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クラインのアクアリウム  作者: 菅原やくも
2/2

後半

 謎の建物群はとんでもないデカさだった。歩いて近づくのに半日くらいかかった。

 建物には窓一つなく、全体的に黒ずんでいて、たぶん雨が流れた跡が、白っぽいシミになって幾つもの模様を描いてた。見るかぎりは、壁も地面も全部コンクリートっぽい。

 見上げていると、首が痛くなるくらいの高さで、人の気配はなく、なにか機能がある建物とも思えなかった。


「まあ……こりゃ、巨大な墓場みたいだ」


 それが第一印象だった。

 壁沿いに歩いていると、凹んでいるような箇所があった。近づいてよく見ると、窓の無い扉という感じ。ドアノブもないが、試しに押してみたら、あっけなく開いた。ただし、その先は真っ暗だ。

 思い切って中へ進むと、扉は勝手に閉まって、真っ暗闇に包まれた。


「おいおい、勘弁してくれよぉ」


 なんでか、扉はびくともしなくて、外へ出れそうになかった。仕方が無いから、手探りで、壁に沿ってゆっくりと進む。そして、たぶんまた扉。手探りで触れていると、勝手に開いた感じがした。

 一歩踏み出して、耳を澄ましてみた。自分の呼吸と鼓動の音……それで、どこか遠くで、なにか機械の唸るような音も聞こえた。するとパチリと音がして、いきなり光に包まれた。思わず手で目を覆った。

 照明だ。蛍光灯かなんかが灯ったのだ。しかしすぐに消えて、また暗闇になったかと思うと、今度は、非常灯のような小さい電球が点々と灯った。

 薄暗かったが、まあ、なにもないよりマシだ。まあ見当ついてたが、通路みたいなところだ。

 その先には上下に階段。とりあえず登りの方向へ行ってみる。階段は上下にどこまでも伸びている感じだが、途中で通路に繋がっていたからそちらへ行ってみる。

 進んでいくと、また扉。


 その先も薄暗かったが、なんかバカみたいにデカい空間が広がっていることは分かった。うっすら青白い光に包まれてる感じで、見上げるくらいの高さのデカい棚みたいなのが、とにかくたくさん並んでる。

 んで、そこには、周囲と同じ青っぽい光に包まれて、人の胴体ほどの大きさがある、透明な水槽、水槽、水槽……


「うわぁ……んだよ、これ?」


 縦にも横にも、大量の水槽が、見渡すかぎりに棚に並んでいた。ときおり、ドローンみたいなというか、銀色のボールみたいなのが、上下左右に行ったり来たりしてる。

 近くの水槽をよく見ると、そこにはなにやら、透明な繊維のようなものが大量絡まっているが、シワのついた不格好なボールのような、どうみても脳ミソとしか思えない代物が入っていた。

 隣の水槽もその隣も……


「これ、ええ……まさか、人の脳ミソが⁈」


 すると音もなく突然、目の前にドローンが現れた。というか、銀色のサッカーボールみたいな感じの、プロペラが付いているわけでもなく、どうやって浮かんでいるのか分からない。俺の頭上で、ゆっくり上下に揺れたり回ったりして、それからパッと白く光ったと思ったら、その下に男が現れた。

 唐突なことに、幽霊かと思ってビビったが、いわゆるホログラムみたいなやつぽかった。なんかみたこともないデザインの服装で、欧米っぽい顔つきだった。

 それから、なにかよく分からない言葉が聞こえた。


「あ、俺、英語とかぜんぜん分かんないんだけど」

 すると、そのホログラムは一瞬、動きを止めて、首を少しかしげてから続けた。

「使用言語は……西暦二〇〇〇年代の初期ごろ、日本語でしょうか?」

「ええと、あ、はいです」

「どうも、お初にお目にかかります。私は————と言います」

 相手が名前を名乗った、ということは分かったが、肝心の名前が聞き取れなった。

「あ、あの、すいません。もう一回、お願いします」

「よろしいですよ。————です」

 それでも、聞き取れなった。

「あの、すいません。名前が聞き取れないです」

「そうですか。まあ、無理もないでしょう」

「ええと……」

 俺はどうしたもんかと思ったが、相手はさして気にも留めていない感じだ。

「では、所長とでも呼んでください。これなら簡単でしょう? 私はかつてここで現場を指揮していましたので」

「あ、はい」

「ここへ来客とは、何千年ぶりでしょうね」そう言って小さく笑みを浮かべた。

「ええと、その、俺は、自分になにが起きてるのかよく分からんけど」

「そのようですね」

「その、所長さん、ここは」

「ところで、貴方はどうやって建物内部へお入りになったのですか?」

「どうって……入り口があって、そこから入ったけど」

「なるほど」

 所長は意味深な表情でうなずいた。「それは、興味深いですね」

「はあ?」

 なんとも要領を得ない感じだが、いろいろと咎められるよりはマシだ。

「それで、ここはなんの建物なんだ?」

「アーカイヴです」

 即答されても、それだけではよく分からない。

「ええ……その、ここに並んでるのは、水槽に入った脳ミソみたいに見えるんだけど」

「これらがこそが、アーカイヴクリスタルの根幹を成しているですよ」

「あー、それってなにか記録とか? でも脳ミソはなんのための……」

「その各人はそれぞれ、グラフィクスに接続されており、回帰的再構築的仮想地球空間で認識されているのです」

「んん? よく分かんないんだけど、脳ミソは生きてるの?」

「生理学的な視点お答えすると、そうです」

 きっぱりと答えて続けた。「貴方の立場で、もっとも理解可能な表現をすると……人脳生命維持保管施設とでも言ったところでしょう。いえ……少しばかり不適な気もします。回帰的再構築的仮想地球空間内部においては、全体が一人のために、一人が全体のために、各人がオーバーライド的に相互作用を及ぼしています」


 何を言っているのか、俺はまったく理解できない。


「あの、もうちょい簡単に表現してもらえませんか?」

「そうですか? もう少し簡潔に、適切な表現を、うむ……宗教的な表現を用いるとすれば、箱舟、もっと単純な表現を用いれば、そう! 仮想現実ヴァーチャルリアリティとでも言いましょう」


 はえぇ!

 つまりこれは、究極的といえるまでに、VR世界に身を置いてる人類の姿ということなのか……目眩がした。これじゃ、マジで映画の世界みたいじゃんかよ。

 ただ、これで分かったこともある。理由は知らんが、俺は未来にいる、ってことだよ!


 それから所長は俺のことを見透かしているみたいに続けた。

「ちなみに、私はオリジナルが終了して現在のようなグラフィックス化されてから、おおよそ三千七百年ほどが経過しています」

「は? 三千年?」

「使用言語から、貴方は二十一世紀ごろの出身と推測されます。となると、約六千年というところでしょうね」

「ろ、六千年⁈」

 六千年だって? つまり、ざっくり言っても、ここは西暦八〇〇〇年? そりゃ、事故の拍子にタイムワープしたのだとしても、無茶苦茶な話だ。

「まあ……それはそれとして、その、他に誰かいないのか?」

「他に? とおっしゃいますと」

「いや、だから、俺みたいな生身の人間(・・・・・)だよ」

「それならゼロです」

 即答だった。

 そして淡々と続けた。「少なくとも私の認識では。それと例外的に冷凍睡眠(コールドスリープ)も存在すると思われますが、別の地区で私の管轄外です。把握しておりません。それから、系外惑星移住者についても同様です」

「マジかよ……」


 というか、系外惑星移住とか、サラッとスゲー話じゃねえかよ。


 まあ、とにかく落ち着け俺。

「ええと……それっで、大半は脳ミソだけで水槽の中ってわけか?」

「はい。付け加えて説明しておきますと、動物と昆虫に関しても、私のオリジナルが存在していた時点でほぼ絶滅状態でした」

「ああもう、わけわからん。事故の拍子にタイムスリップしたとしても、あんまりだ」

「おや、タイムトラベルですか?」

 その言葉に、俺はハッとなった。

「も、もしかして、タイムマシーンとかあったりするのか?」

「理論上は、タイムトラベルは可能です」

「じゃあ、もしかして、元の時代に帰るころができるのか?」

「しかしながら、工学的な試みは失敗に終わっています」

 所長は軽く首を振って続けた。「実際的な製作は不可能と考えらています。これまでの研究において、工学的側面のみならず、宇宙の大局的諸条件と人間の思念的側面、意識系不確定性原理らの相互作用といったものが深く関係しているのではないか? という意見が挙げられています」


 ほい来た。また訳の分からん言葉の羅列だ。


 もう何を質問していいかすら、分からなった。

「いずれにしましても、今の人類はある意味で、全てを望むことが可能です。仮に時間旅行をするとしても、実際的なタイムマシーンは不要です」

 その言葉の意味は、さすがの俺でも分った。

「そりゃそうだよな。水槽の中で夢でも見てるなら、やりたいことは、なんでもやれるだろうよ」

「もっとも、意識共有にはいくつかの区画がありますので、誰でも彼でも好き勝手ができるわけではありません。さらに割り当てには、地域や年代など多くの種別もあります。そうです。たしか、この近くには、二十一世紀年代の区画もあります」

「それ、どういう意味なんだ?」

「もちろん、外見的な話ではありませんよ。意識共有空間のことです」

 咳払いする素振りを見せて続けた。「こうして、いつまでも立ち話もなんでしょう。せっかくですので行ってみることにしましょう」


 移動しながら俺は訊いてみた。

「ところで、なんで、こうしてみんな脳ミソだけで、水槽の中で生きるようになっちまったんだ?」

「なるべく簡潔に述べるなら、全地球規模で生物が不妊になったということです。人類も例外ではありあせん」

「どうして?」

「原因が解明できれば、このような施設は不要でしょう。ごく一部の植物は、例外だったようです……あるいは、なにか、種の限界点というものが存在するのかもしれません。いずれにせよ、ここはある意味で、デジタル式箱舟のようなものなのです。別の区画には、各種動物だけで構成されている場所もあります」

「ふーん……まあ、よくわかんねぇけど、そんな簡単にできるものなのか?」

「もちろん、システムストラクチャーは簡単ではありません。しかし、人間を含め動物の意識というものは、極端な単純化をすれば、いわば0と1の膨大な組み合わせと、それらの重ね合わせにしか過ぎません」

「はあ」

「そうして、この施設全体で一種の情報処理システムになっているというというのも事実です。それによってつくられているのは、内包的多元意識空間です。つまり、フラクタル的意識構造体が構築され、高次元アーティファクトの……」

 所長は唐突に言葉を切った。

「失礼、西暦二〇〇〇年代初頭の日本語では、簡潔で正確な表現は不可能です」

「いいよいいよ。別に、どうせ理解できそうにない」


 着いたところも同じ景色だった。うっすらと青色の光に照らされ、水槽の大量に並んでいる空間が広がっていた。

 並んでいる水槽の一つ、その中に浮かんでいる脳ミソの一つを見た瞬間、なんだか震えが止まらくなった。なぜか分からないが、それが“俺自身”だと分かった。だが、どうにもおかしな話だ! だって、俺はここに居る。どうして、目の前にある脳みそが俺だと思うんだ?

 所長に聞こうとしたが、声が出なかった。いや、口は動かしたが、声が声にならなかった。それから、自分の身体が、服ともども透けはじめているのが分かり、浮き上がるような、はたまた落下のような感覚にとらわれた。

 最後に聞こえたのは、


「やはり予想通り! 思念実体化の実例です! 補正をしておきますね」


という声だった。


***


 気が付くと、俺はどうやら寝転がっていた。……硬い地面の上? 周囲に人がいた。雑踏の音、アナウンスみたいなのとか、騒がしかった。

 救急隊員の姿、駅員、他にも人がいた。皆が俺のことを見下ろしていた。


「私の声が聞こえますか?」


 救急隊員が声をかけてきて、ペンライトの光が目の前を左右に舞った。

 俺はうなずくと、身体が持ち上がってストレッチャーに乗せられた。


「これから病院へ搬送します」


 場所は駅のホームだ。

 それから思い出した。俺は線路上に落ちたのではない。人がぶつかってきた拍子によろけて、近くの柱で頭を強打したのだ。だが奇妙にも、ホームに落ちたときの記憶も、途方もない未来だという世界のこともはっきりと覚えていた。


 頭をぶつけたせいで、白昼夢でも見たのか? あるいは、それとも俺は、実際にあの水槽の中に浮かんでいた脳の一つに過ぎないのか?


 つまり……となると、俺たちはほんとうの現実なんてものを実際には相手にしていなくて、究極的なVR世界を共有しているだけ、とでもいうのだろうか?


 だが、頭の痛みを強く感じるのと反比例して、その記憶もどこか遠くに薄れていく。それから思い浮かんできたのは、少なくとも大学のレポート課題の提出は間に合うかもしれない、ということだった。

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