にはジゼルの血が流れている……そして忌まわしい水魔道士ふぜいの血も……混ぜ物を取り除けば、お前は完璧な存在に近づける!」
嬉々として叫びながら、第零は第八による攻撃の手をゆるめなかった。氷の蔦が蛇のように地を這い、鞭のようにゼイーダたちを打つ。
「喜べエルウィン、私がお前を完璧な存在にしてやる!」
「願い下げデス」
エルウィンは氷のナイフを造り、蔦の動きを止めた。円を描くナイフはそのまま第八に襲いかかる。第八は氷の盾で攻撃を防ぎ、すぐさま氷の槍を飛ばして反撃した。エルウィンは正面から槍を受け、肩から血を流す。
「だめだ、エルウィンさん! あなたは力を使い果たして、もう」
止めようとするゼイーダを制し、エルウィンは首を振った。
「これを、外せばまだ」
エルウィンの赤い瞳が揺れる。ぼそりと呟いて、エルウィンは服の上から【賢人の慈涙】を掴んだ。
「何をしようとして……エルウィンさん!」
まばゆい光。目に見える解読不能な文字がエルウィンの周りで踊っている。第零は顔をしかめた。
「このうえ、お前は何を見せてくれるというのだ? ジゼルの子」
――ジゼル、我が愚かな妹。
錬成術は秘境ウィザメッヘンに端を発し、セピヴィアで形作られたもの。奇しくも水魔道も、ダフォーラ一族もセピヴィアから始まった。
錬成術の大家グラトリエ家より、秀でた才能を持つシスルがサルベジアの白き司に迎えられた時、才能がないと揶揄された妹ジゼルも補佐として追従した。
そして、ジゼルは白き司でザーディエス・ダフォーラと出逢った。
当時、ジゼルは己の身を価値のないものとして、姉シスルの研究にすべてを捧げていた。その身にはシスルの研究により、神に近しいものを宿すための準備がなされていた。
姉の思い描くとおりに神を産めば、もう二度とザーディエスには会えない。その事実がジゼルを何よりも強くつき動かした。ジゼルはシスルの研究の粋をその身に宿したまま、ザーディエスと駆け落ちしたのだ。ダフォーラ家に匿われたジゼルに、シスルは手出しできなかった。
シスルの研究成果は、エルウィン・ダフォーラとしてこの世に生を受けた。当初の予定は狂い、エルウィンはジゼルとザーディエスの血を引いた、人間。
人間ではとうてい神にはなり得ない。赤子が生まれてすぐ、シスルは実験の失敗を結論づけた。
――だが、今、目の前にいるあれは……
「ジゼル、愚かにして持たざる者よ……至高の置き土産を残してくれたな!」
エルウィンが【賢人の慈涙】を掴み、その身を光る文字が取り囲んで間もなく。エルウィンの髪は青く染まっていき、濃紺を過ぎ、闇夜のような黒い色になった。双眸は血の色が引け、深い青の眼差しが第八をとらえる。
味方でさえ茫然とするなか、エルウィンは無言で片手をあげた。刹那、八ツ頭の瀧が鎌首をもたげ、一斉に第八と第零に襲いかかった。
「あれは、瀧なのか……? 頭が八つ、もはやばかげている」
氷魔道や錬成術も発動したとはいえ、エルウィンが先の戦いで大きく消耗した原因のひとつは奥義、瀧の発動だ。
「ゼイーダ様、エルウィン様のあの髪は……」
「わからない。ただ、情報では、エルウィンさんは一定量の魔力を使うと封印が発動して、動けなくなるという話だった」
今は、その封印が解けた姿なのだろうか。
「何だか苦しい」
「この場のほとんどの魔素と、我々の魔力も少なからず食われているんだ。戦いが長引けば、我々も大きく消耗するだろう」
「そんな……」
リクリルは喋ることもつらくなって膝をついた。エルウィンの操ろうとする魔力に、魔素の量が追いついていない。
(この場がすべて食われる……? いったい、どんな力なんだ……それを使っているエルウィンさんはどうなる?)
憂慮するゼイーダに反して、敵対する第零は愉快そうに笑っていた。
「私の研究は実を結んだ! 肉体こそ人間だが、これは神の領域!」
エルウィンの瀧をすべて封じた第八は、返す刀で氷の瀧をエルウィンに向けた。エルウィンもまた一頭の瀧で応戦する。水の瀧は氷の瀧と噛み合い、そのまま氷の体を穿ちながら第八に向かっていった。
「魔力の密度が違いすぎる」
ゼイーダは茫然と、超常的な戦いを見守っていた。エルウィンの瀧は第八の瀧を打ち砕き、第八に激突した。攻撃の手はゆるめられず、吹き飛んだ第八の体に水の茨が巻きつき、骨が折れるほど締めあげた。
第八は声ひとつ上げなかったが、無表情なまま体を痙攣させ、わずかに抵抗するような仕草を見せた。やがて、太い氷柱が折れるような鈍い音がして、第八はぐったりとうな垂れて動かなくなった。
「エルウィンさん、もう」
ゼイーダがおずおずと進言すると、エルウィンは第八を地に下ろした。
第零は高らかに笑う。
「残るは私か? やってみろ、お前の力をもっと証明しろ!」
第零は錬成術によって身の回りのものをすべて武器に変えて襲いかかった。石の床は鋼鉄の枷となり、鎖となってエルウィンに絡みつく。ゼイーダとリクリルは抵抗する力もなく、鎖の下でぐったりとしていた。
(魔素が、空気が薄い)
もうろうとする意識のなか、ゼイーダの目には、鎖を溶かして槍に変え、第零を迎撃するエルウィンの姿が映った。槍は投げつけられると先端がのび、鎖に姿を戻して第零に絡みついた。
「同じ術を返してどうする? それでは私は殺せないぞ」
エルウィンは黙して語らないが、第零を傷つけないように戦っているように見えた。
(もしかして、エルウィンさん……シーナ様の肉体は守ろうとしている?)
第零の口ぶりでは、肉体はシーナのもので間違いない。
(だが、それでは第零には勝てない……それに、シーナ様が元に戻る保証もない……戻ったところで、シーナ様が我々の味方だという保証も)
考えようとしても意識が飛びかける。ゼイーダは己を奮い立たせ、上体を起こしてエルウィンに言った。
「せめて動けなくすれば……! 錬成術で干渉しやすいものは無機物、反対に合成獣などの生体実験には多大な日数を要します! ならば、有機物かつ、魔素で構成された水の檻ならばあるいは!」
エルウィンは静かに頷いた。ゼイーダの声は届いている。
「ち……」
旗色が悪いとみるや、第零は大広間をぐるりと囲んでサリヤの火を発動させた。だが、エルウィンは顔色ひとつ変えない。
「これはサリヤの火を改良したものだ。私のもとまで一気に走ってくるぞ」
油の上を走るごとく、サリヤの火は迫り来る。エルウィンは水球のなかにゼイーダとリクリルとともに避難したが、炎がおさまる気配はない。
「この火は魔素を食って燃え続ける。唯一、避けて通るものはシーナの体のみ。さあ、次はどんな手で私に抗ってくれるのだ? 我が最高傑作よ!」
………………………………………………………………。
城の地下牢では、エメット率いる騎士団によって、捕われていた反メンテス派の官吏たちが解放されていった。
「油断するな、城内は敵の巣窟だ。我々が南塔まで護衛する。そこから城外に出て、城下町に避難するように」
文官たちはぞろぞろと、騎士団に囲まれて階段を上っていく。
エメットはメリウェザーとジョルジェに声をかけた。
「私は彼らを逃がしたあと、城内に戻る。あとは任せられるか」
メリウェザーは黙って頷いた。目の前の状況に言葉も出ない。
最奥の牢で目にしたものは、かつて黄金の光に包まれていた竜伐隊の隊長、オルフェスの変わり果てた姿だった。その目は抉られ、ジョルジェが鉢巻きをそっと目隠しに結んでやるまで、直視することもはばかられた。瀕死だが息はある。メリウェザーは重体のオルフェスとジョルジェを連れ、戦線を一時離脱しようと考えていた。
「この指輪、もしエルウィンたちに出逢えたら渡してあげて。頼みます」
「承ります。お気をつけて」
オルフェスを背負い、ジョルジェに肩を貸し、メリウェザーはエメットに見送られて地下牢を出た。ここからは、メリウェザーが一人で仲間を守らなければならない。
狭い通路の裏木戸を開けて外に出ると、オルフェスがうめいた。
「すまないが……わがままを聞いてくれ」
「あなたが囮になって、私たちの侵入が容易かったのだろうとエメットに聞いたわ……オルフェス、どうしたいの?」
「私もセルシスデオに……竜伐隊として、最後の仕事が……」
無理だ、とジョルジェが顔で言う。メリウェザーは頷きながら、西に向かって歩きだした。
「わかった。行きましょう、皆で」
………………………………………………………………。
白き司の主塔三階、大臣執務室と並ぶ部屋の一室に、王弟末子ティオは幽閉されていた。その一室で、王弟一族の盾を名乗るヴェイサレド・シオは、異様な男と相対していた。
「何者なのだ、貴様」
男の舌に刻まれた紋様から答えるのは、宮廷魔道師第零の声。
「知る必要はありません。ここに誰が来ようと、あなたがたはおとなしくこの部屋に留まっているように……特にティオ様におかれては」
「お前は何か知っているのか、第零よ」
なぜ、王弟一族のなかでティオだけが生かされたのか。心ある者の最後の抵抗で命をながらえたわけではなさそうだが、果たして。
「この場でお話するのは、ティオ様にとって酷なこと。全てが終わるまでお待ちください、さすれば自ずと理解されるでしょう」
「戯言を」
ヴェイサレドはティオの前に立ちはだかり、一歩も退かなかった。とはいえ、ティオの反撃に反応した以外、男が危害を加えてくる様子はなかった。
「本当にこちらだったか」
「うるせえな、俺の庭だっつったろ」
緊迫した部屋の外から、どやどやと騒がしい声が近づいてくる。
「おうティオ! シオのオヤジはいるか?」
扉を乱暴に蹴開けて登場したのは、ぼさぼさの緑髪を多少整え、同じように褪せた異国の軍服に身を包んだ男。
「メシュタポ、なぜここに」
数々の不敬はさておき、ヴェイサレドは腰を抜かしかけた。よもや、この男が現れるとは。
「主よ」
謎の男を挟んで主従も再会を果たす。
「ヴェイグ、お前がついていながらなぜ、この男を」
いま表舞台に立っては危険が過ぎる。メシュタポの四肢は、この騒乱に深く関わっているであろう【黄昏の子】から奪われた四肢だ。メシュタポが命を落とした時点で、四肢は持ち主のもとへ戻り、【黄昏の子】の復活は早まるだろう。
「そう犬ころをいじめるなよ。俺のほうが先に東塔から忍びこんで、とりあえずティオの身を守りに来たんだよ。あんたが居るから世話はないと思ってたが」
メシュタポは銃口を謎の男に向けた。
「何だ、こいつは」
「やめろメシュタポ、得体が知れぬ。先ほど反撃にあったが、こちらが手を出さなければ……」
「フフ、それは、外敵にはそれなりのおもてなしを致しますよ」
男の口から第零の微笑が漏れる。メシュタポが眉間にしわを寄せた刹那、男は振り向きざまに光球を放った。迫りくる灼熱を、メシュタポはほぼ反射で避けた。光球は扉のあった場所を穿ち、廊下で爆ぜた。
「何だと」
木片や火の粉を腕でしのぎながら、メシュタポは男を睨む。
「これほどの使い手が、どっから湧いて出やがった? 何者だてめえ!」
「強いて言うならば、この者の名はセレベス・ギュース。炎魔導師であり、光系統の召喚術を操る……つまり」
男は後ろ手に封印魔法を放ち、ヴェイサレドとティオはあえなく囚われた。
「最強の召喚術師と謳われたシオ殿の、対局の力を持つ者だ」
――室外では、ひそかに対戦の様子を見守っている者がいた。
(度が過ぎるようであればティオ様とシオ様を守るよう言いつかったけれど……あの魔導師相手では、私など手も足も出ない)
彼女にできることは、メシュタポ達に協力することだけだった。――
魔導師との戦いにおいて、メシュタポは魔道を貫通する古代武器を扱う、いわば天敵のような存在だった。しかしそれは、弾をこめて狙いを定め、発射するまでの時間があればの話。
「この、炎と爆発! てめえは白き司ごとぶっ壊す気か!?」
部屋のあちこちが破壊され、瓦礫が降りそそぐ。室内では戦いたくないタイプの戦闘を強いてくる敵を前に、メシュタポの味方はヴェイグだけだ。
「ふざけるな、こっちは犬っころと共闘してる有り様だぜ!」
「メシュタポ、我が隙をつくる。主とティオ様を頼んだ」
そのわずかな頼りが、自滅まがいの行動に出た。ヴェイグは魔獣としてありったけの魔力を解放し、セレベスの攻撃をかいくぐると、光の檻に食らいついた。
「ヴェイグ、無理をするな!」
「主を守れぬ忠心など、何の役にも立ちませぬ!」
ヴェイグの牙は光の檻を軋ませたが、破壊するには至らなかった。メシュタポは一発だけセレベスの肩に命中させたものの、まるで堪えていない様子だった。
「戻れ犬、お前まで……!」
言った時にはもう、ヴェイグは光の鎖に捕えられ、床に叩きつけられるところだった。
「グウ、すみませぬ、主……」
「チィッ!」
メシュタポは部屋の外へ飛び出した。セレベスに、今すぐティオたちをどうこうするつもりはないらしい。となれば、対策を練る時間はあるだろう。
(それが思いつけばの話だが)
メシュタポがとっさに飛びこんだ部屋には先客がいた。メヴィー・ソテロウ、精兵連の呪術師。
「てめえ」
「カイン様、お待ちください」
彼女は諸手を広げ、胸や首といった急所をメシュタポにさらした。
「すぐには信じていただけないでしょうが、時間がありません。セレベス・ギュースを倒す秘策をあなたに」
「秘策、だと?」
メヴィーは頷き、階下を示した。
「西塔の地下、地下牢から繋がっているあの部屋に、第零の研究室があります。そこに向かいましょう」
「俺をここから遠ざけようっていう魂胆か?」
「セレベスという男の足下には魔法陣があります。あれはおそらく力を供給しているもの……自分の意志では話せないようですし、何者かが遠方から操っているものと考えられます」
メシュタポは苛々と頭を掻き、メヴィーに従うことにした。
「ここで足掻いていても何もできねえ。いいぜ、その賭けにベットだ」
メヴィーは深々と一礼し、メシュタポとともに西塔の地下を目指した。
………………………………………………………………。
大広間では、エルウィンたちが何度目かの窮地に立たされていた。
(有り余る力は得ても、解決策がなければ……)
サリヤの火のなかで、ゼイーダとリクリルを庇いながらでは、エルウィンの力は他に割けない。あと一息、第零を水の檻に捕えることさえできれば。
「エルウィンさん……我々は、大丈夫ですから……少しの間なら耐えられます」
「そうです、私もまだゴーレムを造る力が残っています」
しかし、エルウィンは決死の懇願を聞き入れなかった。
「ここでこうしていても、あなたが消耗するだけだ。どうか、勝って……」
気を失いかけたゼイーダは、あるはずのない音を聞いた。大広間の扉が開け放たれる音だ。
(まさか、そんな……いったい誰が)
味方とは限らないが、この【サリヤの火】の海のなか、どうやって。生きたまま体を焼かれながらも進んでいる、というのか。
「……何者だ、貴様」
第零の問いに答えたのは、轟く悲鳴のような獣の咆哮だった。ゼイーダとリクリルは不気味な遠吠えに震え上がり、第零でさえ焦りをみせた。
「ばかな、なぜ貴様がここに!」
――……時は少し遡る。
セヴォー跡地に向かったセリとカオルは、ヴェイサレドの命により「シーナの心」を探していた。
雪がちらつくなか、瓦礫の細かな一辺にまで気を配り、二人は神経をすり減らして「心」を探した。それがどんなものなのか、どんな形をしているのか、何ひとつ手がかりはない。
ヴェイサレドは、シーナはメンテス・ガヴォに囚われる刹那、無意識に錬成術によって「心」をこの地に残したのではないかと言った。
「根拠となるものは無いが、シオ様がそうまで言われるのだ」
「ああ、在ってくれないと困る」
無残に蹂躙されたセヴォー。シーナは、せめて心だけは愛した住民達とともにあろうと、この地に「心」を置いていった。
ただの仮説に過ぎない、何の確証もない、これは願いに等しい。
心のどこかで絶望し始めた時、不意に、二人は同じ方向を見た。何かに導かれるように向かった先、シーナが住民たちを守った市庁舎の前で、彼らは小さなバッジを見つけた。瓦礫に埋もれ、かつての輝きはなく、すすだらけになったそれを拾い上げる。
「これは管理官の……町長のバッジだ」
二人は焼け焦げた骨組みだけが残る市庁舎を振り仰ぎ、一礼した。
セヴォーの民のためにも、シーナを取り戻さなければならない。
早馬に乗って彼らが戻った時、大広間はサリヤの火に包まれていた。セリとカオルは、大広間の扉を塞いで積まれた屍の山を、サリヤの火が貪るように焼いている絶望の光景を目の当たりにした。
「これでは……」
セリは言い淀んだ。たとえ命を惜しまずにバッジを届けに行こうとも、シーナに到達することさえできないだろう。
「機会を待つんだ。第零が引き上げる時でも狙える」
「ああ、だが……」
今、あの青い炎の中心で戦っている者はどうなるのだろう。バッジを硬く握りしめ、セリは己のふがいなさを嘆いた。
「……俺は、何とかして方法を探す。カオル殿は一刻も早くラサのもとに」
「……すまない」
カオルは短く言って走り去った。
去る者と入れ違いに、ひとりの獣族が現れた。冬なのに翡翠の夏毛のままでいる、混じり物のヴォルフェ族だった。
「この中に私の友人がいるようだ」
「やめろ! 触れたら骨まで焼かれてしまうぞ」
制した男のにおいを確かめ、獣族は微笑んだ。
「君は、ずっと我々を見守っていたな。奇妙な獣のにおい。覚えてしまった」
セリはびくりと肩を跳ねた。この男はアリアテと行動を共にしていた獣族、カレンだ。
「私はシオ様の副官、セリという……これはシーナ様の心だ。今、あの方はガヴォに狂わされ、第零に乗っ取られ……そうなる以前は、とても良い方だった」
「その飾りを、シーナとやらに届ければ良いのか?」
カレンは簡単に言って、セリからバッジを受け取った。
「だめだ。いくら結界が張れても、この炎は」
案ずるセリをなだめ、カレンは上階を仰いだ。
「メシュタポのにおいがする。彼はティオという王子を助けに行くのだと言っていた。おそらくそこにはシオもいるだろうと。君は、そちらの援護にまわってくれ……ここに留まれば、君を巻きこんでしまうかも知れない」
セリが心配そうに何度も振り返りながら立ち去るのを待って、カレンは自らの内側に語りかけた。
「私は君に食われ、因縁によって長くこの体を借りていた……今、君に体を返そう。君には何の利益もないだろうが……私では力及ばない。どうか、私の大切な仲間たちを救ってほしい」
祈るように言って、カレンは目を閉じた。
翡翠の被毛が震え、芯から青く染まっていく。腹がへこみ、髪はのび、そこには痩身のヴォルフェ族の姿が残った。
金色に光輝く目で、狼は青い炎をにらむ。彼はサリヤの火をものともせず、屍の山を時々かじりながら、邪魔くさい扉をおしのけて大広間に入った。
「俺に会えて嬉しいか?」
掠れた声でうなり、狼はひたひたと第零に歩み寄った。
「何者だ、はねえだろ。この火は俺の魔力から造りあげたモンだよな」
青い狼は、青い炎をひとすくいして口に運んだ。舌の上で転がし、呑みこむ。
「ちぃっとも美味かねえなァ」
「ばかな、貴様は……」
「死んだと思ったか。この通りだ! しばらく体は貸してあったがな」
ゼイーダたちには、声の応酬は届いていた。炎の合間に見えるその姿は見覚えがない。
「何者だ、あの、青いヴォルフェ族……」
そこまで言って、城仕えのゼイーダは眉をひそめる。
――青い毛並みのヴォルフェ族。まさか、まさかな。
ゼイーダが否定したかった事実を肯定するように、青い狼が吼えた。
「旨いもん食わしてくれよ、いー加減、腹が減ってんだよお!!」
「ほざけ、ルワーン!」
第零が悲鳴のように口にした名は、その場の誰もが耳にしたことのある名だ。
ルワーン・ヴェルナエレナ。自分以外の生き物はすべて獲物でしかなかった、悪食の限りを尽くした伝説の怪物。その身は大量の魔素を宿すあまり、被毛が青く染まっていたという。
ラティオセルム城の地下牢に封印されていたものが、十年前の内乱で解き放たれ、噂では五賢者を襲って食い殺したとか。そこから一切の消息を絶っていたため、討たれたのだと信じられていた。
だが、今、目の前にいる。
「お前も俺を封じた奴らに与していたな。だが、そいつの肉は旨そうじゃない」
ルワーンは第零の放つ錬成術を片手で払いのけながら、着実に距離をつめていった。とうとう、第零はルワーンに効果のないサリヤの火を消し、ゼイーダたちにも異様な光景の全容が見えた。
エルウィンは水球の守りを解くと、見覚えのある装束に目を奪われた。
「カレン?」
その声がルワーンに届くことはない。
「待て、ルワーン! シーナ様は殺さないでくれ!」
「下手なまねをすると、今度は封印では済まないぞ!」
ゼイーダは懇願を、リクリルは脅しを、そしてエルウィンは困惑した視線をルワーンに向けた。ルワーンはただ一言返した。
「騒ぐな。お前らは後だ」
全てが獲物でしかない、という言葉が、全員の脳裡をよぎる。
ルワーンは手を振りかざし、シーナの胸ぐらを掴み上げた。ゼイーダとリクリルの叫びが上がるなか、ルワーンはにたりと笑う。
「これで良いんだよなあ?」
「何、を……う、何を!?」
困惑していた第零は顔をしかめた。
「貴様、何を……!」
がくん、とシーナの体から力が抜けた。町長のバッジがルワーンの手から落ち、甲高い金属音を立てる。
「ルワーン、シーナ様に何を……」
「言われたとおりにしてやったぜ。もう、いいよなあ」
ルワーンは光る目をゼイーダたちに向けた。
「もう、食っていいよなあ!」
魂を震わせるその雄叫びは、大広間に思わぬ人物を呼び寄せた。
「ルワーン」
声の先には、メヴィー・ソテロウの姿があった。彼女を見るや、ルワーンはばつが悪そうに顔をしかめ、一行に背を向けた。
「その女には恩がある、からな。だいいち食えねえし」
それだけ言い残して、ルワーンは大広間のガラス窓を突き破り、城の外へ走り去っていった。
メヴィーはその後ろ姿を見送ると、ゼイーダたちに何も告げることなく、来た道を引き返していった。
「何にせよ、助かった……」
すっかり気の抜けたゼイーダとリクリルは、互いにもたれながら長いため息を吐いた。