魔法の杖……?
「どうぞ」
「ありがとうございます」
生徒会室に着くと、エドガーは紅茶と茶菓子を出してくれた。
レポート課題を手伝ってから既に何日か経っているが、忙しいのか机にはその時に使っていた資料などが積まれたままだ。
「……で?僕はこの状況がイマイチ分かっていないんだけど」
そう口を開いたのはセドリックだ。説明を求める彼に、エドガーは私の魔力に関するこれまでの経緯を私の代わりに話してくれた。
「なるほど……ウィザードシューティングとパワーサープレッションにエントリーするなんてある程度強い魔力を持っていると思っていたけれど、まさかそこまでとは」
セドリックは無理な練習をさせる羽目になってごめんね、と落ち込んだ様子で謝ってきたが、私はそれを即座に否定しこちらこそ申し訳ないと謝罪した。第一セドリックは、右も左もわからない私に初心者向けに丁寧に教えてくれただけなのだ。彼に非が無いのは誰の目から見ても明らかだろう。
ごめんねほんと。
一通りそんなやり取りをし終わると、エドガーが紙とペン、それから奥の本棚にある分厚い本を数冊取り出した。
「では早速ですがウィザードシューティングの際の使用魔法の構成と計算をしましょう」
まずは現在箒に乗るのに使用している魔法について。
現在私は箒に乗るのに最もポピュラーな呪文なしの簡易浮遊魔法と軽い体重移動で箒の向きを変える簡易操作魔法を使用している。
特にウィザードシューティングにおいては箒に乗りながら魔法を使用する必要があるため、ほとんどの選手がこの魔法を使用している。だからセドリックもそれを教えたし、私もその練習をしていたのだ。
しかしエドガーの言う通り、この魔法での魔力使用量は私の全魔力の中の10パーセントにも満たない。的に当てるための魔法をいくら高度なものにしても、それだけで80パーセントにまで使用量を上昇させることは難しい。仮に出来たとしても、的に当てる魔法は瞬発的なものなので結局安定するのは一瞬でしかない。
となるとやはり、箒に乗るのに使用している魔法を変えるというのが妥当だろう。
「これを使ってみるのはどう?」
そう言ってエドガーの持ってきた分厚い本の中からセドリックが指さしたのは、浮遊魔法と物質の移動魔法を組み合わせた完全制御魔法だった。これは本来浮かせることと移動させることという独立した動作を同じ動作下に組み込むことで、意識するだけで精密な操作が行えるようになるという魔法だ。簡易魔法の重ね掛けを行っている場合、浮かせながら移動するというのは二つの魔法を同時に発動する必要があるため、無意識に発動しようとすると無駄な魔力を込めてしまいがちだ。
しかし、この魔法は一つで箒に関するすべての動きを制御することが出来るため、無駄がなく早いスピードでの飛行も可能になる。
「本来これは飛行のみを目的とした競技や移動手段に使われる魔法ですが……いいかもしれませんね。ただしこれは呪文つきなので的に当てる時に使われる魔法と混同してしまう可能性があります。エマさんは杖で二種類の魔法を同時に使用したことはありますか?」
あるわけないじゃん。魔法って言われても箒に使った浮遊魔法が初めてですが何か?
杖というのは皆さんご存じ魔法の杖のことだ。
魔法には大きく分けて3段階ある。魔法の杖なしで使える呪文なしの簡単な魔法。魔法の杖が必要な呪文ありの魔法。一般に使われる魔法も大体これだ。そしてさらに高度な魔法や手順が多い魔法は魔法陣や魔法薬を使用する。
ちなみに呪文というのは、すべての魔法に存在するもので、属性のある魔法や複雑な魔法になればなるほど長くなる。特殊な道具を使えば見ることが出来るが、普段目にすることはめったとないので、化学式の感覚に似ているかもしれない。
長いものになると自分だけで処理することは難しいので、魔法の杖に自分の魔力と共に呪文と移し、代わりに処理させることで魔法を具現化する。
呪文の処理可能量は人によって個人差があるが、一般的に不可能であると考えられている者は呪文つきと呼ばれ、魔法の杖の使用が推奨されている。
とはいえ私は呪文つきの魔法を使ったことがないので、もちろん魔法の杖を使ったこともない。ウィンチェスターアカデミーでは、入学時に魔法の杖が支給されるため持っていることには持っている。この杖は、最初はただの棒のような見た目をしているが、使うごとに使用者の魔力が記録され徐々に姿かたちを変えていく。優秀な魔法師ほど美しい杖に育つと言われているが、私の杖は全くの初期状態。ただの棒だ。
そういえばこの間ちらっと見たセドリックの杖は綺麗だったなぁ。まだ1年生なのに。
……やっぱりイケメンの杖はイケメンになるのか。
なんて馬鹿なことを考えながら、自分の魔法の杖を取り出して見せると、二人は驚きすぎたのか笑顔のまま固まっていた。やっぱり二人とも顔がいいんだよなぁ。
何だっけ?妹が言ってたやつ。……あぁそうそう、顔面国宝サランヘヨ。まさにそれだわ。
「つまり、入学してから、一度も魔法を使っていないと。……日常魔法すら?」
「エマ。一回使ってみてくれる?どれくらいの魔力を消費するのか知りたいからね」
そう言われて再びグラウンドにやってきたが、相変わらず視線が痛い。何ならセドリックがいる分更に注目を浴びている気がする。女子だけじゃなく男子までこっちを見ている。
まぁ天才と生徒会長が平民と一緒にいたら気になるよね。
というか何も考えずに来たけれど、完全制御魔法ってめちゃくちゃ高度な魔法だよね?
簡単な浮遊魔法や操作魔法すら上手く使えない私がいきなりチャレンジして大丈夫?死なない?
「大丈夫ですよ。僕もセドリックも見ていますし。何かあればすぐに助けに入ります」
エドガーは不安になる私を見透かしたように言った。セドリックもエスパーだけど、エドガーもエスパーだった。……心を読む魔法でも使ってます?
確かにセドリックもエドガーも見てくれているのならこれ以上に安全な練習環境もないだろう。
……今なら周りの生徒も先生もこっちを見ているし。先生。落ちそうになったら助けてください。
そう願いながら一度も使ったことのない魔法の杖を取り出し、ゆっくりと完全制御魔法の呪文を移していく。使ったことは無いが呪文や魔法式の勉強はちゃんとしていたので助かった。
色々規則性があって、実はハマってしまったのだけど。
呪文を移し終わると、持っていた魔法の杖が光りだしたので、そのまま箒に向かって「プレーナ・ポテスターテ」と詠唱しながら杖を振る。すると、地面に置いていた箒は浮き上がり、私の目の前まで来ると浮遊したまま停止した。
そのままゆっくり箒にまたがると、箒はゆっくりと上昇を始める。ゆっくり水平移動するようにとセドリックから指示を受け、脳内で箒に指示を出すと箒は頭で思い描いた通りに水平移動する。
私は嬉しくなって、なぜか誰もいない空を自由に飛び回った。
「辛くない?吐き気や倦怠感は?」
すっかり遠くなってしまった地上からセドリックの声が聞こえる。下を見ると、そこには今まで練習していた生徒をはじめ、たくさんの生徒が驚いた様子でこちらを見上げていた。セドリックに大丈夫だと伝えると、途端にたくさんの人から見られているのが恥ずかしくなって、私は箒を下降させ地上へと戻った。
「エマ。お疲れ。すごいね」
セドリックは優しく微笑んで私の頭に手を置いた。
後ろから悲鳴が聞こえる。今ので何人やられたのだろうか。とにかく顔面が良すぎる。
かく言う私も無事なわけがなかったが、悲鳴を上げて倒れるわけにもいかないので、頭の中で円周率を数えて心を無にした。
「今ので30パーセントですか。本来は安定する数値ではありませんが……どうやら3日間のあなたの努力は無駄ではなかったようですね」
しかしこれで30パーセントとなると、他にも重ね掛けした方が……とエドガーはゴーグルを外しながらブツブツと一人で何かを言っている。ちなみにこのゴーグルは、魔力解析のために用いられる特殊なゴーグルで、見た人が今どの魔法にどれだけの魔力を注いでいるのかということが分かる。グラウンドの中にもグループになってこれを使用している生徒がいたが、私はエドガーに教えられるまで流行のファッションなのかと思っていた。
こうしている間にもどんどんギャラリーが増えていくので、実践はここまでにして完全制御魔法と組み合わせる魔法を考えることにした。しかしこれが思ったよりも難しく、またしばらく生徒会室通いになることをこの時の私はまだ知らない。