箒に乗る……?
「何にエントリーしてきたの?」
声のする方へと目線を移すと、体育着を着たセドリックが廊下の柱にもたれかかっていた。
「出してきたんでしょ?」
「あぁ、うん。えっと、ウィザードシューティングとパワーサープレッション」
私がそう答えると、セドリックは少しだけ目を見開いて、すぐに微笑んだ。
体育着を着ているということは恐らく魔法競技大会の選考会に向けて練習するつもりなのだろう。今は部活も休止期間で、ほとんどの生徒が選考会に向けて練習をしているとエドガーが言っていた。
「僕もウィザードシューティングとパワーサープレッションに出るんだ。同じ競技だし、よかったら一緒に練習しない?」
え、そうなの?エドガーに勧められたから選んだけど、魔力の多い生徒はこの2つを選ぶのかな?
まぁ何にせよ、願ってもない申し出だ。私一人ではルールすらまだ曖昧だし、セドリックみたいな有力な選手と練習が出来るなんてありがたい。
私は急いで更衣室に駆け込み、セドリックの待つグラウンドへと向かった。
グラウンドでは多くの生徒が選考会に向け既に練習をしていたが、同じ体育着を着ていてもセドリックを探すのは容易だった。
四捨五入すれば脚になりそうなほど長くスラっと伸びた脚。ダボッとした体育着の上からでもそのスタイルの良さが伝わる。風に靡く白い髪は穢れを知らない。
広いグラウンドにいるほとんどの人間が、本人に気づかれないようチラチラと彼を見ている。
分かるよ。カッコいいもんね。
あれで公爵家の跡取りで、勉強もスポーツもなんでも出来ちゃう天才って、ちょっと設定盛りすぎじゃない?
「エマ」
彼は私を見つけると、優しく微笑んだ。
周りから悲鳴が聞こえるのは気のせいだと思いたい。
私が近寄ると、彼は持っていた二本の箒のうち一本を私に手渡した。
ありがとうとお礼を言ってそれを受け取ると、セドリックは動きやすいように髪をポニーテールにまとめた私を見て「髪をくくってるエマも可愛いね」と言い放ち、私の髪を一束とると流れるような動作でキスを落とした。
さっきよりも大きな悲鳴が聞こえる。
叫びたいのは私なんだけど。流石乙女ゲームの世界というか何というか。
今更だけど周りの視線が痛い。これ私もしかしなくても恨まれるのでは?
今までセドリックと会うのは人気のない図書館だったし思い至らなかった。
軽率に誘いに乗るべきじゃなかったかも。
しかし今更そんなことを考えても仕方がないので、周囲の圧力には気付かないフリをして練習を始めた。
セドリックによると、パワーサープレッションはただ魔力をぶつけるだけで才能がモノを言う競技なので練習はほとんどいらないという。そこでウィザードシューティングに必要な箒に乗ることから練習を始めることにした。
やってみると、これがかなり難しい。
箒には常に浮遊魔法をかけておかなければいけないし、移動するにはその都度移動魔法をかける必要がある。しかもウィザードシューティングは箒に乗ったうえで現れる的に魔法を当てなければならないので、最低でも2つの魔法を同時に発動する必要があるということ。少なくとも箒での移動に使う魔法は無意識下で発動できるようにならないと勝つことは難しいという。
低空飛行から始めるが、安定した浮遊魔法をかけることすらままならない。
飛行するだけの魔力を注ぐことに対して苦労はないけれど、一定量を制限して注ぎ続けるというのが出来ない。どうしても途中で魔力が乱れて上がったり下がったりと、ブレずに空中で留まれない。
「そろそろ休憩にしたら?」
セドリックの声を聞いて我に返る。
練習している人が沢山いたはずのグラウンドには数人の生徒しかいなくなっていた。
「あんまり根を詰めすぎるのも良くないよ」と言いながらセドリックは水の入ったペットボトルを手渡した。私はそれを受け取ると、汗を掻いていたせいか一気にそれを飲み干して呟く。
「……碌に箒にも乗れないなんて。焦るでしょ?2週間後には選考会なのに」
折角魔力があっても使えなければ意味がない。何のコネもない私が魔法省に就職するための数少ないチャンスかもしれないのに。
一緒に練習するなんて言いながら、ほとんど私の練習に付き合ってくれているセドリックは、既に箒の扱いは完璧だ。箒の扱いはこの世界では貴族の教養の一つであるという。この世界の貴族は幼いころから箒の扱いを学んでいる。つまり、この学校の生徒はみな箒を十分に扱うことが出来る。ましてやウィザードシューティングに出場する選手なんて、それが得意な人達だろう。
私が箒に乗れないと知った時のセドリックの反応を見れば、自分の状況なんて痛いほどわかる。
焦らずにはいられないのだ。
そこから3日間。私は今まで勉強に当てていた時間も、全てグラウンドでの箒の練習に割いた。
3日間かけて出来たことは、安定した低空飛行のみ。これも少し気を抜くと、途端に不安定になる。
悔しかった。これだけやっているのに全然上手くならない。
やっぱりそもそもヒロインにはできない設定になっているのだろうか。
というか本当なら、今頃大学行って、バイトして、友達と居酒屋で飲んで、二日酔いになりながらまた大学に行って。そんな生活を送っているはずだったのに。
今まで積み上げてきた経験も知識も、学歴も交友関係も、ここじゃ一切役に立たない。
乙女ゲームはプレイするのが好きだった。確かに魅力的な攻略対象と結婚したいなんて妄想を抱いたこともあるけれど、本気で思っていたわけじゃない。
悪い夢なら早く冷めてよ。
私よりこの世界に来たいなんて人いっぱい居たでしょ。なのに、どうして私が……
だめだ。今まで考えないようにしてきたことが一気に溢れ出してくる。
ヤバい……泣きそう。
涙をこぼさないように箒を握りしめ上を向いた。
放課後のグラウンドにはまだたくさんの人がいて、その中にはこちらを見ては陰口を言っている人達もいる。セドリックも生徒会室に寄ってから練習に付き合ってくれると言っていたから、もうすぐ来るだろう。そんな中泣くなんて私が見ている側でも構ってほしいヒロイン気取りの女の子だと思うに違いない。
何より人前で泣くなんて自分が弱いというセルフプロデュースだ。
周囲の強者たちにそんなことをするのはいじめてくださいと言っているようなもの。
落ち着け私。落ち着け。
「エマさん。そんなに空を見つめて何をしてるんです?妖精でも飛んでいましたか?」
「……エドガー先輩」
恐らく彼は私が涙を堪えていることに気づいているのだろう。ニヤニヤしながらこちらを見つめている。生徒会室に行ったはずのセドリックは居ないのかと問うと、セドリックはここに来る途中に先生に呼び止められたのだという。続けてなぜエドガーが来たのかと問うと、「可愛い後輩が箒の特訓をしていると聞いたので、是非とも応援をと思いまして」だそう。応援というよりバカにしに来ただけでは?ムカつく、けど顔がいいんだよなぁ。
「あれだけの魔力を保有していて、回復魔法まで使いこなすというエマさんが、箒に乗れないという話を聞いて何の冗談かと思いましたが……なるほど」
それでは無理でしょうね、と言われてしまえば引っ込んだはずの涙が再び顔を出しそうになる。
一度見せて見ろと言われたからやって見せたのに。
「……馬鹿にするなら帰ってください」
声が震えないように精一杯の注意を払う。
そんな私とは打って変わって、エドガーはにこやかに口を開いた。
「馬鹿にするなんてそんな!貴方、自分の魔力量わかってますよね?」
そりゃ、魔力測定器で量りましたし大体は……
「実践魔法において、自分の全魔力量のうち約80パーセントを使用するようにするのが一番安定します。一瞬だけの魔法ならともかく、持続させる魔法は合計80パーセントの魔力量で発動するのが定石です。ですが貴方が今やっているのは、浮遊魔法と移動魔法を合わせても全体の10パーセントにも満たない量の魔力をコントロールすること。たった3日でここまでコントロールしているのなら上出来でしょう」
「でもセドリックはできていたし……」
「そりゃ彼は天才ですから。彼のコントロール力はこのアカデミー全体でも頭一つも二つも抜けています。常識ではありますがまだ実践魔法の授業も始まっていないし、貴方が知らないのも無理はありませんが……おそらく彼も、貴方の魔力量を知らなかったのでしょう。でなければ、彼がこんな練習をさせるはずがありませんし」
えぇ……じゃあ今までの練習が無駄だったってこと?
流石にメンタルやられるんですけど。
視界が滲む。あぁ、泣きたくなんかないのに。
「こらこら。折角我慢していたのでしょう?ここで泣いてしまっては意味がありませんよ」
優しい声と共に、頭にポンと心地いい重みを感じる。
嬉しいけれど、優しくされると余計に涙が出そうになる。
「エマ。大丈夫?」
「……セドリック」
急いで来てくれたのだろうか。少し髪が乱れている。
「ほら行きますよ」
エドガーはそう言って、頭に乗せていた手を腰に回して移動を促してきた。
どこへ行くのかと尋ねると生徒会室だという。
「貴方に必要なのは闇雲な練習ではなく、魔法式の計算です。実践魔法は本来、思い付きで使うものではなく、しっかりと計算をして使うものですから。セドリック、君も一緒に来てください」
エドガーがそう言うとセドリックは戸惑いながらも後ろをついてきた。
不安と焦りで曇っていた心がなんだか少しだけ晴れたような気がした。