人魚の初恋Ⅱ
焦燥感のある音楽と共にセレノアは海の森を急いで通り抜ける。
段々と暗くなる景色と音楽が観客の不安を掻き立てた。
海の森を抜けると、そこには深海の生き物たちがひっそりと過ごしている。
セレノアは陰から覗く鋭い視線を感じながら、大きな屋敷の門を叩いた。
間違いない、ここにきっと海の魔女がいる。
門を叩くと、それは勝手にキィーという音を立てて開いた。
警戒しながらも彼女は屋敷の中へと入っていく。
屋敷の中は一本道になっており、彼女は一番奥の扉を開けた。
「おやおや可愛らしいプリンセス。こんな深海まで何か御用?」
そこには紫のタコの姿をした老婆が立っていた。手足はシワシワで痩せ細っており、声はかすれてしまっている。観客は彼女こそが海の魔女なのだと瞬時に理解した。
「貴方が海の魔女?」
「あぁ、私が深海の国を治める魔女ナジャリアだよ。プリンセスセレノア」
「私を知ってるの?」
「あぁ知っているとも。ネルマリクとは仲良しなんだよ」
ナジャリアが含みのある笑いで返した言葉をそのまま受け取ったセレノアは「そうなのね!」と嬉しそうに声を上げ、先ほどまでのなけなしの警戒を解いた。
そして彼女は部屋を見渡しいくつか会話をした後、「お願いがあってきたの」と会話を切り出した。
「なんだいプリンセス?」
「私人間になりたいの。人魚に戻れなくなっても構わないわ。何か方法は無いのかしら?」
どうしてもなりたいの!
彼女はお願いと魔女の方を見て何度も何度も同じことを繰り返す。
海の魔女は優しい声で言った。
「出来るよ。人間になりたいんだね?」
「えぇ!そうよ!!」
目を輝かせるセレノアにナジャリアは目をギラつかせながら、棚に入れてある紙を取り出した。
「とても危険な魔法だよ。成功させるには対価が必要だ」
「対価?」
「そうさね……例えばその美しい声とか」
魔女はしわくちゃになった顔をわざとらしく緩ませる。
声が無くなれば会話が出来ない。会話が出来なければ彼に出会えても振り向いてもらえない。あの時助けたのは自分だと、貴方が好きだと伝えられない。
「いいわ。それで人間になれるのなら」
けれどセレノアはその提案を受け入れました。
何故なら彼と自分は運命で結ばれているからです。言葉がなくとも彼は私に振り向くに違いありません。
「じゃあここにサインを」
「えぇ」
セレノアは戸惑うことなくペンを動かした。
そして契約が結ばれた後、ナジャリアは彼女に大きな緑色の石がはめられたペンダントを贈った。
「これは何?」
「魔法のペンダントさ。陸で契約したくなったらそれに念じればいい。もちろん対価は貰うけどね。要らなかったら捨てな」
「使うつもりはないけれど、綺麗ね。ありがとう」
そして海の魔女はセレノアに魔法をかけました。
ナレーションと共に私の周りが光に包まれる。
それを合図に照明が落ち、舞台裏に戻ると魔法薬の効果は切れ、風魔法をかけて乾かしてもらいながら衣装を着替えた。アップにしていた髪を下ろすと、演出の海の撤収作業も終わり再び舞台に戻る。
そして再びスポットライトが私を照らす。
ここまでおよそ30秒。1分1秒たりとも無駄にできない舞台の中で一番短縮するためにしたのはこの幕間の時間をとにかく短くすること。そうすることで無駄な時間をかけずに済み、観客も現実に引き戻されることがない。
(ここは、どこ?)
セレノアが目覚めると、そこには眩しいくらいの太陽に照らされた陸がありました。
彼女は生まれて初めて感じる体の重みを背負いながら、自分の下半身を見ました。
脚です!そこには人魚の尾びれではなく人間の足が生えています。
彼女は嬉しくなって人間のように立ち上がろうとしました。
私は音楽に合わせて立ち上がる。
けれど、そう上手くはいかず生まれたての小鹿のようにプルプルと震え倒れてしまう。
何とか体を起こし歩き出すと、近くに街が見えた。
(彼に会いに行かなくちゃ)
街にはたくさんの人がいます。
けれど、彼の姿は見当たりません。
「お嬢さん1人かい?」
ふと店のおじさんに声を掛けられセレノアは頷く。どうやら言葉は海の国と同じらしい。
「迷子か?今日はお祭りで人が多いからな」という彼の言葉を聞いて子ども扱いされているのが少し気に入らない。しかし言い返すことも出来ないので、何のお祭りなのかと身振り手振りを使って尋ねた。
「今日は王子さまの婚約パーティーの日なんだよ。国中の人が招待されてる」
めでたいよなぁ。
しかし、セレノアにとってはどうでもいいことだった。
早くあの人を見つけなくては。
その時広場の方から音楽が聞こえてきました。
気になって向かってみると、街の人が楽器を弾いて踊っているではありませんか。
まぁ素敵!彼女は楽しくなって傍に置いてあった楽器を手に取って演奏します。
私は舞台の中心に立ってヴァイオリンを構える。
ルーカスからやっと上がってきた曲はとても楽し気で素晴らしい出来だったが、私が前に超絶技巧をひけらかしたせいか、協奏曲風なのに何故かヴァイオリンの難易度だけが段違いだった。
もはやヴァイオリンソロのような勢いで。
もちろんシーン的には大正解なのだが、流石の私でも練習では何度か間違えたし演技をしながら弾くのは難しかった。
けれど、今の私はセレノアだから。
天真爛漫で恐ろしいくらいの世間知らずで我儘なプリンセス。
体が勝手に動く。観客から歓声が上がっていたがどうでもいい。
いつもは気になる配信用のカメラが目の前に来ていても全く気にならなかった。
いつの間にか広場は彼女の演奏会になっていました。
皆、彼女の奏でる海の国独特のメロディーに聞き入っていたのです。
演奏が終わると、広場から拍手が沸き上がります。
すると一人の少女がセレノアの目の前に駆け寄ってきました。
「貴方お上手ね!お名前はなんておっしゃるの?」
とても身なりの良い彼女。周りの人たちは何やら彼女を見て騒いでいます。
セレノアはどうやって名前を伝えようかと悩み、広場の近くのお花屋さんを指さしました。
そこには『セレノア』という名前の花が売られています。
「そう。セレノアね。私はアイナよ」
ねぇセレノア。よければ今日のパーティーで演奏してくださらない?
周りの人々はやっぱりと声を上げた。
そう、彼女こそが今日のパーティーの主役。王子の婚約者なのだった。
セレノアはニコリと笑って了承しました。
パーティーは大好きだし、国中の人が集まるのなら、きっと彼も来るに違いありません!
断る理由はありませんでした。
するとアイナはパーティーのドレスを貸してあげると言って自分の屋敷にセレノアを連れて行きました。彼女のお屋敷は以前セレノアが彼を助けた海岸のすぐ近くにありました。
ドレスを貸してもらい、セレノアはパーティーの時間までアイナのおしゃべりに付き合っていました。彼女はとても幸せそうに王子との馴れ初めを話します。
「殿下とはすぐそこの海岸で出会ったのよ。嵐のすぐあと海岸の様子を見に行ったら殿下が倒れていらしたの。もちろん私が介抱したわ。そして、後日お礼の花束を贈ってくださったの。それで……」
セレノアは声こそ出せないもののにこやかに相槌を打ちながらアイナの話を聞いていました。
とっても素敵、絵本のようなお話ね。
彼女は自分と彼もきっとそうなるのだろうと思いながら幸せそうなアイナを見つめていました。
夕方になりパーティーの時間が迫るとセレノアはアイナの馬車に乗って一緒にお城に向かいました。
先にパーティー会場に通されたセレノアは彼らの入場と共に演奏します。
会場に集まった客人たちの中から彼を探していると召使いからの合図を受け取りヴァイオリンを構え演奏を始めました。
海の国の伝統的な賛歌を演奏すると、その演奏に合わせて2人が入場して来ます。
けれど、人が居すぎてセレノアには2人の姿はよく見えませんでした。
そして2人がホールの中央に着くと、セレノアは城の演奏家たちと共にワルツのための演奏を始めます。
ダンスの1曲目が終わり、2曲目に入ったことで他の客たちも踊り始め、やっとセレノアは2人の姿を見ることが出来ました。
(どうして?)
彼女は驚きのあまり演奏を止めてしまいました。
幸せそうなアイナと踊っている王子。
金髪に海の色を移したかのような美しい瞳。高い背丈に優し気な表情。
間違いありません。セレノアが一目ぼれした『彼』でした。




