前編
ハッとして目を開けた。んで、俺は地面に寝転がっているようだった。
青空と言うには白すぎる感じの雲のない空が広がっていた。少し風が吹いてるみたいで、かすかに草木のざわめきが聞こえていた。
……ここ、どこだ?
ついさっき遭遇したはずの状況が思い出されて気分が悪くなった。まだ多少、心臓がバクついているような気もした。
それは休日の昼過ぎの都心。まあまあ混んでる駅のホーム。俺は電車を待ちながら人混みの列の先頭に並んでいた。
まあ、それが故意なのか事故だったかは、知らん。分かるわけもない。俺は手元のケータイゲームに熱中していたし、後ろがどんな状況だったかなんて気にもしていなかったから当然だ。
背中にドン!! と衝撃を感じたと思ったら、線路の上だった。打撲の痛みを感じて顔を上げると電車はすぐそこに迫っていた。その瞬間は時が止まってしまったようにも思えた。電車の前照灯の光が異常なほどまぶしく感じて、周囲の人の声も電車の警笛も、なにも聞こえなかった。
あ、レポート課題の提出無理だな……
よりにもよって、死にそうな状況で思い浮かんだことはそれだけだ。走馬燈が見えるなんて話は嘘っぱち。そのうえ大学で真面目なわけでもないのにな!
さて、そして気が付いてみたら静かな場所で寝転んでいるというわけだ。意味がわからない。でも、バカな俺でも推察くらいできる……
俺は死んだ。
どう考えてもホームから落ちたうえに、目の前に迫っていた電車から逃げれるわけない。
ここは死後の世界なのか?
だが、俺自身どうかなってるという感じはないし、死んだという実感すらない。顔や身体に触ってみても、その感覚はしっかりしてる。もしも電車に轢かれたというのならば、身体はぐちゃぐちゃになっているはずだ……なんてこった! 考えただけでも気持ち悪い。エグすぎる。
余計な考えは頭から追い出して起き上がり、深呼吸してあたりを見渡す。
穏やかな丘陵地帯みたいな場所。
ところどころに木が立っているが、どの方も似たような、秒で飽きそうなくらい単調な景色だ。太陽はずいぶん低いところで、草木は黄色味を帯びた光に照らされてる。雰囲気は早朝って感じ。んで、いっぽうの遠くには、黒っぽい色調の山並みみたいなのが見えた。
自分の格好も確かめる。服装は今朝からのとまったく同じ恰好。そこでケータイが無いことに気づいた。
いや、ケータイはずっと手に持ってたが落したか……ゲームもおじゃんだな。けっ! こんな状況でケータイゲームを気にしてもしゃーないけど。
「ああ!? 財布もなにもねぇじゃん!」
ポケットを全部確かめたが、どうにも持ち物は全部無くなっていた。足元をそれとなく探して見たけど、なにも見つからない。
あるいは、ここは死後の世界じゃなくて、俗に言う異世界転生的なやつか?
まあ、どこぞの漫画みたいに、見知らぬマンションの部屋に召喚されて真っ黒な球体から「戦ってくだちい」とか変な日本語で命令された挙句、問答無用で化け物と戦う羽目になる……なんていう状況よりは多少はマシだ。
あるいは、あの丘の向こう側から獰猛な野生動物とかが出てこない限りだがな!
だが周囲の音に耳を澄ましてみても、聞こえるのは風に揺れる草のざわめきだけ。鳥が飛んでいるような気配もない。
「おーい! 誰か! 誰かいないか!」
叫んでみても返事はない。
人の姿とか動物とか、なにか動く影が見えないものかと、しばらく景色を眺めてみたが、何の気配も感じられなった。しばらくすると、太陽が徐々に空へと昇りはじめていた。空は青味を増して草木の鮮やかな緑色はまぶしいくらいだった。
ぼけっと突っ立っていても状況が変わるとは思えなかった。とりあえず、その辺を歩いてみることにした。
それで、なんとなく太陽が昇ってきた方へ向かうことにした。だいたい東の方向というわけだ。そっちには遠くに山も見えず、ひらけているような気もした。
「まともな道もねえのかな」
動物どころか虫すら飛んでいない。なんとなく奇妙で、どうにも気味悪く感じた。しかも、どこもかしこも同じような景色ばかりで、まるで同じ場所を歩きまわっていて、実は進んでいないんじゃないかとさえ思えた。
心なしか腹も減る。だが、コンビニなんて見つかりそうにないし、自販機なんてものもなさそうだ。だからと言って、そこらの雑草をむさぼる気にはまだならなかった。
ただ、喉の渇きはそのうちに深刻なことになりそうだ。でも仮に自販機があったとしても、小銭が無いのでは何も買えやしないじゃないか!
「ああ、飲み物のことを考えたら余計に喉が渇く!」
声に出したところでどうにかなるものでもない。それに独り言なんて呟いていたら、ほんとに喉が渇く。
集落でも誰でも、なんでも構わないから、歩き疲れて倒れる前に助けを求めなければ……あるいは川でもあれば、とにかくマシだろうな。人間は、飲まず食わずでも三日程度なら生きていられる、とかいう話は聞いたことがある。だからといって、俺が飲まず食わずで三日目を迎えられるかどうかは、ちゃんちゃら疑問だ。
しばらく歩き続けていると、少し遠くに、直線的な感じの地形が見えた。これまでの緩い丘みたいなところとは、明らかに違う形状にみえた。なんとなく、土手のような感じがしなくもなかった。
やっと斜面を登ったところで、思わず目を細めた。
水面がきらきらと陽の光を反射してたのだ。
「ビンゴ! 思った通り、川だ」
川幅はどれほどだろう? ずっと向こうにも、こちらと同じような土手になっているのが見えた。とにかく、泳いで渡るのを試すのは、止めておこうと思うくらい、広い川だ。
俺は土手の斜面を転がるように下って、そのまま川に頭から突っ込んだ。
「ぶぅはあっっっ!」
慌ててもがいて、川から脱出した。
危うく溺れるところだ。シャレにもならない。喉の渇きを抱えて川で溺れるなんて、マジ勘弁だ。
それで、あらためて水面に顔を近づけた。泥臭さみたいなのは感じなかった。そして慎重に、水面に手を入れてみる。冷たすぎるというほどではない。水をすくってみると、澄んでいて、きれいな感じだ。ゆっくりと一口飲んでみる。たぶん、飲んで大丈夫そうな気がする。何度も、水を手ですくって飲んだ。
多少は気力が戻ってくる感じがした。あとは、このせいで腹をこわしたりしないことを祈るばかりだ。
「それとも、あれか?」
川をもう一度見渡した。これはもしかすると、三途の川とかいうやつか?
土手の斜面に座って、しばらくあたりを眺めたが、船が来るわけでも、誰かが現れるわけでもなかった。
しょうがないから、次は土手の上を進むことにした。太陽は真上くらいのところまで来ていた。
歩いていると何かが足に引っかかって、
「うわっ」
コケそうになって、その場でコケた。
「ったく! んだよ……もう」
大きな木の枝でも落ちていたのかと足元を見ると、黒っぽい色で、木の枝なんかよりも硬そうなものがあった。
ああ、マニアでなくとも、間近で見れば分かるものだ。角の取れたようなエのかたちの断面、長い鉄鋼……電車のレールだ。生い茂る雑草で身を隠すようにして、赤茶けたサビに覆われてた。
だが、ここが地球であるかどうかの判断は、時期尚早ってやつかもしれない。異世界にだって、電車くらい走っているところもあるだろう。
さらにレールを観察してみると、側面の凹んでいる部分に、浮彫の刻印で、“5”という数字がかろうじて残っているのが分かった。
まさか、違う惑星に転生して、たまたま地球で見かけるようなレールがあって、偶然にも地球と同じ数字が使われている、そんな確率は皆無だろう。
だとしてもどこだ? いつの時代だ?
つっても大昔ではなさそうだが。
それとも、違うのだろうか……俺は、死の瞬間を直前にして、無限大に引き延ばされた時間軸の上を、奇妙な幻覚を見ながら彷徨っているとか?
立ち上がって周囲を見渡した。それから深呼吸。相変わらず人気はない。だが、景色が幻覚とも思えなかった。
試しに、自分の頬をつねると……それなりに痛い。いや、そもそも電車に轢かれたんなら、痛いとかで済む話でもない。あるいは仮に、何かゲームの世界に転生したのだとしても、クソつまらん話だ。レビューがあったら☆は一個、コメント欄でこき下ろしてやるぜ。
とりあえず、錆びたレールに沿って進むことにした。どうせ道もないし、他に進むべき方向も分からなった。
だが、それもあっという間に終わりを告げた。レールは、突然現れた池の中に向かって、まっすぐ伸びていた。いや……ただの池じゃない。澄んだ水の中を、目を凝らして見ると、トンネルが、ぽっかりと黒い穴をあけていた。
歩き続けていると、景色に対する、妙な感じと言うのか、既視感というのか、その正体がわかった。というか、思い出したというべきか……あのパソコンのやつ、XPの草原の壁紙。
思わず笑ってしまった。バカバカしい。こんな、どうでもいいことを思い出してなんになるというのだ。
ここまでくると、もうヤケクソだ。
どこまで続くのか分からん、丘を登って下るを繰り返して……死ぬまで歩き続けてやる!
何個目かわからない、小山くらいの丘を越えると、視界が開けた。緩やかに下った先に平地が広がり、そこに、“何か”が並んでいるのが見えた。
目を凝らして見るまでもない。人工物だろうのは見当がついた。黒っぽい灰色という感じで、四角いのがたくさんあった。ここらだと、さながらコンクリート製のサイコロが大量に並んでいるみたいな感じだ。距離感がいまいち分からないが、たぶん、デカい建物みたいなもんだろう。
でも、すでに空は暗くなりかけていた。訳の分からん施設に忍び込むのは、明日になりそうだった。
急激とは言わないが、気温が下がるのを感じた。それに歩き疲れた。まばらに立っている木の一つに身を寄せて、休むことにした。
遠くに見つけた、あの建物群に明かりが灯る気配は、ないどころか、すでに暗がりに飲まれて姿が見えなかった。
木の根元で、膝を抱えて座る。ああ……心細いとは、このことを言うのだな。何ともみじめな気分。誰もいない、あたりは真っ暗、食い物もない……空腹はいつまで我慢できるか。
虫が飛んでないだけマシだ。やぶ蚊でも飛び回っていたら、休憩どころではなかっただろう。
それからふと、なにげなく上を見上げて、ハッとなった。
これまでに見たこともない星空。ほんとうに、数えきれないほどの星が夜空に輝いていた。思わず立ち上がって空を仰いだ。満天の星空とは、このことだ。さらに、その夜空を横切るように、白いモヤ? ああ……あれが天の川か。
そのまま地面に寝転がって眺めると、さながら、たった一人で宇宙に浮いているような気分になった。束の間、俺の身に起きている訳の分からないことなど忘れて、壮大な星空に見入った。
そうして、気が付けば眠っていた。
んで、肌寒さに目が覚めた。空は白んで、朝焼けがすごかった。ところどころ雲がかかり、絵の具を適当に混ぜたみたいな、赤色と白と薄い青がグラデーションを描いていた。




