コスモーター
「馬鹿だろお前」
「……返す言葉も御座いません」
駆け込んだ保健室で処置を受けた後ドアの前に立っていたルーカスに声を掛けられる。
私の指先には固定のための包帯と保冷魔法が大げさなくらいにかけてある。
碌に準備運動もせず24のカプリースで指を酷使した結果、指を攣ってしまったのだ。それもまぁまぁ重症で。
しばらくは絶対安静。ヴァイオリンも弾くなと言われてしまった。
まぁ曲もまだできてないし、本番までには全然間に合うからそこまで不便は無いのだけれど。
にしても、現役の時ですら24のカプリースを弾く前はしっかり指の準備運動をしていたのに。完全に忘れてしまっていた。そりゃ指も攣るよね。
「でも、おかげでいいアイデアが降りてきた」
そう言って彼はまた音楽室へと戻って行く。
まぁ役に立ったならいいか。
「エマ!大丈夫!?」
ルーカスと入れ替わるようにセドリックが息を切らしてやってきた。
私の包帯で巻かれた指を見つめて、「あぁ、エマの美しい指が……」なんて言っている。
やっぱりセドリックだけは他の攻略対象よりも私に対する態度が顕著な気がする。
アメリアにも相談しているが、彼女はこれについて自分に会った攻略対象だからではないかと言っている。しかし、本当のところは分からない。
とりあえず今は総合文化祭で他の攻略対象たちともアメリアに会わせて確認するために、自分にできることをしなくては。
私はセドリックをそれとなく遠ざけて、エイドの研究室に向かった。
当日話すだけでいいと言われたけれど、共同研究者として出る以上そういう訳にもいかないし、そもそも当日話すにもそれなりの準備が必要だ。
「エイド先輩」
「エマ氏?劇の練習は?」
「今日はもう終わりました。それより全然こっちに顔出せてなくてすみません」
「いやいや、僕はエマ氏が忙しいのわかっててお願いしたし、むしろ謝るのはこっちって言うか……」
申し訳無さそうにするエイドの周りには大量の資料と画面が置かれている。発表当日に使う資料に持っていく為の試作品の車の設計図。彼のくまや置かれている栄養ドリンクの量から察するに3日以上はほぼ徹夜の生活を送っているのではないだろうか。
ここ数日彼は必要最低限の授業にしか出ておらず、そのわずかな出席授業もほとんど寝てしまっているとアクアが言っていた。私達を始め、多くの生徒が総合文化祭に向けて忙しい日々を送っているが、ここまで追い詰められているのはきっと彼だけだろう。
「先輩。手伝えることがあったら言ってください。それと私の分の資料は私が空いてる時間につくるので、先輩はちゃんと休息を取ってください」
正直私も余裕はないが、エイドにここで倒れられては困る。そもそも私の分の資料は私が用意するつもりだったし、エイドがやる必要はない。
「ごめん。ありがとう。じゃあこれ、お願いしてもいい?」
「はい、もちろんです」
私が渡された参考文献の資料リスト。
これを当日使用するスライドに打ち込む単純作業。正直ちょっと面倒な作業だが、これなら私にも失敗せず確実にこなせる。
「そういえば、コレの名前決めたんだ。エマ氏に1番に伝えたくて……」
エイドが指差したのは試作品の設計図。研究段階でも試作品は作成したが、今回はそれよりもデザインにこだわった、より実用的なものになっている。
きっとこの世界の歴史に名を残すくらいの発明。そんな重要なものの名前を私が1番に聞いても良いのだろうか?
「いいに決まってるでしょ。僕が伝えたいんだから」
「じゃあ、聞きます。教えて下さい、エイド先輩」
私がそう言うと、エイドは今まで見たことのないくらい優しい表情をしていた。陶器のような色白の肌がほんのり赤く染まっている。
「うん。この機械の名前は……『コスモーター』にする」
「コスモーター?」
「エマ氏の名前から貰ったんだ。エマって宇宙って意味があるでしょ?それを古代語のコスモにして、エマ氏が乗りたかったって言ってたリニアモーターカーと合わせたんだよ」
え!?私の名前?
いや嬉しいけども。恐れ多いっていうか何というか。
出来れば変えてと言いたかったが、エイドのはにかみながらもキラキラとした表情を見てはそんな事は言えるはずも無かった。
「ありがとうございます。ちょっと恥ずかしいけど嬉しいです」
私が礼を言うと、エイドは「そう?」と素っ気ない態度をとるが、緩みきった口元を見れば彼の心情は手に取るようにわかる。
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そんな忙しい日々はあっという間に過ぎ去り、気が付けば本番まで残り1週間。
私は10キロの減量に成功し、他のみんなも役作りを完璧に仕上げていた。
「いいわね」
キャスト兼脚本家兼舞台監督のレヴィからお褒めの言葉をいただけるくらいには、演技も完成に近づいている。1日4時間はやっていた稽古も、今は2時間に短縮している。完成してきたこともあるが、それよりも一部のキャストが役作りのために体力が落ちてしまったことも原因の一つだ。
特に20キロ落とすと言っていた海の魔女ナジャリア役のポートナム・ターナーはそれを有言実行し、稽古の時間以外は車いすで移動するほどになっていた。
艶やかな黒髪はその輝きを失い、綺麗に手入れされていた爪は黒ずんでひび割れていた。ハリのある肌も体重が減った分しわしわになり、脚は棒のように弱弱しくなっていて、出演時間分何とか演技するので精一杯の様子だった。どうしてそこまで。
しかし、そう思うのも野暮なくらい彼女はナジャリアそのものだった。
真っ直ぐ立てなくなり震える立ち姿も、しゃがれた声も、虎視眈々とセレノアの声を狙う執念深さの溢れ出るようなギラギラした瞳も。
彼女だけではない。あれだけ女性と見間違えるほど美しかったレヴィは、バッサリと髪を切り、髭を生やし、30キロも増量し威厳のある国王に。演技経験のないセドリックですら、王子のイメージに少しでも近づけるよう、シルクのように美しい白髪を金の髪に染め、コンタクトを使ってルビーの瞳をサファイアのような碧い瞳に変えた。
日に日に稽古場の空気が変わる。
誰かが役に近づくにつれ、他の人も負けじと役を追いかける。それはメインだろうが名前のない役だろうが同じだった。私は彼らに置いて行かれないよう必死で食らいついた。
「明日からはより本番を意識した形で行うわ。衣装にメイク、学校のホールを借りて照明や演出、魔法薬も使うからそのつもりでね」
やっとここまで来た。
皆そう言って目を輝かせる。この劇に関わる人数は100人以上。明日からはその全員が集まり同じところで劇を作り上げる。音響はよく一緒に稽古をしていたが、それ以外はたまに見学に来る程度。
正直どのような演出になるのか私も100パーセント知っているわけではない。
ここまで積み上げてきたものが、ようやく形になりつつある。
けれど皆が盛り上がる中、私はその輪の中に入れなかった。
「あの……レヴィ先輩。少しお時間よろしいですか?」
皆が帰った後、私は今だ残って台本を読んでいる舞台監督に声を掛けた。




